冬が来た。
グランコクマは気候が穏やかで雪こそは降らないが風が肌を刺す季節。
ホドはどんな感じだったかなと思っても5歳の頃の記憶ではもう曖昧にしか思い出せない。
自分はイフリートデーカン生まれだが冬はそれ程嫌いではない。
寒さは気を引締めるには丁度いいし、深呼吸すると冷たい空気で目が覚める。
まだ真冬と言う程ではなく冬に成り立てと言ったぐらいだがそれでも早朝の空気はガイの目を覚すには充分だった。
ガイはもう一度深く呼吸をすると庭先から屋敷の中に戻り出掛ける準備を始めた。
「あの子がおかしいのは毎度の事だと思いますがねぇ。」
出掛けた先の譜業仲間の家、正しくは皇帝陛下からあてがわれた職場兼住宅でガイはそこの現主であるディスト…本当はサフィールという男から出された紅茶を飲みながらぼんやりとその言葉を聞いていた。
あの子、と言うのは言う間でもなくガイが保護しているシンクの事だ。
保護と言えば聞こえは良いが実際はそんな紙切れ一枚で繋がれているような薄っぺらい関係ではない。
これまた聞こえの良い言葉ではあるが、恋人…と言ったところだろう。
そのシンクが最近になって様子が可笑しい。自分よりも付き合いが長く、レプリカに関しての問題ならば…とこうしてディストに相談に来たのだ。
「しかし、こんな事以前は無かったんだ。」
「平和な世界に胡座をかいてるんじゃないですか?」
「それにしても今更、だぜ?」
自分の家に来てからもうかなり時間が経つ、シンクはその間ガイよりも早く起床する事の方が常でガイが目覚めた時にはすでに朝食を山のように食べている最中、なんて事がしょっちゅうだった。
だが最近シンクは昼近くにならないと起きて来ない。寝室、否ベッドから出ようともしない。
あの食い意地の張ったシンクが朝食の時間になっても起きてこないとなるとメイドを巻き込んで大騒ぎにもなる。
一度治癒師に見せようとも思ったがシンク曰く別に病気じゃないから心配するな、との事だった。
しかしもう数日そんな事が続いていれば心配になり治癒師を嫌がるシンクの我が侭に付きあいこうしてディストの元に来たのだ。
「私の知っている限りでは…あの子がそんな風になるなんて想像も出来ませんよ。」
ディストがあの子と言うと妙に愛を感じるなぁとガイはぼんやり思いつつ、しかしそんな事を口に出しでもすえればヘソを曲げてしまいそうだから言わない。
とりあえず今は専門家の知識が必要だと黙ってその言葉を聞くことにする。
「六神将参謀の時はいつ寝てるんだっていうぐらいでしたからねぇ。」
「やっぱり…治癒師を呼んだ方がいいか…。」
「今となっては治癒師の効果にどれ程期待出来るか解りませんがね。」
確かに第七音素が減少している今となっては原因不明のシンクの調子を治せるかなんて解らない。
「食欲はあるみたいなんだが………どっか無口だしなぁ…。」
「…無口?」
「あぁ、前からおしゃべりな奴ではないが…な〜んか…無口っつーか…」
家に来た直後にくらべ最近では笑うようになったりとか楽しそうだったりとかしていた分こうも元気がないと心配ついでに寂しくもある。
老人であるペールと同じぐらいの時間に起き庭の菜園の手入れをしていたあのシンクが懐しい。
そんなつい最近の過去に陶酔しているガイはディストの変化を見逃した。
何やら口元に手を添え眉間に皺を寄せると何かを思いだそうとしている。
「無口……そう言えば………」
ようやく記憶の紐の先に辿り着きボソリと呟いた言葉で、ようやくガイは現実へと戻り視線をディストへと向けた。
「あくまで仮定…しかもあまり信憑性はないのですが………」
翌日午前7:00。
今日も胸を潤すような冷たい空気を吸い込みガイは気を引締めた。
早朝と言うわけではない、けれどやはり今日もシンクは自分の部屋から出てこない。
昔ならもうとっくに起きてたのになぁとガイは眉を下げながらシンクの部屋のドアをノックした。
「…は〜…い。」
返事があると言う事は起きてるんだろう。
「シーンクー。」
ガイは極力明るい声で名前を呼びながら部屋の扉を開けた。シンクの姿はない。
と、言うよりは毛布に包まっているせいで見えない。
「シンク、朝だぞ。起きろよ。」
「ん〜……もうちょっとこうしてる。」
「菜園の手入れはいいのか?」
「起きたらやるよ。」
「天気もいいし、出掛けないか?」
「………昼ご飯の後ね。」
自分の言葉に対してちゃんとした口調で返答が返ってくるのだから心配はいらないのかも知れない。
けれどシンクは会話している間中顔を出すことはなく二人の会話は布団越しのものだった。
「…………調子、悪いのか?」
「悪くない。」
「じゃぁ起きろよ。」
「ぎゃぁぁぁ!!」
とりあえず体調の確認をし、問題ないと判断してからガイは無理矢理シンクが包まっている毛布をはぎ取った。
すると予想もしなかった絶叫が室内に響く。
あまりの事に思わずガイが奪った毛布から手を離すとそれは一瞬でシンクに奪い返されてしまった。
「何するのさ!ボクを殺す気!!?」
大袈裟な非難、ガイはそう思ったがそれを口にすることは出来なかった。
再び毛布に包まって何やら満足そうな息を吐いているフトンムシをただ呆然と眺めるしかない。
どこかでこんな事があった気がする。
いや、確実にあった。バチカルで、ルークの部屋で、その日も確か今ぐらいの時期だった。
間違いない、ガイの頭の中に昨日言われたディストの言葉が蘇る。
「単に、寒いだけじゃないですか?」
間違いない、ガイは再び改めて確信した。
これは子供が良くやるなんちゃって冬眠だ。
ルークをベッドから引きずり出すのに苦労した記憶が昨日の事のように思い出される。
なんて事だ、まさかシンクがそうなるなんて。
ガイは頭を抱え大きな溜息をついた。
それから二日程経った日の事。
相変わらずシンクは太陽がそこそこの位置まで高くならないと起きて来ない。
ディストに報告したところ「ダアトは活火山のお陰で寒さとは無縁でしたから」等と言う毒にも薬にもならないお言葉を頂いた。
だからってまだ冬になり始めのこの時期にこれではこの先どうなるんだ。一日中ベッドの中で過ごす気か?
シンクを幸せにすると言う誓いをたて、その為ならどんな苦労だってしてやろうと思った。
それは今でも変わらない。だがこんな事で幸せを感じてもらっては困る。
確かに寒い朝に柔らかい毛布の温もりは幸せ以外のなんでもないが、それとこれとは話しが別だ。
ガイはシンクを腑抜けにする為に引き取ったわけではない。
ましてやフトンムシにして飼うつもりもない。
そんなわけでガイにしては珍しく心を鬼にしてシンクをベッドから引きずり出す事を心に硬く決めた。
「シンク、起きろ。」
「嫌だ。」
二日前に布団をはぎ取ってからはシンクの警戒が強まってしまった。頑なにベッドから出ようとはしない。
二日間こうして攻防戦を繰り広げたが今一つガイが強く出れずにいつもシンクの勝ち戦だ。
「ずっとそうしてるつもりか?」
「昼前にはいつも起きてるじゃない。」
「普通は朝起きるもんなんだ。」
「ボク普通じゃないし。」
ああ言えばこう言う。これだから頭のいい子供は厄介なんだ。ガイは深く溜息をつく。
「シンク、いいものあるから起きろ。」
「いいもの…?」
一瞬シンクがガイの言葉に反応して毛布から僅かに顔を覗かせるがまたすぐに潜ってしまう。毛布よりもいいものがあるはず無いとでも思っているのだろう。
これだから物の見方が狭い奴は手に負えない。けれどここで引き下がったら先程たてた決意が無駄になってしまう。
「………起きないんだな。」
「…後で起きる。」
「わかった、じゃぁもうキスしてやらないからな。」
「!」
強迫と言いたければ言えばいい。こんな子供に情けないとも思うが、思いの他シンクが大袈裟に反応したのでちょっぴりいい気分になってしまう。
シンクは頭一つを毛布から完全に出しながら不満げにガイを睨み上げる。
「それとこれとは関係ないよ!」
「ちゃんと起きて来ない悪い子にはキスしてやらない。抱っこもエッチも無しだ。」
「う……卑怯だ!」
「何とでも言え。」
未だ毛布に包まって不満だけを喚いているシンクに向かって態とらしく舌をベっと出してやった。
子供には子供っぽい仕種が有効、シンクはそんなガイの態度に機嫌を損ねたのか顔を背けてしまう。
「じゃぁな、適当に起きてこい。」
押して駄目なら退いてみろとは良く言ったものだ。
ガイはシンクに背を向けると部屋を出る為に足を進める。
すると一歩足を踏みだした瞬間、背中に何かがぶつかる感触がし足を止めた。
肩越しに振り返って見ればパジャマ姿のままガイの腰に抱きついているシンクの姿が。
見捨てられる方が怖いのだろう。
すっかり空気の冷たさなど気にもならないように強くしがみついてくる。小さく震えているのは寒さからではないだろう。
ガイはそんな姿を可愛いと思いつつ口元を緩め頭を撫でてやれば恐る恐るシンクの顔が上げられ不安げな視線を送られる。
「ゴメン、冗談だよ。」
「………ガイ…。」
「そんな顔しなさんなって。お前にキス出来ないと俺も寂しいからな。」
素直じゃない子供の精一杯の歩み寄り、卑怯な大人だと自分を責めながらもガイはシンクを抱き上げ頬に口付けた。
「じゃ、いいもの見せてやる。」
「いいものって…なんなのさ。」
「見てからのお楽しみだ。」
そう言ってガイはシンクを抱いたまま部屋を出る。
向かう先は日当たりのいいリビング、シンクが大喜びするだろうという確信を胸にガイは小さく笑った。
「何、これ。」
パジャマ一枚で部屋を連れ出されたシンクはようやく寒いという感覚を思い出したのか不機嫌そうな声で短くそう言った。
それもそのはず、目の前には見たこともない小さなテーブルがある。
いっそテーブルと呼んでいいものかすら迷う程小さな、椅子など必要とせず床に直に座らないと使用できない程の高さだ。
しかもなぜかテーブルと布団が合体している。
「いいだろ、ディストに頼んで作ってもらったんだ。」
ディストの名前が出ると言う事は恐らく譜業なのだろう、しかしどうみてもただのテーブルだ。
「ホドでは結構メジャーだったんだけど、グランコクマじゃ珍しいみたいだな。」
「グランコクマって言うか…ボクこんなの見たこともないんだけど。」
奇妙な物体を訝しげな眼差しで睨みながらシンクが言う、このまま部屋に戻ってベッドに潜り込んでしまいそうな気配で。
「まぁまぁ、試しに入ってみろよ。絶対喜ぶから。」
「………………。」
先程ガイに強迫された為かシンクはしぶしぶではあるが大人しくガイの言葉に従いテーブルの中に足を入れる。
クッションのお陰で尻から冷える事は無いにせよ、足が布団に触れていないせいで寒い。
しかも布団に触れている場所だって入りたてでは温かいとも感じられずむしろ冷たい。
こんなもので喜ぶはずがない、そう思ってはいるがガイの嬉しそうな表情を見ているとそれも言えずシンクは黙って肩まで布団をずりあげる。
シンクがすっかり準備を終えたのを見るとガイはワクワクした子供のような表情でシンクとは反対側に入る。
「じゃぁいくぞ〜!」
何がそんなに楽しいのか、譜業に大して興味のないシンクにとってガイのこの浮かれようは理解出来ない所ではあるが黙ってこれから起こる事を待つ。
むしろ寒くて口を開く気にもなれない。
カチっと何かのスイッチが入る音がした。
けれど別に何も変化は起こらない。ディストの作った物であれば多少なり不安があったが何も起こらない。
ホっとしたのと同時に怒りも込上げる。
「……何も起こらないんだけど?」
「もうちょっと待てって。」
「これならベッドの中に居た方がマシじゃない。こんな布団と机を合体させたちょっと便利な生活の知恵〜みたいなも…の……?」
寒さのせいか怒りのせいか早口で苛立ちを隠そうともせず口にするシンクだったが段々とその勢いが衰えその表情からも怒りが失せ始める。
それどころか驚愕に目を見開き眉が下がりしまいにはうっとりした表情にすらなった。
「な?イイだろ。炬燵って言うんだ。」
「……………っ…〜〜〜!」
シンクに最早言葉はない。足元から温かさが伝わりいつしか冷たかった布団部分も温かく、今では全身を温かさが包んでいる。
そんな悦りまくっているシンクの姿にガイは満足そうに微笑んだ。
「で、無事解決したよ。アドバイスありがとな。」
「………はぁ。」
「やっぱり寒かっただけみたいだ。…でもさすがだな、シンクの事理解してる。」
「理解と言うか、以前ロニール雪山で任務が一緒になった時があったんですがその時のあの子は憎まれ口も叩かずに静かにしていたものですからもしやと思いまして。」
「でも特徴を言っただけであの譜業も作っちまうんだ、やっぱりあんた天才だ!」
後日今回の功労者であるディストにガイは事の次第を報告していた。
天才と言う言葉に思わず有頂天になってしまいそうになるディストだがそれよりもまず気になることがあり
なんとか空に昇りそうな気分を抑えガイへ問掛けの言葉を発する。
「で…その後シンクはどうしてるんですか?」
「ん?それがさー……」
嫌な予想とは大体当たるものなのだ、ディストは常日頃から痛感してることを再度痛感した。
「結局背中が寒いって言ったから座椅子を作ってやって…狭いって言うから家の床も改造して掘り炬燵にしたんだ。」
「……甘すぎます。で?」
「そしたら…今度は炬燵から出て来なくなった。」
「…………………。」
すでにシンクの要求通りに甘やかしまくっている発言をしたガイを殴ってやりたい心境だったディストは案の定とも言える答えにとうとう紅茶が乗ったままのテーブルを引っ繰り返した。
無残に床で砕け散るカップとまき散らされる紅茶、そして過保護な男への苛立ちと甘えっぱなしの子供への嫉妬に歪んだディストと何も分っていないガイ。
妙な友情を結んでいる二人の間に流れる空気はやはり妙なものであった。
「ガイ、ミカン剥いて。」
「それぐらい自分でやれよ。」
「やだ、手を出すと寒い。」
「しょうがない奴だな〜……」
窓から見える庭は寒々しいものであったが部屋の中は温かい。
こうして二人で炬燵に入っていると余計に温かい気がする。
たまに炬燵の掘り部分に入りきってしまっているシンクを踏んでしまったり、出て来ないシンクを引っ張り出す苦労はあるものの
こうして目の前で気持ち良さそうに机に顎を乗せて目を閉じているシンクを見ているとそんな苦労だって楽しいと思う。
「シンク、幸せか?」
剥き終ったミカンを一房差し出しながらガイが微笑みながら問う。
シンクは目を開けまるで雛鳥のように口を開けミカンを直接口で受取るともぐもぐと咀嚼しながらはっきりと頷いた。
幸せじゃないか、こんなにも。
ガイは未だにディストが何故怒ったのか分らなかった。
END