堕ちます……あなたと。1

 堕ちて下さい
 
 
 地獄なんて所は、三途の川をいちいち渡らなくても、すぐに行ける。

 欲しい物に手を伸ばしたら、バランスを失い

 一歩足を踏み外して

 ほら

 真っ逆さま。





 カビ臭い暗闇の中で、ブラインドからの下向きの光だけが、床にオレンジ色の縞模様を描く。
 スチール棚がギシギシと小刻みにきしんでいる。

「ねえ……もっ……しんど、い……」
 棚の縁をつかんでいる掌に、スチールの板がくい込んで来る。
 痺れる指先。
 スチールに頭を付け、振動と共に痛みを伴う両手を少し緩めた。
「そうか? 良さそうだけど」
 背中からする余裕の声に答える様に、フラットな断面を額に擦り付けて、首を振る。 

 もう七月に入ろうというのに、会社から存在を忘れられた小さな資料室はヒンヤリとしている。
 昔は休憩室として使っていたであろう狭い室内に、スチール棚が墓石の様に並ぶ。
 部屋全体が喪に服している。
 口から吐かれる熱風のせいで、年度数別に分けられた古いファイルから白い塵が舞い上がる。
 埃臭い。
 雨が降り始めた時の臭いがする。

 項(うなじ)に吐息を感じた。
「香水臭えな。また昨日の夜も遊んでたのか」
 耳のすぐ後ろで、低重音が響く。
 静まり返った資料室の中で、場違いに上気する身体から昨日の情事の残り香が染み出している。
「関係ないだろ……」
 誰のせいで毎晩遊び歩いていると思ってんだ。
「なんだ、俺だけじゃそんなに満足できないか? 結構忙しい中、こうやって時間割いてんだけどな――」
「うるせ、えよ。人助けみたいに、言ってんじゃねえ。部下脅迫して、身体弄んで、何が楽しいんだよ」
 足に力が入らない。
 視界に映る、肩幅に開いた自分の革靴と、膝まで下げられたスーツのズボンと下着。
 出来れば横目に見える傾いたソファーに今すぐ身を埋めたい。
 後ろで冷笑が揺れる。
「そりゃひどい言われ様だな。金取られるより身体の方がいいって言ったのはお前だろ?」
 確かに言った。
 あの時、何故そんな事を言ったのか。
 シュンの好きな奴と寝る事しか考えてなかった。
 あいつの辛そうな歪んだ顔を拝む事しか頭になかった。
 そんなくだらないことに夢中になって
 俺は足を踏み外したんだ。
 
「それに最初に俺を誘ったのもお前だ。ハヤト」
 抑揚の無い声と同時に脇腹から回りこんできた大きな手が、ネクタイを緩めにかかる。
 驚くほど手際よくYシャツのボタンを外され、力任せにジャケットごと引き剥がされ、肩を露出させられる。
 よどんだ空気にさらされた敏感な肩に、煙草臭い犬歯が突き刺さる。
「んっ……あぁ……」
「声、我慢しろよ」
 楽しそうな声を合図にして、繋がりを強めるように肩にあった掌に力がこめられた。
 視界が激しく上下に加速し始める。

 ガンガンと脈打つスチール棚。
 その振動で僅かに跳ねるクリアファイルの列。
 声を逃がすように乾いた息を吐き出す。
 発熱する二つの身体。
 小さな水音。

 声と快感を溜め込んだ身体が熱く重たい。
 鼻先から汗が、歯を食いしばった口元から涎が滴り、粘度の違う水滴が、違う加速度をつけて床に落ちる。
「ぁっ……あっ……んん……」
 唇の左下に開いた二つのピアスホールを隠す、透明の樹脂ピアス。その隙間から自分抑えている感情と声が、一緒に漏れそうになる。

 やばい。
 本当に堕ちそうだ。
 こんな奴に。
 こんな身体に。
  
 あの日、どうして目覚めたんだ。
 あの日、出会わなければ。

 後ろから揺さ振られる、濡れた身体。
 金属が擦れる鈍いリズム音。
 正体不明の粘液が太腿を伝う。
 漏れ出るテノール。
 荒い息音。
 ガクガクと痙攣しそうな膝から、ベルトの重みで、ズボンが少しずつ靴の上にずれ落ちる。
 汗でぬめった指先に力を入れて、必死でスチールの薄い棚にしがみつく。

 そうやって今日も、勤務時間終了後の資料室に熱放射して、乾いた空気を湿らす。
 今週に入ってから三度目の時間外勤務。
 床に射していたオレンジ色の光が、部屋の闇に同調していく。
  

 廊下から聞こえる声で目が覚めた。
 すりガラスの向こうに人影が動く。
 廊下で誰かと携帯で話しているらしい男の声は、どうやら先程自分の背中でしていた声と同じらしい。
『あぁ? おい、アツキ。お前、いくつになった?』
 ぼんやりと差し込む廊下からの光で、いつのまにかずっと恋しかったボロボロのソファーに横たわっていると気付いた。
 服も適当にだが、着せられている。
 自分のスーツの上から、もう一枚大きなジャケットをかぶせられていた。
『そうだよな? 俺の五つ下だから二十七であってるよな。んで、脳ミソ腐って教師になった。あってるな? うるせえ、「はい」か「いいえ」だ。……おぅ、じゃあ何で堅気になってからの方が揉め事が起こるんだ』
 かぶさられたジャケットの持ち主が、廊下でえらくご立腹だ。
 仕事に対しても他人に対しても、変に厳しい。
『そりゃ岡田組潰しかけたガキと同じガキか? ああ? 隣のクラス? いや、もういい喋るな。詳しく聞きたくねえ、馬鹿がうつる。てめえは一回死んでちょっとはまともな……あっ。畜生……。』
 今何だかやばい会話が聞こえた気がする。
 裏でヤクザと繋がっているという噂が一瞬頭を過ぎった。
 途中で一方的に切られた携帯を片手に、舌打ちしながら男が部屋に入ってくる。
 部屋が暗いせいで男の表情は見えない。

「起きたか?」
 廊下でしていた声とは違い、温もりのある低い声が小さい部屋に響いた。
 黒いシルエットが頭に伸びてきて、大きな掌が髪をそっと優しく撫でる。
 やめてくれ。
 そうやって優しくされると、重心が揺らいでバランスが崩れる。
 崖っぷちギリギリの足元が、また暗い谷底にぎりりと吸い寄せられた気がする。

 手を振り払うように上半身を起こして、かかっていたジャケットを差し出す。
「なんだ? 物言いたげな顔してるぞ」
 差し込む廊下の光で、相手からは俺の顔がよく見えているらしい。
 ゆっくりと逆光で見えない黒い影を見上げた。

「別に……。ただ……、はやく堕ちて欲しいな、と思って……」

 さっさと俺の前から消えてくれ。
 俺が本気になる前に。

「堕ちるって、何にだ? お前の身体にか? それなら見ての通り、もうとっくに堕ちてる」

 目を細めて微笑み、首を横に振った。

「まさかお前の策略に堕ちろとか言うんじゃないだろうな。それなら無理な話だ、何度も言ってるだろ。大切なデータを横流しする訳にはいなかい。
 こうやってお前の正体を黙ってやってるだけでも、ありがたく思え」

 だるい身体をきしませ、声を上げて笑った。

 
 お願いだから、はやく堕ちて下さい。
 
 俺の身体に?
 
 俺の策略に?

 まさか。

 地獄へだよ。





【後書】
始まってしまいました。新連載。
アンケートの結果から今回はリーマンの受身で話を進めさせて頂きます。

前回のコンセプトが「深海」であったように、今回も一応自分なりにコンセプトを決めておりまして……今回は題名の通り「堕(お)ちる」です。
いろんな「おちる」がありまして、恋に・罠に・あなたに・わたしに、涙も落ちれば月も落ちます。
本当は「落ちる・墜ちる・堕ちる」と使い分けるべきなのですが、今回はあえて堕ちるを使いたいので「雪が堕ちる」なんて間違った使い方が多用されるかもしれませんが、外で使用されませんようにお願いします。

いきなりの性描写ですが、相変わらず勇気が無くて、ゆるゆるな表現で申し訳ありません。
もう書かれてない部分は読者様の妄想で補って下さいませ。
基本的に読む人頼りな小説しか書けません。
第一話を読んで「ああ、腰痛緩和マッサージしてるんだ」と思われた方。それはそれで、もう正解です。(←嘘つき)

初回は小説中盤のワンシーンを冒頭として書かせて頂きましたので「は?わけわからん……」と思われたかもしれませんが。騙されたと思って明日からの本編スタートにご期待下さい。そう言いながら本当に最後まで騙してしまう可能性も多々あり。完結まで騙されてお付き合い頂けますと幸いです。

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