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【安藤慶太が斬る】政治そのものが愚弄される社会にならないために (2/5ページ)
《夏に咲く花 夾竹桃
戦争終えた その日から母と子供の おもいをこめて
広島の 野にもえている
空に太陽が 輝くかぎり
告げよう世界に 原爆反対を》
まるでうたごえサークルのようなテイストの歌だ。曲の最後など政治スローガンそのものなのだ。でも当時の私は元気に歌い終わって、結構心地よい思いを味わっていた。これが「平和教育」の「賛美歌」みたいなものだとは当時わかるはずもなかった。広島に原爆が投下された8月6日、夏休みの出校日になっていて、体育館に生徒を集めたところで、先生から「さん、はい」という号令のもとで歌わされるのだ。午後は午後で毎年のように「はだしのゲン」の上映会も用意されていた。学校教育の至るところにそういう仕掛けがあったのだが、後で夾竹桃が毒性植物でもあることを知り、なるほどと思ったものである。
個々に見ると道を誤れば、厳しく諭してくれたし、真剣かつまじめな教師も多かった。だが、学校にここまで特定のイデオロギーが持ち込まれていいはずがない。
現実には、こうした教育が正常な姿だと今も漠然と受け止めている人が多いのも確かである。時間とともにそれは当たり前のものと見なされ、定着するからだ。教師自身がどこまでその怖さを自覚してやっていたかは定かではないが、奥にはイデオロギーに基づく明確な意図がある。そして、それは生徒からは見えない。これは立派な洗脳だと考えていい。
■イルカが日本人より大事
和歌山県太地(たいじ)町のイルカ漁を隠し撮りし、批判的に描いた米映画「ザ・コーヴ」の上映が全国6映画館で始まった。シーシェパードのプロパガンダのような作品と指摘されており、作品は描写の公正さや隠し撮りという手法など、さまざまな問題をはらんでいる。
米国人に時々思うことだが、どうして彼らはこう単純な正義の使者になれるのだろう。どうしてここまで押しつけがましくなれるのだろうか?まさかというかやっぱりというか、米国人はいまだに日本人よりイルカの方が大事だと真顔で考えているんじゃないだろうか。戦争中、硫黄島の戦いに臨んだ海兵隊員のヘルメットには「ネズミ駆除業者」と書いてあったそうだし、日本の占領政策にしても「日本人は何をしでかすかわからない」という思考のもとで行われたではないか。経済復興を果たせば、今度は「エコノミックアニマル」呼ばわりだ。今度はイルカかよという思いである。いつも私たちは動物以下に位置づけられる。この作品は2009年度のアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞など数々の賞を受けたそうだが「ふーん」という気分である。これって恐ろしいほどの差別意識が一貫して彼らに根ざしていることを裏付けた作品じゃないか。