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http://b.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20100628#bookmark-22704584
高橋氏
>>「個別具体的な人権侵害が規制されるのは当たり前。個別具体的な人権侵害の議論を、法規制にふさわしくないものと同程度に軽くみているのではないか?」<<
北守氏
>つまり、「法規制にふさわしくないもの」よりも「個別具体的な人権侵害」を重くみるべきだといっているわけであって、つまり「個別具体的な人権侵害」は「法規制にふさわしくないもの」よりも軽いことになってしまいます。<
ならないよ。なにこのひどい国語力・論理力。
ここでの"AをBと同程度に軽く扱うな"の文意は、「Aが規制されるのは当たり前」の一文が前置されていることなどからも分かるように、明らかに”Aを重く扱え”であって、"AをBより重く扱え"でもなければ、ましてや"AはBよりも軽い"でもない。
ここで「扱うな」にまずかかるのは、X「同程度に扱うな」ではなく、Y「軽く扱うな」だ。個別具体的人権侵害の重要性を繰り返し解いてきた以上、Yが基本であることは疑いの余地はない。軽んじられていることに注意を喚起していることは明白。
>たとえば、100歩譲って「人権侵害」を法技術によって抑制可能なもののうちのみに定義することを認めたとしても別にいいわけですよ。いわゆる「名誉毀損」もヘイトスピーチも、個人の尊厳を傷つけるという点では同じであって、定義上後者は「人権侵害」とは呼べないとしても、後者は前者とまったく同等に、何らかの処置を施さねばいけないという点で、また社会にはその責任があるという点で変わらない、ということもできるわけです。<
ならないよ。地球人を侮辱しようが、日本国を侮辱しようが、個人の尊厳を傷つけているとは言えない。集団的なネガティブな言及を、直ちに個人に還元できるなんて、単純すぎる。
それを言えば、例えば国家は、地球上で集団的共同体の最も代表的なもの。つまり北守の理屈では、国家への侮辱が、直ちに個人の尊厳を傷つけることになってしまいかねない。
「アメリカのバーカ」と言えば、「何らかの処置を施さねば」ならず、「社会にはその責任がある」として、規制しようとすれば、これは単なる国家主義。
ちなみに、民族的侮辱と国家的侮辱は、日本語では違ってきますが、実はどちらも同じNationを侮辱していると捉えた場合、同じものということになります。
ヘイト規制をすれば、皇居前での日の丸焼毀が真っ先に摘発されると言ったように、簡単に国家主義に転嫁するように、集団的な扱いを安易に個人の尊厳に結びつけるのは、個人の尊厳そのものを、実は深刻に揺るがすことになるのです。
>ところが、我らが高橋先生によればですよ、「法規制にふさわしくないもの」は「法規制にふさわしいもの」よりも「軽い」ということになってしまいます。<
だからならないって。
>つまり、作家先生が自分の作品を「侮辱された」と感じる屈辱は、ヘイトスピーチによって外国人などのマイノリティが「侮辱された」と感じる屈辱よりは「軽い」。<
これもめちゃめちゃ。
>ヘイトスピーチの問題と個別具体的な人権侵害の問題は区別するべきだ、ということはありえますが、それだけを言うならば軽重の判断を言う必要がないわけであって、その価値観はちょっとなあ・・・と思います。ヘイトスピーチの被害者の目の前でそれいえるのかなあと。<
で、こうやって勝手に被害者を持ち出して、自分が被害者を代弁する存在になる。「日の丸焼毀というヘイトスピーチの被害者」は、どう思うんだろね。
> ついでに言えば、「人権侵害」の定義を法技術になじむかどうかという形式的なものにしておいて、それに基づいて「人権侵害」ではないからこれは「軽い」んだというのは論理的にも破綻していると思います。トートロジー。<
いや、既に見たように、それ以前の論理で北守が破綻しているから。
学歴と「国語の成績が悪い」のフレーズで皆ごまかされているけど、北守の国語力・読解力、いつもひどいよ。