「食欲が…ないんだよ」
「……はい?」
開口一番。
まるで世界が終焉を迎えるかの如く重々しい雰囲気のインデックスから放たれたその言葉に、清々しい朝の空気を胸一杯に吸い込んでいた当麻は間抜けな声を出した。
それはもしかしてギャグで言っているのか。
小粋なジョークのつもりなのだろうか、もしかしたら外国語で『すげーお腹空いた早くなんか食わせろよジャップ!』という意味があるのかもしれない───と失礼千万な事を考えるが、見た限りでは本当に食欲がない風に見えた。
日頃の様子からは考え辛いがインデックスも人間だ、そんな事もあるのだろう、深く考えずそう納得した当麻だったが……何らかの返答を期待しているインデックスの視線に気付く。
「…………」
「…………」
上目遣い+涙目+膨らんだ頬の破壊力に顔を赤く染めるも、それを気取られないように咳払いをして必死に考える。
「……で?」
たっぷり1分ほど間を置いて、率直にだからどーしたのと含みを持たせた返答を送る。
すると、信じられないものを見た的な視線をインデックスは返す。
「…とうま、あれ、聞こえてなかったのかな? あのね、インデックスはね? 食欲がないんだよって言ったんだよ?」
その言葉は、まるで出来の悪い生徒を慈しむような、哀れむような、または諭すかのような優しさを以て紡がれた。
ここまで丁寧に言ったんだから流石に分かるよね? 幾らバカな事に定評のあるとうまでも理解したよね? ね? ね?
と、そんな感じの思いを込めた視線で再度当麻に“正しい反応”を促すインデックスに対し───
「いや食欲ないのは分かったから。だから、それがどうかしたのギャアァァァァア!」
そう答えた瞬間、鋭い歯が体に突き刺さった。
とある体調不良のインデックス 1
「死ぬな! インデックス死ぬな、死ぬんじゃないっ!!」
青い顔をして寝込んでいるインデックスの手を掴み、大声で呼び掛ける。
握り返す力の弱さが彼女の現状を酷な程に的確に示していた。
「…ふふ、ありがととうま……でももうダメなんだよ」
インデックスの意識はもはや風前の灯火。
目を瞑ってしまったら、もはや目を覚ます事はないだろう。
「バカやろう! 何を弱気になっていやがる、お前は世界の料理を食い尽くすんだろ!? あらゆる珍味を味わって、あらゆるデザートを食いまくるんじゃなかったのかよ!!」
彼女が幸せそうに語っていた夢を叫んだ。
けれど、あんなにも食べる事に幸せを感じていた彼女の…元気なインデックスの姿を見る事は出来なかった。
「うん…まだまだ食べたかったなぁ…とうまと……一緒……に…………」
細まっていた瞼は、やがてぴったりと閉じてしまった。弱々しくも握り返していた手にも、既にほんの少しの力も感じない。
「イン…デックス…?」
その呼び掛けた声に応える筈のインデックスの口は閉じられたまま。
それはまるで王子様のキスで目覚を待つ白雪姫のように美しくも、それとは違う、確かな“別れ”を感じさせた。
「そんな……インデックス、インデックス! インデックスっ!! インデックスぅぅっ!!!!!」
「おいおい、もう少し静かにしてくれんかね?」
「あ、すんません」
ゲコ太君を擬人化したような顔の医師からお叱りを受け、椅子から立ち上がり軽く頭を下げスヤスヤと心地良さそうに眠っているインデックスの頭を撫でる。
呑気な奴めと苦笑い、やはり『だからどーしたの』が正解じゃねーかと呟く。返事はないが、微妙に眉間にシワが寄った気がした。
「うん、まあ今日1日ぐらい寝てれば治るからね、夏バテ」
「はい、どうもありがとうございました」
食欲がないと大騒ぎしたインデックスは夏バテと診断された。
ちなみにさっきの寸劇は全身16ヶ所にも及ぶ有り難ーい歯形を貰いながらインデックスに強制…もとい丁寧に教えて貰った“正しい反応”の答えだったりする。
噛んでくる元気があって夏バテかよ、なんて事は言ってはいけない。
(命が惜しいのならシスターとビリビリに逆らってはいけないのだ、と上条さんは懇切丁寧に説明しました……ってか)
「んじゃ俺、買い物しなきゃいけないんで失礼します」
「はいはい」
ゲコ太医師に後の事を任せ、当麻はインデックスの病室を後にした。
「───ってわけで夏バテに効く料理って何だろーなビリビリ」
「ビリビリ言うな。そりゃウナギでしょ夏だし」
「ウナギか」
「ウナギね、それがイヤなら栄養剤でも飲んでなさいってのよ」
食べれない反動=超食欲だと半ば未来予知っていうか確信した当麻は、なるべく安ーく、でも旨ーく、しかし少ーしの贅沢ぐらいはさせてやろうと買い物に赴いた。
その途中バッタリ逢ったもんでこれ幸い色々と端折った説明にビリビリ、もとい御坂美琴は簡潔に答えてくれた。
ウナギと。
「つーか今日も逢うとは思わんかったな、お前案外暇なのな?」
「るっさい…別にそんなんじゃないわよ」
御坂妹の件があったから思うのかも知れない、外を歩くと美琴に出逢う頻度が異常に高い。つまりそれは頻繁に電撃を喰らうという不幸な事実と一致する。
今日は喰らいませんよーにと願う当麻であったが、残念ながら未だビリビリ被災確率は9割を超えている。
(しかしウナギねぇ、そういや電気ウナギって存在したよな。電気を使う者どうし惹かれ合うのかもな)
そんな事を考えたからか知らないが、やはり今日も思い切り電撃を喰らう。不幸だ、いつもの口癖を呟く。
「……ったく、いちいち心臓に悪い」
「あんたが悪いんでしょ! 思いっきり口に出してたわよっ!」
「おおう! 待て待て待て、悪気はない。ほんとーに悪気はないんだっ!」
「悪気がないのが一番悪いわっ!」
「そりゃごもっともで、うわっ!」
だからと言って電撃をお見舞いしても良い理屈にはならないのだが怒れるビリビリ中学生には適用されないらしい。
一方通行しかり、美琴しかり、レベル5に常識を期待する方が間違いなのだと当麻は納得した。
(いや待て、常識の欠如が能力開発の弊害だと考えればどうだろうか?
レベル0なのが誇らしくなってくるじゃねーか。
ふふっ、いいぜ、テメーらが常識知らずの存在だって(以下略))
そんなバカな事を考えながら電撃を打ち消していると、ようやく美琴も冷静さを取り戻した。
バツが悪そうな顔で当麻を見上げ、ハッとした顔になり何かを決意したかのようにグッと手を握る。
「しょ、しょうがないわね…あ、あたしも買い物に付き合ってあげてもいいわよ?」
赤い顔で美琴らしくない殊勝な提案をした──のだが、何時の間にか背後でニマニマと笑顔を浮かべていた黒子に気付いた美琴は瞳を大きく見開き、振り向きざま黒子の顔をむんずと掴む。
その速さは白井のテレポートを許さない超絶な速さだった。
「ごめーん、先に黒子と約束があったんだった~♪ ま・た・ね?」
「お、お姉様あああ頭ぐぶほぁっ?!」
「そ、そうか。なら仕方ない、うん仕方ない。んじゃ気を付けてな」
目にも留まらぬ速度で鳩尾に膝蹴り、ピクピクと痙攣しだした黒子を引きずり白々しい嘘を付きつつ路地裏に消えて行く。
俺は何も見なかった、とわざわざ声に出して当麻はその場を後にする。
買い物帰り、街の至る所で放電音や倒壊音に聞き覚えのある女の叫び声が聞こえたが当麻は無視した。触らぬ神に、いや触らぬ御坂にビリビリなしである。
「強く生きろよ白井……」
──────────
「まだ食欲が湧かないんだよぅ…」
「はいはい、んじゃ帰ろーな」
とうまがつれないんだよ! とぶーたれるインデックスを連れて帰路に。体調に関しては問題なし、明日になれば食欲も出る筈だよとゲコ太医師にお墨付きを頂いた。
点滴で栄養に関しては問題ないのだが、食べていない不満感と、食べたくないという未知の感覚に苛まれているインデックスの機嫌は最悪だった。
「はあ、私は今日という日を生涯忘れないんだよ…」
インデックスにとって食欲が湧かないというのは神の教えが全部ウソでしたーと告げられる事と同義の大問題である。
それなのに当麻の反応はよろしくなかった、心配して欲しかったインデックスの希望という名の幻想はボロボロに打ち砕かれたのだ。
「ま、あんま気にしてもしょーがねーだろ。明日になったら旨いもん食わせてやるから」
「ホント!?」
「上条さんは嘘吐きませーん」
「うわーいやったー! じゃあじゃあ、私前から食べたかった「外食は無しな」うぇー? そういう事ばっか言うからとうまはかいしょーなしってバカにされるんだよ」
「誰にだよ!?」
「みんな言ってるもん!」
わいのわいのと、独り身の男性から殺意を送られる程に和気藹々と帰路に就く2人。帰ってから直ぐにインデックスはシャワーを浴びベッドに倒れ込む、当麻は1人寂しく税込み68円のカップヌードルに舌鼓。
塩味にしておけば良かったかなと愚痴りつつ、慣れ親しんだバスルームで横になる。
明日になればインデックスも体調が戻る、食欲が無いなんて珍事は直ぐにでも楽しかった思い出に変わるだろう。明日は久し振りに豪勢な食事だぜヒャッハー!とまるでインデックスみたいだなとにやけながら、ゆっくりと眠りについた。
そう、今日は何でもない1日の一つだったと当麻は信じていた────
「とうま……」
「…あ、もう朝か。悪い、朝食なら「とうま!」……なんだ、どうした?」
そう、まさかこんな些細な事が大事件に繋がるなどとは────
「食欲が…ないんだよ」
「……はい?」
この時はまだ、思いも寄らなかった。