山本は、困り果てたように立ち尽くしていた。
布団に包まったままの雲雀が、先ほどから一向に出てこないのだ。
山本は仕方なくベッドの縁に腰掛けると、布団からはみ出ている髪を指先で摘んでみる。
それでも、ぴくりとも動こうとしない雲雀に思わず漏れてしまう苦笑を、ぐっと飲み込んだ。
些細なこと
山本は機嫌が良かった。鼻歌を歌いながら、今夜の晩御飯を作っている。今日は雲雀の大好きな肉じゃがだ。
本当は時間に余裕があるわけではないので、簡単に出来る炒め物にしようと思っていたのだけど、思わぬ形で頂いてしまった代物を前に、炒め物なんてしている場合ではなくなってしまったのだ。
「その鍋どうしたの」
風呂から上がった雲雀は濡れた髪をタオルで拭きながら、今までこの家で目にしたことのない新品で洒落たデザインの鍋に視線を向けた。
「ああ、これな、ツナからもらった」
「なんで?」
「今日俺の誕生日なんだよ。すっかり忘れてた」
山本は鍋の中を覗き込むと、じゃがいもに箸を刺す。まだ硬い気がする。
「夕飯遅くなっちまってごめんな、すぐできっから」
これすげえんだぜ、なんでも、圧力のおかげで煮崩れしないで具が柔らかくなるとかで、その上に味が染みやすいんだと。つい嬉しくて今日は肉じゃがにしちまった、そう機嫌良く捲くし立てる山本を雲雀は無感動に眺めている。
薄すぎる雲雀の反応に山本はおやとなった。せっかく雲雀の好きな物を作っているのだ。もう少し表情に変化があってもいいのではないか。
「どうした?そんなに腹減ってるのか?」
そうだ、きっと遅すぎる夕飯に機嫌が悪くなったのかもしれない。そう思って、とりあえず謝る。
しかし、雲雀の機嫌は治るどころか急降下していくのが目に見えて分かった。そして雲雀はついに山本に背を向けるとキッチンから出て行ってしまった。すぐにバタンという扉の閉まる音が響く。寝室に入ったのだろう。
山本の頭の中に疑問符が並ぶ。自分が何かしたのだろうか。思い当たらない。
しかし急に雲雀の機嫌が悪くなるのはそう珍しいことではないので、今はそっとしておくことにする。(濡れたままの髪は気になるが。)肉じゃがが出来上がれば、きっと機嫌も治るだろう。
美味しいものを食べている時の雲雀は、それはそれは可愛い顔をしてくれるので、ついつい料理に身が入ってしまう。
山本は再び、料理を再開した。味が濃くなりすぎないように酒やみりんを調節したりと、気付いたら没頭してしまう。
まさか、寝室に篭もった雲雀が本当に拗ねているなんて、この時の山本は思ってもみなかったのである。
「いい加減出て来いって」
何度目かわからない声を掛けて、山本はふくらんだ布団のてっぺんに手を伸ばす。ふかふかとした布団に身を包んだ雲雀は、かれこれ一時間はこうしている。
山本が布団の上から身体を揺さ振ってみても、しつこく声を掛けても、雲雀は一言も喋らない。これは、相当怒っているのかもしれない。
「ひばりー」
あまりの反応の無さに、もしかして寝てるんじゃ、と疑いたくなるが、雲雀に限ってそれはないだろう。
今までの経験から判断すると、雲雀は怒っている。いや、拗ねていると言ったほうが正しいかもしれない。
拗ねたり、機嫌が悪くなったりすると、雲雀は時々こうして布団の中に閉じこもって出てこなくなる。一人きりになりたいのか、自分以外の世界をシャットダウンしたいのか。しかし、本当にそうしたいのならこの家から出て行っているはずで。
やはり、雲雀は拗ねているだけなのだ。単に山本を困らせたいがための行動。いつまで経っても、こういう子供みたいな振る舞いを正そうとしない雲雀だが、それでもいいと山本は思っている。
「何拗ねてんだよ」
だから、この状況を少しだけ楽しみつつ、山本は布団の端からちょこっとだけ出ている真っ黒な毛先に触れてみる。
濡れていた髪は随分乾いたようで、さらりと山本の指から落ちた。それをもう一度拾って、再び指先で弄んでみる。ちょこちょことちょっかいを出し、苛立ちの募った雲雀が顔を出せばいいと思ったのだ。
しかし、布団の中身はぴくりとも動こうとしない。少々、頑固過ぎるのではないか。
なかなか折れてくれない雲雀に、何を言おうか、どうすればいいのか、考える。こうなったら、自分も雲雀の横で丸くなってしまおうかとも思ったが、それでは絶対に雲雀は出てきてくれない。
結局、最終的には自棄になり、丸くなった雲雀の上に上半身をどさりと乗せた。頭で考えるのは苦手なのだ。
怒り狂った雲雀に半殺し程度にはされるかな、なんて軽く思ったが、やはり雲雀は、意地でも出てこないつもりらしい。
「なー、ごめんって」
布団の中身がぎゅう、と強張る。
「俺が悪かったからさ、いい加減出てこねえ?」
雲雀は動かない。
どうしたものかと考えながらしばらくそのまま放っておく。すると、突然布団の中身がもぞもぞと動きだし、その内耐え切れなくなったのか、ぼさぼさになった黒髪が勢い良く姿を現した。頬が赤くなっている。さすがに苦しかったみたいだ。
「あはは、髪がすげえことになってるぜ」
「こんなことして徒で済むと思ってるの?」
「だって、こうでもしねえと出てこねえじゃん」
容赦なく殺気を放つ雲雀にも怯むことなく、ぼさぼさの髪を撫でつけるように整えてやる。すると、徐々に雲雀の棘が収まっていくのが分かった。
こんなことをしても殺されないのは、自分だけ。そう自惚れてしまうのも、仕方の無いことだ。
幾分、雲雀の怒りが収まったのは雰囲気で分かる。それでもまだ不機嫌は健在らしく、唇を尖らせていて。それがとても可愛らしく山本の目に映り、当然のようにキスをする。
途端、雲雀の表情が厳しくなったが、気にしない。
「…なんで謝った」
予想外の雲雀の言葉に山本は少しだけ驚く。拗ねている雲雀が可愛くて、雲雀が怒っている理由を考えるのを忘れていた。
「わかんねえけど、俺が何かしちまったんだろ?」
山本の言葉に、雲雀の眉が顰められる。暗に、理由も分からず謝ったのかと責められている気がしたが、全く以って自分でもそう思った。だけど、仕方無いじゃないかとも思う。
「怒ってる理由を教えて貰えると嬉しいんですけど」
「…知らない」
「言いたくねえ?」
「知らないってば」
きっ、と此方を睨んだ顔に、これ以上はまずいかなと思う。
どうやら雲雀は言いたくないみたいなので、今回は山本が折れることにする。
雲雀が山本のすることを気にくわなく思うことなんて数え切れないほどあるのだ。だから、今回もきっと、ちょっとしたことが雲雀の気に障ったのだろう。
そう一人で納得し、山本はベッドから降りた。
「とりあえず飯食おうぜ、腹減っただろ?」
「いらない」
山本の言葉から間を置くことなく、はっきりとした拒絶が返ってくる。
「えー、肉じゃがだぞ?」
「いらない」
「なんでだよ」
「知らない」
ひばりー、と自分でも情け無いと思う声で呼んでみても、雲雀はつんと明後日の方を見ている。
何がそんなに気にくわないのか。
雲雀はどんなに機嫌が悪くても、食事だけは欠かさない。喧嘩している時でも、とりあえず食べるだけ食べて、後は山本の存在など自分の中から消したかのように無視を決め込む。
それが分かっているから、山本だってどんなに雲雀の機嫌が悪くても必ず食事は用意する。
それに、今日は折角ツナから万能な鍋を貰ったのだ。おいしく料理が出来上がるなら、すぐにでも使って雲雀を喜ばせたいと思うのはおかしいことだろうか。
雲雀の不機嫌の理由は、本当に分かりにくい。山本は困り果てたように息を吐いた。
すると、雲雀の眉がぴくりと動く。もともと良いほうではない目つきが更に吊り上っている。やはり、今日のところはそっとしておくべきだったか。そう思って、踵を返そうとしたのだけど。思わぬ言葉に身体の動きが止まる。
「僕は知らなかった」
山本は思わず目を見開く。何を?なんて一瞬思ったが、少し考えて、まさか、と思う。こういう時は意外にも鋭い山本だ。
まさか、雲雀が。そんな理由で拗ねているなんて、誰も思わないだろう。
気付いてしまった途端、山本の胸は驚くほど一杯になる。しかしここで喜色を明らさまにしてしまうと、雲雀の不機嫌が悪化するのは目に見えているので、耐える。
「知らなかったって…俺、去年言った気がするけど」
「言ってない」
断言する雲雀に山本は苦笑を漏らす。「ごめんな」と謝ると、雲雀は眉を寄せて視線を落としてしまった。珍しい。
山本は再びベッドに上がり、座っている雲雀の横に寝そべると、問答無用で細い腰を腕中に捕まえる。
驚いた雲雀が山本の腕から逃れようともがいたが、山本の方も絶対離れるものかという覚悟で雲雀にくっついたのだ。そう簡単には離してやらない。その内、抵抗するのが疲れた雲雀が、結局折れる形になった。呆れたような溜息が聞こえる。
「あと少しくらい、いいだろ?」
あと一時間もすれば今日は終わっちまうんだし。
そんな風に説得してみても、「嫌だ」の一点張り。だけど、そんなのはポーズだけで、実のところ自分は許されていることを、山本は分かっている。
こうして、雲雀のお腹に顔を埋めても、抱きつく腕に力を込めても、雲雀は山本の好きにさせるから。
暫らくそうしていると、じっとしていることに飽きたのか、雲雀の指が悪戯に山本の髪先を摘んだり引っ張ったりする。
少しだけくすぐったいが、雲雀のしたいままにさせようと思い、山本はやっと腕から力を抜いた。しかし、抱き付いたような体勢は崩さず、鼻先を雲雀の腹部に埋めると、やわらかな匂いと人肌の温もりがくすぐるように山本を包みこんだ。
ひねくれた言葉。頑なな仕種。素直になれない気持ち。温かな温度。そんな、些細なことで、山本の心の中をどんなに満たしてくれるのか、雲雀は知らないだろう。
「ありがとな」
少しだけ戸惑ったように揺れた身体を、ただ愛しく思った。
山本誕生日おめでとう!
この後二人で肉じゃが食べました。
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