朝食中に学園長からの呼び出しが入ったので、急いで朝食を済ませ、学園長室までやってきた。
放送を使って呼び出すくらいだ。何か重要なことが……ああ、そういえばこの一週間は試験だった。……完全に忘れてたな。
あまりにも平和で平凡で何事もない日々が続いてたものだから…まあ、5日前は痴漢騒ぎがあったけど。
いや、それだけじゃないな。純粋に楽しかった。思いがけずに得られた久しぶりの“あの”日常だった。
試験に関しては…遅刻・欠席はしてなかったし、特に問題は……うん、起きてない。豪徳寺とか山下とかを一度沈めたくらいしか…まあ、俺は悪くない。
あいつらが授業中だろうと昼食中だろうとお構いなしに絡んでくるから、ちょっと灸をすえただけさ……ちょっと不安になってきた。
とにかく、中に入って用件を確認しよう。話はそれからだし。あいつらのことでつっこまれたら、正論で返してやる。
とりあえず、ノックを──
「──入っていいぞい、士郎くん」
…さすがだな。まあ、気配くらいよめなきゃ学園長なんて職業務まらないか…。
「……失礼します」
お言葉に甘えて、ノックなしに扉を開けると、学園長と高畑さんが佇んでいた。
「ふむ…何を話そうかのう…」
俺の姿を捉えた学園長が目を細めながら長考に入った…その姿を見ながら、俺は戸惑っていた。
どんな話から入るつもりだ?俺の評価か?それとも、次の場所?それとも…問題か?
そんなことを考えていたが、次に放たれた言葉によって、考えは崩れ去り──
「木乃香の婿にならんか?」
──一発殴りたい気持ちが沸いてきた。
「そういえば、答えを聞いておらんかったと思ってのう…で、どうなんじゃ?」
俺の気持ちなど一切分かっていないであろう学園長は、さらに聞いてきた。
正直、無視したかったが…今後、会う度にいわれる気がしたため、断ることにした。
『…彼女の人生は彼女のものだ。あんたが勝手に決めていいものじゃない…それに、俺には心に決めた人がいる』
とか、ありきたりな台詞を言えればいいんだけど…さすがに子供の姿で言っても、格好がつかない。
どうも考え付かないな……単刀直入に言えばいいか。
「妹のようにしか思えないので、申し訳ないですが」
「むしろ、そっちのほうが…」
「?よく分からないのですが??」
何のことか良く分からなかった。…まあ、よく分からなかったのだけど、殴らないといけない気がした。
それから、皮肉と罵倒をしなければならない気がした。むしろ埋めるべきかとすら思った。
が、無視しておこう。このままだと話が進まない。
「ところで、何の用でしょうか?」
「む…まあ、さっきのも用件の一つではあるんじゃがな…」
「学園長?話が進まないのであれば、僕のほうから説明してもよろしいでしょうか?」
「ぬ…分かったわい。ちゃんとやればいいんじゃろ」
急にやさぐれ出したが、慣れているのか、高畑さんは平然としている。いや、むしろ呆れているのかもしれない。
まあ、呆れるか。自分の上司があんなんなら………いや、まだマシか。アレに比べたらよっぽど…。
「さてと、一週間ご苦労じゃった。しずなくんからも、いい生徒だと聞いておるよ。…なによりクラスに馴染めたようじゃしの」
フォッフォッフォッと笑いながら、こちらを射抜くように見つめるさまは…さすがといったところだな。
さっきまでの態度からは考え付かないほどの覇気を纏っている……はぁ…本当に食えない人だな。改めて思い知らされた。
「試験を兼ねておったとはいえ、あそこまで自然体で振舞えるのはさすがじゃな…よく喧嘩らしいこともしておったらしいしの…それとも、忘れておったかの?」
どこから見ていたと言いたくなる位、正確無比な情報を突きつけられた。
…喧嘩というか、豪徳寺たちを沈めたときも細心の注意を払ったはずだったんだけどな…。
「…いえ、自然体に振舞っていたのではなく、試験自体を忘れ、楽しんでいました」
嘘はいっていない。だけど、本当のことも言えてない。
…思い出していたなんて…この世界にいる限り、語ってはならない。
彼らがいたることが出来るのならば、別の話だけど…きっと不可能だろう。
そもそも、彼らにとっての魔法は、使うものであり、研究するものではないのだから。
「フォッフォッフォッ、素直で結構。…じゃが、褒められたものではないの。君にとって…重要な試験なんじゃぞ?」
「重々承知しております」
「それが原因で落ちたとしてもかの?」
「はい」
学園長は暗に嘘をつけばいい…そういうニュアンスを含めて話している。
それくらいのことは分かっている…だけど、下手に嘘をつけばボロが出る。だからこそ、嘘を言えなかった。
それらは別段、隠さなければならないような問題じゃないし、落ちてもなんとかするつもりだったから。
絶対に隠さなければならない事情に感づかれるよりは、比べ物にならないほどマシだしな。
「ふむ…では、試験結果を発表しようかの。合格じゃ」
長い髭を弄びながら、何事も無かったかのように、直ぐに合否を伝えてきた。
…?いや、まあ、喜ばしいことではある。けど──
「──いいんですか?」
「なにがじゃ?」
「いや、合格で…」
「まあ元々、落とすつもりなんて無かったんじゃよ」
…ああ、そうですか。
「まあ、一般生活におけるミスがどれだけ出るか。一般人との付き合いを弁えられるか。力におごりが無いか、とかは見ておったんじゃが、大丈夫そうじゃしの」
さらっと重要なことを言ってくるところは、恐ろしい。
誰がどこで見ていたのか……あんまり見られている感じはしなかったんだけどな。
「それに、あれが出来るまでの間に合わせじゃからな」
「あれ?」
「タカミチや」
「わかりました」
高畑さんが何やら内ポケットから取り出して、俺に手渡ししてきた。
って、これは…。
「パスポート?」
「海外に行くんじゃし、必要なもんじゃっからな。顔写真やら、本人確認やら、そこのところは──気にせんでええぞい」
確かにパスポートの発行には1週間程度の時間が必要。だから、一週間ここにいることになったわけか。
それはいいとして…偽造にもほどがあるだろ。顔写真はまあ、魔法か何かを使って誤魔化したんだろう。
問題はサインだ。俺が書くものより数倍汚い。いや、まあ普通の小学生ならこんな感じになるだろうけど…。
まあ、いいんだけどな…。ん?
「名前が近衛士郎ってなってますが?」
「うむ、婿殿が用意した戸籍通りの名前じゃ」
ああ、そういえば、戸籍云々はこっちで用意するって言ってたな。
………まあ、いいか、…というよりも、もういいんだ。この世界には必要の無いものだから。
「む?浮かない顔をして…なにか心配事でもあったかの?」
「いえ──」
「──ああ!木乃香とは結婚できるから心配せんでええぞい。姓が一緒なだけで、兄妹というわけじゃないからの。それに血もつながっておらん──」
一気にまくし立てられたので、聞き流すことにした。
延々と止まらない言葉を右から左へ、飛ばし続ける。「キセイジジツ」 やら「ムリヤリ」やら小学生が聞いたら耳が腐る言葉を吐き続けているが、無視だ無視だ。
俺に同情してくれたのか、それとも被害者の一人なのか、高畑さんは遠い目をしてこちらを見ていた。
それから、数分後
「──ということでじゃ、木乃香を娶ってやってくれんか!」
「では、クラスへ最後の挨拶をしに行かないといけませんので失礼します」
「私も、準備がありますので、失礼させてもらいます」
ぜえぜえ息を切らしながら、熱く語っていたが、冷めた目をして学園長室を後にした。
後ろから「なんでじゃあああああああ………」とか聞こえたけど、気にしない。
まあ、トラよりマシだからいいとしよう。
「じゃあ、士郎くん。僕はこっちだから」
「はい…あ、高畑さん!」
中等部と小等部の分かれ道で清々しい笑顔で別れの挨拶を交わしたが、言わないと気がすまないことがあったので引き止めた。
「ん?なんだい?」
「これから、よろしくお願いします」
「…こちらこそ、お手柔らかにね」
困ったような笑顔でそう返してくれた。きっと意味を理解していたんだろう。
いや、高畑さんも予感的なものを感じていたのかもしれない。
──付き合いが長くなるだろう、って。
………
……
…
「「「「えええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!」」」」
俺が勝手な親の都合なるもので、転校することになった旨を伝えると、一斉にそんな声が上がった。
新田先生も源先生も、伝えるのが遅かった所為で少々戸惑っていた。
むしろ、言ってあるものだと思ってたのが悪かったか。心の中で謝っておこう。
「なんでだよ!せっかく、士郎も馴染んできたんじゃねえか!!!一緒にいろよ!!!」
と、 豪徳寺。
まあ、気持ちは分かる。だけど、そんな気持ちすら踏みにじってくれるのが、大人ってもんなんだ。
そして、その気持ちを踏みにじる痛みを味わうのもまた大人ってもんなんだ。
「悪いな…俺もこんなの味わいたくなかったよ」
「親だけ、そっちに行くことは出来ないのかよ!!」
と、山下。
確かに、俺は親がいようといまいと関係ないような存在だ。実年齢は30超えているからな。
でもな、ごく一般的な小学生が一人で残って生活できるほど世間は甘くないんだ。まあ、この学園なら余裕で出来るだろうけど。
寮に住めるし、飯も出るし、奨学金も頑張れば出るし…でも、今回は事情が違うんだ。悪い。
「一人で残れないことも無いけど、事情があってな。悪い」
「じゃあ、どこに行くかだけでも教えろよ!」
と大豪院。
まあ、普通の人なら答えることが出来るだろう。借金取りに追われてるとか、そういう暗い事情が無い限りは。
でもな、俺が行くところは外国、しかも実績を上げるための戦場。そんなこと、口が裂けてもいえない。
ついでに言えば、俺もまだどこに行くか分からない。答えられないで申し訳ない。
「俺は、知らないんだ。答えられなくて、ごめん」
「なら、俺たちのこと忘れないでくれ」
と中村。
大抵の子供は…子供の頃、転校したら、転校する前の学校の思い出に蓋をする。そして、新しい思い出に埋もれて忘れていく。
覚えていても、大人になれば顔も背格好も変わるから分かりづらくなる。そういうもんなんだ。
でも、これだけなら俺は大丈夫そうだ。そういうもんだろう?大人って、子供の頃と大人になってからを見比べても、分かるもんだからな。
「ああ、それだけは約束するよ。絶対に忘れない」
他のクラスのやつからは、頑張れとか負けるなとか忘れないでとか、心のこもった言葉をもらった。
突拍子な事だったから、記念品とか準備できなかったみたいだったが、想い想いのものを贈られた。
鉛筆とか、消しかすの塊とか、よく知らないけどアニメの絵とか……うん、大事にしよう。
その中でも度肝を抜かれたのは、好きでした、って言葉かな。
たった一週間だった。それなのに、好かれるなんて…思いもよらなかったけど。
「たった一週間という短い付き合いだったけど、楽しかったし…すごく居心地がよかった。みんな、ありがとう」
出来るだけ笑顔で、精一杯の笑顔で、そう言った。
みんなの顔は笑ってたり、泣いてたり…豪徳寺だけは不機嫌そうにしていたけど。
もう一度、こんな日常の中に入れてくれて…本当にありがとう。
そう心の中でつぶやいた。
俺がすべきことが全て終わって…クラスから出ようとしたとき、豪徳寺が俺をつかんできた。
「・・・」
「どうした?」
「…ック…ッ…絶対…もう、一度…会おうぜ」
泣きながら、嗚咽をこぼしながら、握手を求めてきた。
正直、再び会える保証なんてどこにもない。こっちに戻ってこれるかも分からない。それに死ぬかもしれない。
だけど、だけど…
豪徳寺の手を握った。
「ああ、約束する」
強い意志をその言葉にこめて、応えた。
恥ずかしかったのだろうか、豪徳寺は何も言わず席に戻って、うつ伏せになった。
「じゃあ、また!」
大きく手を振って、クラスを後にした。
後ろから、担任である新田先生がやってきて、一言。
「君の親の都合は私たちには分からないが、どこに言っても元気でな」
「はい、ありがとうございました」
仏頂面だけど、意外といい先生だなと初めて思った瞬間だった。
………
……
…
「じゃあ、行こうか」
「はい」
必要なものは全てトランクケースに詰めた。もちろん、クラスのみんなからの贈り物も。
さて、もう必要なものは無いはずだ……あれ?
「どうかしたのかい?」
「いや、急に視界が歪んだもので…」
「…」
「おかしいな、なんでだろう…」
幾ら目をこすっても、目を瞬かせても、直らない歪み。
──どうした!?なんで!?これからって時に!?
焦りだけが募っていたが、高畑さんの一言で安心に変わった。
「涙だよ、士郎くん」
「え…」
「やっぱり別れはつらいものかい?」
ああ…久しぶりすぎて、忘れていた。いつから流さなくなったか分からなかった。
涙を流すのは辛いものだったから。どんなに悔やんでも、どんなに恨んでも、どうしようもない時に流れていたものだ。
それなのに、今はすごく暖かい。
「いえ、辛くないですよ…むしろ、逆ですね」
「そうかい…なら、行こうか」
「はい」
二人揃って、駅へと歩き出した。
…これからはもっと大変なことになると思う。
だけど、大丈夫だ。約束は必ず守る。
そう決めていたのだから。
─────あとがき─────
ようやく、学園過去編終了。もっとキャラを出したかったという悔みがあります。
幼年期の明日菜とか委員長とか、ガンドルフィーニとか、刀子さんとかね。
刀子さんに関しては、出せた…あとがきを書いてて気づく、悲しさ。
無理に出してキャラ崩壊を進めるよりはマシとします。
さて、次からはちょいとオリジナル要素というべきものが、混じってきます。
といっても、オリキャラを出すとか、そういうつもりは無いです。…まあ、うちの士郎さん、オリキャラみたいになりつつあるんですけどね…。
魔法世界へは、あと5,6話で入って、さらに5,6話で本編突入という形になりそうです。…でも、牛歩だし、薄いし、半年かかるかも…。
あ、そういえば、何も言わずに書き方変えたんですが、前のほうがいいでしょうかね…ちょっと微妙と思われるんだったら又書き直します。
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