暴風族<ベヒーモス>、「パーツ・ウォウ史上最強のDクラス」宇童アキラと四人の高弟“四聖獣”。Dクラスを完全に超越する実力を持ちながら、Dクラスに居座り続ける狂人達。
常識的に考えて、駆け出し暴風族の<小烏丸>が太刀打ちできる相手ではない。だが万に一つの勝利の可能性も無いかと言えば、そうでもないというのが咢の見解だった。
ステッカーの上貼りをしてきたのは<ベヒーモス>の方であるため、戦は<小烏丸>側のエリアで、<小烏丸>側に合わせた戦方式で行われることになる。
パーツ・ウォウFクラス「ダッシュ」、そこに唯一にして絶対の勝機があった。
<小烏丸>にはFクラスでありながらFクラスを超越するスピードのライダーが三人いる。咢、カズ、そしてスバル。神出鬼没の助っ人、変態スク水仮面を入れれば四人である。
<ベヒーモス>が「最強のDクラス」であるならば、<小烏丸>は「最強のFクラス」と言える。Fクラスの弱小チームであることが、イッキ達にとって最大の武器となり得たのだ。
――――そう、その筈だったのだ。少なくともほんの一時間ほど前までは。
「それなのに……何がどうトチ狂ってそんなことになってんだよ、ええ!?」
当事者二人を畳の上に正座させ、咢は般若の如き形相で怒鳴り散らす。咢の怒号にスバルが身を竦ませ、対照的にイッキはどうでもいいとばかりに鼻をほじる。
その夜、東京の“野暮用”から戻った咢達を待っていたものは、<小烏丸>が<ベヒーモス>に宣戦布告したという信じがたい報せだった。
話は一時間前に遡る。間垣の警察への受け渡しを含む一連の面倒事が解決した後、スバルはイッキの自転車を借り、敵の姿を探して市内を走り回っていた。
助けて貰ったことは感謝している。だが<小烏丸>を「虫ケラ」と侮られたことはどうしても許せない。宇童を探し出し、暴言を撤回させる。方法や勝率などは二の次だった。
それに、とスバルは自転車の籠を見下ろした。籠の中には一足のA.T.――間垣が“魔導の玉璽”と呼ぶデバイスが乱雑に詰め込まれていた。宇童から預かったものである。
間垣を拘束する際、宇童は間垣のA.T.を没収した。抵抗の術を奪うという意味でば、その判断は妥当と言える。
だが宇童は、取り上げた間垣のA.T.をスバルへ渡したのだ。「君が預かっていてくれ」と、さも当然のことであるかのように。それがスバルには解らなかった。
宇童に会い、その真意を問い質すとともに<小烏丸>への暴言を撤回させる。スバルはそのために夜の街を駆けずり回っていた。
そして遂に手掛かりを掴んだ。東雲市郊外のとある工事現場、そこが四聖獣の会合場所になっているという情報を掴んだのである。スバルは早速現場へ急行した。
積み上げられた資材、そびえ建つような建設機械。その奥に彼らはいた。<ベヒーモス>四聖獣、その中には蓮の姿もある。
スバルは逸る気持ちに駆り立てられながら自転車を漕いだ。四聖獣と接触すれば、宇童に会うこともできるかもしれない。
そのとき、自転車が何かに躓いた。スバルが「あ」と声を上げるが、既に遅い。制御を失い、自転車は猛スピードで暴走する。その先に見えるのは四台のデコチャリ。
デコチャリ、それは80年代に流行した改造自転車の最終形態である。主に免許のない中高生がデコトラを模して製作し、現在でも愛好家が一県に数人程度存在すると言われる。
そんな蘊蓄も、実は四聖獣が揃いも揃って「一県に数人」のデコチャリ愛好家であったという衝撃の事実も、今のスバルにとってはどうでもいいことであった。
今の彼女にとって重要なことはただ一つ、このままでは確実に“アレ”に激突するというただ一点のみである。そしてそれは、既に逃れられない未来になりつつあった。
「うそぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
半泣きの顔で情けない悲鳴を上げながら、スバルは自転車ごとデコチャリの群れに突っ込んだ。激突音がちゅどーんと轟き、土煙がもくもくと立ち昇る。
え、アレもしかして死んだ? 呆然とした表情で立ち尽くす四聖獣の背後から、そのとき不敵な声が響き渡った。
「――イッキ殺法、人間爆弾」
蓮達は弾かれたように背後を振り向いた。スバルもデコチャリの残骸の下から這い出しながら頭上を見上げる。
月明かりを背中に背負い、クレーン車の上に腕組みして立つ黒い人影。身に纏う<小烏丸>のジャケット、鳥の巣のようなボサボサ頭。紛うことなくイッキだった。
「イッキ!?」
スバルは驚愕に目を見開いた。何故だ、どうしてイッキがこんなところにいる? 混乱するスバルを見下ろし、イッキがふてぶてしい顔で声をかけた。
「よぉスバル。見事な特攻、そして天晴れな自爆だったぞ。主のために命を捨てる下僕としての忠誠心、褒めてつかわす」
「はぁ? ふざけないでよヘッポコガラス!」
あまりにも不遜なイッキの物言いに、スバルは青筋を浮かべて怒鳴り返す。野山野家に来てからおよそ二週間。暴力に満ちた家庭環境の中で、スバルは順調に染まっていた。
イッキは蓮達に視線を移した。鷹のように鋭い眼差しが四聖獣を見下ろす。蓮はごくりと喉を鳴らした。
「テメエらか、俺達を虫ケラだのヘッポコだの言いやがるふざけた連中は?」
憮然とした言葉とともに、イッキは懐から何かを取り出す。<小烏丸>のエンブレム・ステッカーだった。まさか、とスバルは目を見開いた。
「史上最強? 最大? ふざけろよ。テメエらがノコノコ攻め込んでくるのを、のんびり待ってやるほど俺達は暇人じゃねぇ!」
いつの間にかイッキの周囲には、カズが、オニギリが、そしてブッチャが―――咢を除く<小烏丸>の全員が集結していた。
イッキは手元のステッカーを見せつけるように高々と持ち上げ、傍に張られた<ベヒーモス>のステッカーの上に上貼りした。宣戦布告の合図である。
「戦争だぜ、Dクラス! 蝿や蟻にも怒りあり。魅せてやるよ、虫ケラの意地って奴をな!!」
不敵な笑みとともに啖呵を切るイッキの背中を、突如尋常でない圧迫感が襲った。
「分かった。お前達の宣戦布告、この「超獣」が確かに聞き入れた」
耳を打つ男の声。イッキは背後を振り返った。ショベルカーのアームの先端、ショベルの上に人影が見える。赤い髪の青年だった。
「宇童 アキラ!」
「何、こいつが!?」
瞠目するスバルの叫びに、イッキは驚愕の表情で宇童を見上げた。イッキ達を見下ろし、宇童は言葉を続ける。
「勝負は十日後、満月の夜だ」
「上等だぜ。吼え面かくなよ?」
宇童の通告に、イッキは歯を剥き出して獰猛に笑う。両雄はこうして相見えたのである。
「――つー訳なんで、十日後に<ベヒーモス>と戦することになった」
「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ここまで考えなしの大馬鹿野郎どもだったとは……」
何の気負いもなくのたまうイッキに、咢は思わず天を仰ぐ。戦方式がFクラスからDクラスへ変わり、<小烏丸>の勝利は最早絶望的だった。勝率は限りなく0である。
パーツ・ウォウDクラス「キューブ」、それはパーツ・ウォウの中で最も過激で最もポピュラーで、そして最も危険な戦である。
戦方式は四角い密室内での一対一の潰し合い。戦場は「四角い密室」という条件さえ満たせば、ありとあらゆる場所が戦場となる。まさにコンクリート・デスマッチである。
そして,.<ベヒーモス>は「キューブ」に特化したチームだった。宇童はもとより、四聖獣も全員がAクラス級の戦闘能力の持ち主である。
百の手と呼ばれる必殺技を持つ「ヘカトンケイル・ボム」五所瓦 風明、日本屈指の女性ライダーである「石化の盾」美作 涼。
走・攻・守全く隙のない究極超人「時の支配者」左 安良、そして最近四聖獣入りした「麒麟」。その誰もが、何らかの「王」を名乗る資格のある逸材だった。
「はっきり言ってやる。今の<小烏丸>じゃDクラスで<ベヒーモス>には絶対に勝てねぇ!」
強い口調で言いきる咢に、イッキとスバルは一瞬言葉を失う。しかし二人が口を開く前に、咢は「だから」と話を続ける。
「お前らにはこの十日間で是が非でも強くなって貰わなきゃならない。いや、この俺がお前らを強くする! カスからミジンコくらいまでには引き上げてやるよ」
そのためには特訓が必要だ。いつになく真剣な表情で力説する咢に、スバルは目を丸くした。
「アギト……あなた本当に本物のアギト? 東京で謎の宇宙人とか未来人とか異世界人とかに誘拐されて、実は偽者と入れ替わてったりなんかしてないよね!?」
「漫画の読み過ぎだ、この馬鹿ガキ」
尋常でない剣幕で詰め寄るスバルの問いを、咢は呆れたような顔で両断する。流石に調子に乗りすぎたか、スバルは「あはは」と笑いながら頭を掻いた。
「でも今日はやけに乗り気じゃねぇか。本当にどうしたんだよ?」
にやにやと笑いながら尋ねるイッキに、咢は素っ気なく「別に」と答える。
「ただ<ベヒーモス>には俺もちょっとばかし“貸し”がある。それだけだ」
咢の答えにイッキは「そっか」と相槌を打ち、それ以上詮索することはなかった。
翌日から、<小烏丸>の強化合宿が始まった。学校に無断で泊まり込み、朝早くから夜遅くまで過酷な特訓の毎日。咢の罵声が飛び、反発するカズ達の怒号が轟く。
カズとオニギリ、そしてブッチャの三人は、「キューブ」の生命線である壁走りの技術を基礎から叩きこまれた。壁に引いた線に沿って、教室内をグルグルと回り続ける。
カズが線の上から僅かにはみ出た。すかさず咢の罵声が飛ぶ。
「それじゃ駄目だってんだろが、ウスィ~の! 線からはみ出てるぞボケッ!!」
咢の罵声に、カズは慌てたように線の上に乗った。だが今度はオニギリが線からずれる。
「何だその醜い“走り”は!?」
ブッチャが足を滑らせる。
「空気の無駄だ! 死ね黒豚!!」
容赦なく飛ぶ咢の罵声に、ブッチャが遂に我慢の限界を迎えた。
「煩いね! 僕は元々壁走りは得意なんだよ!!」
「これでか!? もう一度ミジンコからやり直せ!!」
「大体何なんだテメーはよ!? この間までは全然やる気なかった癖に!!」
ブッチャと咢の口論に更にオニギリが参戦し、ぎゃーすぎゃーすと喚き合う。合宿開始から既に一週間、特訓はグダグダだった。
「皆! 晩ご飯できたよ」
教室の入り口ががらりと開き、引き戸の向こうからリンゴが顔を出した。リンゴの言葉に男達の顔つきが飢えた獣のそれに変わる。
合宿にはイッキ達<小烏丸>のメンバーも他に、数人の有志によるサポーター達も一緒に参加していた。リンゴもサポーターの一人であり、主に食事面でイッキ達を支援している。
「イッキ達は?」
「今ウメちゃんが呼びに行ってる」
カズの問いに、リンゴが廊下を歩きながら簡潔に答えた。イッキとスバルは現在、カズ達とは別メニューでの特訓を行っているのである。
その特訓とは――――、
その頃、イッキとスバルは壮絶な殴り合いを繰り広げていた。
大振りで繰り出されたイッキの拳がスバルの横頬を掠める。スバルはそのまま一歩踏み込み、イッキの懐に身体を捻じ込みながら怒号とともにイッキの腹を殴りつけた。
鳩尾に走る鈍痛に顔を歪めながらイッキは自らも一歩前進し、スバルの額に頭突きをぶつけた。衝撃とともに視界で火花が散り、スバルは悲鳴を上げて大きく仰け反る。
イッキは追い討ちをかけるように拳を振り被り、スバルの顔面を狙って打ち放った。しかしスバルは素早く身を引いて躱し、イッキの横面へ飛び蹴りを繰り出す。
だがイッキは身を捻ってスバルの飛び蹴りを躱し、逆にスバルの脇腹に回し蹴りを叩き込んだ。スバルの身体が鞠のように吹き飛び、生徒机をひっくり返しながら床上を転がる。
二人の特訓内容とは、ずばり実際の「キューブ」を想定した一対一の模擬戦。密室空間内で本番さながらに二人で殴り合うのである。
今のイッキの弱点は“動きの緩慢さ”である。総重量30kgものハンディ・アンカーにより、イッキは素早く動くことができない。
敏捷性の欠落は「キューブ」では致命的だった。俊敏に動けないということは、自分の攻撃を当てられず、敵の攻撃を避けられないということでもある。
そこでイッキの練習は壁の技術よりも格闘戦の技能向上を優先して組まれた。スバルの役割は、言わばイッキのための“動くサンドバッグ”である。
一方スバルの欠点は戦闘経験の圧倒的な不足である。加えて戦いそのものを忌避する彼女の気性は「キューブ」では役に立たない。
そこで咢はスバルをイッキと組ませた。イッキと戦わせることでスバルに戦闘経験を積ませ、ついでに彼女の“甘え”を消し去ることが咢の目的である。
イッキはフェミニストではない、それどころか女子供でも容赦なく狩る鬼畜である。極限状態に置かれればどんな甘ちゃんでも生き残るために変わらざるを得ない。
仮に“甘え”を克服することができなくても、的としてならば役に立つ。そういった意味でもスバルはイッキの相手として最適だった。
そして幸か不幸か、咢の目論見通りスバルは見事に頭のネジが吹っ飛び、今では――ハンデがあるとはいえ――イッキと互角な殴り合いを繰り広げるまでに成長したのである。
「ゼェ、ゼェ……ま、まだまだだな雑魚一号! 全知全能たるこの俺様にそんなヘッピリ腰のヘナチョコパンチが効くとでも思ったか?」
「ハァ、ハァ……な、何を寝惚けたこと言ってるのかなこのカラス頭は? こんなガキ一人にそんなボロボロにされてる癖に!」
荒い呼吸を繰り返しながら減らず口を叩くイッキに、スバルも息切れしながら強がりをほざく。
生徒机を支えにして立ち上がり、スバルは拳を握りしめた。イッキも受けて立つように身構える。次の瞬間、二人は同時に床面を蹴った。
「スバルゥゥ! 俺の必殺技が見たいとか言ってたよなぁ!? 魅せてやるぜ、これが俺の新必殺技その1ぃぃぃっ!!」
悪魔のように凶悪な顔で叫びながら、イッキは拳を振り上げてスバルに踊りかかった。
「呼べよ風、吹き荒れろ嵐! 今! 超必殺のおおおおおおっ!!」
雄叫びとともに振り抜かれたイッキ渾身の拳を、しかしスバルは身を捻って軽々と避ける。空振りしたイッキの拳が虚しく空を切った。
しかも勢いあまり、イッキの身体は独楽のようにぐるぐると回転する。イッキの回転は止まらない。否、寧ろ加速すらしていた。これは―――!?
「我が必殺技はここからだ愚か者め! 来たれ風の神! A.T.タイフーン!!」
「そんな……まさか遠心力をパンチに上乗せするつもり!?」
イッキの狙いを悟り、スバルは戦慄に声を震わせた。A.T.によって加速したイッキの回転んは今やまるで竜巻、そこから放たれる攻撃の威力は計り知れない。
しかし如何に強力な必殺技であろうと、それを撃たせなければどうということはない。そしてスバルは、敵にむざむざ撃たせてやるほど甘くない。
スバルは「とう!」と叫びながら飛び上がった。一見強力そうなイッキの技には、実は一つだけ弱点がある。それは“上”―――回転の軸の中心である。
例えば扇風機を想像して欲しい。高速で回転する扇風機の羽は、触れれば指が飛ぶほどの殺傷力を秘めている。だが軸の中心を正確に押さえつけてしまえば、回転は止まる。
――――と、以前イッキの部屋で読んだ漫画に書いてあった。
「あの漫画をあたしに読ませたのが失敗だったわね! 扇風機の止め方を魅せてやる!!」
勝利を確信した顔で雄叫びを轟かせながら、スバルはイッキの頭上で宙返りし、真上から渾身の飛び蹴りを放った。
「なめるなあああああっ!!」
イッキは怒号を上げながらスバルを見上げ、拳をロケットのように垂直に突き上げる。スバルの右足が、イッキの拳が、空中で激突しようとしたまさにその瞬間――――、
「スバルちゃん、イッキちゃん! ご飯でしよ~っ」
教室の入り口ががらりと開き、引き戸の向こうからウメが暢気な声とともに顔を出した。
「「何、ご飯!?」」
ウメの呼びかけに反応し、スバルとイッキの声が重なる。次の瞬間、スバルの踵がイッキの頬に突き刺さり、同時にイッキの拳がスバルの顎を打ち抜いた。
まるでダイナマイトのような轟音が教室内に木霊する。それは壮絶な“相討ち”だった。
「……取り敢えず、スバルちゃん達はご飯の前に治療でしね」
派手な音を立てて倒れ伏す二人を見下ろし、ウメはやれやれと息を吐いた。
――To be continued