「国史取り戻すことに残った生涯捧げる」
  



  李海瓊(イ・ヘギョン、80)女史を見た瞬間、過去の写真の中で見た高宗の顔が浮び上がったらそれは先入観だったろうか。李女史は高宗皇帝の孫娘だ。正確には高宗の5番目息子である懿親王の5番目の娘だ。ニューヨークに居住している李女史が29日(現地時間)ちょうど100年前の1910年のこの日、日帝が強奪した大韓帝国駐米公使館建物取り戻す運動に同意するためにワシントンを訪ねた。

  李女史は韓国歴史保存協会(理事長ユン・ギウォン)と米連邦下院議員出身のロナルド・コルメン弁護士が米国社会にこの問題を広く知らせるのに共同で努力することを約束する協約式に出席した。

  李女史は「6年前、ニューヨークを訪ねてきたユン理事長から公使館の話を聞いてこれだけは必ず取り戻して歴史の現場として残さなくちゃいけないという気がした」と言った。また「日本に強奪されたものが多いが、ワシントンの中央にある公使館の建物の意味は少なくない」とし「これから先が長くないからか、公使館を取り戻すのが歴史を取り戻す感じだ」と話した。李女史は当時たった5ドルで日本に売った公使館契約書の偽造について明らかにするために高宗皇帝とミン・ビョンソク宮内大臣の署名を求めて保存協会に伝達した。

  しかし現在としては公使館の建物を取り戻しやすくない状況だ。所有権が米国人にまた移って日本を相手にした訴訟が難しくなった。それに韓国の関心が知られ、建物主がずっと価格を上げている。李女史は「米国主流社会に建物強奪過程が詳しく知られ、日本や建物主に圧迫を与えればいい」と希望した。

  協約式で高齢の出席者が李女史を姫と呼んだ。コルメン弁護士も「(李女史)横に座るのが光栄」と言った。しかし若い時代を宮で送った李女史から感じられるのは姫の威厳より長年の米国生活で慣れた謙遜的な態度だった。言葉を短くし、めったに前に出ようとしなかった。

  李女史は仁寺洞四宮と安国洞離宮で幼い時代を過ごした。父の懿親王が死亡したすぐ翌年の1956年26歳で単身渡米した。韓国で京畿女子高校と梨花女子大学を終えた李女史は、米テキサス州のメリーハーデンベイラー大学で声楽を勉強した。しかし職場は専攻と違った。ニューヨークのコロンビア大東洋学図書館で韓国学司書として27年間働いた。

  ◆大韓帝国駐米公使館=米ホワイトハウス北ローガンサークルにまだ建物がそのまま残っている。韓米修交後の1891年我々が2万5000ドルを出して買い入れた。しかし公使館は1905年乙巳勒約で閉鎖され、1910年韓日併合後、日本は5ドルで建物を強奪した後、直ちに10ドルで米国人に売ってしまった。


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