転生したら、異世界で地方領主の息子に生まれ変わっていた。
これはきっと、大雨の日に国道で車に轢かれそうなっていた子猫を庇ってドブ川に落ちて、そのまま海に流されて死んだ僕に対する、全知全能の神さまか、あるいは慈悲深い仏さまからのちょっとした粋な計らいに違いない。
(前に学校で読んだ芥川龍之介先生の小説にそんな話があった気がする……)
あれは確か『覆面をした勇者の親父のパンツ男がクモを助けてキングギドラもどきに殺されたけど、お釈迦様が慈悲を与えて逆バンジーで助けようとする。でも、パンツは途中で亡者が群がってきたから頭にきて「私の足をお舐め!」といって蹴りを入れてしまったから、お釈迦様が怒ってロープが切れて残念無念』っていう話だった。
(フィクションと思っていたけど……流石は現代に賞として名前が残る人が考えた作品だ、あれは本当だったんだ!)
僕は思わずガッツポーズした。まだ生まれて半年の赤ん坊なので、あまり派手には動けなかったが、この世知辛い世の中でも善いことをすれば良いことが返ってくるというのが『都市伝説』ではなかったことが分かって、本当に嬉しかった。
パンツ男は結局地獄に堕ちたじゃないか、と言う人もいるかもしれないが、それは少し変化した自業自得である。
あと、もし間違っていたら芥川先生、ごめんなさい。
さて、それはとにかく今の状況について少し整理しよう。
僕が生まれたのは〈ハイランド帝国〉という国にある〈カルヴァート家〉に連なる〈アスカム家〉という地方領主の家だ。
爵位は子爵。領地は帝都から見て東にある、山に囲まれた盆地とその周辺の山々だ。海には面していないけど川がある。
主な産業は林業と農業と、あと山から銅が取れるので、それを収入にしている。
これは良くも悪くも、地方の一般的な貴族の平均だった。
本家の〈カルヴァート家〉の方は帝国で宰相をしている大公爵なのだが、我がアスカム家は五代前だか六代くらい前の本家の当主が側室につくらせた子どもの子孫であるため、これくらいの地位が妥当らしい。
こんな話を『おーよちよち、ハロルドちゃんは夜泣きしない良い子でちゅねー』などと赤ちゃん言葉に混ぜながら平然と話す両親を見ていると、これから先、僕は貴族としてちゃんとやっていけるのかどうか不安になる。
こうした日常の中に潜むネタバレが、いつか致命的な機密を暴露しそうな気がしてならないのだ。
(将来、大人になって領地の経営に携わることになっても、この人達には機密情報を語らない方が良いかも……)
生後半年で早速、親を欺く方法を考えなくてはいけないこの状況に、僕は何だかもう、胃に穴が開きそうだった。
頭の毛も、生える前なのに禿げそうな勢いである。
だけど、僕がこうしてまた生まれ変わることが出来たのはこの人達がいたおかげだから、何とかして恩返しがしたい。
そのために何をすれば良いのか、今はまだ分からないけれど、とにかく今は危険な目には遭わせたくなかった。
「しかし、ハロルドは本当に手の掛からない良い子だなあ……よし!」
「あなた? どうしましたの?」
「せっかくだから、私はハロルドに妹か弟をつくるぜ!」
父上、自重してください。母上、なぜ、少しうれしそうなのですか、止めてください。
僕は声を大にして言いたかったが「あうー」とか「だー」と言った、声にならないものしか口から出なかった。
そんな僕を見て両親は「ハロルドも喜んでいる。よーし、私は頑張るぞ!」「まあ、あなたったら……ぽ」などと言う。
我が家の行く末が不安になる、そんな人生の一コマであった。
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それから十年たった。でも、とりたてて何か特殊なイベントは発生しなかった。
帝都にある貴族学校に入学したが(人質としての意味もあったようだ)そこで例えば『帝国のお姫様と知り合いになる!』とか『ツンデレ女騎士に惚れられる!』などというフラグは立たなかった。
僕は悔しくて悲しくて、部屋の壁をパンチしたり、ベッドの上で転げ回ったりした。普通、こうした状況に置かれた人物は何かしらの補正なり能力なりがあるはずなのに、僕にはそうした特別な力が、全くないのだ。
外見もそうだ。普通、貴族と言ったら金髪碧眼のはずなのに、なぜか僕は黒髪に黒目。
銀髪オッドアイのエルフだって、それなりにいるこの世界で、これはあまりに無個性すぎる。
魔術もそうだ。魔術があったこと自体、地球で生きていた僕にとっては驚愕することだったが、この世界において魔術はいわゆる地球における科学なので、その力の大小に驚くことはあっても、その存在そのものに驚く人は僕くらいだ。
こうした事実から僕は『もしかして僕は主人公じゃない? 特別な人間じゃないのか?』と思うようになった。
それから数ヶ月たった時、僕の疑惑を決定的にした出来事があった。
それは僕が十三歳の夏に行われた魔術師としての免許を得る試験において、自分で考えた
『まず、物質をマイナス二百度まで冷やし、そのあと三秒以内に三千度に加熱して、そして最後に正拳突きで撃破する』
という魔法が、評議会の方々に
『魔術でそんなことをしたら、実戦では即死する!』
と言われ、散々批判されたことだ。
何も知らない学生が僕を批判するのは仕方がない。でも、その道の一任者である人達に『お前はダメだ』と言われたら、それはやはり、素直に認めるしかない。
ショックだった。でも、よく考えてみれば、それも当然だろう。僕は地球で死んで、この世界に転生をした。
前世の記憶をもって生まれ変われたのは凄いことだが、でも、僕にあるアドバンテージはそれだけだ。
(死は誰にでも訪れる平等なもの。僕はそれが少し特殊だっただけなんだ……)
事実を認めるには勇気がいった。でも、地球の現代知識を総動員しても中々上がらない学校の成績や、上手くいかない人間関係、そしてかつての経験もあるのに同じミスを何度も繰り返してしまうことが、僕に現実を認めさせた。
僕は普通の人なのだ。でも、それは別に悪い意味じゃない。特別でなくても頑張って生きている人はいるし、尊敬されている人もいる。ようは、自分の分際というものと能力の及ぶ範囲をしっかりと理解することが大事なのだ。
自分の程度を知った僕は、その時から無駄な努力を止めた。
それは具体的にいうと『朝、曲がり角でパンを加えて走ってくる転校生を待つ』とか『屋上の給水塔の上で寂しそうにしている上級生のパンチラをうっかり見るかもしれないから、どんなに寒くても食事は屋上で』とか『放課後、もしかしたら美人校医に呼び出されるかもしれないから、最後まで教室に残る』といった行動を止めることにしたのだ。
他にも、魔術の訓練中に『やたらと威力が高くて詠唱時間の長い冷凍系の魔法』を使うのを止めて、見た目は地味でも効果最優先、もしくは即効性のある魔術を使うようにした。
僕は自分に出来る範囲で出来ることを精一杯頑張ろうと決めた。
世の中にはただ単に『相手の頭を撫でただけで、どんな美少女も惚れさせてしまう人』がいたり、あるいは『少し微笑んだだけで、さっきまで敵だった人と仲良くなれる人』がいるらしい。
僕にはそんなこと、とても無理だ。
だけど、時間を掛けてじっくり話し合えば、生きている内に親友の一人くらいは作れるかもしれない。
大事なのは手間暇を惜しまないこと。それが結局、何かをする上では一番の近道になる。
僕は地球にいたときは『そんなの凡人の理屈だよ』とバカにしていたことが、実は真実であること知った。
いや、違うか。僕は自分が凡人であることを知ったのだ。ようやくそれを認めることが出来たのだ。
「これからは身の丈にあった考え方と、行動をしよう」
僕が帝都の学校にある寄宿舎の一室でそんな決意をした、その時だった。
「大変です! アスカム様、至急、ご領地へお戻りください!」
「どうした。何があった?」
「子爵さまと奥方様が、身罷りました!」
バカな! 僕は驚愕した。僕の両親はずいぶん若いときに結婚したので、実はまだギリギリ二十代だ。
それがどうして? いくら何でも若すぎる! 僕が地球で死んだときよりは年上だが、それでも早い。
戦争に参加したわけでもなければ、疫病などが流行っているという話も聞かないし、暗殺者などに狙われることだって、あんな辺境領地を手に入れたいと願う者は、数える方が難しいくらいだ。
一体どうして? 僕ははやる気持ちを抑えながら、使用人を問い質した。
「理由を聞いていいか? なぜだ?」
震えているのは自分の声だけじゃない、使用人の方も震えていた。
伝言を僕に伝えに来たにしては、そのおびえ方が尋常ではない。
彼は何か事情に関わりがあるのか?
「じ、実は――」
「実は?」
「実は、子爵さまが亡くなられたのは、私の家でつくられていたキノコを食べたからなのです!」
「……はい?」
使用人が語るには、どうも先日、アスカム家の領地で大規模な収穫祭があって、その時に出されたキノコのシチューを食べたことが、僕の両親の命を奪ったらしい。
「待った。それなら僕の両親以外にも沢山の死者が出ているのか?」
集団での食中毒。たまに学校などで起きるので、僕はそのことを心配した。
「いえ、それはありません。その、何というか……キノコにあたったのは子爵さまだけなのです」
「どういうことだ? まさか暗殺か?」
「違います。私どもはお止めしたのですが……その、本当に何度もお止めしたのですが、子爵さまは祭りで振る舞われていたお酒を大量に飲んでおられたのでしょう、私どもが殺虫用に保管していたキノコを見つけるなり、いきなり
『こんなにカラフルなキノコが毒キノコのわけがない!』
などと言われまして、酔った勢いで毒キノコを召し上がりになって、その結果……申し訳ございません!」
ひたすら申し訳なさそうに頭を下げる使用人を見て、僕は怒りよりも悲しみを感じていた。
父上、自重できませんでしたか。母上、冥福を祈ります。
何の恩返しも出来ませんでした。バカな息子をお許しください。
まだ、親が亡くなったという実感の持てない僕は、こうして心の中で祈るだけで精一杯だった。
(でも、これからどうする? 理由はどうあれ きっと大変なことになるぞ……)
その予感は的中した。
僕は学校での単位もそこそこに、領地の経営に乗り出すこととなったのである。
だが、僕はこの時、まだ知らなかった。
これが僕がずっと求めていた『フラグ』というやつであることを。
そして、その結果、自分の人生に激動の波が押し寄せてくることを、このときの僕は、まだ知らなかったのである。