10年後設定です。



もう二度と帰ってこないのかもしれない、と、そんな気がしていた。
何故そんなふうに思うのかなんて、考えたところで分かるはずもなく。
人のこころは、理屈では説明できないこともある、だなんて分かったような口をきくそいつを思い出して、酷く苛立った。







回帰路






僕の思惑を余所に、あっさりとそいつは戻ってきた。
戻ってくるなり、ここが多くの人間の行き交う街中であることもお構いなしに、飛びついてくる。
予想出来たことであったし、もしそうされたら体裁を加えてやろうと思っていたのだけど。なぜだか、馬鹿みたいに僕の名前を何度も呼んで、ぎゅうぎゅうと抱き付いてくるその腕を振り払う気分にはならなかった。
僕の肩に顔を埋めて、そいつが何かを呟いている。何かに耐えているような苦しげな声は少し震えていて、僕の機嫌は少しだけ良くなった。

雲雀、すげえ逢いたかった、なあ、雲雀は?
雲雀も、俺に逢えなくてさみしかった?
あーもう、雲雀の匂い、すげえ懐かしい。
なんか、俺、匂いだけでやべえ、…ほら、ずっと禁欲生活してたし。
早く雲雀に触りたい。なあ、雲雀の家行こ、いいだろ?

熱い息を耳元に当てられて、背筋が震える。
一方的に耳元でそいつが捲くし立てている言葉の内容は品があるものではなく、機嫌によっては獲物の餌食にしてやるところなのだけど。
それができないのは。今この瞬間に感じている感情に戸惑っているからなのか。



離れるときは、おそらく、そいつが離れてしまうことに対して、少しは「さみしい」という感情を抱いていたのだろう。
そのときに感じた息苦しさ。特に激しい運動をしたわけでもないのに呼吸の乱れを感じたのだから、多分、そういうことなのだろう。
今までにない、不思議な息苦しさは、何度となく内側から僕を攻め立てた。
そいつが、しばらく会えないのを理由に何度も何度も僕の身体に触れてきて。確かに、この指の温度にしばらく触れられないのは、少し物足りないかもしれない、そう思う度に胸の内がぎゅうと音を立てた。
初めて感じた、そのどうしようもない感覚に、このまま山本が消えてしまったら、自分はどうにかなってしまのではないかと思ったほどだったのに。

実際山本が居なくなってみると、不思議なほど落ち着いた日々が待っていて、少しだけ意外に思う。
山本の居ない生活は、驚くほど『普通』だった。
冷静な頭で考えれば簡単なことだ。山本と出会う前の生活に戻った、と考えれば、納得できる。本来の自分に戻っただけだ。

それならば何故、離れる前はあんなに息苦しくなったのだろう。
山本が居なくなったからといって、困ることなどひとつもない。むしろ一人の時間が増えて有意義に時間を使える。そうして過ごす日々は僕を魅了し、安心させる。こうなると、よく四六時中山本が傍に居るのを許したな、と自分のことながら不思議に思えてくる。
しかし敢えて言うのなら、山本の作った料理が食べられないことと、性欲処理を一人でしなければいけないことが厄介だったくらいで。
性欲処理なんて一人でしたことなんてないけど、その行為を嫌悪していたのは昔のこと。頭の軽そうなそいつの、情欲に濡れ、恐らく自分しか知らない表情を瞼の裏に描く。もちろん、気付けば山本のことを考えて己を慰めているだなんて僕の勘に触るので、他のことを考えたり、いろいろ試してみたのだけど、やはりそいつとしているのを想像したほうが一番具合がいいと判明してしまったから。
しかし独りで処理した後には、つまり虚しいという感情なのだろう。何もする気が起きないような脱力感に見舞われて、もう絶対自慰なんてするものかと思ったものだった。




家に着くなり、酷く急性にベッドに押し倒される。
強引な勢いで唇を吸われ、感じるのは快感ではなく痛みだった。思わず眉を顰めると、それに気付いたのか山本の舌が口内に入ってきて遠慮など知らない動物のように僕の口内を舐めまわす。
何度も鼻先を交わし強く深く舌を押し付けあう行為はやはり動物めいているけど、快感を感じているのは確かで、身体が熱くて堪らなくなる。
お互いの舌を擦り合わせるという単純な動作に、自分でも聞いたことのないような甘えたような声が己の喉から発せられていることに驚きを隠せなかったのは昔の話。だけど、今でもたまに思う。まさか僕がこんな声を出す羽目になるとは。

「ん…っ」

くちゅ、と容赦の無い微音が聴覚を刺激する。
快感中枢を直撃するような接吻に頭も身体も熱くて熱くておかしくなりそうだ。そうでなくても久しぶりの快感に身体はまだ慣れていないのに。

「なあ、雲雀、浮気しなかったよな?」

シャツの下に潜り込ませた指先で、肌の上を何度も辿りながら山本は有り得ないことを言う。

「俺がいない間に、誰にもこんなことさせてねえよな」

まったくもって馬鹿な台詞だと思う。僕がこんなみっともない姿を誰にでも見せると思うのだろうか。そんなの、山本だけで十分だ。
だからわざわざ独りで、自慰をするなどという屈辱にも耐えたのに。

「雲雀、さみしかった?」

それにしてもよく動く口だ。喋るのかやるのかはっきりしてほしい。

「なあ、俺に会えて、嬉しい?」

そんなくだらないことはどうでもいいから、今はとにかく体内に燻ぶる熱をどうにかして欲しかった。
まだ何かを喋ろうとする唇を唇で塞ぐと、山本は困ったように笑って熱烈なキスを仕掛けてくる。
服の下を弄っていた長い指が、僕の服を脱がしにかかるから、僕も山本のだらしなく結ばれたネクタイを解いてやり、脱衣を促す。
山本の、露わになった肌に吸い付いてやると、山本は声を押し殺して笑う。何がおかしいのかとそいつの顔を覗くと、喜色に満ちていて。
なんとなく調子に乗らせてしまった気がして面白くなくなったが、反撃とばかりに吸われた首筋があまりにも気持ち良かったので、僕の思考はそれどころじゃなくなる。
いつもはそんなこと思わないのだけど、正直に言うと早く山本の熱を体内で感じたくてたまらなかった。
自分の思考を浅ましい、とは思うが、居ても立ってもいられなくて山本の手を掴むと下半身に導く。さっさと触るとか慣らすとかして、もうすでに熱を持っているそれを僕の中に入れればいい。焦らされるのは嫌いだ。
山本は僕の珍しい行動に目を見開いたが、すぐにそれは細められる。僕の焦れた気持ちが伝わったのか、武骨な指が下半身の奥をくすぐる。山本は身体をずらすと、僕の脚の間に顔を埋めた。
欲望を主張している僕のそれを舐めるのかと思ったが、予想外のところにぬるりとした感触が当たる。
山本の舌が、自分を受け入れさせるために本来排泄器官である入り口を無遠慮に舐めまわす。

「ちょっと、」

さすがに黙っていられなくて抗議しようと身体を起こしかけたが、腰を引っ張られてまたベッドに逆戻りだ。
そんなところを舐められるのは初めてで、羞恥よりも戸惑いを感じる。しかし、思わず耳を塞ぎたくなるような大胆な音が下半身から聞こえてきて、心臓が妙な動きをみせたと思ったら頬が熱くてたまらなくなった。

「やめて…あっ」

居た堪れなくなってようやく発した抗議の言葉も、喉から出た大きな声のせいで上手く伝わらない。だって、そんなところに舌を挿入するなんて誰も思わないじゃないか。
熱過ぎる舌が好きなように中で動くと、感じたことのない刺激が僕の腰を動かしてしまう。続いて指まで挿入されると、もう駄目だった。上がりきった呼吸も、感じ入ったような甘えた声も、僕の意思と関係なく出てきてしまう。欲しくて欲しくてどうにかなりそうだ。
忘れたころに勃起した僕のそれを悪戯に擦って、少しの刺激でも辛いのに「まだイクなよ」なんて絶望的なことを言う。多分山本のことだから一回目は一緒に、なんてくだらないルールを決めているのだろう。
だったら山本もさっさと僕の中に入れて射精すればいい。くだらないルールに付き合ってあげるのだから少しは僕に合わせたらどうだ。
山本を罵る言葉は次々に思い浮かんでくるのに、それが声になることはない。忙しない呼吸と意味を為さない音が喉を占領する。もどかしい。分かっているくせに、なんて男だろう。

散々僕を焦らしてやっと気が済んだのか、準備は出来たとばかりに膝裏を担がれる。
その頃には完全に意識が朦朧としていて、「大丈夫か?」という山本の言葉も鈍足な動きで脳に伝達される。そんな僕に口角を弛ませながら、頬に唇を当ててくる。目と目が間近で合って、次は唇にくる、と思った瞬間、膨らんだそいつの欲望が散々焦らされたそこに押し当てられた。
瞬間、喉の奥が、かあっと熱くなって。視界が不自然に歪む。

「雲雀、」

ぐっぐっと僕の中に全てを押し込むと、山本は僕の名前を呼んで抱き寄せてきた。
僕の頭を抱えて、鼻先を髪に埋め込んで僕の名前を何度も呼ぶ。そんなに呼ばなくたって聞こえてる、と思うけど、不思議と無駄なこととは思わない。
僕が大きく息を吐くと、こめかみの辺りにキスされる。あんなに欲と欲をぶつけ合っていた数分前が嘘のように、僕達はこの体勢で落ち着いてしまった。
体内の奥深くで感じる山本の、熱。僕の髪を撫でる温かい手のひら。

「やまも、と」

たった四文字。
その響きが自分に与える衝撃に、少しだけ驚いて。

そして、一つだけ理解した。
何故、山本がもう帰ってこないかもしれないなどという思考が生まれたのか、という疑問は、つまり、不安、と呼ばれるそれだったのかもしれない。
こうやって触れられて、その肌の感触や匂いや熱を感じて。やっと、ここに山本が帰ってきたことを認識して。僕は酷く安心している。
大きな背中に腕を回すと、いよいよ隙間などないくらい僕達の身体はくっついて。こんな状況で、こんな体勢で、僕達は一体何をやってるんだろう、なんて思わなくもないけど、もう少しだけこのまま、こうしているのも悪くはないかもしれない。

今はただ、僕を抱く温かな熱を感じていたい。
僕の中を満たす、沁み入るような感情を。




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