ただ側にいて、ただ言葉を交わして、たまに唇を合わせて。
それだけじゃ、どうしていけなかったのだろう。
冷たい背中
ふいに寒さを感じて、山本は目を覚ました。
抱きしめて眠っていたはずのその人は、いつの間にか山本の腕から抜け出してしまったらしく、ベッドの端に寄って、山本に裸の背中を向けて眠っている。
雲雀はいつもそうなのだ。山本が、今日は絶対離すものかといくら意気込んでも、気が付くと山本の腕を抜け出してしまう。どんなにがっちり抱きしめて眠っても。
それが山本にはとても寂しく感じてしまう。どうして自分の腕の中に留まってくれないのか。そう思う自分が間違っているのか。
少し骨張っている華奢な背中が、その白さの所為か薄暗い部屋にぼうっと浮き出される。山本は何を考えるわけでもなく、暫らくその背中を見詰めていた。
(痕、とか、つけてみてーな)
(…殺されっかな)
そんな風に思ったのは、きっと雲雀の背中が白すぎるからで。雲雀の背中に赤い痕があったら、きっと綺麗だろう、と山本は思う。ましてや、自分がつけた痕なら。
考えれば考えるほど、雲雀の背中に吸い付きたい欲望が押し寄せてくる。自分の触れた痕を残したくて仕方なくなる。
だけど、雲雀は確実に嫌がるだろう。見つかったら殺されはしなくても、動けなくなる程度に痛めつけられるだろう。簡単に想像できることに、思わず口端が上がる。
雲雀に触れたくて仕方なかった。先程散々触れ合ったのに、それでも全然足りていないことに気付き、山本は困ったように眉を寄せる。
抱きしめたい。抱きしめられたい。触りたい。触ってほしい。甘えたい。甘えてほしい。
自分が求めた分、雲雀にも求めて欲しい、だなんて。とんだ欲張りになったものだ。
抱きしめることも、唇を合わせることも、肌をぴったり寄せ合うことも、全て許してもらえて。
他の誰にも見せることのない顔を見せてくれて、他の誰も聞くことのできない声を聞かせてくれる雲雀に。
これ以上何を望むというのだろう。
本当は、雲雀がこの行為をあまり好いていないことくらい、知っている。
それはそうだろう。男なのだから。男なのに、男を受け入れて、喘がされて。自然の摂理に逆らっているのだから、気持ち良いだけのわけがない。
それでも。それでも雲雀は、山本が望めば、それを撥ねつけることはしないのに。
それ以上何を求めているのだろう。
(こっち向けよ)
こんな気持ちになるのは、雲雀が壁を向いて眠るから。
(離れるなよ)
雲雀が、まるで山本の存在を拒絶するかのように、腕の中をすり抜けてしまうから。
だから、こんなくだらない孤独感はいつになっても消えてくれないのだ。
山本は考える。もしも二人きりで、何もない、誰も居ない無人島に行けたら。そんな、途方もない考えを、真剣に。
無人島に着いたら、船を壊して、沈めてしまおう。島から出られない上に、食べ物も、家も、何一つないけど、きっと幸せだ。
だって、そうすれば雲雀は自分だけを見てくれる。やっと、雲雀を腕の中に捕らえたまま、目を覚ませる。
だけど、雲雀は、幸せだろうか。
所詮、雲雀は雲雀でしかなくて。やはり、山本と雲雀は別々の赤の他人で。それはどうしようもない、事実。
違う人間だからこそ、惹かれあうのだろうけど。違う人間だからこそ一つになれないもどかしさ。
雲雀が雲雀であって、山本が山本である限り、どんなに望んでも、心まで交われないことなんて、分かっている。
(でも、)
(なんか、それって)
(すげー、さみしいよ)
不意に、雲雀がもそりと動いた。
起きたのか判断のつかなかった山本が小さく「ひばり」と呼んでみると、「何」と此方を振り向くこともなく返事が返ってくる。酷く掠れた声だった。
「なー雲雀、」
「だから、何?」
「こっち向いて」
「必要ないよ」
雲雀の冷えた声に、山本は苦笑を漏らすと、白い背中に手を伸ばした。指先だけで触れてみる。冷たい。
抱き合っていたときは、どこもかしこも熱くなっていたというのに。少し離れればすぐに冷めてしまう。だから、何度でも抱きたくなってしまうのだろうか。
山本は、背中に触れても大した反応を見せない雲雀に、それならばと少し大胆な行動に出ることにした。
背中から、薄い身体を抱きしめる。肌の冷たさを紛らわすように、強く抱きしめる。
さすがに驚いた雲雀が、首だけを動かして山本を睨み上げる。山本は鋭い視線を受けたが、それを気にすることもなく。
雲雀の身体が「離れろ」とでも言うように、鈍く動いた。それでも決して離れようとしない山本に焦れた雲雀の眼光からは殺意まで伺える。寝起き早々機嫌を損なわせてしまったらしい。
「この部屋、寒くね?」
どうやって山本を甚振ろうかと考えているだろう雲雀に、山本はのほほんと声を掛ける。
「こーしてなきゃ、寒ぃよ」
雲雀を抱き込んでいる腕にぎゅっと力を加える。殴られることは覚悟の上。そんなことより、雲雀の身体が冷たいのは、どうしても嫌なのだ。
雲雀のうなじに顔を埋めて、拳が飛んでくるのを待つ。口の中を切られないように歯を食いしばるのも忘れずに。
しかし、飛んできたのは、見た目の何百倍もの威力を持つ拳ではなく、「くるしい」、と一言。消え入りそうな声だった。
とても珍しい。このタイミングで殴られないなんて、余程のことじゃなければありえない。
しかし、殴られはしなかったものの、機嫌が治ったわけではないことは、後ろ姿でもはっきりと分かる。
でも、殴らなかった。雲雀にとって、山本を退かすことなんてそう難しいことではないはずなのに。気分屋の雲雀が考えることは、よく分からない。
分からないが、そんなことは問題ではなかった。拒絶されなかった、その事実だけで充分だった。心の底から嬉しさがじわじわと滲み出てくる。こんなことで喜ぶなんて、雲雀が知ったら呆れるに違いないけど、山本にとって、これ以上のことなどないのだ。
「このまま、寝ていい?」
何も答えない雲雀に、山本の胸はいよいよ一杯になる。
先程よりも強く、腕の中の人を抱きしめる。
「ぜったい、このまんま、だからな」
山本は、そう言って目を瞑った。
腕の中の人が今度こそ離れていかないように、しっかりと手を結び、雲雀の丸い後頭部にキスをする。
そうすると、雲雀を想う気持ちが後から後から溢れてきて、山本は少しだけ泣きたくなった。
(すき、好きだ、大好き)
好き、という感情が、こんなに痛いものだなんて、知らなかったのだ。
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