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条文に対する姿勢

テーマ:ブログ 2010年07月02日(金)
条文の素読という勉強方法がある。


法律の試験は条文を問うものだから条文を全部読むことは有意義である。

受験生の時、こう言われてきた。


でも私は、条文素読という勉強方法が嫌いだった。


その原因は、単調な素読という勉強方法に魅力を感じない私の怠惰にあるが、それだけではない。

それは、各条文に対する懐疑心だ。


その条文の趣旨や定める要件や効果は分かる。


どういう解釈上の問題があり、どういう判例があるかも分かる。


それでも心のどこかで条文に対する懐疑心があり、各条文の意義を見い出せず、知識や理解の定着が妨げられていた。


きっとその条文があることで、実務、というか、リアルなこの世の中にどのような影響を与えるのかまで考えが及ばなかったからだろう。


でも今は違う。


世の中は条文どおり動いている。


例えば、ベテランの法曹も一年目の法曹も、条文どおり動いている。


その点では何の差もない。


裁判官も検察官も弁護士もみんな条文どおり動いている。


条文を知らず条文どおり動けない人は無視される。


誰も助けてくれない。


その責任は自分で負うことになる。


条文は本当に生きていた。


六法にただただ記載されている条文。


その条文どおり、世の中は動いている。


当たり前のことだけれど、当たり前には思えなかった。


でも今は条文を信じれる。


このような条文の重みを認識しながらする条文素読は、きっと役立つだろう。





『私は必ずうまくいく』

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