後退しつつある日本の“守備の文化”
【金子達仁】2009年10月08日
かつて「日本には守備の文化がない」と言い放った日本代表監督がいた。当時のわたしはその言葉に大いに反発したものだったが、ここにきて思うのは、どうやら正しかったのは彼の方だったらしい、ということである。
日本代表は先月の欧州遠征を1勝1敗で終えた。奪ったゴールは4、奪われたゴールは6だった。この結果を受けて、イタリア人であれば間違いなくこう考える。「6点も奪われてしまった」。当然、その後の試合に対するファンやマスコミの注目は、失点を減らすための策であり人材の抜擢(ばってき)に向けられるだろう。
もちろん、DF出身の岡田監督の意識は、6点をとられたことに向けられているに違いない。だが、最近のメディアの報道ぶりを見ていると、多くの日本人は6点を取られたことより、4点しか奪えなかったことを問題視しているように思える。そうでなければ、森本の招集がこんなにもニュースになるはずがない。
森本が好選手であることに疑いの余地はない。しかし、現時点での彼はC・ロナウドでもなければイブラヒモビッチでもない。つまり、確実にゴールを計算できる存在ではない。今度の試合で点を取ったからといって、次の試合も大丈夫、という選手ではないのである。
忘れてはならないのは、アジアでは確実に計算できた守りの安定度が、上のステージでは大きな不安要素を抱えているということ。そして、文化とは大衆によって作られていくもの。ファンが、メディアが、6失点を喫した遠征を受けてなお、攻撃陣のスター探しに躍起になっている様をみると、「果たして大丈夫か」との懸念が頭をもたげてくる。
中沢と闘莉王で大丈夫なのか。大丈夫だとすれば、彼らが出場停止処分を受けた際のバックアップ候補一番手は誰なのか。押し込まれる展開が多くなれば、DFが一発退場を食らうことも十分に考えられるのだが。
「いまの日本には信頼できるセンターバックが2人しかいない。中沢と闘莉王だ。W杯での戦いを考えると、これは極めて異常な状況と言わざるを得ない」
かつて日本には守備の文化がないと断じた男、トルシエはそう嘆く。彼が代表監督を務めていたころは、ファンやメディアの中にも加藤久を中心とした堅い守りからの一発に賭けるサッカーの記憶が残っていた。日本人は、あのころよりさらに守備の文化を後退させてしまったということなのだろうか。(スポーツライター)
▼金子達仁氏オフィシャルウェブサイト
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