だいすき、ひばり
そう囁くのが誰なのか、そんなことはどうでもいいことなのではないか。
そんな疑問が生まれたことに深い意味は、決してないのだけど。
謎語症
「あっ」
自分の唇から漏れる声が、他人の声のように鼓膜に響く。自分の喉がこんな音を作り出すなんて、知りたくなかった。
びくりと背中が仰け反って、引っ張られたわけでもないのに後ろに倒れそうになり、脚の間に大きな身体を割り込ませて僕の下半身に顔を埋めているそいつの髪を鷲掴んだのだけど。
短いその髪は、掴みどころがなくて指と指の間を柔らかくすり抜ける。そんなつもりはないのに、知らず髪を梳くような動きにそれはなっていて。
その瞬間、じゅ、と大袈裟な水音がするほど咥えられていたそれを吸われ、目の前が真っ白になるくらいの刺激に身体中の機能が働かなくなって、そのまま腰掛けていたベッドの上に倒れ込む。
「大丈夫か?」というあまり心配そうでない声にはもちろん答えない。それどころじゃないのだ。肺が狂ったみたいに忙しなく動いて呼吸の邪魔をする。全速力で走った後のように肩で息をする僕に山本が笑ったのを気配だけで感じ取った。
今まで咥えられていたものがじんじんと熱を持っていた。強く吸われたときの衝撃を思い出すと、落ち着かなくなる。
しかし同時に、なぜこんなに気持ちが良いのか、不思議だった。自分でそこに触れてみても、擦ってみても、こんな快感は得られない。さすがに自分で自分のものを咥えることはできないから口淫の検討はできないが、山本がただそこに触れるだけでも、すごく気持ち良く感じるのは確かだった。
恥ずかしげもなく達したばかりのそれをそのままに天井を眺めていると、だんだん呼吸も整ってくる。それを見計らっていたかのように山本が動き出した。
「ひばり、」
年のわりに成長し過ぎた身体が、僕の上にゆっくりと圧し掛かってくる。
その先は、多少の痛みを伴う行為だということも知っているから、せめてもの抵抗に背中に強く爪を立てる。
「いって」と情け無い声が聞こえたが無視する。我慢なんて大嫌いな僕が、山本が中に入り込むときの痛みを黙ってやり過ごしているのだ。こんなのは抵抗の内にも入らない。
山本の、熱く膨らんだそれが僕の中に入ってくる。やはり何度しても痛い。しかしその痛みは、やがて鋭い刺激に変わって、身体全部が重く痺れるほどの快感をもたらすことを僕は知っている。そうでなければ、こんなこと許してやるはずがない。
すべてを納めると、山本が熱く篭もった吐息を吐く。僕はといえば折角整いつつあった呼吸が簡単に乱れてしまって、少しだけ不愉快になり眉を顰めていた。
「ひばり…好き」
そう囁いたそいつが、ゆっくりと動き始める。
僕の腰を両側から強い力で抑えて、身体を打ち付けてくる。
「だいすき、」
だんだん激しさを増すごとに煩く軋むベッドの音の中でも、はっきりと聞こえた声。
僕の中を行ったり来たりする度に息を漏らして、頬を上気させている山本は嫌いじゃなかった。いつもどこか余裕ぶった態度をする山本より、よっぽど良い。
だいすき、と何度も同じ言葉を紡ぐ唇を、揺れる視界の中で見とめる。
心臓が止まりそうになるほど身体に影響をもたらすこの行為のせいで、僕の頭の中はぐちゃぐちゃになって、ろくに思考が働かなくなる。
だから、だろうか。
だいすき、だと囁く相手は誰でもいいのではないか、なんて考えが生まれてしまったなんて。
その快感を与えてくれるのならば、声の主は厭わないのではないか。そんな色情狂に、僕はなってしまったのではないか、だなんて。
この行為が気持ち良くて、自我が飛びそうになるのを感じるたびに、そんな不安が過ぎる。
しかしそんな不安の中でも僕の身体はしっかりと反応していて。
再び訪れた限界に目を瞑った瞬間、不意に刺激が中断される。
山本は腰の動きを止めると、さっさと寝転んで僕を自分の身体の上に乗るように促す。何をするのかは一目瞭然。だけど、無理だと思考は訴える。
限界まで膨らんだ欲をそのままに上に跨れと言われても、脚にも腰にも力が入らないのだ。情けなくて悔しくなるが、身体を起こすのも億劫だった。そんな僕の心情をまったく分かってない山本は「大丈夫だから、な?」と子供を相手にするような、優しく、どこか甘い表情で僕の腕を取る。
その手を振りほどくこともままならない僕は、促されるまま寝そべるそいつの身体を跨ぐ。「自分で入れられる?」という言葉に少し意地になり、勃ち上がったそれを引っ掴むと迷わず自分の中へ導く。そうして全てを含んでしまった後で、自分のとった浅ましい行動に顔が熱くなったが、もう遅かった。
「う、っあ」
山本が下から突き上げてくる。滅多にない体勢に、追い詰められた欲にどうしようもなくなり、はしたなく声を上げるしかできない。
身体のバランスを保つことなんてもちろんできなくて、山本の胸に倒れ込む。山本の手が腰を支えていなければ、僕の下半身を攻め立てるそれは簡単に抜けてしまうだろう。
「ひばり、頑張って腰だけ上げて」
山本が短い呼吸の間からそれだけ告げる。それに素直に従って、腰を上げようと試みる僕は馬鹿だ。まったく、狂っている。
自然、僕の顔と山本の顔は間近になっていて、そうすることが当然のように舌を絡ませあう。何度も角度を変えて、味わうというよりも貪り合うといった表現の方がしっくりくるそれを何度も交わす。
惜しむように唇を離したそいつは、今度は頬に、耳元に唇を寄せてくる。
尚も紡がれる思慕の言葉は、情欲に濡れていて、少し震えていたが、僕の身体を熱くさせるには充分で。
もうこれ以上堪えたくなくて、それを訴えるように山本を見ると、「もう我慢できない?」なんて聞いてくるから、できる限りの気力を絞って睨み上げる。
すると山本はあやすように優しく背を撫でるから。たったそれだけの行為なのに、視界が白くなる。
「…っ」
唇が震えて、勝手に零れた言葉。
声にはならなかったその音を、だけど、そいつはちゃんと聞き取ったようだった。
ゆっくりと容積が減っていくそれに、山本が達したのが分かる。大きく息を吐くと、頬に唇が押し当てられ、髪を柔らかく撫でられた。
「雲雀さー、俺のこと大好きだろ」
ふざけた質問を真剣に聞いてくるのはいつものことで。
「わからないよ」
調子に乗った態度が面白くなくて、できる限りそっけなく答えた。
それなのに、山本はにこりといつもとなんら変わりない笑顔を僕に向ける。
「そうだよな、雲雀には分かんないかも…俺には分かるけど」
俺には分かる、そうはっきりと言ったそいつの顔を見る。自信に満ちた表情で微笑む山本は、どこか嬉しそうだった。
それが僕には気に入らなくて「君に何が分かるの」と冷たく言い放ったのに、「分かるよ」と、やはり嬉しそうな声色を出し、僕の前髪を梳く。
「知ってる?雲雀さ、イクときすっげえ気持ち良さそうな顔すんだぜ?」
あんまりな物言いに強く睨み上げる。
よく喋る鬱陶しい口を黙らせたくて腕を振り上げようと力を入れたのだけど上手くいかない。
疲れているうえに身体を強く抱き締められていては無理ないのだけど、悔しくなる。
そんな僕の様子を悟ったのか、山本は困ったときに見せる独特な笑い方をすると、唇を僕の額に押し当ててくる。
「そんでさ、その顔で、俺の名前呼んでくれるんだよな」
幸せだと、言葉と表情全部で訴えてくるそいつに、僕はいつも分からなくなる。
意識してその名前を口にしてしまうのではない。唇が勝手に紡いでしまうのだ。それは、どういう意味なのか。もしも、その行為の相手が山本ではなく別の誰かだったら、やはりその時は別の名前を口にするのだろうか。
そんなささやかな疑問は、どうでもいいことであるような気がするし、とても重要である気もする。少なくとも山本は重要だと思っているに違いない。ならば教えて欲しいと思うのはただの好奇心。
「どうして名前を呼ぶと君が好きってことになるわけ」
僕の言葉に驚いたように目を見開くのは予想通り。思いの他、子供らしい表情を見せた山本に僕の気分は少しだけ良くなった。
山本は僕の髪を弄んでいた指の動きを止めると、暫らく僕の顔をじっと見詰めていた。僕の質問について考えているのか、悩んでいるのかいまいち読み取れない表情だったが、すぐにまたその顔はへラリと破顔する。
「んー、うまく説明できねえんだけど、雲雀は、俺以外の奴としても、俺の名前呼んじまうと思うんだよな」
山本は「それが答えじゃ、だめ?」と言うと照れくさそうに笑った。
その答えに、僕は眉を顰める。山本はいつも僕には分かり難い表現を使うから理解できないことが多くて困る。そもそも何故、他の人間とセックスしても山本の名前を呼ぶと言い切れるのだろう。
腑に落ちなくて「そんなの、試してみなければ分からないよ」と言うと、山本は物凄い剣幕で「絶対だめ!」と声を張り上げた。そして、焦ったみたいに「絶対俺の名前呼ぶから」と真剣な顔で言い放ち、ぎゅうぎゅうと抱き付いてくる。
いつにない山本の必死な様子が可笑しくて、思わず口角が上がってしまうのを感じ、枕に顔を埋めたのだけど。山本は僕が機嫌を損ねたと思ったのか「ひばり、」と情け無い声を出した。
すっかり考えることが面倒くさくなった僕は、枕に顔を埋めたことで身体が睡眠を欲していることに気付く。
抱き付いてくる山本の体温が丁度良いことも手伝い、いつでも意識を手放せそうだった。
山本の情け無い声は、今は何故だか心地良く耳に響いた。
この気持ちが山本の言う「好き」というものならば、確かに僕は誰を相手にしても山本の名前しか口にしないのかもしれない。
back