高木マニア堂

何となく思いついたこと、目についたことをツラツラと…。

210:プロレスラーにブログは必要か? 

スポーツ2010年07月06日 09:00 | フォルダ : 

関連キーワード :プロレスおバカ

<2009年6月=東スポ・プロレス格闘技サイト「プロレスマニア堂」より>

 プロレスラーは基本的に「とても表現したがる人たち」だ。

 限りなく裸に近い格好で、四方から視線に晒されつつ戦う特殊な職業。強靭な体力と精神力をもってプロレスラーとなった人たちだけに、表現欲が強いのも当然だ。

 ある者は試合後、マイクで相手を罵り、ファンへとメッセージを送る。またある者は、試合直後のタイツ姿で、自身の人生哲学や生き様を朗々と、そして延々と語り出す(半裸で人生哲学を語る姿はある意味、滑稽でもあり、不思議な光景でもある)。

 最近ではブログを積極的に利用し、自己表現の場とする選手も少なくない。多少のギャラが派生する場合もあるし、世間的に知名度の乏しい選手にとっては、自己アピールの場として活用することも出来る。

 だがプロレスラーのブログは、現在のところマイナスにしか作用していない印象を受ける。

 積極的にケータイで写真まで撮影し、日常の些細な出来事、今日のランチで何を食べたやら、パチンコでいくら勝っただの、非常にどーでもいい情報を垂れ流す。

 先日は選手本人のブログを発信源に、ドラゴンゲートの選手が、道場で飼っていたサルを虐待していたとの問題が浮上し大騒動に発展したばかり。

 ある種の幻想を抱かせてナンボのプロレスラーにとって、日常生活を切り売りするようなブログが本当に必要なんだろうか?「情報過多」はプロレスラーにとって致命傷に成りかねない。

 ファンの需要以上の情報を、選手本人が垂れ流しては安っぽくなるだけ。リング上の戦いに、世間の注目が集まりづらい昨今、自らの首を絞めているようにも見える。

 怒り、悲しみ、嫉妬、喜び、苦しみ、狂気…。あらゆる人間的な感情をパンチ一発、チョップの一撃に込めて戦うのが、表現者としてのプロレスラーではなかったか?

 プロレスラーに限らず、歌手でも画家でも小説家でも、あらゆる表現者に、それは当てはまる。

 どうもブログの普及以降、安易で安っぽく、小さな自己満足度だけが高い、しかも稚拙な表現法で、プロレスラーが本来持つ「表現欲」を無駄に発散させてしまっている気がしてならない。まるでセックスする前に、コッソリと自慰行為にふけり、すでに自分だけがスッキリ満足しちゃってるような印象だ。

 生き様や哲学を言葉で語る必要もない。レスラーたるもの、すべての感情をリングに凝縮させて欲しいものだ。

投票してね!東スポトピックスランキング

この記事をブックマークする Yahoo!ブックマークに登録 はてなブックマークに追加 Buzzurlにブックマーク livedoorクリップに投稿 newsingに投稿 Choixにブックマーク イザ!にブックマーク twitterでつぶやく

前の記事次の記事

プロフィル

ブログタイトル

高木圭介のプロフィル 昭和44(1969)年6月4日、神奈川県川崎市生まれ。かつてジャイアント馬場さんも暮らした新丸子の街
…続きを読む

 2010年07月 

S M T W T F S
    1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

フォルダ

最新エントリ

月別アーカイブ

面白キャラ満載!東スポ名物記者図鑑


ブログパーツならブログデコ!!

このページのトップへ