来栖宥子★午後のアダージォ

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名張毒ぶどう酒事件異議審決定 唯一目をひいた記事

2006-12-27 | 死刑/重刑/生命犯 問題

〈来栖の独白〉
 再審決定取り消しにつき、今朝の中日新聞<名古屋版>で唯一目をひいた記事があった。奥西氏逮捕直後に行われた氏の記者会見についての記事だ。この3分間の記者会見が、今回の取り消し理由の一つになった。記事は柳川善郎岐阜県御岳町長の話。柳川さんは、事件当時NHKの記者で、この会見で奥西氏にインタビューした。以下。

 「大きな事件を、自分のちょっとした気持ちから・・・。何とお詫び申し上げてよいか分かりません」ぼさぼさの頭、落ち窪んだ目。奥西死刑囚は終始、うつむいたまま、ぽつりぽつりと語った。わずか三分間の短いやりとりだった。1961年4月3日の正午過ぎ、三重県警名張署の宿直室で、異例の容疑者の記者会見が行われた。事件発生から7日目。自白の模様はテレビ中継され、新聞各紙にも載った。「はめられた」。奥西死刑囚は45年経った今も、このインタビューを悔やむ。「警察から『家族を救うために会見して謝罪しろ』と言われ、取調官が書いた文を(暗記して)読んだだけ」と裁判官にあてた手記でも訴えた。
 柳川さんは当時、NHKの三重県警担当キャップ。記者クラブの代表取材の一員として、奥西死刑囚の話を聞いた。柳川さんによると、会見は「報道陣が警察に押し込む形で」実現した。その前日、県警幹部が「奥西の妻」犯行説を明らかにしたばかり。一晩で犯人が一転したことに「記者たちはいきり立っていた」という。
 待ち構えた容疑者の第一声。「ちょっとした気持ちから・・・」。冒頭の言葉に柳川さんは「真犯人」と直感したという。うなずける。本当の動機はそんなものだろう。単純に困らせてやろうとしたのだ。「うーん」。迫真の受け答えに次の質問が思い浮かばなかった。
 ただ、その後の司法判断は無罪から死刑に、そして再審開始決定から取り消しに。この取材を機に、「人は判断を誤る」と、死刑廃止論に傾いた。自身は十年前、暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負う被害者になった。それでも、いくら犯人が憎くても、死刑はいけないと思う。柳川さんは、奥西死刑囚に呼びかける。「お互い生きているうちに、もう一度会ってみたい。無実を訴えるなら、今度は目と目を合わせて」

 
「ちょっとした気持ちで・・・」逮捕後
、記者会見で犯行を認めた奥西死刑囚(左)=1961年4月、三重県名張市で
..................................................
<2006.12.27中日新聞三重版>
再審取り消しに葛尾・住民は納得
名張毒ぶどう酒事件
 名古屋高裁が26日に出した名張毒ぶどう酒事件の再審開始を取り消す決定。いったん開きかけた再審への道は再び閉ざされた。「犯人は奥西勝死刑囚」との思いが強い事件の舞台・名張市葛尾区の住民からは「当たり前」「信じていた」と取り消しの決定を支持する声が聞かれた。一方、地元・名張で奥西死刑囚の救済活動を続けてきた支援者は「司法の原則が守られていない」と怒りをぶちまけた。
 「良かったな…」。事件で妹を失った葛尾区の坂峰敏一さん(79)は、名高裁の決定を報じるテレビ画面を見つめ、数回うなずいた。納得の表情を浮かべながら「真相究明を行った検察と、弁護団のいいかげんな理屈のどちらが信頼できるか。裁判官はよく見てくれた」と評価した。
 いまだ決着せず、二転三転する裁判に「弁護団はもう言い掛かりを付けるのはやめてほしい。早く決着をつけ、5人を極楽往生させてやりたい」と強い口調で語った。
 事件で妻を亡くした奥西楢雄さん(81)は「再審開始取り消しは当初から確信していた。ニッカリンTが凶器でないという(弁護団の)主張がそもそもぼけていたんだ。あれだけ調べたのだから犯人は絶対間違いない。騒いでいるのはあなたたち(報道陣)だけで、事件は解決済みだと思っている」と言い切った。
 葛尾区は人口53人、世帯数16戸(12月1日現在)の奈良県との県境に近い山あいの、のどかな集落。事件現場となった葛尾公民館は1987(昭和62)年12月に取り壊されて今はゲートボール場になっており、かつてこの集落で未曾有の大事件が起きた気配はない。
 ゲートボール場近くにある犠牲者の女性5人をまつった供養塔だけが、事件があったことを今に伝える。この日も地元住民が名高裁の決定の報告を兼ねて供養塔に花を手向けに来る姿があった。
 供養塔に足を運んだ地元の神谷道代さん(64)は名高裁の決定には「ほっとした」と語ったが「裁判の節目のたびに騒がれ、再審開始決定以後は葛尾の人たちを悪者扱いする風潮もあった。45年たっても結論が出ないから苦しい思いをさせられている」と長引く裁判への苦悩を吐露した。

名張毒ブドウ酒事件 辛い地元住民「無罪ならやっていない証拠を示して」 
毒ぶどう酒事件の人々 〈1〉晴れぬ疑心、残る傷〜〈6〉恨むよりも生きる 

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