歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

“ピーター=フランクルになりそびれた男”の母国での評判(9)

2010-01-20 02:12:27 | トルコ関係
→(8)からの続き

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「セルカン=アヌルル准教授とその日本におけるアニメ・プロジェクト、それと日本について」
原文:Doç. Dr. Serkan Anılır ile Japonya'daki Anime Projeleri ve Japonya Üzerine
http://www.anime.gen.tr/yazi.php?id=267

2008年4月28日  文責:アルピン

セルカン=アヌルル准教授は、日本ではその研究の成功によりメディアで話題に登ることの多い科学者である。多面的で理想化肌の性格と驚異的なコミュニケーション能力を生かして、日本において様々な研究に関わっている。

当サイトに関係する最も重要な面と言えば、この人物が日本でアニメ映画“宇宙エレベータ”では監督、TVシリーズのアニメ“RD 潜脳調査室” では助監督(←ママ)を務めたり、また“エヴォリューション(Evolution)”“タイム・マシン”といった新しいアニメのプロジェクトへの関与を通じて、アニメ界で“作り手”の側でその名を言及されるようになった最初のトルコ人だということだろう。

氏については数多くの都市伝説が語られ、日本では氏に感銘を受けた人々がファン・クラブを結成していると言われるが、そのセルカン=アヌルル准教授と東京の虎ノ門駅そばのアイリッシュ・パブでお会いし、その研究について、またアニメの世界や日本について興味深いお話を伺うことができた。

アルピン:最後にお会いしたのは一年半ほど前、
在東京トルコ大使館で催された新しい御著書の発表会の席だったと思います。それから今に至るまで、貴方は日本において多くのプロジェクトに関わってこられました。御研究は日本ではアニメという形で公開され始めている。それらについては後ほどお話しましょう。その前に、ちょっと自己紹介をお願いしたいのですが。

※坂本龍一からも御祝いのメッセージが寄せられたとのこと。


セルカン:私は1973年にドイツで生まれました。35歳です。最初にドイツで、後にトルコで学びました。ユルドゥズ工科大学建築学部を卒業。修士はドイツのバウハウス大学に行き、東大には博士で学ぶためにやってきたのです。日本に住んで10年になりますね。博士課程在学中の2000年に、カジマ社(鹿島建築のことか?)に入社。それからNASAに行ったのです

※著書などで使われている写真を見る限り、NASAを“外来者”として訪れたことがあるのは確かに事実らしい。ただし、NASAで訓練を受けたとか在職したとかいった過去は、既にNASA当局によって否定されている。

2003年に博士課程を修了した際、NASAに行くか、それとも日本に残るか決めねばならなかったのですが、日本宇宙航空開発機構(JAXA)に大変魅力を感じていたので2003年にNASAを辞め、JAXAに移りました。私はJAXAが受け入れた初めての外国人なのですよ。現在はJAXAの仕事を続ける一方で、同時に東大にも籍を置いてます。

※セルカン氏は2003年から2005年にかけて、JAXAの任期付き研究員だった。研究員として初の外国人であったか否かはともかく、この取材があった2008年の時点だと、既にJAXAは辞めているはず。

2006年の4月には同大のAssociate Prof..(准教授)となりました。自分の研究室も持っていて、そこで教え子たちと研究を続けているというわけです。

※原文でもこの箇所は英語でAssociate Prof.(准教授)とある。現在のセルカン氏は東大の助教(Assistant Prof..)であって、准教授(Associate Prof..)ではない。

2006年6月、NASAにおいて私たちが行ってきた宇宙エレベーターのプロジェクトを、日本で本として出版しました。タイトルは“アタ・宇宙エレベーター”。現時点での部数は54万部ですね。

※正しくは“宇宙エレベーター”。“アタ”なんてついていないw。54万部も売れたか否かも不明。

私は2004年にもNASAで宇宙飛行士としての訓練を受けたのですが、その時の訓練の責任者は、マモル=モリ←毛利衛氏のことらしい)という日本で最初の宇宙飛行士でした。今はミライカン(日本未来科学館)の館長を務めておられます。その彼から、本がそれだけよく売れてるんだから、新しいコンセプトのもとでこれをアニメ化できるのではないか?との提案があったのです。

後に、ウォーク(Walk)社がこれに加わってプロダクションを作りました。ハヤオ=ミヤザキ(宮崎駿)も加わったのだとか。

※未確認。

アニメを作り、ミライカン(日本未来科学館)で公開を始めたのです。 2005年には、私は大学で“インフラ・フリー”システムの研究を始めました。その際、“プロダクションI.G”のトップの人間が我々の大学で教師をやっていて、その彼と知り合う機会があった

※“プロダクションI.G”は“甲殻機動隊”のTV版や、最近では映画“スカイ・クロラ”の製作などで知られる著名なアニメ製作会社。その“トップ”というのは2004年に東京大学の特任教授に就任した同社の社長、石川光久(1958〜)氏のことらしい。

彼は“宇宙エレベーター”を見て大層気に入ったようで、未来に向けたアニメのプロジェクトを一緒に立ち上げられないかと言ってきたのです。私が考案した“インフラ・フリー”の都市計画は、その新しいアニメで未来の都市として描かれていますね。この4月にTVで放映が始まります。大体そんな感じですかね。

※“RD 潜脳調査室”のこと。


アルピン:今日まで沢山の賞を受賞されたそうで。2004年にはケンブリッジ大学物理学部科学特別賞、2005年にはアメリカ名誉賞といった具合に。プリンストン大学や香港大学では客員教授も勤められたとのことですが。

※その年の受賞者の名前の中にセルカン氏の名は無いらしい。


セルカン:今年はローマ、サンパウロ、ナポリ、ミュンヘンといった大学にも行きましたね。他には日本の筑波や東京理科大といった大学にも…..最近抜け毛が増えたんですよ。髪が少なくなった。まあ、移動ばかりですからね。そういうのは全然良いことじゃないですよ。(笑)


アルピン:まだやることは沢山あるんですね。


セルカン:そうです。


アルピン:トルコでもプロジェクトがありますよね。


セルカン:トルコで“一日科学者プロジェクト”というのがあるんですよ。4月の20日にね。これは、子供たちに科学への愛情を持ってもらうのが目的です。その他には、日本のNHKで子供向けのTV番組の司会もやってますね。毎週水曜日の7時20分放映。

※“英語でしゃべらないとJr.”のことか?ただし、これは毎週の出演ではないようだけど。

他にも、J-WAVEでラジオ番組をやってまして….。仕事、やりすぎですね…(笑)

アルピン:貴方を初めてトルコのTVで見たときのことを覚えてますよ。トルコに“チャイジュ”をお連れになったんですよね。天皇の“チャイジュ”

※“茶人”のトルコ語での直訳。ただ、この言葉はトルコだと普通、チャイハナ(茶店)から茶の出前をする配達人のことを指すことが多い。


セルカン:ええ、そうです。トルコ語に訳せば“チャイジュ”になりますね(笑)。


アルピン国外に出るのは初めてだったんでしょうね、きっと


セルカン:そうですね。その点でも大変意義がありました。私たちはチュラーン宮殿(イスタンブルに残るオスマン朝時代の宮殿の一つ)で日本の茶会を開いたのです

※ネット上で検索したら、こんな↓ものが出てきた。

おにぎり隊 隊員紹介 2004年トルコ

■ 正隊員(現地に行って活動した65歳以上の女性の方々です。) 橋本 典子(隊長)

■ 隊員(今回現地に行って活動した隊員たち。性別、年齢に制限はありません。)

○お茶会チーム 中澤 弘幸 中野 田鶴子 柏木 久雄 館崎 智信 針生 承一 石濱 克敏 石川 修一 中澤 孝典 中澤 禅 落合 英俊 中井 正樹 新庄 博志 小林 容紹

○おにぎりチーム 宮地 万里子 那須 勲 アニリール・セルカン 岡崎 健志 丸田 友之  小林 千紘 中村 弥生 清水 ハンナ 中嶋 宏和 田邊 沙弥香 宇野 剛  細川 菜々 清水 嵩弘 

“おにぎり隊”というのは、どうも世界各地で茶道やら何やらを通して現地人との友好を深めようというNGO団体みたいなものらしい。そして、セルカン氏はその一員としてこのイスタンブルでのイベントに参加したのだろう。

2008年に大挙してイスタンブルを訪れたミキプルーン関係者三千数百人をあたかも自らの“追っかけ”のように吹聴したように、現地のトルコ人に対しては、このイベントにしても自らが組織し、自分こそが「皇室に纏わる茶人」を連れてきのだ、みたいな法螺を吹いていたのではないか?


アルピン:メディアではあなたについて色んな情報が飛び交っています。でも、その中には互いに矛盾するものもあるわけで。是非ご本人の口から本当の所を伺いたいのですが、まずですね、日本でAssociate Prof.(准教授)の肩書きを持つ人間として、貴方が最年少だというのは事実なのでしょうか?

※下記の記事↓がソースとしてリンクされていた。

「日本の災害住宅、トルコ人准教授の手で」
原文:Japonlara afet evleri Türk doçentten
http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=186994

ラディカル紙  2006年5月11日

日本の宇宙航空開発機構(JAXA)が進めている宇宙技術を利用した災害住宅プロジェクトのチーフに、東京大学工学部で在職中のセルカン=アヌルル准教授が抜擢された。日本で最年少の准教授の肩書きを持ち、JAXAが受け入れた初の外国人であるアヌルルは現在33歳。エーゲ大学が開催した第二回全国物理学生大会に出席するため訪れたイズミルで、件のプロジェクトについて説明したのだった。

アヌルルによれば、“災害時に電気や水道といったインフラの接続が完全に止まってしまった場合、そうした供給網に一切頼らずに電気や水、暖房の需要に一年でも対応できるような住宅を作ろうと研究しています。日本において<インフラ・フリー住宅>は注目されているのです”とのこと。



セルカン:間違った報道ですね。日本ではなく、東大の中でってことです。うちの学校だと、准教授になるのって大体38歳くらいなんですよ。それも全てが順調に言った場合の話で。ニュースってものは各自の解釈で書かれ、広まってしまいますからね。貴方の配信する情報が一番正しいってことになりそうです

※いや、結局これも間違ってるんだけどw。


アルピン:残念なことに、一部のジャーナリストは誇張や捏造を交えて記事を書くわけで、メディアにおける全てのニュースに信頼が置けるわけではないですよね

※これには全面的に同意する。特にトルコのメディアについては。

私自身も、かつて新聞や雑誌のインタビューを受けた際、こちらの発言が誇張されていたり、また言ってもいないことを言ったことにされていたりして、大きな問題を抱えたことがありました。

どうしてそんなことをしたのかと文句を言うと、記者たちは全ての罪を編集者に押しつけるのです。“編集者がやったのだ。我々は何も知らなかった。”とか、“編集者には何も言えない”みたいに弁解するという。

最近でも4、5年前に、新聞のインタビュー記事にこちらが言ってもいないことが書かれていて、それに対して反発したことがありました。その時の記者が言うには、“貴方は正しい。今回の記事では記事を書いたのも編集をしたのも私です。だから言い訳のしようもない。”とのこと。

でも、訂正記事の一つも掲載されなかったな。それが最後ですよ。もう4〜5年というもの、新聞やTVからのインタビューの依頼は断ってますかね。唯一の例外は、知り合いで信用できる幾人かの人間と、信頼できるTRT(トルコ国営放送)だけですね。

そういうわけで、我々は貴方に関する全てのことは貴方から、つまり最初の情報源から情報を得ようと思っているのです

※その最初の情報源が嘘ばかりだった場合、どうするのか?w

セルカン
それはとても良いことですね。

  →(10)に続く
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