内閣法制局の憲法解釈はどうあるべきか。小泉政権下で内閣法制局長官を務めた秋山收氏にきいた。(2010年4月26日、東京都中央区で。聞き手、佐藤武嗣)
――内閣法制局に入る人は、どのように選ばれるのですか。
秋山收 各省庁で推薦してくることもあれば、内閣法制局から各省庁に対し、「法律」について適性のあるこの人をくださいとお願いすることもある。法案や政令は、各役所の担当者と内閣法制局の参事官が審査を通じてやりとりする。その時のやりとりで「向き・不向き」がわかる。
――内閣法制局が行う「法令審査」のポイントは何ですか。
秋山 まず政策論として、「法律制定・改正の理由」を精査する。その法律に関係する行政の経緯や、政策の目的、運用状況などをヒアリングし、法律の制定・改正が、政策的に合理性があるかを見る。その上で、ほかの法令との関係、目的と手段の適合性、憲法との関係などを見る。そこが法令審査の重要なところだ。そこをクリアしたら、条文に書いてみて、他の法律との関係などをチェックして仕上げていく。
――職務のもう1つの柱である、内閣に法律問題について意見具申する際のポイントは何ですか。
秋山 重要な問題について、政府の解釈があっちこっち迷走するのはまずい。我々は、一貫性を追求し、法律の論理性を重視する。そのうえに立ち、状況が変わった時に、きちんと合理的な説明がつけば、解釈の一部変更、少し舵(かじ)を切ることもある。一番大事なのは「一貫性」だが、軌道修正する時には、法規定の文言との整合性やなぜ軌道修正するかという現状の変化をきちんと説明することが大事だ。
――法制局時代、憲法解釈で一番苦労した案件は何でしたか。
秋山 やはり安全保障関係の法律だろう。湾岸戦争以来、国連平和維持活動(PKO)協力法、周辺事態法の作成にあたった。その後、テロ対策特別法、イラク復興支援特措法と続いた。海外への自衛隊派遣についての憲法解釈はおおよそ定まってきていたが、「自衛隊員の武器使用」について、どの範囲で、どういう状況で使用権能を与えるか、その権限が現場の状況への理解が深まるにつれて少しずつ拡大されており、それをどう説明するかが気を使った点だ。
応用問題として、某国のミサイル発射に対して、どの段階で迎撃できるのか問題があった。我が国に対する武力攻撃の発生でなければ、憲法で可能と解釈している個別的自衛権は発動できないが、手をこまねいているだけでは手遅れになる。時間的余裕がなく、我が国に飛来する蓋然性(がいぜんせい)が合理的に考えられるのであれば、必ず我が国に飛来すると確定しなくとも、その段階で迎撃することは憲法上問題ない、との考えを打ち出した。
我が国の近海で、訓練や警戒行動をとっている米艦船に攻撃があった時に、我が国が自衛権の発動として武力行使できるか、という問題についても、米軍に対する攻撃が、我が国に対する攻撃の端緒と解される場合には、我が国の艦船や国土に直接の攻撃がなされていない場合でも、米艦を守ることは法理上できる、との新解釈も行った。憲法第9条との関連で、海外での「自衛隊の武器使用」という現実を踏まえた立法の在り方と、集団的自衛権行使との問題で、起こりうるケースの場合に武力攻撃や反撃ができるかが議論された時代だった。
――「ガラス細工の憲法解釈」とも言われますが、解釈を変えたということではないのですか。
秋山 「我が国に対する武力攻撃の発生」を、状況に応じてどのようにとらえるかによって表現が変わることはある。それは、解釈を「具現化」したのであって、解釈を変えたということではない。
――法制局は、内閣の一員としての存在と、政治とは一線を画した法律の専門家集団としての位置づけがありますが、法制局は、どちらに重きがあるのでしょうか。
秋山 法制局に期待されているのは、法律の専門家集団として、法律的に間違いのない意見を内閣に出すという職務だ。ただ、内閣の一員なので、内閣の政策をまったく考えずに法律論だけをやるというのではなく、求められる政策を踏まえつつ、法律的に間違いのない見解を出していく。そこは両方に足をかけて考えていた。
――かつては自衛隊の存在自体が違憲だと主張していた野党からは、法制局は「三百代言」と揶揄(やゆ)されましたが、ここ数年は、逆に護憲勢力から「護憲の旗手」として法制局が声援を受けています。その分岐点はどこだと思いますか。
秋山 政治の地殻変動が起きて、社会党と自民党による連立内閣ができるとともに、社会党が社民党に名称変更して選挙で大幅に議席を減らした。そこが分岐点だったのだろう。我々の解釈は一貫しているつもりだが、世の中が動いた。
――法解釈の最終決定は最高裁で、国権の最高機関は国会です。なのに、内閣の一機関である内閣法制局の影響力が大きいのはなぜだと思いますか。
秋山 確かに内閣法制局は行政の一部門にすぎない。かといって、裁判は問題が個別の訴訟になったときに初めて結論を出す制度だ。行政は、問題が提起されたらその都度行政府として解決、回答を示さねばならず、同時に憲法尊重擁護義務も負っている。法制局は、そのような立場から、政府提出法案等に関して国会に対し憲法解釈を説明する最大限の努力をしてきた。憲法や、国会が決めた法律を尊重しながら、個別の事案に対して答えを出していくのが行政だ。
一方、国会は、国権の最高機関であり、立法権はあるが、国会が立法する場合でも当然ながら憲法との整合性がなければ、最高裁で違憲と判断される。国会もそういう立場で憲法解釈、法律解釈をしなければいけない。憲法第9条の問題について、政治家が立法論としてまじめに議論してこなかったことが、法制局が過重にクローズアップされた一番大きな原因ではないかと思う。
――政治の判断で憲法解釈を変えることについてどう思いますか。
秋山 いちがいに解釈は変更できないと硬直的、教条的に考えているものではない。ただ、一般論だが、なぜ解釈変更するか、どの範囲でやるか、規定の条文との整合性はどうか、なぜ変える必要があるのか、という問いに対する合理的な説明が必要だ。9条解釈のいまの基本線は、非常に長く積み上げてきた話なので、そう簡単に変えられるものではない。9条の解釈に対し、現状にあっていない、不満がある、というのなら、立法府として9条を変えるよう立法措置を講じるのが筋だと思う。
――民主党の法制局長官の答弁禁止方針について、どう思いますか。
秋山 国会のことは、国会で決めてやればいい。問題なければ、それはそれでいいし、問題があるようなら、見直せばいい。ただ、私が聞いている範囲では、憲法解釈を含む法律上の問題については、従来通り、内閣法制局がきちんと内閣をサポートしているようだ。そうした実態が大事なのであって、形式はあまり問題ではない。
あきやま・おさむ
1940年生まれ。東大法学部卒。通産省(現経産省)などを経て、2002年から06年まで内閣法制局長官を務めた。現在は、王子製紙社外取締役。