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【安藤慶太が斬る】政治そのものが愚弄される社会にならないために (1/5ページ)
私は昭和40年、福岡に生まれ、浪人生活までをここで過ごした。福岡は当時、日教組の強い地域だった。最近では日教組に批判的なグループも強くなったらしいが、県立高校で毛沢東語録を教える教師が裁判沙汰(さた)になったり、国歌をJAZZかロックに編曲した音楽教師が現れたり、あるいは教職員組合が気に入らない校長の赴任初日に、校門にバリケードを築いて、入校阻止を企てたりと、今から思えばまあ話題には事欠かない地域だったといっていいだろう。
■珍事の連続
私が通った高校では勤務時間中なのに授業のない教師が数人集まって、平気でコートでテニスに興じていた。それをとがめられる場面も見たことがなかった。世界史の授業では朝鮮戦争は韓国側が先に不当な攻撃をしたと教えられた。米軍が参戦したときには北朝鮮軍は戦闘を止めて土着して仲良く暮らしていた…なんて話を真顔で聞かされたものである。
これも私の高校での話だ。トランプゲームで「大貧民」(地域によっては「大富豪」ともいうらしい)というゲームが放課後の生徒会室ではやったことがあった。何人かの生徒同士が遊んでいる場面を、巡回中の生徒指導主事の教師が目撃、「何をしているんだ!」となった。ところがこの教師が問題視したのはまず「大貧民」というネーミングだったのである。この名前が差別的だというわけである。
さらにこの教師はゲーム勝者の「大富豪」が次のラウンドに入る際、自分の一番弱いカードをゲーム敗者である「大貧民」に押しつけ、代わりに「大貧民」が持つ一番強いカードを受け取るルールが「差別を温存する構造」だと言い出した。「大貧民」はいつまでも「大貧民」から抜けられないゲームの構造になっている、そんなゲームに興じるのは差別を肯定することにほかならない、というわけである。差別に苦しんでいる人間がゲームを見たときに味わう苦しみは計り知れない、それがおまえたちわかっているのか!という論理で責め立てられたのである。生徒は「はいはいわかりました」とその場を撤収して収めたが「大貧民」というゲームは相変わらず残った。翌日から「大貧民」という名称が教師の氏名に変わっただけだったからである。
■平和教育の賛美歌
今から思えば何かが狂っている光景の連続だった。
小学校では一学期の終業式が近づくと「夾竹桃(きょうちくとう)のうた」をよく歌わされた。