« 和魂と洋才と残業したい人々(上) | Main | 和魂と洋才とアメリカンドリーム »

和魂と洋才と残業したい人々(下)

終身雇用、年功序列、そして持ちつ持たれつ助け合い、と並べると、何だか日本の会社というのは随分と居心地が良さそうに思えてくる。実際、こういうことを思う人は少なくないらしい。で、「この厳しい国際競争の世の中では、日本企業のような甘っちょろい組織は生き残れない!」といった、様式美と呼ぶべきお約束の議論が始まるわけだ。

しかし、日本の企業というのはそんなに甘い組織なのだろうか。そして、容赦なくクビを切る(と言われる)欧米の企業というのは、そんなに厳しい組織なのだろうか。正直、筆者には、日本の企業が"使えない人々"に対して甘い組織だとは到底思えないのである。

同僚に"優しい"組織

海外のオフィスにお邪魔していると、当然一緒に夕飯を食べたりすることもあるわけだが、そういう席で"上司の悪口"で盛り上がるのは洋の東西を問わない。悪口の中身も、自分の業績を取られただの、査定が低すぎるだの、自分のやりたいことをやらせてくれないだの、どこかで聞いたことのあるような話ばかりだ。

ただ、ひとつ違うのは、少なくとも筆者の主観では、彼らは同僚の悪口を全く言わないということ。それも、角が立たないように注意深く話題を避けているというより、単に無関心であるように見えるのだ。

よく考えてみると、これはジェノア型の組織では当然の現象だ。そもそも、同僚との共同作業が少ないのだから。隣の同僚がどれだけ仕事が出来ようが、逆に使えなかろうが、それは上司と雇用主の問題であって、自分は自分の仕事をきっちりとこなせばよい。そんな彼らが、折角の食事を同僚の愚痴などと言う非生産的な作業に費やす必要はないのである。

だから、夏に3週間休みを取っても誰も何とも思わない。挙句、「海外に引っ越した彼女と一緒に住みたいので、在宅勤務という形でその国から仕事をしたい」という要望があっさり通ってしまったりもする。さすがに給料は減ったらしいが。こんな組織では、日本ではお約束の「みんなが働いているのに自分だけが帰る罪悪感」など、生まれようはずもない。


優しくも厳しい日本の会社

一方で、互助を基本とするマグレブ型の会社では、だいぶ事情が異なってくる。この点を少し掘り下げるために、マグレブ型の助け合い組織の中に、「助けてもらうのは歓迎だけど、自分は他人を助けないよ」という不届き者がいた場合を考えてみよう。こんな時、互助組織で困るのは周りの同僚である。「助けないのに助けてもらう」人がいるということは、「助けているのに助けてもらえない」人がいるということ。つまり、同僚を助けて評判を高めているのに、それに見合う手助けを得られない人がいるということだ。こうして、不届き者が増えるほど、高い評判を保つ意味は薄れてしまう

ジェノア型の組織では、不届き者の存在はその上司にとっての問題でしかなかった。しかし、マグレブ型の組織では、「使えない」人々(怖い表現だが)は、頑張って働くメンバー全員の問題なのだ。他人の助力に「ただ乗り」するのは、「評判を維持するために頑張って働く」人々をコケにする行為に他ならないのだから。頑張って働いている人がそういう「使えない」人々に対して不愉快を感じるのは、その意味で自然な成り行きといってよい。

こんな組織では、同僚の出来不出来に対して自然と関心が集まる。「彼はどう?」と尋ねると仕事のスピードから人付き合いまですらすらと答が返ってくるのは、筆者の知る限り日本くらいのものである。同じ部署でもなければ人事部の人間でもないのに。普通の社員でこれなのだから、人事部ではどんな品定めが日々行われているのか、想像するだに恐ろしい。

当然、この「社員同士の相互監視」で発見された「使えない人々」は排除する必要がある。手っ取り早いのはクビにしてしまうことだが、これがなかなか難しい。雇用主側からしてみると、高度に協力関係が発達した組織で「誰が使えないか」を見分けるのは非常に困難だからだ。使えないのが誰か、日々の噂話で把握している同僚にしても、個々の責任がちゃんと分かれていない以上、「使えない」証拠を挙げることは難しい。そんな状況で無理に解雇してしまうと、今度は前回の「人助けの量は自分の地位の安定度に比例する」という条件に違反してしまう。

そうなると、同僚たちは雇用主に頼らずに「使えない人々」を排除していくしかない。仕事の割り当てが減り、オフィスの端へ、暇な部署 へ、そして子会社へ。村八分はマイルドに緩やかに進行してゆく。こんな飼い殺しよりも、20代のうちにさっさとクビにしてもらったほうが、その後の人生まだ夢があるのではないかと思うのだが、なかなかそうは行かないのが日本の会社なのである。

こんな組織では、「自分の仕事は終わったので定時に帰ります」という、傍目には至極まっとうな行動が歓迎されない。まだ同僚たちは働いているのに自分だけさっさと帰るというのは、「自分は同僚を助けない」と宣言するようなものだからだ。これは、自らに「使えない不届き者」のレッテルを貼る行為に等しい。定時で上がれるくらいに仕事が楽ならば同僚を手伝うべきであり、それが嫌ならば忙しいふりでもしているべきである。

前回、マグレブ型の助け合い組織では残業してでも同僚を助けたほうが得になる、と書いた。ひっくり返すと、これは「残業してでも同僚を助けないと損をする」ということでもある。ある人は「日本の会社の原動力はチームワークだ、カイゼンだ」と褒め称え、ある人は「残業を強要される、息が詰まる、これは奴隷だ」となじる。この正反対の意見は、実はまったく同じ意味なのである。その会社の景気がよければポジティブに解釈され、景気が悪ければネガティブに解釈されるというだけのことに過ぎない。


助け合いの対価

「使える人々」は社内で高い評判を勝ち得た人たちのことであるように、村八分を食らう「使えない人々」は、社内での評判が下がってしまった人たちのことである。もしこの評判が100%正確なものであれば苦労はない。使えない人々は正しく村八分になるだけだ。問題なのは、評判は時として間違うということ。人間は残念ながら勘違いする生き物だし、もっと残念なことに間違った評判をわざわざ流す生き物でもあるのだ。知らない間に間違った評判で緩やかに村八分になるなど、恐怖以外の何物でもない。

グライフ教授によると、マグレブ商人も似たような悩みを抱えていたらしい。行き違いの果てに「借金を踏み倒した」という評判を立てられた商人が、「私の評判は台無しだ」と嘆いた手紙が今でも残っているそうだ。マグレブ商人たちはゴシップ大好きのたいそう筆まめな人たちであったそうだが、彼らが筆まめであったのは、この種の「行き違いによる評判の低下」を避けるためという理由もあったかもしれない。

この手の行き違いは、情報網が発達した現代でもいくらでもある。だから、現代社会のマグレブ型組織に生きる我々も、また筆まめでなければならない。とはいえ、1000年前と違ってコミュニケーション手段は豊富だ。飲み会、カラオケ、ゴルフ、喫煙所、そして飛び交う電子メール。人によっては金と時間の盛大な無駄遣いとしか思えない行事の数々には、それなりの存在意義がある。腹を割って話す機会は、普段は分からない「評判の誤差」を修正する大切なチャンスになるのだ。コミュニケーションは、マグレブ型の助け合い組織の維持に必要不可欠なコストなのである。

一方で、欧米では職場の人間が頻繁に酔払うまで飲む、という習慣はあまり無いらしい。このコミュニケーションの欠如が徹底していたのがジェノアの商人で、中世イタリア史の本を読んでいると、ジェノア商人の秘密主義のせいで資料がない、と嘆く文章をよく見かける。新規開拓した航路、冒険の果てに見つけた素晴らしい宝物、全ては企業秘密でろくに書き残されることすらなかった。そんなわけで、世の中にベニスの商人を語る話は数あれど、ジェノアの商人を語るのは経済学者ぐらいしかいないのである。


隣の芝が青い理由

こう考えてみると、「アメリカと比べて、日本の会社は無駄な残業が多すぎる。もっと自由に働けるようにすべきだ!」というお約束の意見が、少し色褪せて見えてこないだろうか。無駄な残業は確かに非効率だし、それを強制するような「空気」は息苦しいものだ。しかし、日本の製造業とサービス業を支えるチームワークは、そういう無駄の上にのみ成立しうるものかもしれないのだ。ならば、日本企業のそういう長所を放棄しようとせずに、ただ「残業を減らせ!」と叫ぶことと、講演会場に車で乗り付けて「石油に頼る工業文明はおかしい!」と言い放つことには、大した違いはないのかもしれない。

隣の芝はいつだって青く見える。それはその芝を維持するコストを知らないからだ。青い芝を維持するために朝5時に起きて手入れをしないといけないとしたら。農薬散布を欠かさないとしたら。そうそう気楽に隣の芝生をうらやむ気にはならないものだ。農薬を散布してでも完璧な青さを追及するか。それともちょっと芝生が枯れかけても余り手間暇はかけずにやるか。バランスの取り方が違うというだけで、どちらも正しいやり方だ。その一側面だけを取り上げて「欧米の方が素晴らしい」「いや日本の方が」などと比べてみても、実りある議論になりはしないのである。


本日のまとめ

「使えない人」は存在するだけで「助け合い組織」のパフォーマンスを低下させてしまう。

そのため、欧米と違い、日本の企業では「使えない同僚」に厳しい。

残業をしないことは、同僚に「自分は手伝いをするつもりはない」という「使えない人間」宣言をすることに等しい。

このような組織では、コミュニケーションを密にしておかないと、勘違いから「使えない」というレッテルを貼られかねない。


次回予告:和魂と洋才とアメリカン・ドリーム


目次:
第1部 和魂と洋才とユダヤの商人
    和魂と洋才と温泉のガイジン
    和魂と洋才と医療の崩壊(上)
    和魂と洋才と医療の崩壊(下)
    和魂と洋才と白羽の矢 <予定>
第2部 和魂と洋才と「会社」の仕組み
    和魂と洋才と残業したい人々(上)
    和魂と洋才と残業したい人々(下)

|

« 和魂と洋才と残業したい人々(上) | Main | 和魂と洋才とアメリカンドリーム »

Comments

今回も面白いです。
あと10回ぐらい読めそうです。

Posted by: rabi | June 13, 2009 at 07:25 AM

毎度楽しみに読んでます。
すべて完成したら、本にして欲しいなぁ。

Posted by: nabezo-r | June 14, 2009 at 09:35 PM

いつも楽しみにしています。
「和魂と洋才」シリーズ興味深く、拝読しております。

マグレブ型の会社組織にジェノア型の評価軸にて評価を行う場合、導入期や過渡期においては、従業員にかかる負荷が大きくなるように思います。成果報酬型の評価法が日本においては上手くいかないのは、その辺りではないかと思いましたが、いかがでしょうか。

Posted by: archikata | June 15, 2009 at 08:58 AM

日本における農作物の市場価格が先進国内でかなり高い水準にあるにも関わらず農家の収入が非常に少ないのは、市場価格と農家からの出荷価格との乖離に原因があると私は考えていますが、同様のことがジェノア型とマグレブ型の社会の人材市場にも言えるのではないでしょうか。

ジェノア型であれば人材の能力と価格に市場原理が働き適正価格が維持されるのに対して、マグレブ型の人材市場は評判が会社を超えて伝わらないために値が付かず、市場自体も小さくなり、結果として人材は評価される賃金は低いままである。

Posted by: d | June 15, 2009 at 12:51 PM

まったく同感です。
元メーカー出身の上司は典型的な「日本の会社の原動力はチームワークだ」人間で、サービス業に転職した今も「人間力向上」というあいまいな部署目標を毎年設定しています。「精神論を唱えるならまず自分から率先して実践しろ」と思っている回りの人間はほとほと迷惑していますが、穏やかに無視している状態です(^_^;)人格が極端にひどくないと、このような状態で放置されるのが日本社会ですよね。「白黒つけるのが苦手」「決断苦手」「空気読んで行動して」オーラを出すその上司は女の私から見てもかなり女々しいです。

Posted by: 木下 | June 19, 2009 at 07:18 AM

連投すみません。
日雇いの派遣社員はマグレブ型に属さないと言えるでしょうね。というより、マグレブ型の会社において、貧富の差があり終身雇用でもないのに、マグレブ型の文化を強要されるのは可哀想ですよ。もし、今後正社員の道が開ける保障があるなら別ですが、ほぼ無理ですよね。
国外から労働者を注入しても同じ結果になるんじゃないでしょうか・・・
彼らは決してマグレブ型にはならないでしょう。さらに、社会保障という点で日本人よりも大きなリスクを抱えなければいけないので、安定した社会には程遠い対応策だと思えてきました。

Posted by: rabi | June 20, 2009 at 01:11 PM

いつも楽しみに読んでいます。欧米型の知り合いがいるので、このシリーズを見て「ああ、そうか」と思う事がしばしばです。今後のシリーズも期待して待ってます。

Posted by: T2 | June 21, 2009 at 01:06 PM

毎回楽しみに拝読させていただいております。
次回予告のアメリカンドリームも楽しみです。

Posted by: oa | July 02, 2009 at 03:08 AM

rabiさん、コメントありがとうございます。リプライが遅れてごめんなさい。仕事の山→私事の山→虚脱の谷を乗り越えていました。

今後も読み返しに耐えうる文章を書いていきたいと思っています。ブログ向きの書き方ではないことは承知していますが…。

Posted by: 馬車馬 | July 06, 2009 at 08:47 AM

nabezo-rさん、コメントありがとうございます。リプライが遅れてごめんなさい。

書籍化ですか-。夢が広がりますね。諸事情あって当面は実名を出して書くわけには行かないのですが、いつかはそう言うことも考えられたらいいですね。実名で本を書くならもっと色々かけるでしょうし(匿名維持のために、エピソードを嘘にならない範囲でごまかす作業というのは結構面倒なのです)。

まぁ、このシリーズを書き上げるまでに余裕で1年くらいかかりそうなんですが…。第2部だけでもあと5回くらい続きそうですし。

Posted by: 馬車馬 | July 06, 2009 at 08:56 AM

archikataさん、コメントありがとうございます。

成果報酬が日本でうまくいかないというのは、次回か、3回先のエントリーでの大きなテーマになる予定です。マグレブ型の組織では個人の成果を測れないという問題の他に、アメリカ型の賃金制度を成果報酬と単純にとらえるべきではないのではないかと思っています。アメリカの成果報酬は、日本人が考えているような客観的制度だとはちょっと思えませんもので。

Posted by: 馬車馬 | July 06, 2009 at 09:01 AM

dさん、コメントありがとうございます。

マグレブ型の場合、社員の努力が雇用主からの金銭報酬ではなく、「同僚からの手助け(そのための評判」という無形の報酬によって報われるので、一見低賃金に見えるわけですね(主婦の労働と似ていますね)。しかし、金銭価値に換算されていないからと言って、それに価値がないわけではありません。また、最近はともかく、今までは社内留保は必ずしも株主には還元されませんでしたから、大枠で見て日本の労働者は何らかの形で報われていたのではないかと思います(例えば、円高という形で)。

賃金の話は次回以降で少し詳しく触れる予定です。

Posted by: 馬車馬 | July 06, 2009 at 10:02 AM

木下さん、コメントありがとうございます。リプライが遅れてごめんなさい。

管理職の有り様というのは、日本と欧米の会社でもっとも違う点の一つだと思っています。リーダーシップの欠如は日本の組織を語る際に必ず出てくるお約束の文句ですが、そこまで普遍的な現象の裏には理由があると考えた方がいいのかな、と。その辺りは3回くらい先で触れる予定です。それにしても、日本だと上司すら村八分の対象になってしまうと言うのが面白いですよね。欧米の会社ではあり得ない現象です。

Posted by: 馬車馬 | July 06, 2009 at 10:44 AM

rabiさん、派遣社員の問題は色々と興味深い話だと思います。彼らは明確に「ギルドの一員」ではありません。しかし、働く側は「いずれこのギルドに入れてもらえるかも」と思って働き、そして失望するわけです。人間の最適行動は無意識のうちに決定される(とされている)、と前に書きましたが、無意識故の勘違いが不幸な行き違いを生むことは結構多いように思います。これも何回か先で触れる予定です。

Posted by: 馬車馬 | July 06, 2009 at 10:57 AM

T2さん、コメントありがとうございます。リプライが遅れてごめんなさい。

最近は日本でも外資系勤務が当たり前になってきて、それ故の行き違いも増えているような気がします。

色々と裏での調べ物が多いシリーズなのでなかなか進みませんが(そうでなくても私はえらく遅筆なんですけど)、気長にお待ちいただければと思います。私もみなさんに見捨てられないように頑張ります。

Posted by: 馬車馬 | July 06, 2009 at 11:07 AM

oaさん、コメントありがとうございます。リプライが遅れてすみません。

実は今構成に悩んでいまして、もしかしたらアメリカンドリームは3回先に回してしまうかもしれません。時間をかけすぎると無駄に悩みが増えてますます書きづらくなるんですよね…。今後ともよろしくお願いします。

Posted by: 馬車馬 | July 06, 2009 at 11:19 AM

ご無沙汰です。今回も興味深いエントリーで、楽しませてもらいました。ちなみに日銀は典型的なマグレブ型の組織ですね。

Posted by: 本石町日記 | July 14, 2009 at 01:59 PM

本石町日記さん、コメントありがとうございます。リプライが遅れてごめんなさい。7年越しの大仕事が、先週ようやく成功裏に終了いたしまして、ここ数週間はその追い込みで頭がいっぱいになっておりました。

日銀は人材の流動性が低く、またトップダウンにするには上の権力が小さいような気がしますので(よく知りませんが、総裁が「気にくわないから」と理事や課長を更迭は出来ないような気がします)、必然的にマグレブ式にならざるを得ないのかもしれませんね。意志決定の話は少し先で書くつもりです。

Posted by: 馬車馬 | July 27, 2009 at 02:48 AM

初めまして
馬車馬さんのサイトはよく読むのですが、
あまりにマクロで抽象的でいまいち腑に落ちない事が多いです。
助け合いだの倫理観だのは全体に均質化を要求し、
それがすり切れた表現ですが「俺も我慢してるんだからお前も我慢しろ」と言う硬直した体質に繋がります。
で、それに疲れてる人間が現に増えておりしかも生産性の低下を招いているのですが、
それに関しては何も論じない。
安定した会社ではと言うけれど、誰がどういう視点で安定したと言う意味なのか、
どうすれば安定した職場にできるのか、言えるのかもわからない。
もし助け合いを言うのであれば、そのための具体的な立ち振る舞いや、
何を持って助け合いというのかを提示していくべきだと思うのですが。
こういうことは既に不文律や共通の言語(日本語話者かどうかだけでなく、言葉の裏の意味まで共通しているのか)を有していると確認できるときに効果が出ると思うのです。

助け合いと言う事が旧来の職務と関係ない範囲まで及ぶ
共通項の押し付けであり、
おのおのの視点の違いを認めない既存の関係をおっしゃっているので無ければ、
新しい形での「助け合い」の具体的なありかたや方策を論じてほしい物です。

おそらく判で押したような「だから日本は」的論調に対するカウンターの意味もあるのでしょうが、
弱いと思います。

Posted by: plts | October 27, 2009 at 04:05 PM

pltsさん、コメントありがとうございます。リプライが遅れてごめんなさい。ここ数ヶ月、仕事の絨毯爆撃を食らってまして…。条件反射でお答えできないコメントがあると即先送りになってしまいました。

抽象化して語るのは私の(というよりも、このブログの)芸風でありまして、その辺はご勘弁頂くより他ありません。そもそも、この手の話をケーススタディの山で語るのは、そこら辺の本屋に行けば10冊は必ず見つかる、お約束中のお約束の「作法」でありまして、そんなことをやっても書いている私がつまらんのであります。

労働時間の延長や助け合いの(implicitな)強制については正にこのエントリーの主題になっていると思います。その後の「共通言語」の話も、以前のエントリーで散々書きましたので、ここでは触れていません。

私がこの一連のエントリーでやろうとしているのは、この手の問題を考える上でのフレームワークの提示であって、赤組と白組どっちが強い、という議論には余り関わるつもりはありません。当然、「共通項の押しつけ」が一概に悪いことだとも思っていませんし、諸手を挙げて「日本の成長力の源泉だ!」と盛り上がるつもりもありません。もう少しバランスのとれた、それ故につまらない議論を書いていくつもりです(なによりもそれが、私個人にとっては面白いものですから)。pltsさんが「弱い」と思われるのはその点では当然であろうと思いますし、その辺りはご寛恕頂ければ幸いです。

Posted by: 馬車馬 | December 28, 2009 at 10:57 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/41088/45315377

Listed below are links to weblogs that reference 和魂と洋才と残業したい人々(下):

» 村八分が怖い日本の職場 [ZEROFACES]
マーケットの馬車馬さんの「和魂と洋才とユダヤの商人」シリーズは大変おもしろい。政... [Read More]

Tracked on June 25, 2009 at 07:15 PM

« 和魂と洋才と残業したい人々(上) | Main | 和魂と洋才とアメリカンドリーム »