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「血分けた兄弟」-自転車ロードレース選手ランディスが輸血の内幕暴露

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 2004年のツール・ド・フランスの9日目、ランス・アームストロング率いる米国郵政公社(USポスタル)チームは、サン・レオナール・ド・ノブラ村近くのホテルにチェックインした。この日は、レース中にある2日間のオフのうちの1日で、7月12日のことだった。

 当時、USポスタルの最も優秀な選手の1人だったフロイド・ランディスによると、ホテルの1室が、「秘密の処置」のために用意されていた。

AP

アームストロング(左)とランディス

 部屋のドアの外側にある廊下の両端には、チームスタッフが待機していて、誰も不意に入って来られないようになっていた。部屋に入ったら話をしてはいけない、と選手は事前に言い渡された。部屋の煙探知機は取り外され、冷暖房設備にはビニールが張られていた。隙間のついたものにはすべてテープが貼られてあった。これについてランディスは、隠しカメラによる撮影を防ぐためだろうと指摘している。

 この「処置」に参加したチームの自転車競技者は、1回に2人ずつ、ベッドに横たわった。ベッドの両端には1人ずつ医師がいた。ランディスは、自身が輸血を受けたことを明らかにした。彼によると、アームストロングだけでなく、ほかのチームメイトのジョージ・ヒンカピーとホセ・ルイス・ルビエラの2人も輸血を受けているところを見た、という。この日ランディスは、このほかの選手が輸血しているのを見ていない。

 この「処置」は、選手の赤血球数を増やすことでパフォーマンスを向上させるもので、同スポーツの統括団体、国際自転車競技連合(UCI)によって不正行為とみなされている。

 ランディスは、使用済みの血液バッグがその後どうなったのかは不明、としながらも、チームスタッフが小さく切り刻んでトイレに流していたのを何度か見かけたことがある、と述べている。

 2004年7月25日、2000マイル(約3220キロ)以上を走破した後、USポスタルはパリのシャンゼリゼ通りに到達、ゴールした。チームのリーダー、アームストロングは、6分以上もの大差をつけ、圧勝した。ツール・ド・フランス6連覇という前人未踏の記録だった。

 ランディスは、3日に開幕した今年のツール・ド・フランスには参加しない。プロの自転車競技の世界に彼の友人はほとんどいない。彼は今年の春、彼が言うところの「自転車競技の浅ましい現実」について暴露する努力を始めた。5月のウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)との数時間にわたるインタビューで、ランディスは、運動能力向上薬を使い続けてきた経緯を詳しく語るとともに、アームストロングならびに他選手が自分と同じ行為を行っていたことも明らかにした。

 USポスタルの元メンバー3人は、WSJのインタビューの中で、アームストロングがリーダーだった時期、チームでドーピングが行われていたと述べた。うち1人のメンバーは、自らがドーピングを行ったことを認めた。一方、ほかの選手数人は、彼らがチームに在籍していた当時、そのような行為を目にしたことは絶対なかったと述べている。

 アームストロング、ヒンカピー、ルビエラはいずれも、ドーピングに関するランディスの発言にコメントしていない。アームストロングは5月、記者団に対し、ランディスが電子メールで行った主張は真実ではないと否定、特定の問題についてコメントするつもりはないと述べている。

 ランディスは、ドーピングを理由に2006年のツール・ド・フランスの優勝をはく奪された。そして2007年の自著「Positively False」で彼の行為について嘘をついた。この本の中でランディスは、アームストロングがドーピングを行っていた証拠はない、とも指摘していた。

 アームストロングとそのアドバイザーらは、ランディスが、アームストロングの現在の所属チーム、ラジオ・シャックで仕事を得ようとして告発という脅しを使った、としている。これに対してランディスは昨冬、同チームで仕事を探したことは認めたが、その際に脅迫はしていないと述べた。

 現在、連邦当局がランディスの申し立てについて調査を行っている。ランディスは、WSJのインタビューで話した事柄の多くについて詳しく捜査官に話した、と述べた。

 アームストロングとランディスより前にUSポスタルの選手だったチャド・ガーラックによると、自分の選手時代の経験から、ドーピングが広がっているとのランディスの主張を信じることは妥当だという。ガーラックは、「実際に見たので、信じられる。友人の名前を明らかにすることはできない。確かに見た。組織的に行われていることだ」と述べた。

 ランディスは2001年終わりにUSポスタルからオファーを受け、トップクラスの選手の仲間入りを果たした。

 2001年のキャンプまで、ランディスは3年間、プロの自転車競技選手としての生活を送っていた。それまで彼は、トップクラスの選手は最も厳しいレースで、禁止されている増血剤や合成薬物を使用している、ということを耳にしていた。このため、ドーピングは自転車競技の一部で、トップチームに加わるのであれば、ドーピングも仕事の一部だと考えていた。

 2002年6月、ランディスは、チームを率いるブリュイネール監督から、ツール・ド・フランスを走る9人の中に入る可能性が高いことを告げられ、祝福を受けた。ランディスによると、この時、監督はランディスに、アームストロングが「疲労回復を早めるもの」を大会の数週間前にくれるだろうと述べた。それはテストステロンを含有する小型パッチで、ランディスは就寝前、3日に2日、腹部に張るよう指示された。

 この会話を交わした時、監督はこんなことも言ったという――大会前、ランディスは血液を採取してもらう。その血液は大会中に再び体内に戻される。この処置により、ランディスの血液中の酸素を筋肉に運ぶ力が高められる。

 テストステロン・パッチも輸血も、国際スポーツの薬物検査を監督する世界アンチ・ドーピング機構(WADA)によって使用が禁止されている。自転車競技選手の血液もしくは尿にそれらが使用された形跡が発見された場合、通常、2年間の出場停止処分が下される。

 監督と会話を交わした同じ日、ランディスはアームストロングとヘリコプターに乗り、スイスのリゾート地サンモリッツに到着した。彼らは、アームストロングが妻と3人の子どもと住むペントハウスに向かった。ランディスによると、彼がアームストロングと妻と一緒にキッチンのテーブルでエスプレッソを飲んで座っていた時、アームストロングは彼にアルミ箔に包まれた約20枚のテストストロンのパッチを渡した。アームストロングはこのパッチが何なのか何も言わなかったという。

イメージ Michal Czerwonka for The Wall Street Journal

バーで携帯電話中のランディス(カリフォルニア州アイディルワイルド)

 ランディスは、そのパッチを自分のバックパックに入れた、と述べた。彼はその晩、1枚を腹部に当てた。

 その数日後、アームストロングのトレーニング・アドバイザーを務めるフェラーリ氏は、アームストロングが保有するサンモリッツのアパートで、ランディスにベッドに横になるように言った。フェラーリ氏はランディスの腕に針を刺し、0.5リットルの血液を採取した。フェラーリ氏は、この血液は、赤血球の枯渇が予想されるツール・ド・フランスのさなか、ランディスの身体に輸血で再び戻される、と説明した。

 フェラーリ氏の弁護士はコメントを差し控える、としている。

 またランディスによると、サンモリッツでのトレーニング中、血液の入った袋と冷却器を密かに持ち込んで国境を渡る場合など、面倒な輸血の運び方についてアームストロングから説明を受けた。アームストロングの話では、自転車競技選手は以前、赤血球の産生をコントロールする医薬品、エリスロポエチン(EPO)を使用して大会中の血液の機能を高めていた。ところが、EPOが検査で発見可能になったため、自転車競技者は輸血に頼らざるを得なくなったという。

 2002年7月、ランディスの助けもあり、アームストロングはツール・ド・フランスで優勝、4つめのタイトルを獲得した。このレース中に輸血を1回受けたと主張するランディスは、4万ドルのボーナスを獲得した。彼のパフォーマンスが評価され、チームは、20万ドル以上の年間報酬を2年間支払う契約をオファーした。

 2003年のシーズンは、ランディスを含む多くの米国の自転車競技者はスペインのジローナでアパートを借りた。ランディスによると、アームストロングのアパートのクローゼットの中には冷蔵庫があり、アームストロング自身、ランディス、そしてチームメイトのヒンカピーの血液が保存されていた。アームストロングがジローナを離れる時は、ランディスにアパートに残り、凍結寸前の摂氏2度前後に温度を保つよう頼んで行ったという。

 ヒンカピーはWSJの取材に対して、コメントを控えている。ランディスが血液の保存に関して記述した電子メールを送った後、ヒンカピーはスポークスマンを通じてドーピング疑惑を否定している。

 2003年のツール・ド・フランスは、USポスタルにとって厳しいものとなった。ランディスは、シーズンオフの事故で腰を痛め、前年ほどの力強さは無かった。アームストロングは主なライバルの独ヤン・ウルリヒとの間で何日も死闘を繰り広げ、やっと5回目の勝利を手にした。

 ランディスにとって、このレースがアームストロングとの友情そしてアームストロングへの敬愛の頂点だった。ランディスは言う。「アームストロングはファイターだった。本当に素晴らしい自転車レーサーだった」。

 ところが、ランディスがUSポスタルに入って丸3年になる2004年、彼は体力、体調においてアームストロングと肩を並べるようになり始めていた。彼は、チームがアームストロング中心に回っていることにフラストレーションを感じ始めた。

 ランディスによると、サン・レオナール・ド・ノブラ近くのホテルの一室で行われた輸血は、2004年の大会で行われた唯一の輸血ではなく、複数のチームメンバーが輸血を行った。2度目の輸血は、さらに不思議な場所で行われた。ある日のステージが終了した後、チームバスはアルプスの片田舎の道で止まった。運転手は、故障にみせかけてバスの後部を開放し、修理しているふりをし始めた。

 バスには長いベンチが両側にあり、選手2、3人ずつが横たわった。医者達が用意に取りかかり、血液バッグをバスの端に止めた。アームストロングはバスの床に横たわって輸血を受けていたという。ランディスによると、このプロセスは約1時間かかった。

 ランディスは、2004年のツール・ド・フランスの期間中、ほかのチームからの誘いが自分のところに舞い込み始めた、と述べた。スイスの補聴器メーカーがスポンサーのフォナック・サイクリングチームは、50万ドルの契約でアプローチしてきた。USポスタルは対案を出したが、ランディスは拒否、フォナックとの契約にサインした。

 2005年のシーズンには、ランディスは数多くの試練に直面した。シーズンオフに受けた腰の手術からの回復途中で、まだ本調子ではなかった。また、移籍先のチームであるフォナックにはドーピング・プログラムがなかった。

 独自のドーピング・プログラムを作ることは、コストも時間もかかることだった、とランディスは言う。大半の時間、彼は自転車の上ではなく、ドーピングのスケジュール管理と血液と薬物の運搬に取り組んでいた。ランディスは、ほかのチームの選手、たとえば同じ米国人のリーバイ・ライプハイマーと組んで、血液の運搬や管理を行ったと明らかにしている。ライプハイマーは現在、アームストロングのラジオ・シャックに所属しており、WSJがコメントを求めたものの、回答はなかった。

 ランディスは、輸血を受けるためにバレンシアでスペイン人の医師を雇い、2005年のツール・ド・フランスのさなか、0.5リットルの血液バッグを2回届けてもらうためにひとりの人間に1万ドル支払った。この人物は2回とも、ステージの最終で、服にサインを欲しがるファンのふりをした。ランディスはサインし、男は血液が入った、目立たない荷物をランディスに手渡した。ランディスはそれをジャージのポケットに入れた。ランディスは、自分で輸血したと述べている。

 ランディスは2005年の大会を9位でフィニッシュ。この時、7連覇を達成し、引退を発表したアームストロングよりも12分以上遅れた。

 2006年のシーズン前、ランディスはツール・ド・フランスで勝利する絶好の機会が来たと思った。その冬、彼はフォナックのオーナー、アンディ・リース氏と会い、大会に勝利するためにはUSポスタルで行ったような血液ドーピングをする必要があると話した。ランディスによると、リース氏はその計画に賛成し、資金を出すことに同意したという。

 しかし、ランディスがこの主張を電子メールに記したことを受け、リース氏は声明の中でこう述べている。「私も、チームのマネジメントも、フロイド・ランディスがドーピングを行っていたことを知らなかった」。リース氏は、ランディスからドーピングの計画を聞いたことはない、とした。リース氏のスポークスマンは、同氏がこれ以上のコメントを拒否したと述べている。

 ランディスは、リース氏の資金のおかげで、血液の輸送など後方支援に関わる人間を多く雇うことができた、と述べた。

 2006年7月13日、大会のステージ11を過ぎて、ランディスの合計タイムはどの競技者より早かった。

 数日後、ランディスは失速したものの、翌日、山中で集団を引き離し、総合優勝者としてパリでゴールした。しかし、ランディスの運命は暗転した。彼の奇跡的な山の走破後の尿テストで、テストステロンの値が異常に高かった、とのうわさが流れたのだ。

 ランディスは大会に向けたトレーニング中にテストストロンを使っていたことは認めた。しかし、彼はフォナック・チームの関係者に話した通り、レース中には使用していない、と述べた。翌日、チーム関係者は彼に記者会見を開き、レース中のテストステロン使用を否定するように勧めた。

 記者会見が終わって数分後、ランディスの元に1本の電話がかかってきた。アームストロングからだった。アームストロングのメッセージはシンプルだった。「運動機能向上薬を使用したかと聞かれたら、『絶対にない』と答え、それ以上話すな」。アームストロングは、弁護士を雇って口を閉ざすよう彼にアドバイスした。

 ランディスは葛藤に悩んだ。真実が分かれば、彼の友人やチームメイトの経歴を傷つけるだけでなく、自分の選手生命を終わらせるかもしれなかった。

 しかし、その一方で、ランディスはドーピングの検査システムに納得がいかなかった。彼は「とりわけ、この問題の大きさと、罰せられなかった人々のことを考えると、私が受けた罰則はフェアではないと感じた」と述べた。

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