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和魂と洋才と「会社」の仕組み

初めて会った外国人と話す時の"お決まりのネタ"のひとつが、「日本人が働き過ぎるのはなぜか」というものだ。日本では"work for life"ではなく、"life for work"であるらしい、というのは、誇張交じりにせよ海外でもよく知られている。そしてこのネタになると、欧米人は心からの同情を込めて、馬車馬のように働くこの哀れな日本人を慰めてくれるのである。「人生に疲れたら僕の国においで」、と。こう言ってくる時、彼らの頭の中でドナドナの悲しい調べが奏でられていることを筆者は疑わない。

この件に限らず、日本人の働き方が欧米のそれとは大分異なっていることはよく知られているし、日本人の側でもそれなりの自覚がある。なぜ日本ではどいつもこいつも長々と残業しているのか? なぜ日本の会社は中途採用に対してこれほど消極的なのか? 成果給はなぜいつまで経っても根付かないのか? 日本の労働組合はなぜ企業と戦おうとしないのか?

もちろん、日本人の働き方が悉くネガティブに捉えられているわけではない。日本人の接客態度は間違いなく世界最良の部類だろうし、あの複雑極まる交通システム(特に電車)を完璧に運営することは、他の国々 - 特に、ドイツを除く欧米諸国 - にはほとんど不可能な難事に違いない。そしてなにより、自動車産業に象徴される高い生産効率。だからこそ、良きにつけ悪しきにつけ、日本の企業組織というのは興味と議論の対象になってきたわけだ。

前回まで(とはいえ、最後に書いたのは1年前なのだが)、日本独特の文化が「裏切ったら村八分」という、ある種陰険な評判メカニズムによって律される社会構造の産物であると書いてきた。そして、評判メカニズムは「異邦人」に対して脆弱な仕組みであり、それ故に人の出入りが激しい社会ではこのメカニズムは機能しない。それが温泉や医療システムでの国ごとの違いを生んでいる。

そして、社会が人間同士の関係性で成り立っているように、会社組織もまた突き詰めれば人間関係だ。ならば、日本と欧米との会社構造の違いも、同じ視点から考えることが出来るかもしれない。そこで、このシリーズの第2部として、日本と欧米の会社組織の違い、働き方の違いがどこからくるのか、それを考えていくことにする。今回は、このシリーズのネタ元であるグライフ教授の研究を紹介するところから始めたい(注1)。

ギルド社会と水平構造

企業というのは、他人が協力しあう関係のひとつの形だ。そして、協力関係には主に2種類あることは「和魂と洋才とユダヤの商人」で書いた。ひとつはギルド。組合仲間とだけ協力し合い、裏切りには村八分で対処する(評判メカニズム)。マグレブ(北アフリカ近辺)出身で11世紀の地中海を股にかけて活躍したユダヤ商人たちは、この評判メカニズムを基に商売を広げていった。地中海は広い。コンスタンチノープルからスペインまでの取引を、自分一人で取り仕切るのは難しい。品物全てを自分で運んでいたら盗賊のいい餌になるし、旅をしている間はスペインからもコンスタンチノープルからも連絡が取れなくなる。スペインまで旅をしている間に客が逃げてしまっては目も当てられない。それよりも、スペインに協力者を確保して自分はコンスタンチノープルに留まった方が色々と有利だ。例えば、スペインに運んだ品物の代金の回収を依頼できるし、逆に向こうからの品物の代金をコンスタンチノープルで回収してやれば、両方の代金を相殺して金貨を運ぶことなく取引を成立させることが出来る。旅商人スタイルが廃れ、商人が定住を始めたのはこの頃になる。

ただし、全てを独りで執り行う旅商人とは違い、定住型のビジネスはひとつ大きな問題を抱えている。それは、スペインの協力者が本当に協力してくれるか分からないということ。売上金回収の代行を頼んでも、協力者が売上金を持ってドロン、という可能性だってあるのである。協力者との信頼関係が、定住型ビジネスの要となる。そこでユダヤ商人たちが編み出したのが、「裏切られたらその商人の悪口を手紙に書いて四方八方に送り、その商人を村八分にしてしまう」という戦略だった(とにかく筆まめな人たちであったらしい)。

このようなシステムには、上下関係が存在しない。実際、グライフ教授の研究では、ユダヤ商人の間には、零細商人が大商人に隷属するといった上下関係は余り見られなかったようだ。仮にコンスタンチノープルの商人が零細で、スペインの商人が大商人であったとしても、コンスタンチノープルの商人はスペインの商人に業務の代行を頼むだろうし、逆もまた然りだ。マグレブのギルドは持ちつ持たれつの相互協力関係であったのだ。

このような対等の関係(水平構造)が生まれたのは、ギルドを統べる評判メカニズムが大商人にも零細商人にも同じように機能するからだ。評判を落として失うのは今の資産ではない。商人が死ぬまでの間に、ギルドに所属することで得られる利益を失うのだ。今貧乏だからといって、"俺には失うものは何もないから、何をやっても良いんだ"とはならない。もしこの若き貧乏商人が"いつかのし上がってやる"という大望を抱いているなら、それは自分の評判を維持する十分な理由になるのである。


洋才社会と上下関係

一方で、地中海でマグレブ商人と覇を競ったジェノアでは、全く違う取引体系が成立した。この時期のジェノアの特徴は爆発的な人口の急上昇にある。1200年から1300年までの100年間に、3万人程度だった人口が10万人にまで拡大しているのである。人の出入りも当然に激しかっただろう。

このような出入りの激しい社会では、評判メカニズムは機能しづらい。「和魂と洋才と温泉のガイジン」でも書いたとおり、すぐにジェノアを出ていってしまう人はジェノアでの自分の評判など気にしない。それに、人口が多くなればなるほど、悪い評判が伝わるまでに時間がかかるようになる。そもそも、自分の知らない人の悪口を聞かされても、いちいち覚えてなどいられないのだ。

だが、ジェノアの商人とて長距離取引は多い。海の向こうの取引先との折衝や代金の取り立てを任せられる人材との協力は必要不可欠だ。その協力者の裏切りは死活問題と言って良い。そこでジェノアの商人が取った戦略が、より多くの給料を払うこと。匿名性の高いジェノアでは評判メカニズムは使えない。ならば、今十分に高い給料を払うことで"裏切っても大して得にならないな"と思わせるしかないわけだ。または、街のならず者を雇って非合法にお灸を据えるという手もある(注2)。

これらの方法に共通するのは、他人を使うには金にせよ、腕力にせよ、ある種の権力を必要とするということ。ここにあるのは明確な上下関係である。ジェノアでは、商人同士の助け合いは殆ど見られなかったらしい。彼らは腕を見込んだ貧乏人を使用人として雇い、それなりの報酬を与えて働かせた。どちらかというと、雇い主は金だけを出す金主で、実際に働くのは雇われエージェント、というケースが多かったようだ。

そして、マグレブ商人の協力関係が暗黙のうちに築かれていたのと違い、ジェノアのそれは「commenda(コンメンダ)」と呼ばれる明確な契約に基づいていた。厳密には、コンメンダは単純な雇用契約ではなく、合資会社的な性格を持っていたのだが、その辺りは別の機会に触れたい。待ちきれない方は塩野七生の「海の都の物語」を参照して頂きたい。


和魂の会社、洋才の会社

グライフ教授も指摘していることだが、ジェノア型の上下関係に基づく組織運営は、その後欧米諸国に広がり、今や世界中のスタンダードになっている。そもそも、カンパニーという言葉自体が、コンパニア(compagnon、英語ではcompanion)、即ち「パンを共にするもの」という、ラテン語で家族を意味する言葉を語源としているのである。これから何回かに分けて書くつもりだが、このイタリア発祥の組織形態は、間違いなく世界を変えた。

その一方で、マグレブ型の組織というのは、その後余り目立たなくなってゆく。そして、20世紀も中頃になって、極東の島国で再発見されることとなった。日本の会社組織はマグレブのそれとどう似ているのか?欧米標準の「カンパニー」と比べ、どんなメリットとデメリットがあるのか?そして、日本の会社は欧米型に変わっていけるのか、その必要があるのか?その辺りの話を、次回以降3~4回に分けて書いていくことにしたい。


本日のまとめ

「裏切ったら村八分」というムラ社会的な評判メカニズムは、「持ちつ持たれつ助け合い」という、互いに対等な協力関係を生んだ。

一方で、評判メカニズムが機能しなかったジェノアでは、「資金を持つ金主が高い給料を払って使用人(商人)を雇う」という、明確な上下関係に基づいてビジネスが行われた。

ジェノア型の、明確な契約に基づく上下関係は、その後世界中の会社組織のスタンダードとなった。一方で、日本の会社は必ずしもこのスタンダードを共有していないように見える。

次回予告:和魂と洋才と残業したい人々


注1:興味のある方は、A. Greif 'Institutions and the Path to the Modern Economy', Cambridge University PressのChapter 9、またはA. Greif (1994), “Cultural Beliefs and the Organization of Society: A Historical and Theoretical Reflection on Collectivist and Individualist Societies”, Journal of Political Economy 102, 912-950あたりを参照されたい。前にも書いたが、マグレブとジェノアの話は全面的にグライフ教授の著作から引用している。ただし、何カ所か日本の話へと繋げるために解釈を変更したりしているので、これはグライフ教授の一連の著作の要約にはなっていない点に注意されたい。

もし入手可能であれば、本よりもJournal of Political Economy(ゲーム理論に興味がない方は、Journal of Economic Historyでも似たような論文があるのでそちらを当たられると良い)の論文を読むことを勧める。本の方の英語は余りにも読みづらい。一文が非常に長く、しかも文節が不明確で、悪文と言ってしまいたい位だ。折角の良著なのにあんまりである。編集者仕事しろと言いたい。

注2:法規制というやり方があることは前にも書いたが、ここでは議論しない。4回くらい先の移民の話でもう少し詳しく書く予定。

目次:
第1部 和魂と洋才とユダヤの商人
     和魂と洋才と温泉のガイジン
     和魂と洋才と医療の崩壊(上)
     和魂と洋才と医療の崩壊(下)
     和魂と洋才と白羽の矢 <予定>
第2部 和魂と洋才と「会社」の仕組み
     和魂と洋才と残業したい人々(上)

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Comments

本当にいまさらですが、和魂洋才シリーズを再開したいと思います。別に忘れていたわけではなく、少しずつ資料と論文を読みため、原稿を書き溜めていたのですが。(むしろ、読者の方に忘れ去られてしまっている可能性が大、というのが切ないところですが、これは自業自得ですね)

前回(医療崩壊)の最後で、『幻として消えそうなギルド社会型のシステムを取り戻す方法』を書く、と宣言したままになっているのですが、これは第2部の会社シリーズを書いた後に、番外編としてエントリーを立てる予定です。

この第2部を書いた後で、やっと本筋の第3部に取り掛かれるのですが・・・。いったいいつ書き終わるんでしょうか。

Posted by: 馬車馬 | May 07, 2009 at 10:44 AM

馬車馬さん初めまして。いつも大変興味深く拝見させていただいております。
馬車馬さんの書かれるエントリは、論理構造の単純化が徹底され、理路整然として読みやすく、何度も頷かされることしきりです。論理自体もそうですが、分かり易い文章(説明)の書き方としても、とても参考になります。
新しいエントリの投下の無い時でも、かつてのエントリの読み返しをさせていただき、論旨への理解を深めたり、以前は気付かなかった新しい発見が出来たり、本当に楽しませていただいております。
御ブログのいずれのエントリも、たとえ時間が空いても、一過性に消えてしまったり、賞味期限切れになったりすることは決してないものだと思います。

今エントリそのものに関係しないコメントで申し訳ありません。一読者として感謝をお伝えしたく、コメント欄をお借りさせていただきました。

Posted by: 通りすがり | May 07, 2009 at 03:55 PM

そういえば、幕末の外国人の滞在記で、日本の使用人達は命じられた事をそのままやらない、自分の判断と工夫で余計な事をやってくれるとか何とか、いや、こうした方がよいというような意見を言ってくるだったかな? そんな事を読んだ記憶が。
上下が厳しい江戸時代というイメージがあったので印象に残ったんですが。
馬車馬さんのこのエントリを読んで、するとこれは、ひょっとして、使用者と仕事の上で対等という感覚だったのかなあと思ったしだい。

RSS登録しっぱなしなので1年くらいのブランクは全然無問題なのであります(笑
続編、期待しております。

Posted by: Cru | May 07, 2009 at 11:36 PM

「お帰りなさい。」

としかいいようが無いです。

Posted by: tesh | May 08, 2009 at 12:42 AM

続編心待ちにしておりました。曖昧に感じている実感をわかりやすいキーワードにしていただけることに大変に感謝です。

ところで、半年以内に不渡り2回で銀行取引停止処分(官報という回状が廻る)という制度も、一種のギルドですよね。あの制度もかなり日本独自だと思います。

Posted by: nabezo-r | May 08, 2009 at 12:02 PM

やや古いのですが、エリック・レイモンドによるオープンソース4部作、特に『ノウアスフィアの開墾』はご存知でしょうか。
linux や mozilla に代表されるオープンソースのハッカー(優れたプログラマーの意)達の社会は、ジェノア型の「上意下達」「交換文化」ではなくギルド社会の「職人気質」("life for work")「評判ゲーム」が機能していると言っているのですが、馬車馬さんのエントリと読み合わせると色々と面白い点がありました。

・ハッカー社会は、インターネットによって「異邦人」が存在しない社会になっている。ゆえに「評判ゲーム」が機能する。
・マイナス評価の「村八分」よりもどれだけ貢献したかというプラス評価の「贈与文化」が機能している。そのため匿名者(異邦人)の評判は最低値のゼロであり排除できる。
・最も多く贈り物をした人間が「優しい独裁者」として振る舞うことが許される/求められる。これは、日本社会における天皇をはじめとする上に立つ者に求められるものに近い。

ただ不思議なことに、こうしたハッカー社会に親和性のあるはずの日本人のオープンソースへの貢献は経済規模に比べると少ないんですよね。(言語の壁もありますが。)

Posted by: motton | May 08, 2009 at 05:51 PM

通りすがりさん、コメントありがとうございます。

過分のお褒めのコメント、どうもありがとうございます。過去のエントリーまで読み返してくださるというのは、本当に書き手冥利に尽きます。何かを積み重ねられているという感覚は本当に嬉しいものです。

読みやすさという点では、最近英語のライティングで習っていることが結構役に立っているかもしれません。「ひとつの段落に内容は1つだけ」「キーセンテンスは段落の最初か、さもなければ最後に持ってくる」「文章にサプライズを作らない(そう言う文章、単語の配置を心がける)」というのは、日本語のライティングとしても学ぶところが多いなぁと。文章は未だに試行錯誤しているのですが(特に、ですます調はもっと使ってみたいんですが、どうもイマイチ決まらないといいますか・・・)。

今後ともよろしくお願いします。

Posted by: 馬車馬 | May 11, 2009 at 04:02 AM

Cruさん、コメントありがとうございます。

それは面白いですね。ここでの「上下関係」とは、身分の上下というよりも「使う側と使われる側との明確な区別」のことですので、身分の上下の間の持ちつ持たれつというのは成立しそうな気がします。その辺りをちゃんと考えていくと結構面白そうですね(ややこしそうですが)。

しかし、RSSというのは本当にありがたいものですねぇ。

Posted by: 馬車馬 | May 11, 2009 at 04:19 AM

teshさん、コメントありがとうございます。

いやもう、本当にお待たせしました。ただいま戻りました・・・

Posted by: 馬車馬 | May 11, 2009 at 07:13 AM

nabezo-rさん、コメントありがとうございます。


ちょうど今ファーガソンのAscent of MoneyのDVDを見ているのですが(これは大変面白いです。NHKはとっとと買って翻訳すべき)、アメリカでは破産のペナルティは日本と違って極端に低いみたいですね(おっしゃるとおり、倒産情報をああいう形で周知共有・活用するというのは、欧米では余り見られないように思います)。この辺り、金融契約の在り様が日本型と欧米型で違う、という話もありまして、出来ればどこかで紹介したいと思います(色々と引用しづらい事情があるので、無理かもしれませんが)。

Posted by: 馬車馬 | May 11, 2009 at 07:14 AM

mottonさん、コメントありがとうございます。

インターネットゆえに異邦人が居なくなる社会、というのは面白いですね。世界は技術進歩と共に広くなり、それ故に匿名性が高まる、という論法は多くあるのですが、ここの専門性の高い社会では、その逆が起こりうるわけですね。ご紹介いただいた文はまださわりしか読んでいないのですが、色々と面白い文章です。商業主義との距離の取り方なども興味深いですね。

日本人の貢献はやはり言語と、それに伴うアピール能力の欠如でしょうか・・・。実際に仕事をする段になると、日本人は実にいい仕事をする、というのはある程度共通認識になっていると思います。

Posted by: 馬車馬 | May 11, 2009 at 07:29 AM

おお、久々に見てみたら更新されてる!元気そうで何より。最近、某K氏のブログ更新頻度も下がっているので、期待してます。

論文も読まずに気が引けますが、今回のエントリーだけ見ると、日本の会社には欧米のような明確な上下関係が無い(=ギルド的/水平的集団)とも読めますね。もちろん制度的にも、文化的にも上下関係(権力関係?)が存在するのだろうし、それを承知で書いているのは分かっておりますが。(というか、ポイントは明確な指示云々が無くともなぜ働くのか、ということにあるのでしょうけど。)

と、つっついてみると次の更新が早まったりして…。


Posted by: こう | May 13, 2009 at 03:15 AM

こうさん、コメントありがとうございます。ご無沙汰しております。

確かに、日本にも様々な上下関係というのは存在するわけですが、日本の会社のボスと部下の関係は、欧米のそれとは結構違うような気がするんですよね。その辺りは先々のエントリーで書いていく予定です。

本当は日曜日に書き上げる予定が、色々と横槍が入って進みませんで。次回のエントリーは8割、その次のエントリーも5割くらいは書き上がっているので、2~3日で載せる予定です(さらなる横槍がなければ、の話ですが・・・)。

Posted by: 馬車馬 | May 18, 2009 at 05:16 PM

久々のエントリーアップですね。続編楽しみにしております(せかす意味はないです。お気楽に。苦笑)。

Posted by: 本石町日記 | May 19, 2009 at 08:41 PM

本石町日記さん、どうもご無沙汰しております。

よく考えると色々と仕事が切羽詰まっていてそれどころではないような気もするのですが、本石町日記さんの直前のエントリーも含め(いつも楽しみに拝見しております)、いくつか刺激を受ける文章を読みましたもので、その勢いに任せって書き上げてしまいました。だらだらと考えていても仕事に集中できなくなりますもので・・・。短い文章をコンスタントに挙げていくというのは、よくよく自分には合わないようです。

Posted by: 馬車馬 | May 22, 2009 at 09:09 AM

おもしろく読ませていただきましたが少し気になる点があったので2、3。

エントリの主題は「バザール型(マグレブ型)と伽藍型の組織運営がある」ということでこのあたりについては特に異論はないのですが、日本の組織の成り立ちについて少し違和感があったもので。

日本全体が「村八分」的なものをしていたバザール的社会ととらえられているようですがそうでもなかったようです。西日本と東日本では組織の成り立ちや運営方法が違う

くわしくはこちらにメモっときましたが

muse-A-muse 2nd: 宮本常一、1984、「忘れられた日本人」
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/114394025.html

西はバザール型、東は伽藍型ヒエラルキー(あるいはピラミッド構造)っぽいです。

ただ、中央集権的な組織運営までいっていたかというとちょっとびみょーなんですが。あと、大田植えなど強力な一元的なリーダーシップが必要とされる大行事は東ではなく西であったようなのでちょっと混乱してます。。(この辺うろ覚えなのでもう一度宮本常一の当該本みてみるといいかもですが)

で、
強力な中央集権的組織の成り立ちは江戸期とそれ以前では様相が異なるように思います。あるいは合理主義が導入され敷衍されていったのが江戸期、それ以前はわりと牧歌的な感じだったようで。もっともこれは江戸や大阪などの都市部に限ったもので農村部は依然として旧来の空気感があったのかもですが。

なので、いちお伽藍様式もあったようですが、ヨーロッパ的合理性を伴った組織運営とも異なるようです。それが導入されるのは明治期以降ということでこれもちょっと段階を踏みます。

まとめると、日本的な組織の独特さ(あるいはいわゆる日本的「空気」の問題)は村社会的なそれの影響は確かにあるだろうけど江戸期や明治期の合理性導入によってハイブリッド的に涵養されていった、と考えられます。

伽藍とバザールについてはよろしければこちらをごらんください。

The Cathedral and the Bazaar: Japanese
http://cruel.org/freeware/cathedral.html

ほかの方もいっておられましたが『ノウアスフィアの開墾』はその続編です。


Posted by: m_um_u | May 29, 2009 at 09:13 AM

はじめまして。
忙しい中更新お疲れ様です。

日本的な組織の例としてnabezo-rさんが
>ところで、半年以内に不渡り2回で銀行取引停止処分(官報という回状が廻る)という制度も、一種のギルドですよね。あの制度もかなり日本独自だと思います。
と提示していますが、嫌な例ですけど「ヤ○ザ」も一緒ですね。

評判システムは「仁義」(本当にあるのかは別として)とか、村八分は「破門状」とか。

これ、欧米の「○フィア」ともやっぱりジェノア型とマグレブ型で違いがあるのですかね?

場違いですね、すみません。

Posted by: まずかったら消してください | June 06, 2009 at 01:14 AM

m_um_uさん、コメントありがとうございます。リプライが遅れてごめんなさい。

バザール型、伽藍型という表現は面白いですね。色々なところに、似たようなことを考える人はいるのですね(または、グライフ教授の著作がネタ元になっているのでしょうか。20年も前の研究ですし)。

大田植という行事は始めて知ったのですが、これは 個人的にはむしろマグレブ型のように思いました。この次のエントリーで書いたことですが、上下関係というのは立場の上下ではなく、使う側と使われる側の固定化にあります。これが大家が小作人を使って行う行事であれば、ジェノア型の典型例と言えると思うのですが、大田植ではそう言うケースは稀だったようですし。大田植のリーダーというのは、資本家ではなく、仲間内で一番経験のある人、というのが、いかにもマグレブ的だなと思うわけです。その辺りは、次の次で詳しく書こうと思います。

それはさておき、東と西の違いというのは面白いですね。そして、それが過去100年でハイブリッド型へと進化していったというのはおっしゃるとおりだと思います。ハイブリッドについては今後少しずつ書いていくつもりです。

ご紹介いただいた本は機会を見つけて読んでみたいと思います。それから、そちらのエントリーについても近いうちにコメントをさせていただきたく。

Posted by: 馬車馬 | June 08, 2009 at 11:53 AM

まずかったら消してくださいさん、コメントありがとうございます。リプライが遅れてごめんなさい。

やくざやマフィアというのは、どちらも疑似家族関係を「勝手に逃げ出したら殺す・指詰める」という脅しで強化してギルド化しているという点ではよく似ていると思います。破門状は、おっしゃるとおり典型的な村八分ですよね。

私はマフィアの組織構造というのが全く分からないのですが、恐らくイタリアマフィアは、伝統的に家父長が絶対優位にあったローマの家族関係を下敷きにしているのでしょうから、もう少し互助関係よりも上下関係が強く出ているのではないかと予想します。後で書くつもりですが、マグレブのギルドと、イタリアのギルドも、同じギルドと呼ばれつつも、中の組織構造は結構違っていたようなんです。

Posted by: 馬車馬 | June 12, 2009 at 10:43 AM

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