高木マニア堂
何となく思いついたこと、目についたことをツラツラと…。
204:「ミスター~」にこだわり続けた男
<2009年6月=東スポ・プロレス格闘技サイト「プロレスマニア堂」より>
深夜、CS放送などで昔の映画、ドラマや特撮モノをボ~っと眺めていると、まるで不意打ちの如く再会する人がいる。
1995年のこの季節(6月)に亡くなったミスター珍さん(享年62)だ。
力道山存命中に引退を表明した珍さんはタレントに転向。さまざまな映画やドラマ、バラエティ番組に出演していた。その後、何度かプロレス復帰と引退を繰り返し、最後は1993年7月に大仁田厚率いるFMWでリング復帰。重度の糖尿病から第一級身体障害者に認定されていた珍さんは人工透析を繰り返しつつのリング復帰だった。
大仁田FMWに限らず、プロレス界は厳しい現実と痛快なファンタジーが交錯する世界。だが珍さんが身体障害者であることは事実。巡業中にふと数日間、姿を消すのは「人工透析」を受けに行っている時。最近、巡業でお見かけしないなと感じていた矢先、訃報が入ってきた。
若き時代の珍さんの写真を見ると、実に筋骨隆々(コミックプロレスの元祖でありながら、実は兵庫県警機動隊→プロ柔道を経てプロレス入りした隠れストロング派でもあった)としていたが、棺の中の珍さんは、本当に小さくなっていた。
そんな珍さんに巡業中、呼び止められ、説教ではないのだが、よく注意されていたことがある。それは試合結果(テーブル)の欄に書かれるリングネームのことだ。
現在、本紙はリングネームのフル表記が原則(※九州スポーツを除く)となっているが、1990年代は名字、もしくは名前のみの簡略表記が通常だった。つまり大仁田厚は「大仁田」、ターザン後藤は「後藤」。珍さんの表記は当然「珍」と一文字となる。
ところが珍さん、これが気に食わない。
会場で顔を合わせる度に「〝珍〟とは何だ?ワシのリングネームは力道山先生から直々にいただいた〝ミスター珍〟だぞ」と厳しく注意される。
別に私の一存でそうしているワケでもない。
「紙面上の規則ですから…」と説明しても「ワシだけでもちゃんと〝ミスター珍〟とフルネームで書いてくれないか?」と言って聞かない。私がそう書いたところで、新聞が刷られるまでに訂正され「珍」とされるのがオチだ。
結局、この問題は解決することはなかった。毎度毎度、私の顔を見るたびに注意を繰り返し、師匠・力道山から命名された「ミスター珍」というリングネームにこだわり続けた珍さんは、そのまま、ある日突然、あの世へと旅立ってしまった。
あれから14年。今も突然、テレビの画面に珍さんが登場すると、私はドキっとしてしまうのである。
深夜、CS放送などで昔の映画、ドラマや特撮モノをボ~っと眺めていると、まるで不意打ちの如く再会する人がいる。
1995年のこの季節(6月)に亡くなったミスター珍さん(享年62)だ。
力道山存命中に引退を表明した珍さんはタレントに転向。さまざまな映画やドラマ、バラエティ番組に出演していた。その後、何度かプロレス復帰と引退を繰り返し、最後は1993年7月に大仁田厚率いるFMWでリング復帰。重度の糖尿病から第一級身体障害者に認定されていた珍さんは人工透析を繰り返しつつのリング復帰だった。
大仁田FMWに限らず、プロレス界は厳しい現実と痛快なファンタジーが交錯する世界。だが珍さんが身体障害者であることは事実。巡業中にふと数日間、姿を消すのは「人工透析」を受けに行っている時。最近、巡業でお見かけしないなと感じていた矢先、訃報が入ってきた。
若き時代の珍さんの写真を見ると、実に筋骨隆々(コミックプロレスの元祖でありながら、実は兵庫県警機動隊→プロ柔道を経てプロレス入りした隠れストロング派でもあった)としていたが、棺の中の珍さんは、本当に小さくなっていた。
そんな珍さんに巡業中、呼び止められ、説教ではないのだが、よく注意されていたことがある。それは試合結果(テーブル)の欄に書かれるリングネームのことだ。
現在、本紙はリングネームのフル表記が原則(※九州スポーツを除く)となっているが、1990年代は名字、もしくは名前のみの簡略表記が通常だった。つまり大仁田厚は「大仁田」、ターザン後藤は「後藤」。珍さんの表記は当然「珍」と一文字となる。
ところが珍さん、これが気に食わない。
会場で顔を合わせる度に「〝珍〟とは何だ?ワシのリングネームは力道山先生から直々にいただいた〝ミスター珍〟だぞ」と厳しく注意される。
別に私の一存でそうしているワケでもない。
「紙面上の規則ですから…」と説明しても「ワシだけでもちゃんと〝ミスター珍〟とフルネームで書いてくれないか?」と言って聞かない。私がそう書いたところで、新聞が刷られるまでに訂正され「珍」とされるのがオチだ。
結局、この問題は解決することはなかった。毎度毎度、私の顔を見るたびに注意を繰り返し、師匠・力道山から命名された「ミスター珍」というリングネームにこだわり続けた珍さんは、そのまま、ある日突然、あの世へと旅立ってしまった。
あれから14年。今も突然、テレビの画面に珍さんが登場すると、私はドキっとしてしまうのである。
プロフィル
高木圭介のプロフィル
昭和44(1969)年6月4日、神奈川県川崎市生まれ。かつてジャイアント馬場さんも暮らした新丸子の街
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