弔意
さる平成22年7月1日朝、わが師・瀬戸弘幸の御尊父が88歳でお亡くなりになられました。
ここに故人の御冥福を心よりお祈り致します。
肺炎を患い、今年3度目の入院中で、身体の衰弱もたたって体力も尽き、かつて帝国海軍の将校として大東亜戦争を戦った「日本人」がまた一人帰らぬ人となってしまった。
戦後は一貫して農業に従事。
数年前、主にリンゴの収穫であったが、毎年のように私などが福島県の農場に手伝いに赴いた際には矍鑠(かくしゃく)と農作物の育成に従事していた姿が印象的で、今年5月に摘花作業のために赴いた頃は室内の窓から絶えず気にかけるように畑の様子を眺めておられた。
自ら直接御礼の言葉を述べたかったのだろう、インターネットの募集で集まった摘花作業ボランティアの皆が帰途に着く際にはわざわざ玄関先まで出て来られて挨拶されたのが私が見た最後の姿だった。
私は御尊父から直接聞いたわけではないが、従事されたミッドウェー海戦では米軍の放った魚雷が命中する瞬間など大東亜戦争の最前線におけるお話しはどれも衝撃的なもので、また日本人と欧米人の民族性や国民性の違いについても大きく頷かされたものである。
大破した艦船の欠片に御尊父を含め何人もの日本軍将兵しがみつき、何時間も何十時間も四方は見渡す限りの大海を彷徨ううち、一人、また一人と力尽きた帝国海軍将兵が海の底へと沈んでいったという。
よく戦死、散華とは言うが、これが戦場で起きていた真実である。
中でも感銘を受けたのは復員してきた時のこと。
復員船の中では旧将兵の誰もが憔悴し切って食糧もなく、水もろくに飲めず、空腹と喉の渇き、疲労が極限を通り越した状態での引き上げであった。
やがて船から港がかすかに確認できるところまで近づいた時、全ての復員兵が船倉(せんそう)から這い出るようになりながら甲板へ出て来た。
遥か遠方に日本の地を確認した瞬間、御尊父を含め復員兵の誰もが絶叫し、声をあげ大泣きして喜び合ったという。もう二度と目にすることはないと覚悟して出撃して以来のこと。
「生きて再び日本を見ることが出来た!」
誰もが強烈な愛国心を確認した瞬間でもあった。戦時中、将兵の誰もが「大東亜共栄圏」だとか「共産主義の打倒」、「白人欧米列強の打倒」などという崇高な考えで戦っていたわけではない。
唯、「ここで戦わなければ本当に国が危うい!」。その一点で誰もが戦っていたのだという。それがその時代を生きた自らの使命であったという。
今、現に日本が侵略されている!
翻って現在、よく保守派やら右派、右翼とされる人々は散華された靖国神社の英霊をひた祀り、その精神を継承すべきである旨を説く。
それは基本中の基本で重要なことであるに違いないが、しかし、あの時代から時を経て再び日本が侵略される危機にある、いや、既に支那(中国)・南北朝鮮をはじめとする侵略が完成段階にあることを痛感し、英霊をひた顕彰することに終始するよりもやるべきことがあるのではないか?
かつては軍事力を前面に行なわれた植民地時代とは異なり、現代における侵略は「日中友好」やら「日韓友好」など友好を前面にしている。
主に支那人(中国人)・朝鮮人に言えることだが、先に大量の人を送り込んでくることで、それが参政権はじめ様々な日本解体法案を惹起せしめている。
日本に住む在日外国人など日本の人口に占める率は僅か1%にも満たないのに、繁華街では支那人の自治区がつくられつつあり、各地の集合住宅地では支那・朝鮮人との間でトラブルが頻発するなど、「民族問題」が続々表面化する有り様。
ここまで支那・朝鮮人の増長を許したのはひとえに日本人が侵略に対し無警戒・無頓着になり過ぎたことに起因する。
そして遂に支那からの軍事力を行使した「軍事侵略」は既に開始され、人民解放軍兵士は留学生や企業家など様々な姿に変容して既に日本に入り込んでいる。
とすれば現代における侵略への抵抗・応戦とはいかに日本国内に入り込んだ支那・朝鮮人を叩き出し、これ以上増えないよう増長しないようにするかという「外国人排斥」に力点が置かれるべきだ。
確かに「外国人出て行け!」「支那人出て行け!」「朝鮮人出て行け!」とする運動と言うか闘争はスマートなものではないし、品の良い行動とは言えない。徒に外国人を標的としたテロも頻発するかも知れない。
よく保守派・右派や民族派右翼が引き合いに出すように、大日本帝国の栄華に見られる悠然さとは180度違うのだろう。
しかし、かつての日本も古く遡れば幕末の頃は尊皇攘夷思想に基づく斬り合い(テロの応酬)を経て新時代を到来させ、後に強国としての地位を築くまでに経た日露戦争では一つの高地をロシア軍から奪うために何度もの突撃を繰り返し、幾万もの将兵が落命・負傷するなどとてもスマートな戦術であったとは言えない。
そうした形振り構わぬ戦いによって先人たちは保守・右翼が盛んに引き合いに出す大日本帝国の栄華を築き上げたのではなかったか?
私は思う。
平和のため、国のため、後世のために自らの若き生命を散らした英霊たちは素晴らしい…のは事実としても今の時代を生きる我々が戦う番であり、ひたすら過去を絶賛している場合ではない。
かつて日米が熾烈な戦火を交えたことさえ知らなかったり、侵略戦争であるとして罵倒する者もいるが、こんな輩はどうでも良くて歴史の真実を知っている者のみで未来を築けば良い。
かと思えば、ひたすら日本は侵略国家ではなかったと立証することに心血を注ぐ者もいる。
過去をどうこう言うことに終始している暇があったら今、日本に対して行なわれている支那からの現在進行形の侵略を排せよ! 「侵略の現行犯」を撃退することに務めよ!
それが何よりも先人たちへの弔いである。
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