○平成22年1月31日に、当古代文化研究所の末席研究員が「完読魏志倭人伝」なる本を出すことになりました。
○出版元は、これまで鹿児島で多くの歴史出版物を出していらっしゃる高城書房(たきしょぼう)さんです。
○内容は以下の新刊案内の通り。是非、一読いただけると幸いです。
《 ご案内 》
〜邪馬台国発見〜
完読『魏志倭人伝』
〜『三國志』巻三十、烏丸鮮卑東夷傅を読み解く〜
この本は「三國志」の中の巻三十、『烏丸鮮卑東夷傅』を通読し、その中の『魏志倭人伝』を精読することを目指しました。そうすることによって、邪馬台国がどういう国であるか明らかにしたい。もともと邪馬台国は、『魏志倭人伝』に記述されている国ですから、『魏志倭人伝』を離れて邪馬台国を問題にすることは不可能です。
意外なことに、『魏志倭人伝』を満足に解読している本は日本には一冊も存在しません。存在するのは『魏志倭人伝』の部分的解釈とか、口語訳があるだけです。そういう意味で、この本は日本で最初に『魏志倭人伝』を解読した本と言えるのではないでしょうか。
中国の古典や史書には二千年以上に渡る長い伝統があります。その中で、中国の古典や史書は一種独特の表現法を確立しています。そのことを理解し、それに従って中国の古典や史書を読まない限り、中国の古典や史書を読み解くことは出来ません。そのことを端的に表しているのが京都大学の宮崎市定の次の言葉ではないでしょうか。
このように『史記』においては何よりも、本文の意味の解明を先立てなければならないが、これは
古典の場合已むを得ない。古典の解釈は多かれ少なかれ謎解きであって、正に著者との知恵比べであ
る。そしてこの謎解きに失敗すれば、すっかり著者に馬鹿にされて了って、本文はまっとうな意味を
伝えてくれないのである。 (「宮崎市定全集5 史記」自跋)
本書は中国の古典や史書の伝統的読法に従って読んでいます。結果、邪馬台国は従来、邪馬台国の存在地とされる畿内や北九州では無くて、南九州に存在していたことが判ります。そこは「古事記」や「日本書紀」など、日本で最も古い史書が日本創世の地として指定している場所でもあります。「魏志倭人伝」が指示し、その上、「古事記」や「日本書紀」も指定するのが南九州である以上、南九州以外に邪馬台国が存在することは厳しい。それに、従来、所在がはっきりしない狗奴国も、本書では具体的に案内しています。
「三國志」の著者、陳寿は実に偉大な史家です。『魏志倭人伝』をよく読めばそのことがよく判ります。陳寿は、倭国三十国を鳥瞰し、邪馬台国への道を『魏志倭人伝』で明瞭に提示しているのですが、それを解読することはなかなか難しい。それに初めて成功したのが本書になります。陳寿は『魏志倭人伝』で倭国を以下のように見事に案内しています。
◎【倭国三十国】
渡海の三国 狗邪韓国・対馬国・壱岐国
北九州の四国 末廬国・伊都国・奴国・不弥国
中九州二十国 斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国・
姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
南九州の三国 投馬国・邪馬台国・狗奴国
◎【帯方郡から邪馬台国への道のり】
・帯方郡→狗邪韓国 七千余里
・狗邪韓国→対馬国 千余里
・対馬国→壱岐国 千余里
・壱岐国→末廬国 千余里
・末廬国→伊都国 五百里
・伊都国→ 奴国 百里
・ 奴国→不弥国 百里
・不弥国→投馬国 千五百余里
・投馬国→邪馬台国 八百余里
・末廬国→邪馬台国 二千余里
どうぞ、本書をお読みいただき、真実の邪馬台国をご理解下さい。
二〇〇九年十二月吉日
古代文化研究所 末席研究員
○新刊案内を読むと、お判りの通り、魏志倭人伝を日本で初めて読み解いた本です。日本の歴史や邪馬台国や卑弥呼に関心のある方なら、是非一読下さい。真実の邪馬台国の在所が明瞭に提示してあります。
○鹿児島の書店なら店頭で購入出来ますし、高城書房(たきしょぼう)さん、インターネットならアマゾンなどで購入出来ます。
○邪馬台国は、あくまで魏志倭人伝に記載されている史実です。その魏志倭人伝が指示するところ以外に邪馬台国はあり得ないことは誰が考えても判ることです。魏志倭人伝を無視して語られる邪馬台国は全て虚妄の説に過ぎません。「三国志」(魏志倭人伝)を書いた陳寿に敬意を表したこの本を一読していただければ、真実の邪馬台国が見えてきます。邪馬台国を最初に発見した本がこの本となります。
○どうぞ、本書をお読みいただき、真実の邪馬台国をご理解下さい。
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