静かな雨の日の夜には、かすかな「ヒメホタル」の明滅が似合います。そしてしっとりとした夜気が運んでくるのは自生のくちなしの香りです。夜霧の中で、夢みるように大きく目を見開いたかのような花びらにふれると、やさしい香りが一気に広がります。梅雨時ならではの風景です。
人間の感覚の中で、音に次いで、嗅覚(きゅうかく)器官は脳の奥にあって原初的な感覚だといわれています。私ごとでいえば、幼少時代から刻み込まれている花の香りは、早春のジンチョウゲ、晩秋のキンモクセイ、そして初夏のクチナシです。いずれも、生まれ育った東京の家の庭や、隣近所のお宅の庭先にあったものですが、今でも、その香りに出合うと、一挙に時間が巻き戻されて、当時の自分になっていることに驚かされます。
さて、嗅覚より、さらに脳の奥で感じている感覚が聴覚です。おそらく、胎内で過ごしている時期には、真っ暗で視覚は機能せず、栄養もおへそからとっていますから、触覚や味覚の機能はまだ必要とされていなかったはずです。つまり、胎児は、母親の体内をめぐる血流の音で母体とつながっているわけで、それゆえに、聴覚こそが根源的な感覚であり、そこに、音楽の意味があるともいえます。音による感情表現は、長調は明るく、短調は暗くというように、言葉を超えて世界共通です。また、緊張すれば、声帯が張り詰めて声のピッチが高くなるように、心模様がそのまま発音器官に影響を与えます。逆に考えれば、外部からの音刺激が、感覚器官と物理的に相互作用して、心に働きかけることにもなります。
ところで、今、世間をにぎわしているサッカー・ワールドカップ、南アフリカ大会。そこでサポーターたちによって吹き鳴らされているブブゼラという笛?の音はどうでしょう。テレビを通して聴くかぎり、あの音は、耳鳴りよりも不快で、まるで騒音です。元々、生体にとって、変化のない一定の音刺激は害毒になることが分かっていて、そのために、変化のない音刺激は聴こえなくなるように仕組まれています。それが、耳鳴りに慣れてしまうという状況です。同じ香りの中に入っていると、いつしか、香りが分からなくなるというのも同じからくりです。しかし、その刺激が強すぎると、制御しきれずに、不安定になり、戦闘的感情を作り出してしまいます。
実は、ブブゼラを吹いている本人にとっては、息を吹き込んだり、息継ぎをしたりしていますから、一定の音にはなりませんが、多くの人が思い思いに鳴らすと、全体としては、一定音に聴こえることになります。これまで、他国からの心ない圧力に耐えてきたアフリカの歴史を思えば、忍耐と闘争心をあおりたてるあの音の意味も理解されますが、世界大会には、似合わない雑音です。「はやぶさ」帰還という人類史上最大の快挙よりも、あのサッカーの騒音中継を優先したNHKにも仰天しましたが、ブブゼラの日本上陸だけは勘弁してほしいものです。「白い花、それは、木の思い出?私の思い出?」(岸田衿子)(佐治晴夫・鈴鹿短大学長=宇宙物理学)
〔三重版〕
毎日新聞 2010年6月30日 地方版
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