小惑星探査機「はやぶさ」にも人格を与え、その「死」を悼む日本人の姿は、「人間が神の許しを得て、地球を支配する」という欧米的な世界観とは違ったものです。
キリスト教の考えでは、家畜などの動物は、神から人間に与えられたものです。しかし、日本人は、人間も、動植物を含めた自然の一員という意識を持っています。このことは、人が動物を含めた生き物に生まれ変わるという「輪廻(りんね)思想」や、死んだら「自然に返る」という日本人の死生観にもうかがえます。
植物は、光合成によって、水と二酸化炭素から栄養分を「合成」できますが、動物は、草食、肉食を問わず、他の生物を殺さなければ生きていくことができません。他の生き物の「死」が、すべての動物の「生」の前提です。このことが、仏教でいう「業」の根本だと思います。
キリスト教では、人間は、神が自分をかたどって作り出した存在です。欧米人にとって、鯨やイルカは、知性が高い点で人間に近い、つまり神に近い存在と位置づけられているのかもしれません。しかし、日本人の大半にとって、自然や生物を創造した「絶対神」は、なじみのないものです。私たちは、生き物に「優劣」をつけない民族だとも言えるでしょう。捕鯨問題の根っこにも、洋の東西の生命観の違いがあるのだと思います。
宮崎県では、4月に国内では10年ぶりとなる家畜の伝染病、口蹄疫(こうていえき)への感染が判明した後、感染、もしくは感染した疑いのある牛や豚などが大量に殺処分され、埋却作業が行われてきました。
わが国の畜産農家は、家畜にも名前をつけ、「家族の一員」のように大切に飼育するといわれます。感染の拡大を防ぐためとはいえ、今回の大量の殺処分は、経済的な打撃にとどまらず、はかり知れない精神的なダメージを現地の畜産農家に与えたはずです。
27万頭にも及ぶ殺処分作業とその埋却がどんなに過酷だったことか、想像もできません。がんの緩和ケアでは、「遺族ケア」も重要です。同様に、口蹄疫で苦しむ現地の方々の心のケアも必要となるでしょう。(中川恵一・東京大付属病院准教授、緩和ケア診療部長)
毎日新聞 2010年7月7日 東京朝刊