束縛の首輪



「な、なんなのあれ…」
「まさか……神…か?」

ヘルハンプールに住んでいる格闘少女エルティナが、過去に一対一の喧嘩を挑んで負けて以来友人となった魔族マユラと久しぶりの再開を楽しんでいる時、上空に突如眩いばかりの光と共に背中に大きな白い翼を生やした人間らしきものが十数人飛来してきた。
背中に翼がある種族、といえばボルホコ山周辺にテリトリーを持つバードマンという種族が知られているが、上にいる連中はそれらとは決定的に異なるものがついていた。
それらの頭の上には例外なく黄金色に輝くリング状のものが浮かんでおり、絵本や話で聞いた天使と全く同じ容姿をしている。
ただ、それらは一人を除いて全員頭をフードですっぽりと覆われ、僅かに見える襟首には真っ白な皮製の首輪を嵌めていたので、およそ神聖な者とは言い難い雰囲気を放っている。

「…私は、アイラ。神から遣わされた使者」

その中で唯一フードを羽織っていないリーダーらしき人物が口を開いた。が、その声は殆ど抑揚が感じられず、入力された言葉を鸚鵡返しに再生しているようにしか聞こえてこない。

「神?神ってあの神様……?」
「エルティナ!下がって!!」

突然現れた神の使者にエルティナは訳がわからなさそうに首を捻り、かたやマユラは眦を吊り上げてエルティナの前に立ちはだかった。
その手には魔力を凝縮させた迸りが見え、今にもアイラたち天使に向けて放たれようとしている。

「偽りの神の尖兵が…、この地上に何をしにきた!」
「ど、どうしたのマユラ?!いきなり強張った顔をして……」

この世界の神の正体を知っているマユラは、直感で上空の天使たちがやばい存在であることを感じ取った。
今までも色々な方法で地上を自分たちの都合のいい世界に導いてきたが、決して地上には降りてこなかった神たちが直接使者を寄越してくるなど、よほどのことがない限りありえない。

「消えなさい!神の尖兵!天魔・氷結!!」

マユラの掌から発せられた魔力は、炎すら凍らせる吹雪となってアイラたち天使に襲い掛かっていった。
しかし、猛烈な吹雪はアイラたちに近づくにしたがって勢いを失い、たどり着く頃には爽やかな涼風と成り果てアイラたちの髪を軽く揺ったに過ぎなかった。

「なにっ?!私の魔法が無効化された?!」

予想もしない出来事にいつも冷静なマユラの顔が珍しく驚きに歪んだ。
自分で言うのもなんだが自分の内に秘められた魔力は魔族の中でも上位に位置すると思っている。あまりの強さに魔力を発する源の髪の毛を自分で切っているくらいだ。


だが、あの天使はそんな自分の魔力をいともあっさりと無効化して見せた。
間違いなく『あれ』は自分たちの手には負えない化け物だ。

「エルティナ、逃げな!アレは危険すぎる!」

自分が勝てない代物にエルティナがどうにかなるはずがない。マユラはエルティナに逃げるように勧めたが、既にマユラ達の周りは上空から降りてきた天使に取り囲まれていた。

「人間よ…、今この世界は大いなる災厄に見舞われようとしています。
今こそ災厄へと立ち向かい、この美しい世界を守るのです」

二人の前に下りてきたアイラは、エルティナに顔を向けていまいち要領の得ないことを発してきた。訳の分からない言葉に思わずエルティナはきょとんとなってしまう。
が、次の言葉を聞いた時にエルティナの顔がサッと赤くなった。

「ですが、この世界に魔族はいりません。魔族こそがこの世界に災厄をもたらす元凶なのです。
さあ、隣の魔族を殺すのです。魔族はすべからず滅ぼさなければならない存在です」

この言葉にマユラはグッと眉をひそめ、エルティナは怒りに髪を逆立たせた。

「な、なにを言っているのよあなた!マユラを殺せ、ですって?!
そんなこと出来るわけないじゃない!マユラは私の親友よ、殺すなんて冗談じゃないわ!!」

目の前の天使を敵と認識したエルティナはグッと戦闘態勢の構えをとった。先ほどのマユラの魔法を無効化した手前相当な強さというのは認識できているが、だからと言って親友を手にかけようとする相手を許すわけにはいかない。

「さあいくわよ!あんたなんかけちょんけちょんに倒してあげる…」
「バカ!エルティナの勝てる相手じゃない!それよりなんとか取り巻きの天使を片付けて逃げるのよ!」

今にもアイラに飛び掛ろうとしたエルティナの手をマユラは慌てて掴み、そのままアイラとは反対側の天使のほうへ向けて猛ダッシュで走り始めた。

「捕らえなさい」

アイラの命令に行く手の天使が手に持った矛を構えて襲い掛かってきた。羽を使って跳躍してきたのでその踏み込みは驚くほど早い。
だが、天使が矛を振り上げた時

「やーっ!!」

エルティナが勢いよく突き出した正拳が天使の鳩尾にめり込み、そのまま天使は木陰へと吹っ飛ばされてしまった。
それを見た周りの天使が一斉にエルティナとマユラに迫ってきた。恐らく一対一では分が悪いと見て数を頼りに押さえ込もうというのだろう。
ところが

「でりゃりゃりゃりゃ!!」
「鬱陶しい、消えろ!!」


エルティナの拳の連打が次々と天使を空へと打ち上げ、マユラの魔法が天使たちを凍りつかせていく。
ものの数分で十数体はいた天使たちは大部分が戦闘どころか動くこともままならなくなっていた。
これなら!と二人はこの場から逃げ出そうとしたが、その前にそれまで手を出してこなかったアイラが舞い降りてきた。

「逃がしはしません」

アイラは相変わらず無表情のまま戦槍を構え、二人の前に向けている。だが、そこからはここから先は一歩も通さないという決意が見て取れた。

「なんでよ!なんでマユラを殺そうとするのよ!魔族だから?!なんで魔族ってだけで殺さなければいけないの?」

エルティナは憤慨してアイラに噛み付いた。確かに魔族を危険視し排除しようとする人間は多い。
でも自分は少なくともマユラには危険という感じはもっていない。むしろ、普通の人間と接しているのと何の変わりもしない。
それなのに目の前の天使は、ただ魔族というだけでマユラを殺そうとしてきている。

「そんな理由で、マユラを殺させはしない!!」

今まで天使を蹴散らしてきた勢いそのままにエルティナはアイラに飛び込んでいった。後ろでマユラが何か言っている気もするがそんなものは耳に入らない。

「…すこし、大人しくしていなさい」

突っ込んでくるエルティナに、アイラはスッと戦槍の柄を向けヒュッと突いた。
もっともエルティナもアイラの戦槍には警戒をしていたので、すぐさま横っ飛びでかわそうと大地を踏みしめた。
が、横に飛ぼうとするよりも早くアイラの戦槍はエルティナの腹にめり込んできた。

「げふっ!」

自分が予想したよりもはるかに早い突きに、エルティナはさっきマユラの魔法があっさりと無効化されたことをいまさらに思い出した。

(そういえば、目の前の天使は自分たちよりはるかに強い化け物だったんだっけ……)

後悔する暇もなく、エルティナの体は勢いよく吹き飛ばされもんどりうって倒れた。腹を突かれた痛みで呼吸することもままならず、目の前が真っ暗になって碌に周りが見えない。

「がはぁっ……!はぁぁ!!」

苦しみで悶絶するエルティナの両腕が不意にがっしりと掴まれた。視力が落ちているエルティナにはよく見えないが二人の天使が自分を押さえつけていることだけは分かる。

「エ、エルティナ!!」

エルティナが吹き飛ばされたことに泡を食ったマユラもつい周りへの警戒を怠り、後ろから天使に羽交い締めにされてしまった。

「しまった!畜生、離しな!!」


マユラはなんとか引き剥がそうとじたばたともがくが、元々膂力はあまり高くないので天使を振りほどくには至らない。
その間に、エルティナを捕まえた天使はエルティナの脇に腕を回して強引に立たせ、アイラの前へと連れて行った。

「うっ……ぐ……」
「強い人間…。神の使徒を叩き伏せるほどの力を持った人間。あなたは実に危険で、そして頼もしい人間ですね」

霞む目でよくは見えないが、エルティナを見るアイラの顔は先ほどに比べて幾分表情があるように見える。
もっとも、それは無機物を見る目から小動物を見る目に変わったぐらいの代物だが。

「私は地上に降りてから、あなたのような人間を求めてきました。
人でありながら大いなる力を持った人間。神に襲い掛かる脅威を撥ね退けられるほどの力を持った人間を。
あなたは、大いなる脅威に立ち向かう尖兵として選ばれました」
「えら…ばれた?何を言っているのか、わから、ない……」

痛みと息苦しさで頭が回らないエルティナにはアイラの言っていることがいまいち理解できない。一体選ばれたからといって、何になるというのか。
首を捻るエルティナの前で、アイラは懐から一枚の首輪を取り出した。
丁寧になめされて光沢を放っている皮は真っ白に着色され、装飾されている貴金属が白金で作られているそれは、周りの天使が身につけているものと全く同じだ。

「これは、人間を神の使徒に転生させる神が作られし道具です。私は神の命に従って世界を周り、力ある人間を使徒へと転生させてきました。
すべては大いなる脅威に立ち向かうため、そして地上を汚す魔族を根絶やしにするため…
あなたを抑えている使徒も、元々は人間だったものを転生させたものなのです」

エルティナを拘束している天使がアイラの声に反応したのかそのフードをはらりと下ろした。

「「??!」

その顔形にエルティナもマユラもギョッとした。

「「シ、シフォン?!」」

エルティナを捕まえている二人の天使の片割れは、二人の知り合いであるシフォンだった。
ただ、シフォンの顔はアイラと同じで表情が失われ能面のような顔立ちになっており、首に癒着したようにくっついている首輪からは幾つもの筋が皮膚の下に浸透してビクビクと不気味に脈打っている。

「や、やだシフォン!離して!!私がわからないの?!」

エルティナは必死にシフォンに呼びかけるが、シフォンは何も聞こえていないのか微動だにしない。

「無駄です。使徒は神の言うことのみに従い神の為すことのみを行います。その使徒も、もはや人間の時の記憶はありません。
神にのみ従う存在に、人間だったときの記憶は無意味です」

アイラは全く無慈悲に言い放った。アイラがシフォンとエルティナ、マユラの関係を知っているはずがないのでこの事態は単なる偶然なのだろうが、それにしても残酷に過ぎる。


「さあ、あなたも神の使徒として大いなる脅威に立ち向かう戦士となるのです」
「いやっ!いやぁぁ!こないで、こないでぇ!!」

アイラが両手で首輪を持ち、エルティナの首に嵌めようと手を伸ばしてくる。エルティナは恐怖に脅え必死に逃れようと体をくねらすが、先ほどのダメージが抜けてない上にシフォンたちに掴まれて為す術がない。

「怖がる必要はありません。なぜなら、そういう感情すらもう必要なくなるのですから」

アイラはそっと巻きつけるようにエルティナの首に首輪を回し、バックルをベルトの穴に通した。
すると、まるで首輪は意思を持つかのようにギュウゥっとひとりでに収縮し、エルティナの首に密着してきた。

「はぐっ!はあぁぁあ!!」

その締め付けの強さにエルティナは苦しさから背中を大きく仰け反らせた。が、それだけではすまなかった。
肌にピッタリ密着した首輪の皮から一本一本繊維が伸び、それがじくじくとエルティナの肌下を侵食し始めている。

「ひっ!ひぎゃ!!なにこれええぇぇぇぇえええっ!!」

痛みはない。さりとて快楽ですらない。エルティナに何も与えることなく、ただただ機械的に異物が網の目のように際限なく広がっていき、エルティナをまったく新しい生物へと変えていっている。

「い、いやぁぁぁぁぁ……わ、私が、わたしがきえて、いくぅ……」

既に首輪はまるで白い血管のようにエルティナの全身に行き渡り、次第にエルティナの体の中へと溶け込んでいく。
それに伴って、エルティナの中から感情と呼ばれるものが次第に希薄になっていった。

自分のこと、シフォンのこと、マユラのこと、父のこと

それら全てがまるで遠い国の出来事のようにどうでもよくなり、そのどうでもよいと思う心すら真っ白にデリートされていく。
目は何も見えなくなり、耳は何も聞こえなくなり、鼻は何も嗅げなくなり、口は何も語れなくなっていく

「し、しふぉ……た、すけぇ………」

もう殆ど利かない目で助けを求めたシフォンの顔は、さっきと変わらず無表情のままだった。
そして、助けを求めていたエルティナもまた、シフォンと同じ人形のような何の感情も感じられない表情になっていた。

「うぁ……」

そしてそのまま、エルティナの意識は何も感じられない闇の底へと埋没していった。



「エルティナ、エルティナァ!!」

魂すら振るわせるような絶叫を放ち続けた後、糸が切れたようにぐったりと伏したエルティナに、マユラは声を枯らさんばかりに叫び続けた。


「お前ら、エルティナになにを……?!」

マユラがアイラを視線で射殺さんばかりに睨みつけた時、不意にエルティナの目がカッと見開かれた。
その目はどこまでも清く透き通っているものの、そこには何も写してはいない。

「う、あ、あ…」

まるで何かが込み上がってくるのを抑えるかのように細かく体を振るわせるエルティナの背中が突然ブクッと膨れ上がったかと思うと、服を引き裂いて中から純白の羽が一対バサリと大きく開かれた。

「エ、エルティナ?!」

マユラが驚く前で、エルティナの体は白く輝き、頭の上に天使のシンボルである黄金色のリングが鈴の音色のような澄んだ音を立てて出現し、降り注ぐ光の粒子が纏った服を天使のものへと変え、手には天使の矛が握られていた。
もちろん首にはあの首輪が巻かれており、首輪と首輪から皮下に浸透して広がっている網目状のものが規則的にドクン、ドクンと脈動している。

「…………」

エルティナ完全な天使の姿になったのを見て、シフォンたちがエルティナの腕をそっと放した。
するとエルティナは羽を羽ばたかせながらアイラの前に降り立ち、すっと腰を降ろして頭を下げた。

「これであなたも神の使徒として新たな生を得たのです。これからは神のためだけに尽くし、神のためだけに生きるのです」
「………はい」

アイラの言葉にこくりと頷くエルティナの顔には、もう何も感情というものが現れてはいなかった。
その耳に聞こえるのは神の声。その口が発するのは神の言葉の代弁。そしてその目に映るのは、神と敵のみ。

「使徒エルティナ、あなたに最初の使命を課します。
あそこにいる汚らわしい魔族を、その手で討ち果たすのです」

「はい」

アイラの命令に機械的に頷いたエルティナは手に持った矛を握り締めると、ふらふらと羽ばたきながら拘束されているマユラに近づいていった。

「な、なにを!エルティナ!!やめろ、やめて!!」

マユラはエルティナに必死に呼びかけるが、神の使徒になったエルティナの耳には神の声しか届かない。
マユラは絶望に果てた表情を向けたが、エルティナの目には目の前の個体は敵としか映らない。

「エル……!」
「…魔族は、滅ぼすべき存在」

神が言うことをそのまま口にしたエルティナは、手にした矛を大きく振り上げると、つい先ほどまで守ろうとしていた親友の心臓目掛けて、真っ直ぐに突き下ろした。




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