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きょうの社説 2010年7月1日
◎8強ならず 夢はまだ終わっていない
やはり世界は甘くなかった。サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で、ベ
スト8をかけた戦いは、苦い結果に終わった。この試合で3回目のマン・オブ・ザ・マッチ(最優秀選手)に選ばれた星稜高出身の本田圭佑の戦いも終わった。延長を含めて120分、死力を尽くした代表選手たちに「夢をありがとう」「お疲れさま」の声をかけたい。果たせなかった夢は新生日本代表に受け継がれるが、その中心には、間違いなく本田が いることだろう。目覚ましい活躍で世界に名を売った本田の新たな挑戦がこれから始まる。飽くなき向上心を持つ24歳がどこまで成長するか、4年後の次期大会でどんなスーパープレーを見せてくれるのか、私たちの夢もまだ終わっていない。 今回の日本代表は、過去のどのチームよりも国民の「期待値」は低かった。エースの中 村俊輔は不調が続き、W杯直前の強化試合は4連敗し、岡田武史監督の交代すらささやかれた。どん底に落ちた岡田ジャパンを生き返らせたのは、まぎれもなく本田の強烈な個の力ではなかったか。 それまでの日本代表の戦術は、相手ゴールに近い位置でプレス(圧力)をかけてボール を奪い、数的優位をもってパスをつなぎ、ゴールに迫るスタイルだった。個の力では勝てないから、組織で攻める狙いだったが、運動量が求められるために体力をすり減らし、終盤に失点することも多かった。 それを岡田監督は、W杯直前に「堅守速攻型」に変えた。勝つために組織で守り、攻撃 は個の力に頼るスタイルに変えたのである。屈強な相手にも当たり負けせず、強烈なシュートを打てる本田がいてこその戦術変更であり、そんな急ごしらえのチームが世界の強豪と互角に渡り合った。 勝利に徹した日本のサッカーは泥臭く、面白みに欠けていた。スペインやオランダのよ うな華麗なパス回しもなく、ブラジルやドイツの迫力とも無縁だった。だが、リスクをかけず、したたかに守って少ないチャンスを生かす作戦は理にかなっていた。本田こそがこれまでの日本代表に欠けていた最後のピースだったのだろう。
◎小松−成田増便 北陸共有の「国際路線」に
7月から1日2往復に増える小松−成田便は、北陸から欧米などに向かう事実上の「国
際路線」といえ、複数便化によって、その性格は一層鮮明になってくるだろう。共同運航する全日空とアイベックスエアラインズは、試験的に1年間実施したうえで継 続を判断する方針である。これまで中部、関西国際空港を利用していた客が成田便に移り、さらには富山、福井県の需要を掘り起こせれば2便体制の維持は十分可能である。この1年で重点的に利用促進策を講じ、北陸共有の路線として育てていきたい。 小松−成田便は2004年11月に就航し、現行の午前8時半小松発と午後7時半成田 発の便は、午前発の欧州便、午後着の北米便などに対応している。新たに午後3時5分小松発、午前10時5分成田発の便が加わることで、夕方発の北米便や早朝着の欧州便などとの連絡が可能になり、乗り継ぎの利便性は格段に向上する。 成田便の搭乗率は、07年度には67・4%と最高になったが、09年度は57・1% に下がっている。試験運航とはいえ、航空会社が増便するのは採算が取れる可能性を見いだしているからだろう。そうした期待にこたえるためにも、県は航空会社と連携し、運航ダイヤや乗り継ぎ便のPRを強化する必要がある。 成田便により、小松空港は「欧米への玄関口」とも言える機能を兼ね備えたことになる が、そうした位置づけは北陸全体で十分に定着しているとは言い難い。とりわけ、福井県の人たちは地理的に関西、中部を利用するケースが多いとみられ、今後は広域的な集客戦略が一層大事になる。 2014年度に北陸新幹線が開業すれば羽田便の利用減は避けられず、小松空港は国際 空港としての存在感をさらに高める必要がある。アジア直行便とともに、成田便を育てていくことは、北陸への外国人誘客や国際交流のパイプを太くすることにもつながるだろう。新幹線時代をにらみ、今のうちから空港の国際化戦略を綿密に練っておきたい。
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