高木マニア堂

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206:坂口親子とアキレス腱固めの奇妙な因縁

ノンセクション2010年07月02日 08:50 | フォルダ : 

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<2009年6月=東スポ・プロレス格闘技サイト「プロレスマニア堂」より>

 プロレスの試合では「総合格闘技的な~」記号として認識され、総合格闘技では「時代遅れ」となっていたアキレス腱固めが復権しつつある。

 まずは年頭の戦極初代ライト級王座決定戦で、北岡悟(パンクラスism)がアキレス腱固めで五味隆典に一本勝ち。5月26日の「DREAM9」ではミノワマンがボブ・サップを粉砕。6月7日のパンクラス・有明大会では北岡が、坂口征夫を見事なアキレス腱固めで下し、改めてこの技の凄さ、恐怖を証明した。

 試合後、右足を引きずった征夫は「入った…と思ったら、体を反転させることも、立ち上がって反撃することも出来なかった。物凄い締め付けと痛み
でしたよ」
と、その恐怖を語っている。

 アキレス腱固めは柔道以前の古流柔術にも存在したが、その技術体系を発展させたのは下肢関節技が認められる旧ソ連の国技・サンボだ。

 痛みと破壊力のワリに見映えが地味。瞬時に極まるため、観客席へのアピール度はイマイチ…。そのためにプロレスで使用されるのは敬遠され、道場内での〝裏技〟として命脈を保ってきた。

 サンボ特訓を取り入れた国際プロレスのリングで一時、流行の兆しを見せたが、本格的にアキレス腱固めを表舞台へと引っ張り出したのは藤原喜明、
佐山聡ら旧UWF勢
だった。

 藤原、佐山のアキレス腱固めは、動きや表情にも華があり、見映えもするためプロレス技に昇華。第1次UWF崩壊後、新日本プロレスへと出戻ったUWF勢の活躍とともに、アキレス腱固めもポピュラー路線に乗っかるハズだった。ところが、これを妨害したのが〝世界の荒鷲〟坂口征二だ。

 高田延彦や山崎一夫らが必死に仕掛けるアキレス腱固めを、坂口は表情一つ変えないまま、ごく自然に、そのままムクっと立ち上がってしまう。これではアキレス腱固めも台無しだ…。

 もしこの時、坂口がギブアップ、もしくは悶絶の表情でロープに逃げたりしていれば、アキレス腱固めの歴史も変わっていたことだろう。

 プロレスのリングでは「アキレス腱固めキラー」となった坂口だが、昭和38年に東京五輪に向けたサンボ偵察(当時のソ連柔道は、ほとんどがサンボ選手)のため、日本柔道界を代表して未知なる国・ソ連に遠征し、いち早くアキレス腱固めと接点を持っていたことは、あまり知られていない。ただ現地ではサンボ選手と柔道ルールのみで対戦したため、偵察するつもりが逆に偵察されて帰国したそうな。

 そして2009年。坂口の長男・征夫が〝斬られ役〟となり、アキレス腱固めが復権。坂口親子とアキレス腱固めには奇妙な因縁がある。

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