月刊「波動」2002年2月号より
        
 IHM総合研究所研究員 木津孝誠

IHM総合研究所では新しい水の評価法として、国内外の自然水や水道水、音楽を聴かせた水や文字を見せた水、その他さまざまな水の氷結結晶を写真に撮影しています。このコーナーでは最新の結晶写真を中心に興味深いものをご紹介します。

たとえば、多くの見知らぬ人が集まるパーティー会場。そこで宗教について語ること、難かしいといわれ、それはタブーである可能性さえあります。
自分の好きなペットや音楽について語るような話題とは違います。今回は、慎重さを要するといえるテーマに取り組んでみました。

人の「祈り」や「言葉」が水に及ぼす影響 世界に代表される五大宗教が見せてくれた結晶たち
 
すべての宗教を個人の信仰として考えるならば、「合掌する姿」や「祈りを捧げる横顔」が共通して美しいように、尊いものといえます。しかし、組織としての宗教を考えると、求心力を高めたり、巨大化を目論むあまり、排他的になったりする可能性を含んでいるといえます。そんな組織としての宗教を語ることが、前述のタブーにも緊がるのではないかと考えられます。
 結晶観察の立場は、前回の「水の顔」でも述べたように、あらゆる宗教に対して中立です。しかし、扱うテーマに関しては、人の「祈り」や「言葉」が水に及ぼす影響ということで実験を試みたり、場合によっては特定の宗教によって説かれてきた内容と重なるような提言もしてきました。つまり、組織としての宗教に対しては、宗教同士の対立がある限り中立を守らなければなりませんが、さまざまな宗教の共通項を示すことができるのが、水の結晶メッセージといえるわけです。
 
 そういうわけで、今回のテーマは世界五大宗教の文字見せを行ないました。「キリスト教」「ユダヤ教」「イスラム教」「仏教」そして「ヒンドゥー教」。世界の大多数の人々がそのいずれかを信仰しているといわれます。多くの人が信仰するということは、そこに多くの人が共鳴する共通項があるわけです。水の結晶はすべて違いますが、秩序性として六角形であるという共通項があります。
それでは、同じ結晶(宗教)でも趣きがこんなにも違うのかという、共通と相違の面白さを見てみることにします。結晶はべストショットを紹介していきましょう。


クリスタルの語源はキリストのすべて

 はじめはキリスト教です。IHM総合研究所所長の江本勝がヨーロッパで聞いた話によるとクリスタル(Crystal)の語源は「キリストのすべて(Christ all )からきているそうです。
キリスト教の神とは、もともとユダヤ教のヤハウェであり、「父なる神」を意味し、言語圏の違いで呼び方が変わります。英語では「God」、ドイツ語では「Gott」、フランス語では「Dieu」、イタリア語は「Dio」となります。唯一絶対神でも呼び方が違うように、結晶も六角形という共適項を保ちながら多様性のある美しい結晶群が観察されました。


ほとばしるような勢いを象徴した結晶
 では次に、そのキリスト教の元となったユダヤ教の文字見せです。ユダヤ教といえばダビデの星が有名ですので、かっきりくっきりした六角形が……などと思ったのですが、勢い良く放射状に成長する結晶が多く観察されました。映画「十戒」でおなじみのシーン、旧約聖書に登場するモーゼがエジプトを出る時に海が割れて道ができました。そんなほとばしるような勢いを象徴しているのかのような結晶たちです。


バランスの良い信仰心にふさわしい結晶
 それでは、次の一神教「アラーの神」を拝するイスラム教からです。こちらは代表格の美結晶の連続写真を紹介しましょう。日々コーランを読み、戒律を守る熱心なイスラム教徒の方々の信仰心。神の名のもとに己を謙虚にし、他を愛することができるという宗教の力は素晴らしいといえます。
しかし、宗教の名を借りて起こしてしまう戦争で多くの人が犠牲になった、という悲しい事実もあります。自らの内面にある信仰心を大切にするように、他者の信仰心も尊重されるべきではないかと思います。そんなバランスの良い信仰心にふさわしい結晶の輝きです。


日本人が感じる仏教の風情が結晶に
 さて、次はアジア発祥の仏教の結晶です。日本人の多くは無宗教であるとよくいわれます。確かに、一神教を信じる人々のように、神との契約によって自らの信仰心を持つという概念の宗教心を日本人は持っていません。しかし、案外お正月の初詣や受験の合格祈願以外にも、宗教的祈りの気持ちに接する機会というのは日々の生活の中にあるものです。
 仏壇に手を合わせる習慣は減りつつありますが、自分の祖父母や両親が拝む後ろ姿を何気なく見るだけで、その場の雰囲気を感じています。信仰心はそのような場によっても育まれると思います。そんな曖味な信仰心さえも包み込む面を仏教は持ち合わせているのではないでしょうか。
 さて、結晶です。中心部がほの暗い結晶の成長過程を紹介しましょう。この中心部分はどこに繁がっているのでしょうか? 仏教でいうところの彼岸を思い浮かべてしまいます。また、合掌する手の形をした結晶もありました。合掌しつつ彼岸を思う。日本人が感じる仏教の風情が結晶に現れたのではないでしょうか。


時空の隙間から神々が生まれ出るような結晶
 最後は、仏教の教えの母体となったヒンドゥー教です。多神教の宗教ですので、さまざまな美結晶を紹介するのがお似合いかもしれませんが、観察していて非常にインパクトのあった結晶の成長を連続して見ていただきます。均整のとれた六角形の結晶の中心部が靄(もや)に曇ったように見えます。ヒンドゥー教は母胎になったバラモン教からの成長過程において、多くの神々を生み出したといわれます。
 キリスト教やユダヤ教、イスラム教などの「一神教」が成立時から長きにわたって他の一切の神を認めなかったのとは対照的です。そんな神々の創出により肥大化していくヒンドゥー教。結晶は謎の部分を残した不思議な形状です。まるで時空の隙間から神々が生まれ出るような結晶の靄といえるのではないでしょうか。


信仰心とは心に咲く華

 宗教と結晶を一緒に見てきました。それぞれの宗教の違いは数え上げればきりがありません。唯一共通するのは、各々が人々の信仰心によって成り立っているということでしょうか。
 信仰心とは何でしょう。それは誰の心にもある華のようなものではないかと思います。華は芽吹いて成長し、つぼみから開いていきます。その手助けになるのが宗教ではないかと思うのです。聖書や仏典、ヴェーダやコーランの1小節。もしくは牧師さんやお坊さんのお話。そして、熱心な信者さんの立ち振る舞い。私たちが日常接する宗教の側面がそこにはあります。そして、それらと自らが持つ信仰心とが共鳴した時に、宗教の本当の意味が分かるのではないでしょうか。そう宗教の名に共鳴し、華開いた水の結晶のように、信仰心も心の中に華開くのではないかと思うのです。

参考文献:世界5大宗教入門  ひろさちや監修 主婦と生活社


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