侵食細胞


「これは…救難信号?」
オペレーション・プランタジネットを目前に控え、北アメリカ大陸へ進路を進めるハガネとヒリュウ改。
その航路の途中でのインスペクターの奇襲を防ぐために哨戒偵察に出ていたラトゥーニ・スゥボータ
は、太平洋上から発信されている救難信号を捕らえていた。
多少の逡巡の後、ラトゥーニはハガネへの通信回線を開いた。
「スティール2へ、当該地区で救難信号を確認。これより救助へ向います。
万一の際に備えて救援の用意をお願いします」
哨戒偵察の仕事を考えるとここで救助に行くことは哨戒線に穴を開けてしまう事になるし、こんな太平
洋の真ん中で救難信号を都合よく捕らえるというのも多分に怪しい。ある程度罠の可能性を考慮しつつ
も、無視するというわけにもいかないから、ラトゥーニはとりあえず一見しようとフェアリオンのスロ
ットルを開いて現場に急行した。


ラトゥーニが向った先にあったもの。そこには波間をゆらゆらと揺れる巨大な艦船が浮かんでいた。
「キラーホエール級潜水空母…。あれが、救難信号を出していたの?」
ラトゥーニが訝ったのも無理はない。そのキラーホエールは塗装は剥げ、砲身はあらぬ方向を向き、と
ころどころを爆発の煤で汚している、幽霊船と言ってもいい代物だったからだ。
勿論人の気配は全く無い。
しかし、フェアリオンに搭載されているセンサーからは、キラーホエールから発信されている信号をし
っかりと捕らえている。
「もし、人がいるのなら…」
もう少し詳しく確かめてみようとキラーホエールに接近していくと、甲板付近に何かが激突した跡があ
るのが見えてきた。どうやらAM(アーマードモジュール)らしきものが突っ込んでいるらしい。
「えっ、あれって………!」
近づいていくにつれ、その機体が何かはっきりとしてくる。そして、それが肉眼ではっきりと視認で
きるところまで来たとき、ラトゥーニの心に衝撃が走った。
そこにあったのは、かつて自分がテストパイロットとして乗り込んだ機体。自分の目の前で奪われた
機体。かつての自分の仲間が駆って立ちはだかった機体。そして、自分が捜し求めていた機体。

PTX−16Rビルトファルケン

キラーホエールに半ばめり込み、両翼のウィングは損壊し、左脚部は脱落しているもののその鮮明な蒼
い機体色と右手に握られている長砲身のオクスタン・ライフルは彼女の特徴と存在感を余すところなく伝えていた。
「ビルトファルケン!じゃあ、あそこにはゼオラが?!」
ゼオラ・シュバイツァー。かつてラトゥーニも所属していた連邦軍特殊機関『スクール』の数少ない
生き残りであり、現在ラトゥーニと行動を共にするアラド・バランガのパートナーとして養成されて
きたが、現在はノイエDCの記憶調整により彼女達の前に立ちはだかる敵となっている。

ゼオラやオウカ姉様を『スクール』の呪縛から解放してみせる。

と、アラドやリュウセイ達と誓い合い、その存在を捜し求めていたゼオラが目の前にいる。
「ゼオラ、ゼオラ?!そこにいるの?!」
ラトゥーニは興奮で上ずった声でビルトファルケンに通信を送ったが、向こうからは何の返答も帰ってこない。
「聞こえないの?ゼオラ?!ねえ!」
ならばと出力と音声を最大にしてみるものの、ラトゥーニの耳に入ってくるのは耳障りなノイズ音だけだったりする。
「通信装置が壊れているのかもしれない……。なら!」
ラトゥーニは躊躇せずキラーホエールに横たわるビルトファルケンに向けてフェアリオンを降下させていた。
太平洋のど真ん中で救難信号を捕らえ、向った先に自分が探して止まなかったビルトファルケンがいた
という都合のよすぎる偶然をを疑うことは既に失念していた。


ビルトファルケンの前に着地したラトゥーニは、コックピットハッチが開く時間さえもどかしいと感じ
るほどの速さで飛び出し、ファルケンのコックピット前にある外部コンソールを叩いた。幸い電送系は
生きているらしく、軽い電子音の後に外部装甲が動きハッチが口を開いた。
「ゼオラ!大丈夫………、え?」
ラトゥーニが開いたコックピットから中に入ろうとした時に視界に飛び込んできたもの、ビルトファルケンの
コックピット内部。
そのコックピットの中には、誰もいなかった。
「どういう、こと………?」
不審に思ったラトゥーニが中を覗き込もうとした時、パシュッという圧縮ガスの音と共に首にズキッと
した痛みが走った。
「あつっ!」
何事かとラトゥーニが首筋に手を添えると、シリンダーが仕込まれた注射器のようなものが突き刺さっていた。
中には不気味な色をした液体が仕込まれており、体内に入ったのか刺された所がズキズキと熱もってきている。
「やれやれ。月並みな手だとは思っていたけれど、こうも見事に引っかかってくれるとは思わなかったよ」
聞きなれない声にラトゥーニが後ろを振り向くと、そこには一人の少年がガス銃を持って立っていた。
「あ、あなたは…」
他者を見下す冷酷な視線。血が通っていないかのような肌。黒と青のツートンの髪。
そして、どこかアラドを思わせる風貌。
「た、確か…アビアノ基地で………」
「正解。と、言いたいけれど残念。僕はイーグレット・アンサズ。アビアノに来たのはイーグレット・スリサズ。
同型のマシンナリー・チルドレンだから間違えるのも無理はないかと思うけれど、あんな粗忽者と一緒にしないで
貰いたいね、ラトゥーニ11」
ラトゥーニに対峙するアンサズは、わざとなのか名前の後に被験者ナンバーを付けて答えてきた。
「マシンナリー・チルドレン………?」
『ラトゥーニ11』という忌まわしい単語、そしてマシンナリー・チルドレンという聞きなれない言葉に
苦痛に歪むラトゥーニの表情がますます険しくなった。
「そう。君たちブーステッド・チルドレンやシャドウミラー、エアロゲイターのデータや技術を結集し
て作られた新人類。地球の次代を担う存在。それが僕たちマシンナリー・チルドレンさ」
マシンナリー・チルドレンという言葉によほど誇りを持っているのか、アンサズは自信満々にラトゥーニ
に語りかけてきた。
「アギラ・セトメが君に御執心の様子だったけれど…、こんな陳腐な罠に引っかかるようでは所詮底
が知れるというものだね。やっぱりブーステッド・チルドレンでは僕たちマシンナリー・チルドレンの
足元にも及ばないんだよ」
「罠、ですって…。じゃあこのビルトファルケンは…」
「勿論、アースクレイドルから持ち出してきた本物だよ。そうでなければ誤魔化すことが出来ないからね。
お前達、特にアラド・バランガとお前はこいつの中身を取り返そうとしていたのは知っているからね。
こいつをちらつかせたら思ったとおり食いついてきて、笑いが止まらないよ」
つまり、一連のことは全てアンサズがラトゥーニを誘き出すために打った芝居だということ。
罠の可能性を考慮していたにもかかわらず、ビルトファルケンを一目見ただけで冷静さを欠いてしまった
迂闊さに、ラトゥーニは臍を噛んだ。
「なんて、こと…」
「それが人間の限界さ。頭では分かっていても感情という邪魔なものが先走って自らを窮地に陥れてしまう。
感情なんて不安定なものに左右されず、常に最適な行動を取ることの出来る僕たちに、敵うはずも無い」
勝ち誇ったかのようにアンサズの顔が笑みで醜く歪んだ。
「それで…、私をどうする気、なの…」
このまま人質にされる。アースクレイドルに拉致される。この場で始末される。
どう転んでも、明るい未来は無い。


だが、アンサズの答えはそのどれでもなかった。
「いや、ね。スリサズの奴がアラド・バランガのことを変に意識してさ、パパの命令にもこのところ
反抗気味なんだよ。だから、いい加減アラド・バランガを始末しようと思ってね。
だけどさ、ただ始末するなんてつまらないじゃないか。僕たちが本気を出せば出来損ないのブーステッド・
チルドレンなんか虫を潰すように片付けられる。でも、それじゃあ当たり前すぎて面白くない。だから、さ」
そこまで喋ってから、アンサズの視線がラトゥーニに向けられた。
「お前を使って殺すのさ。仲間だと思っている相手に弄られてから殺される。仮にも僕たちのベースとなった
人間だ。最後くらい顔を知る人間に殺される情けをくれてやろうじゃないか」
「なん………ですって!」
自分を使ってアラドを殺す。あまりにも恐ろしいことを目の前の少年は言ってのけた。
「バカ言わないで…。私がアラドを殺すわけ、な……」
ない、とは言い切れない。アースクレイドルにいるアギラ・セトメならば自分の人格を調整してアラドを
殺すように仕向けることなど造作も無い。現にゼオラ、オウカといった面々もかつて親しかったアラド
を始末しようと向ってきたではないか。
「い、いや……。もう頭をいじられるのはいや!自分が自分でなくなるなんていや!」
『スクール』のころのトラウマが蘇ったのか、ラトゥーニはその場で蹲り、頭を抱え全身をガタガタと震わせていた。
「安心しろ。お前をアースクレイドルに連れて行ったりはしないよ。いや、そんな必要も無い」
アンサズは震えるラトゥーニの頭をメット越しにぐい、と掴み無理やり自分のほうへ視線を向けさせた。
「もうすぐお前は、僕の言うことに一言一句逆らえなくなるんだからな」
「逆らえなく、なる……?!」
何を言われているのか理解できないラトゥーニに、アンサズは右手に持っていたガス銃を前に突きつけた。
「さっきお前に打ったシリンダーには、パパが開発した自立型金属細胞『マシンセル』が仕込まれている。
僕たちの体を構成しているこのマシンセルは、無機物、有機物に取り付いて増殖を繰り返し、個体を
マシンセルで構成する物体に進化させることが出来るんだ。つまり」
ここまで言ってから、アンサズはラトゥーニのヘルメットを無理やり脱がして後ろへ放り投げた。
「お前はもうじきマシンセルで構成された新人類になる。マシンセルを自分たちで制御できる僕たち
マシンナリー・チルドレンと違い、アースクレイドル中枢『メイガス・ゲボ』の意志のままに動く人形だけどね!
触ってみな、自分の頬を。もうかなりマシンセルの同化が進んでいるのが分かるよ!」


「!!」
アンサズの言葉にラトゥーニは、慌てて手袋を外し自分の頬に手を当ててみた。
確かに部分部分ではあるが、明らかに普通の皮膚と違う部分がある。まるで鉄のように冷たくつるりとした
感触が感じられる。
「な、なんなの、これ?!」
自分の手から全身に、ぞっとした怖気が走る。よく見たら手も所々が目の前にいるアンサズと同じような
色合いの肌に変わってきている。しかも、それは傍目から見ても分かるほどの速さで広がりつつある。
もし鏡がそこにあったら、顔の肌の大部分が変わりつつある自分を見ることが出来ただろう。
「ああ……、いや、いや!!」
「おいおい、何を嫌がっているんだい?なろうと思ってもなれない地球の次代の支配者にわざわざ加えて
やろうと言うんだ。感謝して欲しいくらいだよ」
「そ、そんなの…、うれしく、なん、か………」
ラトゥーニの声がだんだんと擦れてきている。マシンセルの浸食が脳に達してきているようで、意識、感情
記憶といったものが、しだいに1と0の記号に摩り替わっていくのが感じられる。今あるラトゥーニ・スゥボータ
という『個』が薄れ、別のものに置換されていくのが感じられる。
「さあ、もうすぐ自分で考えることもしなくても良くなる。僕たちやメイガスの命令だけを聞いていればよくなるんだ。
そしてお前の最初の仕事は…、ここにアラド・バランガをおびき寄せて、その手で殺すんだ。なるべく残忍に、ね」
「そ、そんなこと………、させ、ない……」
薄れる意識を必死に繋ぎとめて、ラトゥーニは腰に携帯してある護身用の拳銃をなんとか手に取り出した。
こうなっては自分はもう助からない。ならば、アラドや他のみんなに迷惑をかける前に、自らの手で自らに手を下すしかない。
マシンセルの意志なのか、拳銃を握った右手はそれを遠くに放り投げようと力を入れている。それを何とか
自由になる左手で押さえ、ぶるぶる震えつつも銃身をこめかみに突きつけるところまで持ってこれた。
「シャイン王女…、オウカ姉さま…、アラド、ゼ、オラ…さよ、なら………
リュウセ、イ………ごめ、ん、ナ、サ……ィ」

パァン

キラーホエールの甲板に渇いた銃声が響いた。




「おーい、ラトーーっ!そこかーーっ!!」
ラトゥーニから「ビルトファルケンを見つけた」との連絡が入り、アラドは矢のような速さでビルトビルガー
を飛ばし、フェアリオンから入ってきた座標に急行してきた。ラトゥーニのフェアリオンが降り立っているキラー
ホエールの甲板上には、確かにビルトファルケンが横たわっている。
フェアリオンのコックピット内にいるラトゥーニは、バイザー越しでよく表情が読み取れないが思ったより
冷静な感じがしている。
「どうした?ラト。そこにゼオラがいるんだろ?!」
「……………」

−音声照合………、確認。対象物アラド・バランガと認識−

「ううんそれがよくわからないの。通信装置が故障しているみたいでこっちからの声も向こうからの声も届かないみたいで」
「だったらコックピットひっぺがせばいいじゃないか!やってみたのか?」
「まだやってない」
アラドはラトゥーニの声に妙に抑揚が無いように感じられたが、目の前のビルトファルケンのほうに神経が
向いてしまい、あまり気に止めようとはしなかった。
「わかった。じゃあ俺がやってみる!でも俺じゃあ分からないかもしれないから手を貸してくれ!」
「わかったわ」
ビルガーから飛び出てファルケンのコックピットに向うアラドを尻目に、ラトゥーニはゆっくりとフェアリオンの
コックピットから出てきた。

その手には、黒光りする拳銃が握られていた。



「立つんだ。ラトゥーニ11」
アンサズの言葉に、こめかみを撃ち抜き倒れていたラトゥーニはゆっくりと起き上がった。その瞳は
人形のように何の感情も表そうとはせず、露出している皮膚は完全にアンサズと同じような色味に変化している。
銃弾を受けたこめかみからは血の一滴も流れておらず、ただ虚ろな空洞があるのみだった。
「ラトゥーニ11、頭部の損傷具合は?」
「通常行動に支障はありません。損傷部分はマシンセルによる修復作業中。完全復旧まで4分です」
アンサズの問いかけに、ラトゥーニは抑揚も感情もない、まるで機械のような受け答えかたをした。
「残念だったね。もうあそこまでマシンセルに侵されていたら拳銃ぐらいで死にはしないよ。まあ、
自己満足の中で逝けたから幸せだったのかな。なあラトゥーニ11」
「質問の理解が出来ません。質問は明瞭にお願いいたします」
「ああ悪かった悪かった。もうお前は自分では何も考えられなくなったんだっけな。じゃあ、命令だ」
アンサズは甲板に落ちていたラトゥーニの拳銃を拾いながら言った。
「この場所にアラド・バランガをおびき出し、この銃で殺すんだ。ただし、一発で殺してはダメだ。
まずは両足、動けないようにしてから右手、左手。腰を撃ってから肺を撃ち、自分の血で溺れ殺してやれ」
「畏まりました」
アンサズから手渡された拳銃をラトゥーニは腰に締まってから、フェアリオンに戻りアラドに通信を入れた。
「アラド聞こえる?今こっちでビルトビルガーを見つけたの。位置座標を送るわ…」



「あ〜〜〜〜!!こりゃダメだ。俺にはわかんね〜〜〜!ラト、お願いだ!手伝って…」
アラドが後ろを振り向くと、そこには拳銃を自分に向けたラトゥーニが立っていた。ヘルメットを外した
顔は妙に血色が悪く、その顔には何の表情も形作られていない。
「ラ、ラト………?!」

パァン

何をされているのか理解できないアラドの前で、ラトゥーニが持っている拳銃から渇いた銃声が響いた。