墜落なくす 児童誓う 石川ジェット機事故

宮森小 住民犠牲も追悼

慰霊碑に献花し、千羽鶴を置く児童たち=30日午前、うるま市・宮森小学校

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2010年7月1日 09時38分この記事をつぶやくこのエントリーを含むはてなブックマークLivedoorクリップに投稿deliciousに投稿Yahoo!ブックマークに登録
(38時間58分前に更新)

 【うるま】石川市(当時)の住宅地に米軍ジェット機が墜落、近接する宮森小学校を直撃し、地域住民と児童17人が亡くなり、後遺症で1人が死亡した事故から51年目の6月30日、うるま市立宮森小学校(伊波シゲミ校長、児童458人)で、追悼集会が開かれた。児童や多くの関係者が、犠牲者18人の名前が刻まれた慰霊碑「仲よし地蔵」に千羽鶴や花を手向け、み霊の冥福と世界の恒久平和を願った。

 式典では「平和の鐘」が打ち鳴らされる中、参列した児童や遺族らが黙とう。6年生は「二度とこのような悲しく恐ろしい事故を起こしてはならない」と平和な沖縄をつくることを誓った。1999年、慰霊碑の土台に児童11人の氏名が刻銘され、今年、近隣住民6人と後遺症で亡くなった1人の氏名も刻まれた。

 事故当時同校の6年生で、自宅で母親を亡くした金城秀康さん(62)は「突然ジェット機が飛び込んできたことは昨日のように思い出す」と振り返り、「児童11人のみが刻銘されてから(追悼集会に)なかなか足が向かなかったが、51年目にしてやっと一般犠牲者もまつられほっとしている。これからは仲よし地蔵に足を運び、18人を弔っていきたい」と述べた。

 伊波校長は「犠牲者が同じ場所にまつられることは意義がある。仲よし地蔵に祈りをささげ、安全な世界をつくるためには何ができるかみんなで考えてほしい。平和は自分たちでつくり出すものだ」と訴えた。

 同集会は児童会が主催。司会を務めた金城早良さん(6年)は「事故の悲惨な実態を改めて感じた。宮森の児童としていろんな人へ伝えたい」と決意を新たにした。

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