ひまわり助産院

先輩ママ達からの メッセージ


2006年分


No.06-1
平成18年1月4日

明日香ちゃん、お誕生おめでとうございます


 妊娠が分かって、体に感じるすべてのことが初めてで、「いちいちおおげさ」な私としては、これから起こることを知っておかなくっちゃ、と本を読んだり、ヒトに話を聞いたりして情報のかけらばかりを集めて、期待と不安でいっぱいな気持ちをしずめようとしていました。しかし、それは現実に自分の体におこっている変化やうまれてくる赤ちゃんにとって何が大切なのかということまで見えていなかったのでした。”体重をこれ以上増やさないように”という先生の言葉も決していいかげんに聞いていたわけではないのですが、里帰りをするまでの間の自己管理は自己管理になっておらず、成果がでないことが、自分の危機感のなさとは気づかずに、「赤ちゃんが大きくなる分はいいんだ」くらいにしか思ってなかったのです。ひまわり助産院での検診が始まり、先生と体重を増やさない、頑張ってここで産む、と約束したにもかかわらず、数値として明らかに伸び続けている体重に、先生からは私の自覚のなさ、甘え、母親になる身としてお産をどう考えているのか指摘され、ご指導いただきました。(略)先生に”喝”を入れられた晩は、自分に対するなさけなさと腹立たしさと悔しさで涙が止まりませんでした。その日から改めて気持ちを入れかえ、食事制限と運動に取り組み、一日にこまめに体重計に乗り集中して体重コントロールに取り組むようにしました。このひとことを集中的に真剣に取り組むことがどれだけ自分の体を変え、赤ちゃんにとってできるだけ楽なお産にすることか、出産を終えてみるととてもよくわかりました。もっともっと早くからしておくとよかったことでした。(略)
 出産の当日は、今までにないような生理通の重いような感じの痛みを覚え、その後も、痛みが続き、間隔が狭まってきたため診察を受けました。子宮口は1.5cmで、一度帰ることになりました。次第に、さっきの痛みの波とは違うさらに大きな波が来て、肛門のあたりに力が集まるような重い痛みと吐き気が出てきました。赤ちゃんが出たいって、もうすぐ会える、会えると思うようにして乗り切りました。いよいよ我慢もできなくなって産院に向かいました。でも、まだ実は5cmだったようで、これからこの痛みが何回来るのだろうと思っていました。汗が流れ、クッションをにぎる手も、周りの会話も目に見えるものや聞こえるものがめまぐるしく自分のまわりでぐるぐるまわっていました。陣痛がやってくると、タイミングを合わせて先生がおしりを押してくれました。呼吸に合わせてやってもらうとものすごく楽になり、気がつくと全開大になっていました。”いきむ”ってこういうことなのか−、なんて頭のどこかで思いながら、ここでは全体力をふりしぼっていました。赤ちゃんの頭をさわらせてもらったら、硬いようなやわらかいような感じがしたこと、股に出かかっている赤ちゃんがはさまっている感じ。ポロロン…と体が出てきた感じ…。そして、うまれたて赤ちゃんを抱かせてもらったこと…。(略)
 自分が人として、女性として、母として生きるんだということを実感することができました。そして、これから赤ちゃんと一緒に生きていくことがとても楽しみになりました。同時に、今までにないような責任感もわいてきました。


No.06-2
平成18年1月25日

茉奈ちゃん、お誕生おめでとうございます


 1人めの時は産婦人科で、何も考えることなく出産しました。予定日より8日遅れて誘発するために入院。(略)2人めの妊娠がわかった時には、もっと自分にも、赤ちゃんにも楽なお産がしたいと思い、ひまわりへやってきました。出産予定日は1月13日。今度こそ自然に陣痛を迎えたいと、散歩もよくしていたので、12月29日には子宮口が2.5cmひらいてやわらかくなってるとのこと。そのままがんばって散歩もよくしていたのですが、陣痛がこないので、1月12日に卵膜はくりを行い、、おふろにも入り、陣痛をまつこと一晩。ぐっすりねむれてしまいました。先生に「どうする?」ときいていただき、やはりこの子が生まれてきたいと、自然にでてくるのをまちます、と。まつこと10日以上…。25日は1時半に主人と長女と到着。スチーム・フットバスを3クールするうちに今までとは違う痛みがきました。横向きの姿勢で生んだのですが、痛みをのがすたびにがまんできなくなり、途中で3、4回、もうさけても何でもいいから、生んでしまいたい、と思いました。そのたびに奥先生にはげまされ、何とかさけることなく生むことができました。でてきた頭をさわれたこと、すぐに顔をみてだっこできたこと、とても嬉しかったです。そして主人にも足をかかえてもらい、へその緒も切ることができ、よかったです。長女にも話はしていたのですが、「血がでるって言ってなかった」と別室へひっこみ、中で一緒に呼吸をしていたそうです。ひまわりでの出産は、家族全員で新しい生命を迎える、という感じでとても幸せでした。産後もすぐに「おなかすいた」と言ってしまったくらい、自然で楽でした。頭囲も大きめだったので、私がイメージしていた”つるっと生まれる”には程遠い出産でしたが、最後に笑いながら生むことができ、本当によかったです。


No.06-3
平成18年2月1日

拓実君、お誕生おめでとうございます


 1/30、産徴がありました。”もうすぐや”と思い興奮しました。1/31AM0位から下腹部の不規則な痛みが始まった時には、”これが陣痛?”と思っていました(前駆陣痛がどんなものかよくわかっていなかったので…)。2/1、14時頃から1Hに8回くらいの下腹部痛がありましたが、間隔が定まりませんでした。夕方トイレに行くと、産徴と違う出血様のものがナプキンについていました。その時から下腹部痛が少しひどくなったので、破水はないかと心配になりました。一応ひまわり助産院に電話しておこうと思いtelしました。5分間隔になってからでよいとの事と言われたので待っていると、その後わりとすぐに5分間隔になりました。助産院にtelしたものの、主人は仕事から帰ってきませんでした。主人が帰ってくるのを待とうかと思いましたが、痛みがだんだんひどくなってきました。(略)助産院に着き、台の上に上がらせてもらいました。それまでは、お産が今どんな状況なのかわからない状態だったので、わかる場所に来てやっとホッとしたように感じました。家で陣痛がきた時からそうでしたが、陣痛時は、うめき、叫びまくりました。ある本に、自然に出てくる声を出したらよい、という様に書いてあったのでそうしましたが、声を出す事でとても楽だったと思います。しかし、あとは、いきんだらダメと言われてるのにいきんでしまうわ、目を閉じるわ、深呼吸はうまくできないわ、両手両足、体中に力は入るわ、さんざんな産婦でした。正直、お腹を切って出してほしいと思った程です。でも、頭が出ている時にさわらせてもらい、その後、出産し、胸においてもらった時のあの感覚は何とも言えません。分娩時、保護して頂いたおかげで、産後3日目の今日、会陰の痛みはほぼなく、恐怖感を感じず、お通じを出しています。病院での分娩後の母児別室や分娩時の処置などを思うと、助産院で出産できて本当によかったと思います。


No.06-4
平成18年2月3日

恒成君、お誕生おめでとうございます


 「2人目だから早いよ」と、周囲から言われるものの、全くその気配がなく、予定日(2/4)が近付くにつれて焦りからか気持ちが不安定になってしまいました。しかし、いざ陣痛が始まると、事前に一つ一つの痛みの機序を丁寧に説明していただいていたおかげか、比較的冷静に5分間隔になるのを待てたように思います。助産院に着いて横になり、腰の痛みが強くなってきても、先生のマッサージが本当にピンポイントで楽になりました。一人目の時は微弱陣痛で、苦しかったのが長かった印象が強いので、先生や主人の腰のマッサージで楽になると、「まだまだこれから長いんだ…」とばかり考えていました。先生に、「もうすぐよ」と言われて、驚いていると、本当に激痛が(だったと思うのですが、不思議なもので、どの程度のものだったか、もう忘れてしまっているんですよね)。『目を開けて!』、『おへそを見て!』、『口を閉じて、ん〜っと言って!』等々、指示がひとつひとつ短くて、分かりやすく、その通りに出来たと思うのですが、どうしても全身力が入ってしまい、うまく力を抜くことが出来ませんでした。頭が見えてきて、痛みも、私のパニック状態も最高潮の時に、頭に触れるち、全身の力が自然にフワーっと抜けていったことがとても印象に残っています。深夜にもかかわらず、3才の長男も、「寝ない!」と近くに居てくれて、家族や先生方の協力もと、本当に良いお産が出来たと満足しています。元気に産まれてきてくれた次男も含め、すべてのことに感謝の気持ちでいっぱいです。


No.06-5
平成18年2月13日

愛海ちゃん、誕生おめでとうございます


 長女の時のお産は、愛知県岡崎市、吉村医院さんでお世話になりました。初めてのお産でもあるし、自然に産むことについて色々と勉強させていただきました。3年後、第二子を妊娠しましたが、さすがに今回は、3歳の長女を連れて、岡崎市まで新幹線で検診に行く余裕はなく、困っていた時、主人の経営している自然食品のお店のお客さんに、ひまわり助産院さんを紹介していただきました(3人目をこちらでお産されたそうです)。奥先生とお会いしてお話をうかがっていると、とてもわかりやすく、ていねいでした。体重管理については厳しかったですが、これもお産のため!おかげで、長女の時ほど増えずに済みました。二人目の妊娠生活は、長女の幼稚園の準備(入園)など、バタバタと過ぎ、あっという間に10ヶ月経った気がします。出産予定日は2/10でした。当日、ひまわり助産院さんで検診を受けましたが、お腹のハリもほとんど無く、今回も、長女の時のように、少し延びそうに思いました。2/13〜、大潮に入るそうなので、それまでしっかりと体を動かして、様子を見ることにしました。2/13(月)深夜2:50頃、軽い下腹部の痛みで目が覚めました。3:00過ぎ、トイレへ行ってから、痛みがひんぱんに来るようになり、主人と娘を起こして、とりあえず家を出ました。奥先生には、「痛みが5分間隔になったら電話してね」と言われてましたが、5分どころではなく、1〜2分おき位に痛みが次々やって来るので、途中、車の中から電話すると、「すぐ来てください」といわれました。着いてすぐに診てもらいましたが、まだ大丈夫でした(冷や汗)。4:30頃、台の上に横になり、主人と娘に手をにぎってもらいました。奥先生ともう1人の助産師の方(注:椎葉助産師でした。よろしくねっ!)は、何度も私の腰と足をさすってくれたり、マッサージしてくれたり、とても有難かったです。楽な姿勢や呼吸の仕方等、その都度、教えて下さったので、落ち着く事ができました(かなり全身に力が入っていたようです^_^);;)。そんなに長い時間が経っていないうちに、大きな痛みといきみが来たように思います。長女の時は、いきむタイミングがわからず、赤ちゃんが小さかったのに、会陰を切ってしまい、産後、少し辛い思いをしました。今回は、頭が出て来てから来るいきみたい気持ちを、奥先生達の「いきまないでー!」の言葉で、グッとガマン出来ました。おかげで、スルスル…、えっ?!、産まれたの?!と思う位。最後は、本当に心も体も楽になりました。


No.06-6
平成18年2月26日

歩君、お誕生おめでとうございます


 元々、10代の頃より、生理痛のひどさ、不正出血、子宮頸管ポリープ等で婦人科を訪れていた私は、あの診察する時に乗る台(分娩台ではないが)が嫌で、嫌で仕方ありませんでした。特に、下腹部に痛みがある時や、検査の為に膣に器具を入れられる時など、「仰向けの姿勢で足を広げてるのがつらい!」、「将来、出産する時は、こういう姿勢で産むの?…無理!!」と思っていました。
 そして月日が流れ、30を過ぎての妊娠が発覚した時、いよいよ”分娩台問題”を本気で意識しました。出産経験有・無の友人や親、姉に聞いても、「分娩台は当たり前。病院で産むのが当たり前」の反応しかなく、逆に「ちょっと変わってるね…」という反応だったので、悩みました。でも…、もしかしたら一生に一度あるとしてもそんなに経験できることじゃない。なら、「分娩台はイヤだ」という自分の気持ちに従おうと思いました。助産院という選択、その上、自宅からも近所というわけではないひまわり助産院さんは、周りの友人、身内からも「近所でもないのに不便では?」と難色を示されましたが、私にとっては、”近所か否か?”よりも、”フリースタイル出産がしたい”、”会陰切開はしたくない”、”できるだけ、陣痛促進剤等を使用せず、コドモが生まれたいと思って産まれてくる、自然分娩がしたい”という条件が大切だと思い、決めました。
 予定日は、3/7。2/16、2/23の内診では、「まだ固い。来週の2/27〜3/頭に大潮が来るから、その時期位かな?」と奥先生より言われ、柔らかくするためにも、変わらず掃除・運動を勧められました。20日過ぎより生理痛を思い出すような鈍い下腹痛。2/24未明のトリノオリンピック女子フィギュアフリーを見つつ、その下腹痛が不規則ながら頻繁に。前駆かな?と思いつつ記録を付け始め、2/25夕方位には痛みの強さが変わってきました。その夜、22時過ぎには、「もう生理痛なんてレベルじゃない!!」という痛みが10分間隔ほどに…。「5分間隔にならないとひまわり助産院には連絡できない」との思いと、仕事柄、帰宅時間が深夜未明になる夫の帰りをひたすら待ちました。(中略)肝心の出産は…、やはり想像以上、噂以上のモノでした。「呼吸法が…」、「冷静に…」などと、一応落ち着こうと思うものの、強い陣痛の波が来る度に、獣のように吠える私…。先生達から、「そんなに声を出すと、明日、枯れるよ」と笑われつつ、イキむ力が声を出す方にそれるとの指摘を受け、声を出さずにイキむと上手く力が入ることがわかりました。イキむための呼吸法、陣痛がない時にも、全身に力が入っているためのマッサージ、頭が出た後のイキまず、バランスボールの上にお腹を置き、体をスルリと出せたこと、全て、先生達の指示に従ったおかげです。


No.06-7
平成18年3月5日

のあちゃん、お誕生おめでとうございます


 友達が昨年6月、ひまわり助産院で出産し、赤ちゃんを見せてもらいに行った時の事、とても今日出産したばかりとは思えないほど元気でスタスタ歩いているのを見て、私も二人目はここで産もうと決めました。そしたらすぐに妊娠が発覚……。3月5日の夜中に高位破水をし、朝方、診察を受け、一度家に帰り、床掃除をしたり、歩いたり、階段の上り下りをしても、いっこうに陣痛がつかず、夕方に診察を受けた時に、先生に人工的に卵膜を破り、破水してもらいました。その後、急激に陣痛がきて、「これだ。これが陣痛だ」と長女を出産した時の陣痛の痛みを思い出したのもつかの間。一気に子宮口が全開になり、そのまま横になって分娩体勢に入りました。とても痛くて、気が動転して目をつむってしまった時、「先生の顔を見て!」と言われて見てみたら、奥先生も、助産師さんも、とても一生懸命な姿で、頑張っているのは、私だけじゃないいんだ、と思い。それに奥先生の顔を見ると、とても安心して出産することが出来ました。それともう一つ。長女が、痛くて、苦しんでいる私の手を握ってくれ、「ママと赤ちゃん、頑張れ〜」と応援してくれたり、先生の言う呼吸法を真似たり、お茶を飲ませてくれたりして、私を励ましてくれました。そんな長女の顔を見ると、とても心が落ち着いたのを覚えています。(略)会陰切開も、裂けもしなかったせいか、出産の二時間たった後は、とても元気で普通でした。何の医療行為も施さない。これが本当の自然分娩なのだ、と思い、総合病院で長女を出産した時のあの医療行為はいったい何だったのかと、とても疑問に思います。妊娠中の体重管理だけは辛かったけど、あの時、先生が真剣に叱ってくれたのも、この楽なお産の為だったんだな、と、今となってわかりました。今回は、生まれる瞬間の赤ちゃんの柔らかくて温かい頭をさわらせてもらったり、手、体、足が出てくるのもハッキリと自分の目で確認する事ができ、本当に産んだんだな、という実感がありました。それに、何より、家族全員で新しい家族の誕生を迎え入れる事がとても幸せで、良い思い出になりました。


No.06-8
平成18年3月10日

陽君、お誕生おめでとうございます


 ”2人目だから早くなるかもね”と、予定日が近づいてくるもののなかなか下がって来ず、焦っていて。しかも、主人の仕事上、夜勤でないときに陣痛が来ることを祈っていました。先生からは、”そんな焦らんと、もう居りたいだけおり!”って思ってるくらいの方が陣痛来るかもよと言われ、そう思うことにして2日後、夜中に陣痛が来ました。朝になり、痛みはまだ我慢できるくらいだし、こんなもんじゃないのは分かっていたので、掃除をして生まれてくる赤ちゃんのベッドの準備をしているうちに5分間隔になり、先生に電話をして、助産院に向かいました。診察を受けると、子宮口は7cm開いているとのこと。やっぱり2人目は進むのが早くてびっくりしているのも束の間、どんどん陣痛が強くなり、人工破水をして、さらに強くなってきたと思うと、いきみたくなって、あっという間のお産でした。と言っても、頭が出る頃は、痛くて死にそうになったけど…。先生と助産師さんに励まされ、赤ちゃんの頭を触らせてもらったことで、最後のひとがんばりができたと思います。(マッサージも最高に効きました(^_^))流れ作業的な診察が嫌で、2人目は助産院で産みたいという希望通り、ひまわり助産院では本当に丁寧な診察やアドバイスありがとうございました。それと私の会陰を切らず、裂けず、守って下さり、本当に感謝しています。おかげさまで、産後はとても楽でした。


No.06-9
平成18年3月16日

大貴君、お誕生おめでとうございます


 お産の感想は、「やっと産めたぁ」です。予定日より早くなるかもと言われたのにどんどん日が過ぎていき、41週までとうとうきてしまい、毎日、いつ産まれるんやろうって、もどかしい日が続きました。14日のけんしんで2.5cmあいたから、もうすぐっていわれて、2日たち、16日の朝、お腹がじみに痛くてはかってみると、30分〜ふきそくで陣痛じゃないので、川畑へけんしんに。ついたらもう5cmいってるので産まれると言われ、急いでひまわりさんにとんぼ帰り。その間もじみに痛いだけで「これが陣痛?こんなんで産まれるの?」と不安になりました。上の子の時はもっと痛かったので、今回は血圧が高かったので、チビッ子ギャング(長女)の立会いには不可だったのが残念です。ひまわりについてもじみに痛いだけで…。先生に卵膜をやぶってもらったけど、それでもじみに痛いのしかこず、フットバス?をして体をあたためてもらってポカポカしてきたら、痛くなってきて、そうこうしているうちに頭がみえてるからもう少しって言われました。デモ痛くて「ムリ」とか、先生の言う事きけなくなって最後の「ハァー、ハァ」ができなく、「さけるからいきんだらあかん」って言われたのに、それが少しなさけなかったデス。でも、そんなこんなで、さける事なく無事に3,520g、51cmの男の子が産まれました。今回は、パパに足をもってもらったり、へその緒をきらしてもらったり。何より先生達がずっと側にいてくれた事がいいお産だったと思います。次は、チビッ子ギャング2人ひきつれて、私自身も成長して、みんな立会いの中で産みたいです。


No.06-10
平成18年3月18日

央君、お誕生おめでとうございます


 私は、この助産院のすぐ近くに住んでおりとてもラッキーでした。女の先生のところで、家の近所で通える所、という条件であまり深く考えず、飛びこんだのですが、結果的にとてもよかったです。旦那がアレルギー、ぜんそく持ちということもあり、赤ちゃんをなるべく自然な形で産んであげたいという願いがかなうこととなり、非常にありがたいです。出産までは、初産なので何もわからず、ただ毎日の散歩やマタニティヨガをかかさないように心がけ、体重増加に気をつける以外はあまり準備が整わないままお腹が大きくなってしまいました。そのため、赤ちゃん用品を買いそろえたり、部屋の模様替えをしたりといった準備をギリギリまでしていて、落ち着かないまま出産してしまった感じです。1週間前の検診での出血をおしるしと勘違いし、あわててスリングを縫ったぐらいです。更に、日、月の晩とも前駆陣痛があり、15日は旦那の誕生日、満月ということもありいよいよテンションが上がりつつありました(予定日は、先の21日だったのに)。17日まで大潮とのことで、更に次の日は土曜日。何となく今日かと思っていたら、本当に来ました。夜中2時ぐらいから陣痛ははじまりましたが、不規則だったので、「何だ、また前駆か」とウトウトしながら、旦那に時間を計ってもらいました。それが、朝6時ぐらいから痛みの感覚が変わり、定期的に。8時すぎからの計測で、やっと5分おきが1時間続いたか…、と先生に電話を入れると、途端に破水し、3分おき程に縮まってしまいました。家が近所なので、「5分おきなら、歩いて来れますね」と話していたのに、結局、車で来ることに。食べて来いと言われた朝ごはんも食べれずじまいでした。子宮口はすでに9cm。陣痛の時には、いきんでよいとのことで、驚きました。私の頭の中では、子宮口が開くまで、いきんで構わなくなるまでが長いのが初産だったので。実際に出産を終えてみると、立てないわ、手足はしびれるわ、腰は痛いわで、散々でした。後で話を聞いてみると、何故か、頭の横に左手をそえた状態で赤ちゃんが出てきたらしく、予想より時間がかかった上、会陰も少し裂けてしまったようです。しかし、結果的には、旦那に立ち会ってもらえ、動けない程の陣痛の中、車でつれてきてもらって、訳の分からないままカワイイ赤ちゃんに出会えて、いいお産になりました。ありがとうございました。


No.06-11
平成18年3月30日

亜衣ちゃん、お誕生おめでとうございます


 ”2人目は絶対にここ(ひまわり助産院)で産みたい!!”
 この私のひそかな、でも熱い熱い思いが、3年越しで現実となりました!ちょうど3年前に長女を出産してしばらくたった頃、軽い乳腺炎になり、母から「近くにひまわりさんって出来たよ。」と聞き、早速診ていただいた日の決意。分娩台に仰向けに寝て、開かぬ足を固定されての出産は、私にとっては産みの痛みと同じくらいストレスに思え、あれだけはイヤだと思っていたので、”自分の好きなスタイルで”という話を聞き、それ以来ずーっと、ずーっとこの日が来るのを楽しみにしてきました。
 予定日の3/29、軽く刺激してもらい、間もなく軽い生理痛のような痛み。22:30にこちらに入り、長女と同じ誕生日になるのか!?と誰もがドキドキするなか、日付は変わり、0:23に無事産まれて来てくれました。緊張からか、体中の震えが止まらず、フットバスやマッサージをしていただいたり、激しい陣痛がくるーっと、大きく息を吸うと、先生がスーッと察して背中をマッサージして下さったおかげで乗り切れた気がします。自分では息を思いっきり吸って吐いて、っとしているつもりが、「まだまだ、もっと}と言われ、意外とむづかしいものだと思いました。なんとか会陰切開だけはのがれたいと願いながらついいきんでしまったり。頭が見え、肩が見えてくると、思わずホッとしてまた呼吸が乱れたりで、どうなることかと思いましたが、元気な産声を聞いた時、本当にうれしかったです。
 赤ちゃんが産道をおりてきたり、頭が出たり戻ったり、スルッと最後に全身が出るのをすごく実感しながらのお産になったし、立会いに消極的だった主人が意外と冷静で、へその緒カットまでできたこと、うれしく思います。


No.06-13
平成18年5月13日

すみれちゃん、お誕生おめでとうございます


 助産師として病院で働いている私ですが、自分が出産するのは助産院がいいと決めていました。病院とは違うお産(分娩そのものだけでなく、トータルで)を勉強したいという気持ちがあったからです。今回、縁があってこちらにお世話になることになりました。仕事中に切迫早産になり、自宅安静を余儀なくされるなど、なかなか思い描いたとおりには妊娠生活を送れませんでした。分娩のときは陣痛が弱めだったので、いつ入院の電話をするか迷っていました。早めに行き過ぎてもあきれられそう、という妙なプレッシャーもあった気がします。結局、入院は少し早かったものの、その後はスムーズに進んで、先生方の誘導のおかげでとてもうまく産めたと思います。ありがとうございました。産後はなかなか母乳が出てこなくて、ベビーが小さめだったこともあり、ご心配とご迷惑をおかけしました。やはり自分で体験するということは、仕事に場面で見えるものとは違うなぁと痛感しました。退院する今日になって、ようやくなんとかなりそうと思えるようになりました。ここでの体験を、これからの育児と今後の仕事の糧にしていきたいと思います。


No.06-14
平成18年5月15日

陸斗君、お誕生おめでとうございます


 長男海斗は1年前に市民病院で出産。安産ではあったが、会陰部を大きく切られ、沢山裂け、足腰がダルく、流れ作業の様に出産が終わった。あまり良い思い出がなく、2人目の出産は、妊娠前から見つけていたひまわり助産院と決めていた。偶然、姉の妊娠と私の妊娠が同じ時期となり、2人で妊婦検診に通った。妊婦検診の帰りは、パンを買いに行くのが習慣になり、すっごい楽しかった。おかし(チョコ、キャラメルコーン)の制限は辛かった…^_^;(略)37週での検診では、子宮口が3.5cm開いていると言われ、正直、いよいよかぁ〜っと恐くて寒気がした。いつ破水してもいい様に、かばんの中には海斗のオムツを持参して散歩、保育園のお迎え、買い物に出かけた。しかし、破水せず1W後の検診にて、次はなんと子宮口が5cm開いているから今日のお昼から入院して!、っと言われた時には、不安と恐怖に襲われた。1度出産を経験しているとはいえ、陣痛の痛さは表現できない痛さであるから。覚悟は決めていたが、やっぱり怖くてたまらなかった。運悪く翌日は海斗の遠足の為、お弁当をつくらなければならず、それが気掛かりで、入院は明日の昼からにしてもらった。その日の夜、20時すぎ頃、便をし、海斗とお風呂に入ってから今までとはちょっと違う少し痛目の収縮があり、海斗のお弁当の用意!!と思っている間に2〜3分間隔の痛みに進み、連絡後、21:20に到着した。あっという間に激痛!大泣き、大さけびで急いでかけつけてくれた父、母、姉、パパ、海斗はビックリやったと思う。痛くて本間に嫌や、っと思った。奥さん、椎葉さん、母、姉に助けられPM9:56、陸斗が産まれた。ホッとしたのも束の間、直後から後陣痛の収縮に襲われ、本当に死ぬかと思った。死ぬぐらい痛かったのに、みんなで服を着替えさせてくれて、「もうちょっと待てよ(-_-#)。もっとやさしくしてよ(-_-#)」と心底思った。会陰部に傷1つなく、上手に産ませてくれたおかげで、翌日から木の椅子に座れて幸せだった。


No. 06-15
平成18年6月1日

朱莉ちゃん、お誕生おめでとうございます


 私は妹、祐子より結婚が遅く、H17年9月妊娠していることが発覚。同じ時期に祐子も2人目の妊娠が発覚。しかも、予定日は5日違いとゆうビックリするほど。私には奇跡だった。祐子とは違い、妊娠の事など何もわからない私に、「次はひまわり助産院で生もうと思ってるけど、姉ちゃんはどうする?」と言われ、「私も同じ所で…」と、とっさに出た。続いて何も分からないまま、ひまわりに分娩予約の電話をした。私は、1年半前に腰椎椎間板ヘルニアの手術をしていて、奥先生に電話で、「ここは助産院なので、どんな形で出産してもらってもいいですよ。手術しているなら、病院の仰向けよりも、助産院の方がいいかもね。」と言われ、ひまわり助産院で出産することを決めました。
 妊娠中の体重増加は6kg!!この言葉を言われたのは、厳しいつわりの真っ最中。つわりでどんどん体重がへっている時に言われたので、軽く「は〜い」と返事。ところが、妊娠5ヶ月が経ち、仕事を辞め、つわりがなくなり、つわり中には見るのも嫌だったものが、たくさん食べれるようになり、体重がみるみる増えていった。27週の検診では、「こんなに体重増えてどうするの?ここで生めなくなるよ。晩は、米と肉食べたらダメよ。」寝ること、食べることが大好きな私にはショックで、涙が出そうだった。毎日メールで「何食べたら太れへんのん?」と祐子に聞き、朝、昼計2回、1時間ずつの散歩。ドキドキしながら乗る体重計。あんなに恐怖とは思ってもみなかった。体重計のことを…。今思うと、増加6kg以内で出産できて良かったのだが、この頃はストレスだった。(略)5/30の夜に破水。夜中にひまわりに来ると高位破水やから、と帰宅。歩くと羊水がジャー。床の物を取ると羊水がジャー。気持ち悪かった。なかなか陣痛が来ず、とうとう6/1、9時半椎葉先生によって完全破水。その後、スチームをした。10時頃から我慢できる程の5分間隔のお腹の張り。11時頃から我慢できないくらいの陣痛が始まった。昼過ぎには愛する旦那、そして大好きな祐子が来てくれて出産になった。陣痛がおそってくる。リラックスさせてくれようとみんなで楽しそうに話をし、笑っているが、私には笑えない。とりあえず早く頭が出てほしい。そう思っただけだった。会陰部が裂けないように取りあげてくれた椎葉先生、手を持っていきみ方を教えてくれた奥先生、一緒にいてくれた旦那、そして祐子、みんなに感謝です。


No. 06-16
平成18年6月18日

彰君、お誕生おめでとうございます


 結婚前は大阪に住んでいて、結婚して堺に住み始め、堺に住む友達もいなかったので、いつ妊娠してもいいように、2年近く前に、産むなら助産院と決めていました。ネットで調べ、”ひまわり”さんと出会いました。その後すぐ母と、妊娠もしてないのにここで産みたいので見にいくのついて来て欲しいと、外観から見学し、先生の名刺をいただきました。
 それから1年後ぐらいに妊娠が発覚し、ひまわりさんを訪れました。私は全くつわりがなかったのですが、極度の貧血。先生も驚かれ、「このままじゃ、お産どころか、母子共に命が危ないわよ」とまで言われました。でも、薬と食事で、できるだけ鉄をとるように心がけ、出産迄には回復しました。貧血改善の食事も辛かったですが、体重増加しないようコントロールするのも難しかったです。
 予定日は6/17(土)でしたが、赤ちゃんがかなり大きいし、頭もビッグやから早く産もうと言われました。毎日の散歩、お灸、ボート漕ぎ体操、雑巾がけなどやっても陣痛も来ないし、陣痛って本当にわかるの?と、不安やあせりや。予定日を過ぎると、主人も出張で立ち会えないし…。日々が過ぎていくだけでした。でも、夫婦の祈りが届いたのか、6/18(日)の主人の休みの日に陣痛はやってきました。(略)…でも、痛みがくると、叫ぶわ、力は入るわで、せっかくヨガで習った呼吸法もわかっているのに、痛みがくるとできず。奥先生と椎葉先生に、ダメダメ、力を抜いてリラックス、と言われても勝手に力が入ってしまいます。そんなこんなを繰り返し、頭の先がでてくるのは早かったけど、そこから大変でした。頭の先が出てきて触らせて頂いた時には、なんとも言えない感触で、よし早く出してあげようと思ったのはよかったのですが、結果、椎葉先生に縫ってもらいました。


No. 06-17
平成18年6月19日

海斗君、お誕生おめでとうございます


 お産の感想は?と聞かれ、「痛かったー」と。先生方は、「超安産で良かった。よく頑張ったね。」と言って下さったが、そう思えませんでした。でも、出産して4日経ち、退院の今日、改めてお産を振り返ると、もうすでにあの痛みを忘れている自分がいることに気づかされています。体の回復も順調で、これが安産ということなのかしら…?高齢初産の私にとっては、出産に対していろいろ不安はあったものの、つわりもなく、体重コントロールも苦痛なく、運動も散歩ごく日常のこととして過ごせてこれたので、産む時も楽なんだろうなあ…って、思ってたのかもしれません。「フン」とは産めませんでしたが、今考えれば、分娩台では絶対に無理だったよなあ…。いろいろ話をしたり、聞いてもらたっりして良かったなあ…。主人が立ち会えて、へその緒も切ってもらえたし…、と。ひまわりを選んで良かったことが、たくさんたくさん出てきます。


No. 06-18
平成18年6月27日

真尋ちゃん、お誕生おめでとうございます


 出産した日の夜は、幸せな気持ち一杯でほとんど眠れませんでした。右側で眠る我子をみてはほほえみ、「明日からに備え、眠らなくっちゃ」と、気を引きしめ目を閉じるのですが、出産のことを思い出してニヤリ…。心の底から、「ひまわりさんで産めてよかった」と思いました。  ひまわりさんでお世話になろうということは、妊娠前から決めていたことでした。分娩台で産みたくない。自然分娩がしたい、との思いから産むときは助産院で、と思っていました。数ある助産院の中でひまわりさんを選んだのは、家から近いことと、設備がきれいだという単純な理由からでしたが、奥先生にお会いし、お話を伺ううちに、「この先生のところで産みたい」と強く思いました。思った通り、幸せな妊娠期、出産、産後を送ることができ大変満足です。妊娠中の最もの課題は体重コントロールでしたが、安定期に入り、ウオーキングするようになってからは、すっかり”散歩フェチ”になり、体重コントロール自体、それほど苦ではなくなりました。当初は、「ひまわりさんで産めなくなる怖さ」に始めた散歩でしたが、後期に入っても、同週数の妊婦さんに比べ、体を重く感じない、日常生活に不自由を感じないことに気づき、適度に体を鍛えることは健康で、元気な妊婦であるためには大切なことだと改めて思いました。
 出産の日は、明け方に弱い腹痛を感じ、目が覚めました。「生理痛?んなわけないか」と半ばねぼけながらトイレに行くと、オシルシが。まだねぼけている頭は、「やっぱ生理…。んなわけないじゃん!」そこでようやく目が覚めましたが、まだ痛みも大したことなく、「今日ってことないよね…」と、勝手に思っていましたが、7時すぎに間隔が短くなっていることに気づき、気まぐれに計ると、7分間隔。9時前には、5分間隔になりましたが、痛みはまだ大したことなく、電話するのもためらわれるほど。結局、診ていただくと、子宮口が4〜5cm開いているので、今日中とのこと。「え〜っ!何の覚悟もできてない−!」と言いつつ、一旦帰宅し、家のそうじや準備をすることに。「”助けて−”ってぐらいになったら来てね」と言われてしまいましたが、2時半に3分間隔になってもまだそれほど痛くなく、迷いましたが、結局、3時にはひまわりさんに。オフロに入れていただいたり、運動をしたりと、子宮口の開きと陣痛の強まりを待ちましたが、ゆっくりとしか進行せず、結局、それから7時間かかってしまいました。
 出産は、痛いというより、イキみ方がわからなかったり、イキむのに慣れた頃にはイキまないようにしなければならず、それが難しかったりと苦しかったのですが、総じて、奥先生と椎葉先生のリードのおかげでパニックにもならず、のぞむことができました。今思い出しても、お二方の温かいお声かけがとてもここちよく、心強かったです。ゆっくりとした進み方しかしないお産でしたが、無理矢理進めさせることもせず、待っていただいたおかげで、体にも負担をかけることなく産めたと思います。翌日に来た父が、「こんな元気な産後、初めてみた。助産院ってすごいんやなぁ」と感心していました。
 産後、母乳が出ず、泣き声のかれてきた赤ちゃんに申し訳なく思っていると、それを見透かすかのように「3〜4日かかって当たり前。申し訳ないなんて思わず、前向きに」と励ましていただき、「さすが!わかってらっしゃる」と思うと同時に、とてもホッとしました。時には厳しく、時には優しくご指導してくださった奥先生と椎葉先生のおかげで、本当に幸せな経験をすることが出来ました。


No. 06-19
平成18年6月29日

優空ちゃん、お誕生おめでとうございます


 一人目もこのひまわり助産院での出産。二人目もこのひまわり助産院で生もうと決めていました。一人目同様、二人目も早産予防の薬を飲んだり、あまり動かない様に注意し、無事に37週に突入!!薬を中止する。予定日(7/19)まで2週間以上もあるが、私も先生もたぶん早いお産になるだろうと思っていたので、いつお産になってもいい様に心の準備だけしておこうと考えていました(本を読んだり、イメージトレーニングを…)。29日明け方は、生理痛のような痛みあり。この日は受診の日なのでとりあえず病院にたどりつけば…、と思い受診に行く。診察の結果、「たぶん、今日中に生まれる。」と言われるが、陣痛がしっかりとついていないので、一旦帰宅する。家で、痛みの間隔、持続時間を測定しても、一人目の様な規則正しいものではなく、痛みも我慢できる程度だったので、「これって陣痛かな?」と、少し不安だったけど、先生にTELし、現況を報告すると、「すぐに来て」と言われ、車で来院しました。「7cm開いているから、破水するとすぐに生まれるよ。」と言われ、「私は、赤ちゃんも小さいし、スルッとすぐに生まれるはず!!」と心の中で何度も言いきかせていました。人工破水してもらうと、先生は「もうすぐよ!!」と、あまりの早さに驚きましたが、「いきんで!!」と言われ、何度もいきもうとしましたが、あまり力もいれれず、うまくいきませんでした。私の予想?だと2〜3回いきんだらスルッと…」というイメージだったのに、実際は回数はわかりませんが、結構長い間、「いきんで」、「止めて」の繰り返しをした気がして、「赤ちゃんが小さいのにスルッと出てこない…。もう疲れた」と思っていたら、2,355gのかわいい赤ちゃんがでてきました」
 2回経験した出産。赤ちゃんを生むという事は女性だけしか分からない感動的なものではあるけれど、お腹にいる10ヶ月、出産は私にとってすごくつらい事もあり、奥先生、椎葉先生に励まされるからこそ乗りこえられるものだと思っています。的確なアドバイスをしてくださり、いつも明るく接してくれる2人の先生が私にとってはとても大好きです。かわいい天使の様な娘2人を取り上げてくださり、本当にありがとうございました。これからもたくさんの赤ちゃんを取り上げて、たくさんの人に感動と幸せを与えていってください。


No. 06-20
平成18年8月2日

翔瑛クン、お誕生おめでとうございます


 前日からの違和感がこの日もまた朝からあった。まあ、まだ陣痛はこないだろう、といつもと同じように歩いて買物に。夕方ごろ、そういや時々ちょっと痛くなるなあと思いながら普通に過ごす。夜9時前になって、もしかすると5分おきに痛みがきているかも、と思って時計を計ると、ほぼ5分おきだった。まさか…と思っている間に少しずつ痛みが強くなってきて、先生にTel。「10時まで様子見ましょう。」と言われ、入院の準備をしながらしばらく待機。徐々に間隔が短くなってきていることが分かった。今からなら長男の時のように日付がかわった夜中に出てくるのかなぁ。長男もたち合わせたいけど、寝てしまうかなぁ、と心の中でおもっていました。10時になってもう一度先生にTel。「じゃあ、来て下さい。」と言われ、旦那の運転する車でひまわり助産院に到着。診察の結果、4cm開いているから、今日中か、日付がかわる頃になるかも、と言われ、横になって痛みをこらえていました・痛みが増し、いきみたくなってきた時、先生に「いきんでいいよ。」と言われていきみ、また陣痛が来た時いきみ、と繰り返すうち、「もう髪の毛、見えてるよ」と言われたのがすごく励みになりました。「もう力を入れずに、ファーっと力を抜いて」と言われてもなかなか力を抜く事ができず、立ち会ってくれている旦那と長男の顔を見て笑顔のつもりでファーと言ってみるも、やっぱり難しかった。やっと出てきた〜、と思って時計を見ると、まだ11時30分になってなくて、長く感じた陣痛もたった2時間半だった。  出産後、もうすぐ3才になる長男に「眠たいのに立ち会ってくれてありがとう」と言うと、ワァ〜っと泣き出してしまいました。きっと、自分では笑顔でファーっと力を抜いていたつもりだったけど、長男にはコワイ顔に見えて、でも泣くに泣けず、ガマンしていたんだと思います。長男の出産時と同様に立ち会ってくれた旦那と母親にも感謝。長男の時、生後5日目にやっと出た母乳も、今回は2日目の夜に少しずつにじみ始めました。先生の「1人目より早く出る」の言葉でがんばって吸わせることができたと思います。  また次、妊娠したらここで産みたいです。次は女の子がいいなぁ。


No. 06-21
平成18年9月6日

俊介クン、お誕生おめでとうございます


 予定日が9月10日だった私は、近づくお産の中、連日テレビで放送されていた”宮さま誕生”(宮さまとは言ってなかったケド…)に、『もしや、少し早くなって同じ日になるカモ…』^o^ニヤッと内心思っていた。なんだか分からないけど、こういうカンは昔から冴えていて、実際、5日の深夜に「おしるし」らしきものがあった時、「ヤヤッ!!」…「やっぱり!!」と思った。なので、私が赤ちゃんを産んで第一にとった行動は、「バッ」と時計を見た事でした。(←誰にも言ってません)10分間隔になってから6時間7分。産後の回復もすごく良好で、「本マに初産婦?!正直にゆうてみて?!」と椎葉先生との冗談のやりとり。奥先生のとても(x100)おいしいご飯…etc。  今となっては笑えるけど、検診中は、奥先生にも、椎葉先生にもあきれられる程、不良妊婦だった私を一生懸命注意して、はげまして下さり、本当にありがとうございました。これやったら2人目、3人目?!「あんたやったら、ボロボロ産めそうや!!」といわれたのを信じ、頑張りまァす。


No. 06-22
平成18年9月26日

幹大君、お誕生おめでとうございます


 三人目をさずかったこと、ひまわり助産院に出会えたこと、みんなが立ち会えるタイミングで産まれてきてくれたこと。すべての巡りあわせに、本当に感謝でいっぱいです。
 ”家族に見守られて出産したい”、”産まれてすぐに一緒に居たい”、”おっぱいだけでがんばりたい”。心の中にそういった想いをもちつつも、踏みだせずにいる間に、思いがけず3人目の子がひょっこりお腹にやってきてくれた、今回の妊娠でした。想いが叶って、いろいろな新しい感覚や体験に出会えて本当によかった。今回の妊娠・出産を通じて、”自分も自然の一部なんだなぁ”って、改めて感じることができたのは大きかったです。月の満ち欠けと協調している自分の身体や、この体位でなら産める!!、と自然にわき出た要求など。四つんばいの足の間から出てきた我が子を見た時の感謝と動物的な自分の出産の瞬間は一生忘れないと思います。
 そんな経験ができたのも、ひまわり助産院さんに出会えて、奥先生と椎葉先生の導きがあったから。本当にありがとうございます。そして、おふたりのイキイキと楽しそうに働かれている姿にも、とっても感銘を受けました。的確な助言やこまやかな心遣い、おいしいお料理など、これまでの経験や女性らしさを活かしながら、楽しそうに働いている姿。これからの私にとって理想です。
 経産婦としては、長い間お世話になりました。でも、そのおかげでおっぱいの不安もなくなり、これからの生活の見通しもたって、すっきり退院できます。本当に、アドバイスや経験談の数々ありがとうございました!!育児もこれからの生活も、今とっても楽しみです。


No. 06-23
平成18年10月3日

弥風君ちゃん、お誕生おめでとうございます


 今回は3度目の、そして最後の出産!!2人のお兄ちゃん達(6才と3才)も居ることだし、冷静に痛みと向き合って…、と、それはそれは美しい☆出産シーンを思い描いていただけに、あーッ、モー…、どうして…。とにかく、叫ぶ…、というよりも、吠えた?!というか…。まぁ、終わってしまったことを悔いても仕方ない…。
 でも、そんな中でも、奥先生のひと声にハタと我に返り、助産院での出産、3度目にして初めて、産まれてくる我が子の姿を見ることができたこと。そして、絶妙なタイミングで子ども達に、”近くに来て”と声をかけて下さり、赤ちゃんが産まれてくる瞬間を目の当たりにした2人の兄ちゃん達の本当に嬉しそうな笑顔と、”かわいーっ”の声を聞くことができたこと。本当に感謝です。
 3人の子ども達のおかーさん、1年生。
 5人家族の妻(?)、1年生。
 こんな未熟者ですが、また気持ちを新たに、産まれてきてくれた赤ちゃんと共に、日々少しずつでも成長してゆける自分でありたいと思います。
 温かな出産をありがとうございました。


No. 06-24
平成18年10月18日

勇武君、お誕生おめでとうございます


 妊娠当初は、いわゆる普通の産婦人科に行っていましたが、ここでお産するんだという気持ちになぜかなれず、もやもやした気持ちでいる時に、ひまわり助産院を知りました。紹介してくれた人の考え方が一緒だったこと、聞いた内容に興味をもったこともあり、思い切って相談しに行きました。受け入れて下さり、本当に良かったと心から思います。
 食事制限やヨガ、マッサージ、どれも正直めんどうですが、安産、赤ちゃんの為とがんばることができました。ナマケ者の私が何ヶ月もそういう事を続けられたのは、納得いく説明と指導のおかげだと思っています。前駆陣痛が続き、しまいには最悪、帝王切開!と言われた時、泣きそうになりましたが、いい陣痛がくるためにはあなたがしっかりしなきゃ!との言葉に焦らず、リラックスして待つように心がけました。いよいよ出産の日、痛みでパニックになりそうな私をマッサージや呼吸の指導、激励と、先生がいろんな方法で導いて下さったので、12時間耐えられたと思います。過呼吸気味で苦しかったのですが、まわりの事もしっかり聞こえていたし、頭では意外と冷静で、想像していた様なパニックにおちいらなくて本当に良かったです。自分の手で赤チャンをとりあげることができて、終わった…という開放感と、生あたたかい赤チャンを胸に抱いた時の感触とうれしさは一生忘れないと思います。3,600gという、ひまわり記録の大きな赤チャンを薬も器具も使わず自然分娩できた事が一番の喜びです。
 今はまだ疲れているから、二人目は考えられないけれど、また妊娠した時は、またひまわり助産院で産まさせて頂きたいです。一生に何度もできない体験を自分の理想通り(それ以上)にさせて下さり、本当に有難うございました!!


No. 06-25
平成18年11月25日

咲良奈ちゃん、お誕生おめでとうございます


   長女の授乳時、ひまわり助産院でお世話になった時、もし2人目を産むなら、個別指導と自然なお産、乳房管理に重点をおきたいと考えるようになり、ここで産めたらなと思う様になりました。長女妊娠の際、悪阻はもちろんのこと、切迫早産、妊娠中毒症を併発しました。助産院で産むには、妊娠中毒症にならないこと、正期産に入ることが条件。指導の元、食事・体重管理に心掛けましたが、立ち仕事のせいか、切迫早産となり、28週手前から仕事を休むこととなりました。
 自分の仕事が中途半端になってしまうと職場の体制が変わり、多忙な時期であったことから休むこともストレスになっていました。しかし、その甲斐あって、中毒症にもならず、38週0日までもたせられたと思います。そして、忘れてはならないのは、主人が長女の世話・家事すべてサポートしてくれたことです。37週に入り、大潮・新月がやってきて、痛い張りがくれば時間をカウントする日々が続き、11/25深夜2時過ぎに主人と寝ている3才の長女と3人で来院しました。大きなバランスボールに座り、陣痛に合わせて奥先生が腰をマッサージして下さり、とても心地良かったです。一人目の時もこれがあればどれだけ楽だったか…。しかし、今回は、風邪で両鼻が完全に詰まってしまい、息は非常に苦しかったです。両先生の呼吸の指導、マッサージ、会陰部の保護、体位の工夫(力が入り易い位置に常に支えがあった)etc。主人には足をかかえてもらい、力を抜くようにとさすってもらったりと、様々なサポートで来院して約4時間後、赤chanと無事対面することができました。上手にいきんであげられれば、そう少し早く産んであげられたのにな。長女は2230gと小さかったのですが、随分おおきく感じました。
 寝ていた長女が目覚めて初対面、「赤chanかわいい」と笑顔で受け入れてくれて一安心。長女の時は誘発分娩で、陣痛ももっときつく、会陰切開もしたので、出血も多く、痛みも強かったのですが、今回はすべてにおいて本当に楽で自然のすごさを実感しました。
 細やかな個別指導とサポートで本当に心強く、安心していられました。2人の子育てと仕事の両立、不安で一杯ですが、先生方と同様に心強い主人がいてくれるので頑張っていこうと思います。赤chanの為にいいお乳を出し続けられる様、食事管理を頑張りたいと思います。


No. 06-26
平成18年12月19日

零維君、お誕生おめでとうございます


   今日、無事、元気な男の子を産めました。妊娠中は本当につらくて、この子がここまでもつとは思ってもなかったです。私は、子供を産むならどうしてもひまわり助産院でしたいと決めてました。何がなんでもひまわりでしか産みたくないと思ってはいましたが、妊娠中、入院しないといけないように…。健診にも来れず、総合病院のDrからは、「助産院の先生はあなたを受け入れてくれるかどうかわからない」、と言われ、本当に言葉では表現できないほど落ち込み、なかなか先生にきけなかったんです。だけど、受け入れて下さり、本当に感謝しています。
 妊娠が確定した時、これでやっとひまわり助産院でお産ができる!、と思いましたが、妊娠中って何があるかわからないと、自分で体験してよくわかりました(実は、ここで助産師になるための実習を受け、今は、助産師さんです)。お産では、早く生まれそうだよ、と言われつつ、39wまでもって、いつ生まれるのと思いましたが、39wの妊健に行った翌日、お昼頃破水?っぽい水のようなものが…。だけどその後、全く出てこないから、ちがうのかな、と…。だけどその後、2〜3時間後、痛みが。お腹は、妊娠中ずっと張っていたので、陣痛との違いはわかるのかな、と思っていたけど、全くちがいました。で、一度帰ったけど、車の中でドンドン痛みUP。家に着いてすぐ便がしたくなり、またすぐに先生の所に行くことに。片道30〜40分かかる中、実母におしりをおさえてもらい向かいました。車で産まれたら、と思いつつ、パニックに。先生の顔を見ると、ホッとしました。
 主人にも立ち会ってもらえて、何よりもリスなしで産むことができて感謝しています。産んですぐ、こんなに素敵なお産ができるなら、もう一人産みたいと思いました。
 痛みはあったけど、これほど早く産まれるとは思ってなかったので、車で帰宅してよかったのかな!?先生に出会えたことで、私自身、本当に理想の人(目指す人)にこの子をとりあげて頂けたことに感謝しています。お産の時には、椎葉さんのやさしい声かけも、とてもうれしかったです。あんなにパニックになって、すいませんでした。奥先生、椎葉先生、本当に自分の望むお産をさせて頂き、ありがとうございました。二人目もよろしくお願い致します。次こそ、もっとキャキャっと笑って産めるように頑張ります。


No. 06-27
平成18年12月28日

誠人君、お誕生おめでとうございます


   感動のいっぱいある出産が出来た事、奥先生、椎葉先生には感謝の気持ちでいっぱいです。
 長男は総合病院で出産したのですが、陣痛促進剤に痛めつけられ、看護師さん達には放っておかれ、すごく流れ作業的なお産であまり良い想い出がなかったので、第2子出産の時は自然分娩で、助産師さんがお産中、側にいてくれる助産院がいいなと思っていました。里帰りの為、先生方に初めてお会いしたのは妊娠5ヶ月頃。つわりと切迫流産が重なり、ずっと家でゴロゴロしていたので、妊娠5ヶ月頃にはすでに体重は6kg増…(-_-;;。初めて会った先生達は体重管理についてかなり厳しく言われ、恐怖心いっぱいで、やっぱり助産院での出産はやめようかと、正直悩みました。けど、自然分娩がしかたったので、厳しそうな2人の先生やけど、ついていこうと決心しました。それから出産までの体重管理は本当に辛かったです。
 お産当日、なかなか強い陣痛にならなかったので、「はい、今からボート漕ぎ体操を片足150回ずつ」と先生に言われた時はクラブ活動の筋トレよりきついやん、と泣きそうになりました。体操の合い間にくる陣痛の時からお産が終わるまでの間、始終、先生方が声をかけてくれ、マッサージをしてくれて本当に心強かったです。本当に自分の望んだお産ができたと思います。10ヶ月間、私のお腹にいた赤ちゃんが産まれれてくる一瞬、一瞬を味わう事が出来たお産に感動いっぱいです。
ご主人から一言:
 1人目(長男)で立ち会う事に抵抗はなかったものの、へその緒を切ったり、胎盤を触ったりするのはやめとくと言っていたのですが、出産の最後の妻の笑った顔と、先生の「ここ切って〜ェ。」という声に後押しされ、ふるえる手で何とかへその緒を切る事ができました。産み終わった後は、本当に驚く程回復が早く、次の日に退院するといった事を、思わず「うそじゃろ。」と疑いました。自然の力で産む事で、体に負担が少ない事が分かりました。妻にとっても、僕にとってもいいお産になったと思います。本当にありがとうございました。


   




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