雲雀
なに?
さっき医者に言われたんだけどさ
うん
明日、包帯取れるって
…、
右目は暫らく眼帯らしいけど
…そう
雲雀、
なに
心配掛けちまって、ごめんな
Missing 04
その夜、僕はどうしてもじっとしてられなくて山本の病室に向かった。
真夜中の病院に忍び込むことなんて僕には容易いことだけど、今までこんな時間に忍び込む用事なんて無かったから知らなかった。夜の病院も昼間とそう変わらず、意外と騒がしいのだ。
病室の前に立ち、名札に目をやると、山本武と書いてある。何度も通った病室だ。間違えるわけが無かった。
そっと扉を開けると、そこは当たり前のように真っ暗で、静かだった。耳を澄ませてみると、微かな寝息が聞こえてきてほっとする。
静かに病室に入り、ぐっすりと眠っている山本に近付く。薄暗いが、相変わらず両目を包帯で巻かれている顔は確認することができた。目が慣れてくればもっと見えやすくなるだろう。
僕は呼吸さえも殺して、山本を見た。目が包帯で見えない上に口も閉じていて寝息さえ微かにしか聞こえない。何だかとても弱っているみたいに見えてしまう。
だけど、山本に覆いかぶさる真っ白なシーツが緩やかに上下しているのに気付く。ちゃんと、息をしている。ちゃんと、生きている。
山本の微かな呼吸音を一つも逃さないように、目を閉じて神経を集中させる。
真っ暗になった視界にまで山本は律儀に現れた。「雲雀がいてくれて助かった」と優しく笑っている。
君はいつまでそうやって笑っていてくれるのだろうか。
見える世界に戻ってきた君は、気付いてしまわないだろうか。
あの時、君が選んだ選択は間違っていたということに。
「…やま、もと」
声を聞きたくなって、彼の名前を呼ぶ。
「やまもと」
何度か呼びかけるものの山本は一向に目を覚まさなくて、思わず気が急いてしまい、山本の規則正しく上下する身体を揺さ振った。
「山本」
「…ん、」
「起きて」
「…んー」
山本は軽く身じろぐと、再び動かなくなる。包帯で目が覆われているため起きているのかいないのかわからない。
どうしたものかと考えていると、山本の体がゆっくりと起き上がった。どうやら目が覚めたらしい。寝ぼけているみたいにきょろきょろと首を動かしている。
「僕だよ」
「…っひば、」
「静かに。見つかるでしょ」
僕は山本の唇に指を当てる。こうすると静かになるのを知っているから。
山本は幾分抑えた声で、それでも驚いているのは充分に解かる声色で「何してるんだ」と僕に聞く。その言葉に何の迷いもなく「会いに来た」と言うと山本は今度こそ静かになった。
山本が静かになると、点滴の雫が落ちる音がやけに大きく響く。なんとなくその音を追ってみる。そんな僕に山本は気配だけで気付いたのか、少しだけ笑ってみせた。
「んーとさ、せっかくだし、一緒に寝るか?」
「え?」
「ほら、来いよ」
「…したいの?」
「…っば、そうじゃなくてさ!いいから、」
山本はベッドの端に身体を寄せる。しかし、もともと一人用のベッドなので僕が入り込むには少々狭すぎる。
戸惑っている僕の腕を山本が優しく引っ張った。
こんなことを許すのは今日だけ、今日だけだ。そう自分に言い聞かすと、僕は靴を脱いでベッドの上に乗る。だけどやはり狭くて、僕達は抱き合うようにして身を寄せ合った。
こんなに近くで山本の匂いを嗅いだのは久しぶりだった。自然と身体から力が抜けていく。毎日会っていたはずなのに、酷く懐かしく感じた。
山本の、僕を抱く腕に少しだけ力が加えられたのに気付いて、僕も山本の胸に少しだけ強く額を押し当てた。
とくとくと心臓の音が聞こえる。じん、と目の奥が熱くなる。
いつまでもこうしていたい、と。気付かなければいい、と。僕を庇った過ちに気付かなければいい、と。そんなことばかり考えている僕は、最低な人間なのだろう。
それでもいいと思ってしまうなんて。山本が事故に合ってから、僕らしくない僕に散々出会った。不安や恐怖に怯えている僕らしくない僕は、正真正銘、僕だった。こんな感情、知りたくなかった。知らなければ、いつか僕の前からいなくなるだろう温もりに恐怖を覚えることなんてなかったのだ。
「ついに明日か」
「…そうだね」
「長かったなぁ」
「…うん」
山本の目を覆う包帯は、明日取れることになっている。これは今日の昼、山本に聞いた情報だ。
山本の包帯が、取れる。その言葉を聞いた時、僕は緊張が解けたみたいに安心したのだけど。同時に、怖い、とも思った。何が怖いのかと聞かれても上手く説明できないのだけど。
目の話になった途端、身体を硬くした僕に目敏く気付いた山本は、僕の頭を軽く撫でた。
「なー、俺、考えたんだけどさ」
「…?」
「もう一度、俺と雲雀があの日みたいな状況になったとするじゃん?」
「……」
「きっと俺、同じことするぜ」
また、馬鹿みたいなこと言ってる。
こんなに痛い目を見たくせに。どこからその言葉は生まれるんだ。
それに、僕は庇ってもらわなくたって自分で回避することくらいできる。山本が出る幕は無いよ。君は自分の身だけを必死に守ればいい。
守れば、良かったんだ。
「何度考えても、結局同じ答えなんだぜ?すげーよな」
「…馬鹿だよ」
僕の言葉に山本は笑ってみせる。僕は山本を笑わせるために言ったんじゃない。至って真面目だ。
お願いだから、自分の身を守ってよ。君が居なくなるのは、僕の身体が傷付くことなんかより、何倍も痛いんだ。
なんて、そんなこと口が裂けても言えない僕は、せめて伝わればいいと、山本の胸に額を擦り付ける。
再び、僕の頭を撫でる感触。山本の声が、静かに空気を震わせた。
あの時な、
野球のこととか、友達のこととか、自分のこととか、何もかも頭から吹っ飛んだんだ
頭の中、雲雀しかいなかった
自分でも意識しないうちに雲雀のこと押してた
雲雀、知ってた?
人って、大事なやつのためなら、馬鹿にだってなれるんだぜ?
それに、馬鹿ってしぶとそうじゃん。不死身っぽくてさ
だからさ、雲雀が不安になることは何もねぇんだ
だから、雲雀は、
安心して俺の傍にいてくれよ
山本の手のひらは僕の頭を撫でることをやめない。
それにしても山本の言っていることはめちゃくちゃだ。僕には到底理解できない。僕達はただの人間だ。人間に不死身もくそもあるものか。やっぱり山本は馬鹿だ。どうしようもない、馬鹿だ。
「…泣くなって」
山本の言葉にすかさず反論しようとして、声が出ないことに気付いた。代わりに、熱い息が勝手に漏れる。
自分でも信じられないのだけど、僕は泣いていた。目の奥がじんじんと痛んで、視界が、歪む。
「ひばり」
山本は僕の頭を両腕で包んで、自分の胸に押し付けるみたいに抱き締めてくる。
どうして、涙が出てくるの。止めたいのに、全然止まってくれない。泉のように後から後から溢れてきて。わけがわからなかった。
だけど、ずっと消せずにいたわだかまりが少しずつ溶けていくのが分かる。ぐちゃぐちゃに絡まって、胸の奥に引っかかっていたモノが、涙になって吐き出されていくみたいだ。
こんなの僕らしくないと思うけど、山本は何も言わないで抱きしめてくれるから、僕はもう足掻くことはやめた。
こうしていると、ここ最近感じていた不安や恐怖が、とても無意味なものに思えてくる。
ずっと聞けずにいた山本の本当の気持ちは。それは山本にしか分からないのだけど、今の僕は山本の言葉を信じている。それは紛れもない事実だった。
どうして僕を責めないの?
後悔は、ないの?
さんざん頭の中で繰り返した疑問。その答えは。今の僕ならいちいち山本に聞かなくても簡単に分かる。
こうして僕を抱く温かな腕が、優しく教えてくれたから。
そう、僕の中でぐちゃぐちゃになって絡まっていたモノの根っこの部分は、なんともシンプルな言葉だったのだ。
傍にいてくれよ
それは、君の言葉で、僕の言葉だった。
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