応接室に響く落ち着きの無いノック音に、訪問者の予想は容易につく。
こちらが返事をするのも待たずに扉が開き、そこに立っていたのはやはり予想通りの人物で。
二週間ぶりに見る山本は、いくらか肌が焼けて逞しく見える、とか。
なんだか余計に背が高くなった気がする、とか。(目の錯覚だと分かっているのだけど)
そんなことを考えてしまって勝手に扉を開いたことを咎めるタイミングを失ったことに、僕は少しだけ戸惑った。
さみしいという気持ち
「苦しい」
自分でも随分と冷たいな、と思うくらい素っ気無い声が出た。それでも山本は気分を害することもなく何も聞こえていないかのような態度をとるから、僕はしつこく引っ付いてくるでかい身体を押しやる。
そもそも、勝手に入ってきて僕の名前を遠慮無しに大声で呼ぶなり抱きついてくるなんて、許しがたい行為だ。いつもなら咬み殺しているところなのに、馬鹿みたいに嬉しそうな顔を見るとトンファーを振るう気が失せていく。
だからといって許したわけではないので、山本を押しやる手を引っ込めるつもりはない。
「なんだよー俺に会えて嬉しくねぇの?」
抵抗しようと動く僕の手を山本の硬い指が掴むと、唇を少しだけ尖らせていくらか不満気な声を漏らした。
山本の愚問に、僕は淡々と答える。
「嬉しくない」
「えー、嘘だろ」
「嬉しくない」
「わかったわかった」
そう言って山本はぽんぽんと僕の背中をあやす様に撫でた。それは幼児を相手にしている時の振る舞いなのに、馬鹿にされている気分にならないのが不思議だ。
不意に僕の背中を撫でていた手が止まり、「そういえばさ、」と山本はようやく身体を離した。
「ヒバリに見せたいモノがあんだよ」
見せたいモノ、を探して山本の手が汚いスポーツバックの中を漁った。ただでさえバックの中はタオルやら部活時に使うシャツやらでぐちゃぐちゃなのに、更に山本の手が混ぜるように動いて、僕は「汚い」とか「だらしない」とかいくつか小言を言ったのだけど、山本は気にした様子は全く無く。
やっと探し出せたらしいソレを「はい、これ」と満面の笑みで僕に差し出す。それはシンプルなフォトフレームに入った一枚の写真だった。
野球部全員の集合写真で、『優勝』とでかでかと書かれた大きな旗を山本が満面の笑みで握っている。真ん中に座っている人物も大きなトロフィーを掲げて山本と同じように笑っていたし、そこに写る人物全てが、笑っていた。
そう、山本の所属する野球部はこの二週間、県大会で大忙しだった。そして見事優勝したということも、草壁からの報告で分かっている。
僕は写真を眺める。
並中の名を世に轟かせることが出来た。良かったじゃないか。本来ならそう思うはずなのに、僕はあまり喜んでいない。何故だか分からなかった。
「ヒバリさ、試合見にこれなかっただろ?」
見に行けなかったんじゃない。行かなかったんだ。
「だからさ、その写真持ってきたんだ。ホントは俺の部屋に飾ろうと思ってたんだけど」
何故試合を見に行きたくなかったのか、わからない。
何故この写真を見て、胸が苦しくなるのか、わからない。
「ヒバリが欲しいって言うなら、ここに置いても、」
「いらない」
僕は勢いよく写真を山本に突きつける。
山本は一瞬呆気に取られたような表情をしたが、すぐにいつものようにへらりと笑うと、僕が突きつけた写真を逆に押し返した。
「素直じゃねぇのなー」なんて呑気に言っている山本に軽く殺意が湧く。
ぐいと強く僕の手にフォトフレームを押し付けて、山本は手を離しかける。僕は強めにその手を振り払った。
がしゃん、と派手な音がして、僕と山本の間にそれが落ちた。
「あー…」
山本は幾分情け無い声を出すと、すぐにしゃがんで割れたフォトフレームを拾い出した。
僕はそれを手伝うこともなく上から山本を見下ろしている。
「はは、ワリィ、一人ではしゃいじまって、格好悪ィのな」
大きな破片から拾い集める手は、てきぱきと動いている。
「破片、危ねぇから、あんま近付くなよ」
割れたガラスの破片が散らばっているその下には、泥だらけになって笑っている山本の姿。
きっと今の山本は、破片を拾い集めながら情け無い顔で笑っているのだろう。
どうして、欲しくなかったのだろう。
根拠が見つからないのに、どうしても欲しくなかった。受け取りたくなかった。
ただ、写真の中で笑う山本が、見たことのない山本のような気がして、遠い存在のような気がして、苦しくなった。どうして苦しくなったのかは、分からない。
山本は一頻り破片を拾い集めると、部屋の隅に設置されている掃除用ロッカーからほうきと塵取りを取り出し、丁寧に細かい破片を掃き取る。
その一連の動作を僕は馬鹿みたいに眺めていた。声は出なかった。
山本は写真をバックの中に突っ込むと、「今日は、帰るな」と珍しくしょげた声でそう言って、振り返ることもなく応接室を後にした。
僕は後を追うなんてみっともない真似はしない。だから、応接室を出て行くいつもより小さい背中にせめて声をかけようと思ったのだけど、やはり声は出なかった。
もう一度、山本が綺麗に片付けた床に視線を落とした。割れたガラスの破片を拾う山本の姿が思い出される。
僕はのろのろとソファに腰掛けると、そのまま寝そべって手で目の辺りを覆った。そうしたい気分だった。
ひばり、と僕の名前を呼ぶ声を聞いたとき、心拍数が上がった気がした。
痛いくらい抱きしめられて、その匂いを嗅いだら、身体中の血液がうるさく鳴って、顔面に集まってきて。
熱くなったのは顔だけじゃなくて、気付いたら身体中熱くて、もっと触れたいと思った。
二週間会わないだけでこうなる自分が信じられなかった。ずっと平気だと思っていた。なのに、会ってみると全然平気じゃないことに気付かされた。
そんなことを考えながら山本の腕に抱きしめられていたら、本当に少しだけ目の奥が熱くなったので、よほど強く抱きしめられているからに違いないと判断して「苦しい」とできるだけ平静に言ったのに。
山本の腕が離れた後も苦しさは消えなくて、そして今は何故だかもっと苦しくて。
僕を強く抱く腕はもうないのに、山本はもう、いないのに。
「何やってんだよ、もー」
呆れたような声が降ってきて、自分の目を覆う手を外すと、そこには先程応接室から出て行ったはずの山本が立っていた。
「俺が戻ってきたのにも気付かないなんて、どうしたんだ?」
「…やま、もと」
「普通さ、追い掛けてくるもんだろ?ああいう時は」
思わず戻ってきちまった、と照れくさそうに、情けなそうに笑って頬を掻く。
僕は手を伸ばすと、山本のシャツを強く引っ張り、顔を近づけさせた。
山本は少し驚いたように目を丸くしたが、当然のように僕の唇に自分の唇を重ねると、器用にスポーツバックを肩から落として僕の上に圧し掛かった。
久しく感じる重みに、また理由の分からない気持ちに襲われて、あんなにも小さく見えたはずの大きな背中にしがみ付く。
それから何度もキスして、何度も抱き合った。
何も言わない僕に「わかった、わかった」と背中を撫でる山本の声がいつまでも耳に残った。
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