秋葉原のとあるアパート。
その一室で老人が緩やかな死を迎えようとしていた。
彼の名前は本郷明。
――漢(オタク)である。
齢は今年で60を超える。
ちなみに漢歴は55年。
ほぼ生まれながらのナチュラルである。
60を超えるその体躯は無駄な贅肉は無い。
それどころかハリさえある。
皺など全身どこを探しても存在しない。
視線の鋭さも全盛期と変わりない。
今も新番組の魔法少女モノのアニメを鷹の様な視線で射殺さんばかりに見ている。
若い。
そう若いのだ。
肉体の衰えは無い。
おおよそ初対面で彼が60を超えてることなど判別出来まい。
下手をすれば30代にも見えかねない。
未だ肉体の衰えは無い。
漢として今日まで鍛えてきたからだ、当然である。
漢として必須なものに健全な肉体は不可欠だ。
故に彼の身体能力は全盛期とほぼ変わっていない。
いや、それどころか歳を経る事で全盛期を超えている。
――だが死は目前だ。
恐らくは今見ているアニメ。
Bパートまで持つまい。
それ程までに彼という存在は死を迎えつつあった。
――何故か?
――何故死ぬのか?
病気……否。
彼は今日に至るまでに大小問わず病気にかかったことが無い。
まあ、ある意味ビョーキではあるが。
怪我……否。
彼の肉体は強靭。
それは外部装甲(ひふ)だけでなく内燃機関も同様だ。
消費期限が1年を超えたものを食そうが、何ら問題は無い(人として問題はあるが)
精神的死……否。
彼は絶望をしない。
絶望故に自ら命を絶つことなどありえない。
期待していたアニメがどれだけ糞だろうが、発売日に商品が届かなかろうが、ヒロインが寝取られようが(これは彼の性的嗜好の一部ではある)、二日前から並んだのにお目当ての商品が手も入らなかろうが……決して絶望しなかった。
それを逆境として楽しむ、そういう男だった。
(例外として、好きだった声優が出来ちまった婚を発表した時は流石に1ヶ月引き篭もったが)
――なら何故死ぬのか?
簡単である。
――寿命である。
そう寿命。
肉体的寿命にはまだ早い。
早すぎる。
この男、放って置いても100年は軽く生きる。
例えそれがどれだけ劣悪な環境にあってもだ。
(例外としてネット環境が無いとほぼ死ぬ)
なら何の寿命か?
――無論、漢(オタク)としての寿命だ。
彼はこの歳に至るまで、ただひたすらにこの道に心血を注いできた。
同年代の漢達が志半ばで潰えるところを眺めつつ、ただひたすらに自分の道を究めてきた。
心が強い、それもある。
同時に周りの人間達にかなり濃い漢が揃っていたことも、彼を熱くさせた。
燃えて、萌えて、燃やし尽くし、萌やし尽した。
その人生を漢道に捧げた。
その事に後悔は無い。
あろうはずが無い。
――故に限界は早い。
人より道を究めていたからこそ、彼の限界は誰よりも早く訪れた。
漢としての寿命。
もし彼がこれ以上生きながらえるとするならば、それは肉体的、精神的衰退を共にする事になる。
当然、いくら人よりも強かろうと老いからは決して逃げられない。
彼が恐れているのは、その事により引き起こされることだ。
肉体的衰退。
恐らくこれから彼の肉体はより早い睡眠を求めてくるだろう。
そこから導き出される答え。
――深夜アニメを見ることが不可能。
録画すればいい、DVDを買えばいい。
それは弱者の主張だ。
真の漢たるものリアルタイムで見てナンボである。
肉体の衰退によって起こる記憶力の低下。
彼の脳はほぼ漢に関わる全ての事象を記憶している。
新旧声優、駄ゲーから糞アニメ、その内容を全て記憶している。
記憶力の低下はそのデータベースを次々に破壊していくだろう。
それが我慢ならない。
雑になる記憶は相手との論争時に望みのデータを引き出すことが出来なくなるだろう。
漢の論争とは知識量によって決まるといって過言ではない。
より多くのデータを持ち、それを有効に使うことが必須だ。
そうして彼もその膨大な知識量で敵を圧倒してきた。
だが、それも今日までだ。
自分の記憶力の低下は自分でも分かる。
つい最近も家に尋ねてきた子分の名前を思い出せなかった(うえ……なんとか、と言ったか)
これから益々記憶力の劣化は激しくなるだろう。
そしてそこらの雑兵にすら論破されるやもしれない。
彼は敗北をよしとしない。
常勝不敗。
真の漢である本郷明は負けることを決して認めない。
最近は思考能力にブレも発生してきた。
アニメを見ている時に全く別の事を考えることもある。
浮気である。
しかも考えていたのは世を騒がす政治家問題。
パンピーの話題である。
アニメを見ている時に!
胡乱な思考能力は批半にも影響を及ぼす。
彼は批判をする。
見たアニメが糞なら貶す。
けちょんけちょんに貶す。
だがそれは愛ゆえにだ。
彼は全てのオタク文化を愛する。
駄作凡作良作神作……全てを平等に愛す。
どんな駄作だろうと最後まで決して見放すことはしない。
だが、それも正常な思考があってこそだ。
思考能力の欠如は批判に悪影響を及ぼす。
雑な思考能力ではまともな批判など出来ようもない。
的外れな批判をするのがヤマだ。
先日もあるアニメを視聴時、彼はこう思った。
(……ふん。このアニメは変わらないな。つまらん、たまにはテコ入れでもしたらどうだ。水着回とかな)
彼が見ていたのは未だなお続く超長寿アニメである。
ある家族を中心とする日常。
延々と繰り返す日常を楽しむ、そういったものだった。
だが彼は的外れな批判をしてしまった。
変わらないのがいいのだ。
どの時代においても不変、それがそのアニメの持ち味だったのだ。
それを否定してしまった。
彼はその思考を自分がしてしまったのだと絶望し、自らの死期が近いことを知った。
彼の漢としての道はここで閉ざされる。
それは彼の人生の終焉とも同義。
漢として死ぬことは人として死ぬことと等しい。
だから彼は受け入れる。
後悔は無い。
今日まで自らの道を貫いてきた。
あますことなく趣味に費やした。
それ故の終わりなのだ。
視界が霞む。
アニメはCMに入り、アニメ内のステッキを購買層に向けている。
(……ここまでか)
人生の終わり。
白くなる思考の中で考えること。
(……充分にアニメも見た。ゲームもした。……満足だな)
極めた。
極めに極めた人生だった。
(……満足、だと)
落ちていく途中、目を見開く。
(満足することなどありえるのか? この俺が)
これからも絶えずオタク産業は続いていくのだろう。
決して途切れない需要。
対応する供給。
(……まだまだ、続いていく)
そう続く。
昔の方がいいアニメが多かった。
それも正しい。
だがそのアニメを見た人間が、感銘を受け、その新しいセンスで新たなアニメを生み出す。
その繰り返しだ。
飽きられることは無い。
センスは変わっていく。
延々と。
そして未知のジャンルは開拓される。
決して尽きることの無い鉱山だ。
(それを……見ることが出来ない)
本郷明は死ぬ。
当然これから出るだろう、凡作名作に出会うことが出来ない。
(ふざけ、るな)
置いていかれる。
そう思った。
(ふざけ、るなっ)
これからも見たい。
この延々の螺旋の果てに何が待つのか。
スパイラルの終焉にはどんなモノがあるのか。
未来。
(ふざけるなぁぁぁぁぁぁ!)
落ちていく身体を必死で起こそうとする。
唇は噛み切られ、拳からは血が滲む。
だが落ちる。
黒い穴へと落ちていく。
恐らくはその先が死者の集う場所。
(俺は! まだ! 見ていない!)
過去、現在、未来、全てのアニメ、漫画、ゲーム。
極めていない。
極めきっていない。
(糞がっ。俺を舐めるぁっ!)
その執念、尋常ではない。
徐々に浮き上がる。
上へ。
白い穴、現世へ。
(まだガ○ダム100周年記念を体験していない! 奇妙な冒険の終点を見届けてはいない! 今年復活する○リームキャストの行く末を見届けていない!)
掴む。
この現世と死後の世界の中間とも呼ぶべき場所、何も無いはずの空間の何かを掴む。
這い上がる。
(そうだ! 思い出したぞ! 奥井アザミの野郎に○ーチャルボーイを貸したままだ!)
心残りが溢れる。
ちなみに奥井某とは今も共にジャパニメイトでバイトをする同僚である。
野郎ではない。
今年58になる現役コスプレイヤーだ。
(美月にリアルファイトで勝っていない!)
隣に住む現役幼馴染だ。
人として強い。
ゴキブリを師としている。
(麗南の最新作(フィギュア)を見ていない!)
卓越した造詣技術もを持つ。
その技術は歳を重ねるごとに深みを増している。
未だ処女である。
(あの女と新作ゲームで対戦していない!)
クイーン。
未だその腕に衰えは無い。
(そうだ、来週はサバゲーの全国大会!)
妹とのコンビは他者の追随を許さない。
(景山にも会議に召集されている!)
未だ夢を追い続ける少女。
見た目が全く変わらない。
(うえ……の? 上野には……特に何も無いか)
相変わらずヌルオタを続けている。
入った会社では20歳年上のOLに性的に虐められているとか。
溢れ出す。
流出する。
上昇。
上へ。
上へ!
(ゴォー! トゥー! ヘヴゥゥゥゥゥゥゥゥン!)
明の旅は始まったばかりだ!
■■■
「ふふふ、私達の可愛い子供」
「名前は明にしようか」
そして明は目を覚ました。
目を開くと圧倒的な光量。
思わず目を塞ぐ。
(ここは……どこだ?)
気配を感じ取る。
周囲には4人。
全員一般人だ。
そして匂う薬品の匂い。
(病院、なのか?)
明は病院に行ったことが無い。
病気をしないからだ。
以前素手で岩を砕いた際は、拳が砕けたが、それも自然治癒した。
(……!?)
突然の浮遊感。
そして自分の身体に触れる他者の腕。
(持ち上げられている、だと?)
人を持ち上げることはよくある。
カツアゲをしてきたペヤンキー共を持ち上げてダストシュートするのは明の日課である。
だが、持ち上げられたのは初めての経験だ。
目を開く。
軽く疲労した表情の女性がいた。
明を抱きかかえている。
(な、んだと? この女……何てパワーだ)
決して軽くは無い自分の身体。
女の細腕で持ち上げている。
賞賛に値する。
(しかし……離せっ。女に抱きかかえられるのは趣味じゃない)
暴れる。
「きゃっ」
「ははっ、元気だね明は」
和やかな笑いが起こる。
(何だ……これは?)
先ほどからの異様な雰囲気。
違和感のある自分の身体。
発することの出来ない声。
……ふと、何かがよぎる。
ゴーストに囁かれ、自分の身体を見下ろす。
(……)
ベイビーだった。
ベイビーだったのだ。
(……ふむ)
ここに来て明は驚く程落ち着いていた。
(そういう、ことか)
納得する。
明は全てを愛している。
一時創作を基にする二次創作もその範囲に含まれる。
主にコミケ、ネット上などに散らばるそれら。
作品への愛を感じる。
それらの作品に今やテンプレートになっているものに、こういった言葉がある。
――憑依、転生。
二度目の人生。
誰もが憧れるだろう。
なるほど、確かに。
(二度目、か)
少々テンプレート過ぎる、というところは気に入らない。
だが、機会を得たのも事実。
(ああ、極める)
道を。
漢道を。
(この人生で完全に極める)
時間はある。
それこそ腐るほど。
「隣の家の八神さんの家にも昨日女の子が生まれたらしいわよ」
「へー、明よりお姉さんだね。名前は?」
「はやてちゃんだって」
両親予定の言葉を耳にしながら、明は笑った。
ケケケと悪魔将軍の様に。
「あっ、この子今笑ったわ! ……ってこわっ!」
「何を言っているんだい? そんなはず……って怖い! 怖いよ!」
(ククク……カッカカッカッカッカ!)
ここに本郷明の第二の人生が幕開した。