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2010高校野球

球児 それから(1)

2010年06月21日

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トスバッティングをする田中宏明=長崎県佐世保市の佐世保球場

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東大球場で練習に励む鈴木優一=東京都文京区

【見続けた夢 消せぬ炎】

●手取り10万円 でも、プロ野球のグラウンドに立ちたい

 山陽自動車道を1台の大型バスが東へひた走る。車体にはプロ野球独立リーグのチーム「長崎セインツ」の文字。眠りにつくことができない田中宏明(22)は、座席で何度も寝返りを打っていた。
 週末は長崎県の佐世保球場を離れ、四国や関西へ遠征する。赤字球団だから車中泊で移動する。182センチ、90キロの巨体でもこたえる強行軍だ。「でも結果を残さないと、次の道は開けないから」と気にする風でもない。
 故郷、師勝町(現・北名古屋市)で小学4年生から野球を始めた。「華やかなプロのグラウンドに立ちたい」。そんな夢があった。愛産大工高(名古屋市中区)の3年生の夏の愛知大会は6番、一塁手で臨み、準々決勝で終わった。
 県内の私立大学へ進み、野球部に入ったものの監督ともめて、中退した。3年間は名古屋・栄のサウナで派遣社員として働きながら、アマチュアのクラブチームで腕を磨いた。「セ・パ両リーグのスカウトに目をつけてほしいから」と今季は、独立リーグ球団に、自らを売り込んで入団した。
 毎月の手取りは10万円前後。朝は卵かけご飯、昼の弁当は、朝の残りと冷凍食品を温めるだけ。支援者の居酒屋で食べさせてもらうどんぶり飯が数少ない楽しみだ。
 今月5日、三重県四日市市であった三重スリーアローズとの試合。2死満塁の好機の場面で、田中はセンターフライに終わる。古屋剛監督は「あそこで打つのが4番打者」と厳しかった。
 スタンドには母の直美(50)がいた。母は「あきらめがつくまで応援する」と言う。田中も「25歳までにスカウトの目に留まらなければ、バットを置く」と覚悟を決めている。8時間の滞在の後、360キロ離れた次の遠征地、香川県へ大型バスは出発した。

   ■    ■

 東京大学(東京都文京区)本郷キャンパスにある球場。その片隅で鈴木優一(24)は黙々とランニングをしていた。2回目となる農学部4年生。希望して留年した。「プロ入りへの可能性に賭けていますから」と真剣な表情で答える。
 西尾高出身。最後の夏の愛知大会は3回戦で敗れた。東大の野球部では3年生の春にエースとなり、一昨年秋のリーグでは13試合中12試合に登板。東大の投手として4年ぶりにシーズン2勝を挙げた。あるスポーツ紙は「ドラゴンズのドラフトの隠し球」と書いた。
 4年に進級する直前の昨年3月、左ひじに鋭い痛みが走る。投げ過ぎが原因だった。リハビリしても治らない。最後の秋リーグでの復活を期したが、神宮のマウンドに上がることはできなかった。
 留年して迎えたこの4月、野球部のない大手飲料メーカーへの入社内定を決めた。その1カ月後、ひじの具合を確かめに病院へ行くと、医者は「完治している」と診断した。気持ちがくすぶり始めた。西尾高校の監督だった鶴田賀宣(48)から電話を受けた。言葉の端々から察した鶴田は、「もう一度夢を追え」と激励した。
 この秋、セ・パ両リーグの各球団が主催する入団テストを受ける。「プロに進めば、選手生命が終わっても、ずっと野球にかかわることができるのではないか」と考えている。
 各球団を毎年100人前後が受験する入団テスト。ドラフト指名に至るのは1人いるかどうかだという。(敬称略)

 野球に明け暮れた高校生は夏の大舞台の後、「球児」を卒業する。人生は長い。そこから始まる。思い描いたようには進まない。挫折と苦労の連続。支えてくれるのは刻み込まれた体力か、精神力か。かつて試合終了を告げるサイレンを聞いた。「それから」の球児たちを訪ねた。

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