第十話 ハーヴェイ一座のロレント巡業
<ロレント市 遊撃士協会>
市長邸の強盗事件を解決した翌日、エステル達はロレントの遊撃士協会に顔をだした。
エステル、ヨシュアの他にシェラザード、リッジ、そしてロレントの街の警備を任されているアストン隊長が集まっていた。
「この霧で定期船が動かないから、カシウスさんは護衛の依頼をしながらゆっくりと帰ってくるそうよ」
アイナの言葉にエステルは残念そうな顔でつぶやく。
「ちぇっ、じゃあ食べ物系のお土産は全滅か」
「エステルはどんな時も食べ物優先だね」
「さすがレナさんの娘だわ」
ヨシュアとシェラザードはそう言ってため息をついた。
ロレント地方には明け方からとても濃い霧が発生し、定期船が運航できず、街の経済活動にダメージを与えていた。
「地元の俺でもこんな濃い霧が発生するのは見た事無いですよ」
生まれも育ちもロレントである遊撃士のリッジはそうつぶやいた。
「これは緊急事態です。我々も他の地方から応援を頼んで警備を強化したいと思うのですが、街道全部をカバーするのは無理がありまして……」
「ええ、危険な地域に行きたがる人も出てくるかもしれませんし、民間人の保護は我々が最優先で引き受けます」
アストンはシェラザードに礼を言いながらギルドを出て行った。
「あたし達は何をすればいいの?」
「エステル達はまだ他の地方に行く許可が下りていないから、護衛の依頼は無理ね。街周辺の見回りを頼むわ」
「らじゃ~」
「わかりました」
エステルとヨシュアは二人で街を中心に巡回する事になった。
ロレントの街には足止めを食った定期船の乗客や乗務員が居酒屋や雑貨屋などで時間を潰している姿がいろんなところで見られた。
「お酒を飲める大人の人はうちのお店でお酒を飲んで暇をつぶせるけど、子供連れの観光客とかかなり退屈しているみたいよ」
巡回の途中で立ち寄った居酒屋アーベントも、エリッサの言う通り暇を持て余した客で混み合っていた。
退屈そうにしている街の子ども達がいつ外に飛び出してしまわないか、エステル達は心配で仕方無かった。
エステルとヨシュアがロレントの街を歩いていると、鈴の音が聞こえてきた。
「ヨシュア、鈴の音聞こえてる?」
「うん、もしかしてこの音は……」
エステルとヨシュアはお互いに顔を見合わせてそう言うと、街の中心にある時計台へと駆けて行った。
すでに時計台の周りには人だかりができている。
時計台の上に人影が立っているのが見える。
それは多分、ヨシュアとエステルも知っている人物だった。
「あ、シェラ姉も来ていたの?」
「鈴の音を聞いたからね。さっそく始まったわよ」
ライトに照らされて、人影が踊り始める。
濃い霧に阻まれて、その人影はぼやけて見えてしまう。
「ルシオラ姉さんもこんな濃い霧の中、良く巡業をやる気になったわね」
「シルエットが踊るって言うのも、幻想的な感じがして新鮮なんじゃない?」
ルシオラはしばらくの間踊りつづけた後、時計台の上から飛び降りた!
見ていた観客達から悲鳴が上がる。
しかし、ルシオラは悠然と着地をして、何事もなかったかのように踊りつづけた。
観客達から拍手が上がり、たくさんのミラがおひねりとして投げられる。
「今年もロレントの街にハーヴェイ一座がやってきたよ、よろしく!」
「愛と感動を君達に!」
「どうかよろしくお願いします」
突然、何の前触れもなくルシオラの後ろに現れた三人。
ハーヴェイ一座の団員であるカンパネルラとブルブラン、ハーヴェイ団長だった。
エステルがルシオラに思いっきり手を振ると、気がついたルシオラは穏やかな笑みを浮かべて軽く手を振り返した。
「ねえ、後で一座のテントに遊びに行こうよ!」
「ダメだよエステル、今は緊急事態で忙しいんだから」
「そっか……仕方無いわね」
ハーヴェイ一座は今年もロレント郊外で巡業をやると宣伝をしながら、去って行った。
「でも、姉さん達の一座が来てくれて助かったわ。子供達が退屈せずに済みそうだもの」
「そうだねー」
シェラザードの言葉にエステルとヨシュアも同意した。
しかし、遊撃士ギルドに戻ったエステル達を待っていたのは、ギルドに依頼に来ていたルシオラだった。
「姉さん、どうしてこんなところに?」
「大変な事になってしまってのよ」
ルシオラから説明を聞いたシェラザード達の表情は硬いものになって行く。
ルシオラは幻術使いの他、魔獣使いとしての力も持っていて、ハーヴェイ一座の巡業には檻に入れた魔獣を何匹も飼っていた。
魔獣を使ったショーもハーヴェイ一座の見せ物だった。
しかし、ロレントに到着早々、街の子供がいたずらをして、魔獣達が檻から逃げてしまったらしい。
逃げた魔獣を探すにも、この濃い霧の中ではとても難しかった。
そこで遊撃士協会に助けを求めて依頼に来たと言うのだ。
「魔獣が逃げた事が市民達に知られると、パニックを引き起こしかねないから、内密にお願いね」
「うん、ハーヴェイ一座の評判が落ちるのもあたしも嫌だし」
アイナの要請にエステルは頷いた。
「逃げた魔獣は出来れば連れて帰って来て欲しいけど、暴れるようだったら多少力づくでも構わないわ。悲しい事だけどね……」
「中にはどう猛な魔獣も居ますからね」
「姉さん、逃げた魔獣の特徴を詳しく教えてくれる?」
逃げた魔獣の特徴をルシオラから聞いたシェラザードはリッジと組んで探索する事になった。
「いい? 人に慣れて居るとは言っても、この霧で混乱しているかもしれないから気をつけるのよ!」
そう忠告して出て行ったシェラザード達に続いてエステル達もギルドを出ようとしたが、アイナに呼び止められた。
「ちょっと、二階に行ってルックとパットに会ってくれないかしら?」
エステルとヨシュアが二階に行くと、ルックとパットが暗い顔で座っていた。
二人はエステル達に気が付くと、泣きながらしどろもどろに話し始めた。
「エステル姉ちゃん! ごめんなさい、僕達のせいで……」
「カシウスにごめんって……謝らないと!」
いきなり謝りだした二人に驚いたエステルは、二人をなだめながら何があったのか聞きとった。
「そう、二人が檻を開けちゃったんだ……」
「うん、鍵が側にあったから……」
「僕達のせいで誰かが怪我しちゃったりしたら……!」
また泣き出しそうになるルックとパットを安心させるため、エステルは手を握って話しかける。
「あたし達が魔獣を捕まえるから、大丈夫!」
「二人とも後は僕達に任せて、お家に帰りなよ」
エステルとヨシュアに説得された二人は、魔獣の事は誰にも話さないと約束して家に戻った。
「ハーヴェイ一座の巡業の日に間に合うように頑張らないとね」
「魔獣達が見つからなかったときは他のマジックで穴を埋めるつもりだけど……」
「任せといて!」
エステルはルシオラに元気いっぱいに言ってギルドを出て行った。
<ロレント市郊外 パーゼル農園>
エステル達が勢いよくギルドから飛び出した頃、ティオ達家族の居るパーゼル農園では事件が起きていた。
「お父さん、怖いよー」
「お母さん、怖い……」
家の建物の中、リビングでウィルとチェルが震えながらフランツとハンナに抱きついている。
時折り、魔獣の鳴き声のようなものが聞こえる。
「大丈夫だ、きっと魔獣は居なくなるからな」
「そうよ、もう少しの辛抱よ」
家の外では魔獣が畑を荒らし、牛達を驚かせている。
魔獣達はティオ達家族より作物に興味があるようだった。
家の中に逃げ込んだティオは窓からそっと畑の様子をうかがった。
「……私、エステル達のところに行って、助けを求めてくる!」
しびれを切らしたようにティオがそう言うと、フランツとハンナは止めに入った。
「魔獣達に襲われたらどうするんだい?」
「そうよ、危険な事は止めておくれよ」
「でも、このままじゃ畑の作物を全部魔獣に食べられちゃう! 牛達も傷ついちゃうかもしれないし」
ティオの言葉を聞いたフランツはそれでも首を横に振った。
「作物や牛は無くなってもまた新しく作ればいい。家族の命の方が大事だ」
「魔獣が作物を食べるのに夢中になっている今しかチャンスはないの! 逃げ足には自信があるから、私に行かせて!」
「……わかった、気をつけるんだぞ」
ティオの熱意にフランツが折れた。
ティオはゆっくりとドアを開け、魔獣達が食い荒らしている畑を避けて農園の出口へと向かう。
しかし、街道の方から魔獣がティオに向かって突っ込んで来た!
「きゃあああ!」
悲鳴を上げたティオの足元に一輪のバラが突き刺さる。
そして、マントをひるがえした男が突進する魔獣の前に立ちはだかった!
「こっちだ!」
ブルブランが挑発すると、イノシシのような魔獣はブルブランに向けて思いっきりタックルをかます。
しかし、ブルブランの姿は霧のようにかき消えた。
「はは、それは私の幻影だ! 本物はこっちだ!」
魔獣は新たに姿を見せたブルブランに向かって猛ダッシュをする。
だが、魔獣が体当たりしたのは大きな岩だった。
大きな衝撃音が辺りに響き、魔獣は気絶した。
「怪我はなかったかい、お嬢さん?」
「あ、あの……」
ブルブランはティオに手を差し伸べるが、ティオは固まってしまって動こうとしない。
「……命の危機に直面したのだ、無理もない」
「ティオ、大丈夫!?」
そこへティオの悲鳴を聞いて駆けつけたエステルとヨシュアが姿を現した。
「ええ、この変なおじさんが助けてくれたの」
ティオにそう言われたブルブランは思いっきりずっこけた。
「はは、君は各地で変態紳士とあだ名をつけられているからね」
「ひどいな、カンパネルラ君」
どこからともなく、カンパネルラも姿を現した。
「ルシオラ姉さんにフラれたからって、巡業の度に女の子を口説いて回っているからだよ」
「違う、私はルシオラ君と団長の二人を見て気がついたのだ! 愛さえあれば年齢が離れていても関係無いと!」
「だからってブルブランのおじさんがティオを口説くのは問題があるんじゃない?」
「おじさんとは失礼な、私はまだ30歳になったばかりだぞ?」
「3人とも、そんな事で言い争っている場合じゃないんだけど……」
見かねたヨシュアがカンパネルラとブルブランとエステルにため息混じりに声をかけた。
「この辺の魔獣は私とカンパネルラに任せたまえ。エステル君達は別の場所へ」
「わかったわ……けどブルブランさん、チェルに手を出しちゃダメよ。完全に犯罪だからね!」
「だから、私は変態では無いと……」
パーゼル農園の魔獣はカンパネルラとブルブランの二人に任せて、エステルとヨシュアはミストヴァルトの森へと向かった。
ミストヴァルトの森では、羊のような魔獣、ヒツジンが暴れまわっていた。
ヒツジン達は、エステル達に捕まらないようにミストヴァルトの森を縦横無尽に逃げ回る。
しかし、ミストヴァルトの森はエステルにとって庭のような場所。
ヒツジン達は次第にエステル達に追いつめられていった。
「ふっふっふ、覚悟しなさい!」
勝利を確信したエステルは捕獲用の縄を持ってヒツジンに詰め寄る。
するとヒツジン達は、体を寄せ集めて合体をしてしまった!
「これが噂に聞いたヒツジン阿修羅合体!?」
「なにそれ、ヨシュア?」
「エステル、相手はかなり強力な技を使ってくる。気をつけて」
ヨシュアの言葉通り、合体したヒツジン達は『必殺☆ヒツジン残虐拳』や『八艘飛びヒツジン蹴り』などの技を繰り出してエステル達を苦しめた。
「……油断は禁物だったね」
「し、死ぬかと思ったわ」
死に物狂いで勝利したエステル達の前には気絶している6体のヒツジン。
エステル達はクタクタになりながらも何とかヒツジンをハーヴェイ一座のテントに連れ戻し、シェラザードとリッジ達の活躍もあって、無事ハーヴェイ一座は予定通りの巡業を行う事が出来た。
「シェラザードは男性との出会いがあるらしいわよ?」
「姉さん、それって本当?」
「西の方角に行くのが吉みたいね」
巡業の後、遊びに来たシェラザードをルシオラはそう占った。
「じゃあ、次はあたしを占ってよ!」
「エステルにはタロット占いをしてあげましょうか」
ルシオラのタロット占いは良く当たると評判だった。
ルシオラはタロットカードをシャッフルし、エステルに一枚選ばせる。
「運命の輪の正位置……悪くないわね。何か幸運が舞い込むかもしれないわ」
「やったあ! ……ねえ、ヨシュアも占ってもらいなよ」
「えっ、でも僕は……」
エステルに強引に手を引かれて、ヨシュアはルシオラの前に座らされた。
ルシオラはタロットカードをシャッフルし、ヨシュアに一枚選ばせる。
「月の逆位置……不安の解消か。何か悩んでいる事が解決するかもしれないわね」
「……そうだといいんですけどね」
ヨシュアはルシオラの言葉に穏やかに微笑んだ。
「ヨシュアってば、何か悩んでいる事あるの? 恋愛の悩みなら相談に乗るからね!」
「それは一番無理だと思うけど……」
ヨシュアのエステルに対するツッコミに、一座のテントの中に居た全員が笑いだした。
<ロレント市 遊撃士協会>
ハーヴェイ一座の巡業で霧に閉ざされたロレントの人々の気持ちは晴れやかになったが、まだロレントを覆う霧は晴れてはいなかった。
リベール通信の号外によると、これは数十年に一度の大型の異常気象によるもので、一週間ほどで霧は晴れると言う。
ハーヴェイ一座のショーを見物し終わったエステル達はギルドで今回の事件の報告をしていた。
「まさか、ヒツジンが合体して襲ってくるとは思わなかったわ」
「見かけがかわいいからとだまされてはいけないと言ういい例ね」
エステルとシェラザードが話していると、デバイン教区長が難しい顔をしてギルドに入って来た。
「定期便はまだ動きませんか?」
「ええ、霧がひどくてまだ数日はかかるそうです」
アイナはデバイン教区長の質問に申し訳なさそうな様子でそう答えた。
「実は、ボースの教区長に頼まれていた新薬が完成したのですが……困りましたね」
「数日待てば、定期便も復旧すると思いますが……お急ぎですか?」
「ええ、どうやらボース地方の村で病気に苦しんでいる子が居ると言うので、なるべく早く届けたいのです」
デバイン教区長の言葉を聞いたシェラザードは考え込んだ末にアイナに提案した。
「その依頼、エステルとヨシュアにやらせてみてはどうかしら?」
「ええっ!?」
突然のシェラザードの言葉にエステルは驚いた顔になる。
「ハーヴェイ一座の件を解決して二人は十分に功績を立てたと思うし、そろそろ他の支部に送りだしてもいいんじゃないかと思って」
「それなら、ロレント支部の推薦状を書かないといけないわね」
シェラザードとアイナのやり取りを聞いてエステルは嬉しそうな表情に変わった。
「霧の中、二人が迷子になってしまっては行けないから、今回は私も同行するわ」
「えっ、シェラ姉までついて来る必要は……」
「もしかして、ルシオラさんの占いが原因ですか」
「そ、そんなわけないじゃない。カシウスさんもボース地方に行ったまま帰って来ないし、何かトラブルがあったのかと思ってね」
シェラザードにそう言われて、ヨシュアはポツリとつぶやいた。
「そういえば、父さんは何で帰って来ないのかな? 霧ぐらい気にしないで帰ってくると思うのに」
「きっと母さんに新しいお土産を頼まれて買いに行ってるんだわ」
「そんなバカな……」
「ああ、カシウスさんなら、レナさんに言われて、クロスベル国際空港名物のチーズロールケーキを買いに行ったみたいよ。期間限定なんですって」
「当たってる!?」
アイナの言葉を聞いてヨシュアは驚いた声を上げた。
「ふふん、母さんは腹ペコシスターだって、七耀教会では有名だったらしいから。父さんと結婚したのだって料理が上手いからだとか」
「食べ物につられたんだ……」
エステル達に訪れた出発の日。
辺りは濃い霧に覆われて、晴れやかな旅立ちとは言えなかったが、エステル、ヨシュア、シェラザードの三人は多くの街の人に見送られてロレントの街を発った。
「エステル、ヨシュア、無茶しないでねー!」
「旅先から手紙書いてねー!」
「エステルちゃん、寝る前にきちんと歯を磨くのよ!」
見送るエリッサ、ティオ、ステラの声がだんだんと遠くなって行く。
「住み慣れた街から出て行く感想はどう? 寂しい?」
「うん……でもそれ以上にワクワクする!」
「エステルはいつでも前向きだね」
三人はボース地方に向かうミルヒ街道をゆっくりと歩いて行った……。