《1955年生まれ。世界では旧ソ連が初の人工衛星「スプートニク1号」を57年に打ち上げ、61年には初の有人宇宙飛行に成功。米国のアポロ計画開始など、宇宙開発黎明(れいめい)期の躍動感が幼心に刻まれた》
小学1年のころ、両親から宇宙開発がテーマの子ども向けの本を買ってもらい、宇宙への興味が生まれました。「乗り物」としてのロケットへの関心が強く、宇宙関係のニュースを熱心に見ていた記憶があります。
《乗り物を作りたくて、大学は機械工学科に進んだ》
反骨のイメージにひかれ、また青森県弘前市出身なので大都会が怖くて、京都大へ進みました。そのころ、米国で火星探査機「バイキング」、木星以遠を目指す「ボイジャー」計画が次々と実施されていました。惑星から惑星へ飛ぶ、つまり太陽を周回する軌道を変えることは簡単ではないと知っていたので「すごい。どうやっているのかな」と、とても不思議でした。
《「惑星間航行」への興味が高まった。はるか遠くにいる探査機が、狙った軌道を正確に飛行したり、観測写真まで送ってくる技術に、目を丸くした》
地上の指令がすぐには届かない惑星探査には、はやぶさにも通じる自動制御技術が欠かせません。「こういうことを自分もやってみたい」と思いました。しかし米国では人を宇宙に運ぶスペースシャトル構想が進んでいる一方、日本は最初の人工衛星を打ち上げた(70年)ばかり。時代錯誤もはなはだしく、日本で宇宙開発の仕事に就けるのか懐疑的な思いはありましたが、大学院は日本の宇宙開発の中心、東京大宇宙航空研究所(現・宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所)にしました。
《高校から大学時代は器械体操に熱中した》
本格的ではなく、細々とやっていたぐらいですが、大学時代は「授業よりも部活」という生活でした。試験を受けに行くと「あまり見ない顔だね」と、先生から言われたこともありました。理系に限らない幅広い友人とのつきあいは、チームワークを学ぶチャンスになったと思います。
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聞き手・永山悦子/「時代を駆ける」は火~土曜日掲載です。
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■人物略歴
78年京都大工学部卒、83年東京大大学院博士課程修了。54歳(写真は大学院のころ、東京・駒場で=川口さん提供)
毎日新聞 2010年7月1日 東京朝刊