前に山本が家を訪れたときも、何もしないまま、帰っていった。
応接室で二人きりの時も、山本と僕の間には一定の距離みたいなものがあった。
そして、今日も。
いつものように笑うのに、山本が遠い。






敵わない人






応接室のソファに座りながら、今朝コンビニで買ったという野球雑誌に目を通している。
パラパラとページを捲る音と時折独り言のように(多分僕に話しかけてる)山本の声が不規則に僕の鼓膜に響く。
へ〜、とか、うお〜すげぇな、とかポソポソ聞こえる声に僕は不満が募っていくのを感じた。
おかしいんだ。君がそんなところに座ってるのも。雑誌を読んでいるのも。
少し前は、応接室の扉を開けば真っ先に僕の元へ来て、しつこいくらいに僕に触れた。ソファに座るのだって、いちいち僕の腕を引いて自分の隣に座らせて、ほとんど抱き合ってるみたいな状態で話しをした。
僕はそれが嫌で嫌で仕方無かったのだけれど、山本と過ごしていくうちにそんなの慣れてしまって、いつの間にか不快感を感じるのもほとんど無くなっていた。
だから僕は、最初こそ嫌がるそぶりは見せていたものの、慣れてしまってからは抵抗らしい抵抗もしていない。むしろ自分にしては受け入れすぎなのでは、山本を調子に乗らせるのでは、と柄にも無く少し考えた程だった。
なのに、最近の山本は、おかしい。
おかしいと言っても、会話などはいつも通りなのだけど、とにかくおかしいんだ。山本が僕に触れてこない、なんて。
顔を合わせれば馬鹿みたいにセックスを強請ったくせに、それもない。
しつこいのがなくなって丁度いいじゃないか、なんて思っていた。だけど、ここ数日僕の心臓は壊れたみたいに痛みを訴えるときがある。
ずきずき痛んで、動けなくなって、それこそ、うずくまりたくなるくらいで。どうして僕がこんな想いをしなきゃいけないのか。


僕は徐に草壁が手配したという大きな椅子を立ち、素早い動きで山本の隣に座った。腕が触れ合うくらい近くに身を寄せる。
びくり、と山本の身体が反応したのを僕は見逃さない。
山本は尚も雑誌に目を通しながら「んー?どうした?」なんて呑気にページを捲ってる。
僕は山本の態度に当たり前のように不快感を覚える。不快感を感じている自分にさらに不快感を覚えて。僕は意地になったみたいに山本に身体を摺り寄せた。
しかし気付くと、山本はページを捲ってばかりいて、全然雑誌を読んでいない。何してるの、と思ったら今度は山本が立ち上がった。
どうして、僕がここまでしてるのに君は離れるの、そう思ったら自然に手が動いていて、無意識に山本の腕を掴んでいた。
山本は困ったように頬を掻いている。どうすればいいのかわからないみたいな態度が余計に僕を腹立たせる。
しかし僕も、何て言えばいいのか分からなくて言葉が出てこない。妙な沈黙を破ったのは山本だった。

「なんだよー、雲雀、ほら、薄暗くなってきたからそろそろ帰ろうぜ?」
「…前はもっと遅い時間まで残ってた」

山本は驚いたように少しだけ目を見開いた。
僕の発言はそんなにおかしかっただろうか。本当のことじゃないか。おかしくなったのは、君だ。

「ねぇ」
「……」
「僕に飽きたの」
「ばっ…!んなわけ、」
「じゃあなんで、僕に触らないの」

単刀直入に言った。回りくどいのは嫌いだから。でも少しだけ後悔している。何故だかわからないけど。
指先が震えそうになるのを、掴んだ山本の服をぐいと引っ張ることで誤魔化す。
本当は言いたいことがたくさんあった。
僕を避けるなんていい度胸してる、とか、咬み殺す、とか。
だけど、どれも出てこない。散々心の中で叫んだ彼を罵る言葉は、僕の喉が固まってしまった所為で、顔を出すことは無かった。

「な、に言い出すんだよ、」
「嘘つくんだ」
「嘘なんて…」
「もういい」

山本のはっきりしない態度に僕の苛立ちは最高潮に達していた。
本当だったらこの苛立ちを発散させるためにも山本をトンファーでぐちゃぐちゃにしてやるべきなんだろうけど。残念ながらそんな気力も出てこない。

「一人で帰ってくれる?僕、もう少し残るから」

僕は掴んでいた山本の手を放して、突き放すように言った。一人になりたくて、山本の顔を見たくなくてそう言ったのに、何を考えているのか山本はまったく動こうとしない。
いつまでも間抜けな顔でソファに座ったままの僕を見下ろしていて。その視線が不快で仕方なかったから、デスクに戻ろうと立ち上がった。すると、視界が暗くなる。僕としたことが、予想外のことで反応に遅れてしまった。

「離せ」
「嫌だ」

僕は、山本に抱き締められていた。
今までにないくらい、きつくて、息が出来なくなる。
力を緩めろ、離せ、という意味で山本の胸を強く押したが、山本は余計に僕との隙間を埋めようと腕に力を込め、頬を僕の頭に摺り寄せるみたいに乗せる。

我慢していたのだと、いう。触れたくて溜まらなかった、と。

「俺さ、俺…雲雀のことすっげー好き。めちゃくちゃ好き」

山本は僕の頬を両手で掴んで上を向かせた。

「好きだからさ、いつでも抱きたくなるし、一日中雲雀と一緒にいたいぐらいなんだけど」

山本の唇がちゅ、と音を立てて僕の唇に当たった。久しぶりの感触に山本は止まらなくなったみたいに何度も唇を押し当ててくる。

「でもさ、俺、雲雀に会ったら抱いてばっかだったろ?なんか、身体目当てで付き合ってると思われねぇかな、ってさ」

唇は尚も降ってくる。話しながらも、器用にキスしてくる山本に少なからず感心する。
しかし、話しの内容には感心できない。普段から人の気持ちなど関係無しにずかずか踏み込んでくるくせに、どうしてここまで来て戸惑うのか。

「我慢しようと思ったんだ。雲雀ともっといろんな遊びもしてぇし」

抱くといつの間にか夜になっちまうから、他のことできないじゃん?それに、雲雀、本当は嫌なんじゃないかって。毎日毎日俺にくっつかれてウンザリしてるんじゃないかって。だから、我慢してたんだけど、雲雀が傍に居ると、どうしても触りたくなっちまうんだよ。だからなるべく近付かないようにしてた。本当に、ごめんな。

山本は僕にキスしながらポツリポツリと話した。
馬鹿な男だと思う。きっと、考え込んだら深みに嵌るタイプなのだろう。残念だけど、その考え方は間違いだ。

「僕は、嫌なことはさせない」
「…うん」
「そんなことも知らなかった?」
「…ごめん」
「君って、馬鹿だよね」
「…雲雀、」
「なに」
「抱いて、いい?」
「…僕にも我慢させる気?」
「…っ」

景色が反転したと思ったら、ソファに押し倒される。少し強めに背中を打ちつけたのだけど、所詮柔らかいソファなので大した痛みも無い。
山本が僕の上に覆い被さるみたいに乗ってくるから、僕はちくちくする頭を抱き締めることで答えた。
焦れたみたいに慌ただしく僕のシャツを肌蹴させ、胸元に吸い付いてくる。その行動が急性的で、思わず身体を捩ったのだけど、身体を這う舌の感触に僕の身体は上手く動かなくなっていて、山本に縋ることしかできない。

「雲雀…、俺のこと、あんまり甘やかさないで」

山本は切なげに喉を鳴らし、今まで我慢していたのを清算するみたいに何度も僕の身体を辿る。山本の舌が、手が、心地良くて思考回路が上手く働かない。
山本が僕のズボンを脱がそうとするから、僕は協力するように腰を少しだけ上げる。下着ごと脱がされた下半身に羞恥は感じたが屈辱的なものは感じなかった。
そのまま山本の顔が僕の下半身に埋まる。途端に濡れた音が響いて、何をされているかなんて一目瞭然で、あまりの快感に僕は口元を腕で覆った。そしてあっけなく達してしまった僕に山本は笑った。その笑みに馬鹿にしたような色は無かったから僕のトンファーが唸ることは無かった。
僕が呼吸の乱れを落ち着かせるのを待ち、程なくして山本の指が僕でも触れたことのないような所を好き勝手に探る。この後訪れるであろう快感を思い出して、僕は目を瞑った。

背中とソファが擦れ合う音が忙しなく響いて、聴覚から刺激される。
それ以上激しく動いたらソファが倒れると思わず心配になるほど貪欲に求め合う。
自分から発せられる啜り泣きのような音にも、最早気にする余裕なんてなくて。握り合った手に力を込めることでどうしようもない感覚を発散させた。






「甘やかしてなんかないよ。僕は僕のしたいようにしてるだけだ」

僕の身体を自前のタオルで拭いている山本にそうハッキリと告げた。
すると山本は動きを止めて、一瞬目を見開いた後、「敵わねぇのな」と小さく笑った。




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