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[19932] 夢の世界でポニーテイル少女が活躍する話
Name: 武藤宗谷◆c5e725f7 ID:36a08125
Date: 2010/06/30 15:49
・いつもご批評感謝してます
・新作の完成が間近となりましたので投稿させていただきます
・内容はタイトルのままのお話です
・本作品は私のブログ(2箇所)でも掲載しております
・忌憚なきご意見ご感想よろしくお願いします
・尚、本作品は諸事情によりいつ削除するか分かりません。ご了承ください

2010.6.30 1話~10話投下



[19932] プロローグ
Name: 武藤宗谷◆c5e725f7 ID:36a08125
Date: 2010/06/30 15:50
 あの秋の光景はずっと脳裏に焼きついている。

 西日が校舎の窓ガラスを照らしている。校庭ではサッカーに興じる男子児童たち。時折甲高い声を上げて、校庭を走り回っていた。
 小学五年のときの秋の空はどこまでも高く、青かった。
 私は校舎裏の花壇のそばでユウくんと向かい合っていた。ユウくんは地面を見つめたうつむき加減な姿勢で立ち尽くしている。まだ幼い私にも、これから何が起きるかは理解できていた。

「佳苗、俺、お前が好きなんだ」
 意を決して顔を上げて、ユウくんは呟いた。

 初めて受けた告白で、私の心臓は飛び出そうなくらい激しく鼓動した。ユウくんの精一杯の勇気を感じた。
 しかし、私にはその期待には答えられなかった。

「希はユウくんのことが好きなんだ。知っているでしょう?」
 私は卑怯だ。ここで希をだすなんて。ユウくんの勇気を無碍にする発言だと瞬時に気づき、後悔した。
「なんで希を出すんだよ! 俺は佳苗のことが好きなんだよ!」
 顔を真っ赤にして、少し涙を浮かべながら、涙声で大きな声でユウくんは叫んだ。

 双子の妹の希がユウくんのことを好きだから、私は気持ちには応えられない。でもそれは言えない。それはとても傲慢な考えだと子供ながらに思った。ユウくんだけでなく、希も傷つけてしまう。だからと言って、無視できる問題でもない。
 私は頭の中で慎重に言葉を捜した。でもなんて応えたらいいか、まったく言葉が見つからなかった。何を言っても、それは傲慢なものだと思った。

 そんなとき、晴天の霹靂は突如として起こった。

 視線をユウくんの先に変えると、校舎の脇に立ち尽くしている白いワンピース姿の希がいた。希は手にした体操着の袋を地面に落とし、険しい形相でこちらをにらめ付けていた。

「え、の、希、違う!」
 咄嗟にでた私の言葉は言い訳じみた叫びだった。
「何が違うのよ!」
 希はそのまま駆け出していった。

 私は希の体操着袋を拾い、すぐさま追いかけていった。
 希は校門の前で立ち尽くしていた。

「希、待って、私は別にユウくんのことは……」
「そうやって、いつだって、お姉ちゃんはあたしから欲しいものを奪っていく……!」
 涙を堪えた顔で私を睨んできた希。
「奪ってない! 私は別に好きじゃないよ!」
「それが傲慢だっていうのよ! お姉ちゃんは無意識のうちに、いつだってあたしから奪っていく! 服の色だってそう。テストの点数だって、50メートル走のタイムだって、なんだってお姉ちゃんが上! そして比べられるのはいつだってあたし! すべてを比較の対象にされる! ユウくんの気持ちだって同じ! お姉ちゃんさえいなければ、あたしは欲しいものが手に入れられた!」
 希が早口でまくし立ててきた。
「そんなの被害妄想だよ」

「あとね……これ以上、あたしの心の中に入り込まないでくれる?」

 希のその一言で私は一瞬凍り付けられた。
 心に入り込む。確かに希はそう言った。
 双子だから分かり合えると思っていたのが、私の錯覚だったと気づかされた言葉だった。
 双子だから心が通じ合えている、漠然と私は思っていたが、妹からは「心に入り込まれている」と感じるだけだったのだ。
 強烈な衝撃で私は言葉を失った。ただ、目の前に私を親の仇のように睨みつけてくる希を、見つめているだけだった。
 希は私の手にした体操着袋を奪い取り、校門の前の横断歩道に向かって駆け出した。
 
 信号は赤だった。



 あの時、何か声をかけていれば、悲劇は起こらなかったハズ。でも何も言えなかった幼い私がいた。どうせ何を言っても、希の長年蓄積されて爆発した私に対する憎悪は消えなかっただろう。でも、悲劇だけは回避されたハズ。それを私は今でも後悔する。どんな憎まれ口を言われてでもいい、妹が無事でいてくれれば。でももう、時計の針を戻すことはできない。

「今日は特に何もない一日だったよ」
 私は病院のベッドに目を閉じて横たわる希の手を取り、日課の手のリハビリ運動をする。

 今私は高校二年生。学校が終わり、面会時間ギリギリまで希のリハビリ運動をするのが日課となっている。
 入院費を捻出するために、家は売り払い、安い賃貸マンションに父と母と三人で暮らしている。父は普通の会社員だけど、深夜にはガードマンのバイトを会社の許しを得てやっている。母は、希は意識不明になってから、ヘルパーの資格を取り、午前中は希のケアをし、昼から夜にかけて介護ヘルパーの仕事をするようになった。私も、土日だけ、近所のシアトル系のコーヒーショップでアルバイトをしている。学校も公立に進んだ。

「そろそろツインテイルは年相応じゃないかな。希」
 リハビリをしながら私は希に語りかける。もう十七歳の希であったけど、その寝顔はまだ小学五年生のときと同じだった。

 希だけ時間が止まっていた。

 希のトレードマークはツインテイル。そして私はポニーテイルだった。それだけは今でも変わりがない。私は決意している。このポニーテイルを解くときは、希が「戻ってきた」時、希の手で自身のツインテイルを解く時だと。

「じゃあ、今日もいくよ。希の心の中に」
 私は希の額に手を置いて、静かに瞑想し始めた。

 私はブレンホッパー。人の心の中を飛び回る存在。誰にも話したことがない特殊能力を持っている。



[19932]
Name: 武藤宗谷◆c5e725f7 ID:36a08125
Date: 2010/06/30 15:51
 希の深層世界はあの頃のままの秋空だ。真っ青で高い空に太陽が燦燦と照り返している。
 私は希の高校の下校時を待つことにする。希の学校は自転車で十数分の場所にある都立高校だ。つまり、私がいつも希の枕元で言って聞かせている場所だった。実際私が通ってる高校の名前だけれども、違う点がひとつだけある。それは、校舎や近隣の風景は、小学校のままであることだ。高校となっているだけで風景は小学校時代のままなのだ。

 私が初めて希の深層世界に飛んだのは、高校一年の初夏だった。
 他者の深層世界に入ったことはさることながら、希は深層世界の中で生活を営んでいるという事実にまず驚かされた。そして、その世界は、私が希に語りかける私の日常の風景に酷似していることにも驚かされた。

 つまり、希はまだ意識を持って生きている。

 それはいつ奇跡が起きても可笑しくはないことを意味している。実際時折、希の瞼はかすかに動いたりもする。そして狭い病院のベッドから世界を観察している。そして深層世界では、希自身の日常を形成して生活していた。

「あ、カナさん。こんにちは。今日も待っていてくれたんだね」
 希が校門で待つ私を発見した。紺色のブレザーにタータンチェックのスカート、そして、ツインテイル。

 確かに私と希は双子の姉妹だ。しかし、希の容姿は、ツインテイルを除いて、私そのままなのだ。それについてなにも言及しない希、そして私がいる。

「今日は学校どうだった?」
 私は希に問いかける。
「何もなかったかな。勉強もぜんぜん簡単だし」
 希は髪を掻き揚げて呟いた。

 私はこうして毎日、希の変化を観察している。何かきっかけがあれば、希は帰ってくると信じている。しかし、その兆候がどんなものなのかさえ分からないでいる。
 そしてこの世界では重大な事柄がある。

 私、前村佳苗は存在していない世界なのだった。

 夢の世界でさえ、私は希から拒絶され、いや、拒絶どころか、なかったことにされている。この事実によって私は最初激しく打ちのめされた。しかし、こうも考えた。その事柄を紐解けば、あるいは希の意識が回復する突破口になるのかもしれない。
 そして私は根気よく希の深層世界に飛んで毎日観察することを日課とし始めた。

「ただ、ひとつだけいつもと違うことがあったかも」
 希は少し照れた表情で私を見つめる。
「聞きたいな、それ」
 私はそれとなく聞いてみることにした。
「ちょっとだけ、気になるヒト、見つけたの」
 希は満面の笑みを浮かべる。

 少なくとも、私の周囲には、そんな異性はいない。希は希の世界でそうした異性を見つけたというのか。これは何かが変わる兆候かもしれない。

「それは誰なの?」
 さりげなく聞きだしてみることにした。
「ユウくん以来かな。意識し始めた男子っていうの。あのね。授業中とか、じっとあたしを見つめてくるの。今日そんな視線をその男子から感じたわ」

 何度も言うけど、私の日常には、そんな男子は存在しない。

「それは、とても素敵なことね」
 私はニッコリと希に微笑みかけた。
「そうね。好きな人がいるって、素敵よね」
「ところでその男子の名前は?」
「まだ知らないんだ」

 同じクラスなのに名前すら知らない。そんな不確定な世界で希は生きている。

「名前、分かるといいね」
 私は呟いた。
「あ、あたし、バイトの時間だから、今日はこれまでね。またね。カナさん」
 そういうと希は自転車にまたがり去っていった。

 希との「面会時間」は終わった。そして私はこの希の深層世界を探索する。校門から出てくる生徒たちは、ほとんどの人があどけない表情だ。無理もない。希は実際の高校生と接したことはない。小学校時代までに見知った人々の容姿を再構成して作り上げたようなものばかりだ。
 しかし気になる。希を見つめる男子という存在。閉ざされた希の深層世界でいったい何が起きているのだろうか。
 とりあえず校門の前に立ち、下校してゆく生徒たちを観察する。


 とりわけ怪しいことはなかった。ふと思案に暮れてみる。現状、鍵となるのは希との会話だ。それ以外ではヒントは得られそうもない。根気よくここへ通いつめるしかないようだ。

 少しだけ街を探索してみることにした。駅前の繁華街は大勢の人々が行きかっていた。私がバイトをしているシアトル系のコーヒーショップで健気に働いている希の姿があった。私はそれを見届けると周囲を見渡した。昔のままの広告、建物、店が立ち並んでいる。かと思えば空き店舗がずらりと立ち並んでもいる。英語で書かれているハズの看板には何故か文字がない。希自身が理解できない物事はすべてスルーされている世界。矛盾が混在しても、希自身が疑問に感じなければ問題ない世界。すべてが希の予定調和のままに進む世界がここにある。フゥっと一息ため息をつく私。眠くなってきた。この力、他者の深層世界に飛ぶ力を使うと必然的に眠くなる。今日得られた希の変化だけでも収穫だ。そろそろ戻らないと。


 意識は再び病室の希のベッドに戻った。

「希、必ず呼び戻してみせるよ」
 私はそっと希の額を撫でながら呟いた。そして再び希の手を取りマッサージを始めた。


 少し空が暗くなってから、私は大学病院を後にした。駐輪場で自転車を取り出し、ペダルをこいで家路を目指す。

 入り組んだ住宅街に差し掛かった。

「え? 霧?」

 ここは東京都心のど真ん中。霧など……視界が奪われていった。思わず自転車を止める私。霧の先を見つめた。黒い影が見え、ゆっくりと私に接近してくる。ヤバイ。とにかく私の本能はそう告げた。

「夜霧の層。これは僕の能力だよ」
 声が影から聞こえた。そして影はゆっくりと接近してきて、その輪郭をあらわにした。
 黒い外套をまとった少年だった。その下には私と同じ高校の制服、紺色のブレザーに赤いタイを着ている。
「どういうこと……?」
 慎重に言葉を選んで発した言葉はそれだった。
「この霧は一種の結界。今僕と佳苗さんは閉ざされた空間に隔離されているようなものさ」
 黒衣の少年は呟いた。年は私より二、三歳幼く見えるが、その表情はどこか世の中を達観し、すべてを見極めるような雰囲気を醸し出している。
「だから、どういうこと?」
「君の特殊な力、君自身は、ブレンホッパーと自分を名乗っているようだね。その君の能力の正体を知りたいとは思わないかい? そしてあわよくば、もっとその力を良き方向へ使いたいとは感じないかい?」
 なんて甘美な声なんだろう。私は催眠術にかかったように黒衣の少年の声に聞き入った。
「でも、私には、今、すべきことがあるわ」
 そう。私は妹を救わなければいけない。これは使命だ。
 それにしても、この少年。私のことはすべてお見通しのようだ。
「急ぐことはないよ。佳苗さんの抱えている問題が過酷なことぐらい把握している。率直にいうよ。僕はね。同志を探しているんだよ」
「同志? 何のために?」
「幾千もの歳月をかけて、僕が目指した聖戦のためだよ。そのためには同志がいるんだ。これは僕の人生の最後の挑戦さ」
「よくわからないけど、私には今私の使命があるわ。無理よ」
「その使命、陰ながら応援してるよ。ひとつだけ忠告しておく。これから君に待ち受けているのは、とても過酷なものなんだ。そして、僕はそれを見守るしかできない。僕には残念ながら、君のような精神感応系の能力はないんだ。だから君を助けたくても助けられない。逆を言えば、佳苗さん。君はとても特殊な能力の使い手だということさ。僕の忠告、努々疑うことなかれ……」
 少年がそういい終えると、黒い梟のような影が少年を包み込んでいった。そして一斉にその影は散逸していった。そこには少年の姿はもうなかった。そして霧も同時に晴れていた。

「な、なんだったの……」
 私は狐に騙されたような感覚に陥り立ち尽くしていた。とても不思議な体験をした。もっとも、私の能力自体、不可思議なものなのだけれども、それをはるかに凌駕する奇妙な感覚だった。
 希の深層世界での変化、そして今の黒衣の少年との遭遇。今日一日だけなのに。

 とにかく、前に進むだけよ、と私は自身に言い聞かせて、家路を目指した。



[19932]
Name: 武藤宗谷◆c5e725f7 ID:36a08125
Date: 2010/06/30 15:51
 まだ梅雨には早い春の日差しが私を暖かく包み込む。自転車を押しながら、校門へ向かった。すると、腕を掴まれた。ユウくんだった。

「待てよ、佳苗。そうやっていつも俺のことスルーするなよ」
 ユウくんは真剣な眼差しで私を見つめてきた。
「別にスルーしてないって」
「そういう言い方がスルーなんだよ。もういい加減、あのことを引きずるのはよせよ」

 あのこととは、無論希の事故のこと。ユウくんもそれを引きずっている一人なのに。

「私は別に」
「別にもう好きとか言わないよ。俺すらお前の足かせになっていることぐらい分かる。でも、スルーするのだけはもうやめてくれないか?」
「だから、スルーしてないよ!」
 思わず私はユウくんの手を振り払い、大きな声を上げた。

 分かっている。ユウくんだって辛いのくらい。でも結局心のどこかでユウくんさえあの時、私に告白さえしなければという気持ちが私の胸中をよぎる。

「痴話喧嘩か」
 ふと私たちのそばを通り過ぎる男子生徒がポツンと呟いた。新庄匠とその仲間たち、君島葉月と片瀬美晴が私とユウくんを見つめながら通りすぎようとしていた。
「別に付き合ってないよ」
 私は思わずむきになって言い返した。
「幼馴染は大切にしろよ。松原ユウ」
 新庄はユウくんにそう告げると後姿から手を振って両手に花状態で遠ざかっていった。
 新庄に君島、そして片瀬は、学校関係の人間とはあまり接触しない私にとって唯一といっていいくらいの話せる友人だ。その三人組はいつも固まって行動している。そして私との共通点は、他の生徒と一切係わり合いにならないようにしているということだった。そうした冷めた高校生活を同じように送っているせいもあって、私とその三人組は何故か意気投合している。

「相変わらずスタイルいいよな、君島」
 鼻を伸ばして君島の後姿を見つめるユウくん。
「もう用は済んだ? 私、急いでいる」
「俺も一緒に希のとこへ行っていいか?」

 意外な一言に私は少し答えるのをためらった。今、希の深層世界で変化が起きている。ユウくん以外の男子を好きになろうとしている。そこへユウくんの気配を感じ取ってしまったら、いったいどういうことが起きるのか、私には予想できない。最後にユウくんがお見舞いにきたのは小学校六年生のときだ。それ以降は来ていない。とにかく、希に何が影響を及ぼすか分からない現状、不安定要素は排除すべきだと思う。

「……今はダメ、絶対」
「じゃあいつかならいいんだな? そのときは頼むぞ」
 ユウくんはそう言うとそのまま校門を通って帰っていった。
 私はユウくんが視界から遠ざかるのを待ち、自転車に跨って、大学病院を目指した。


 大学病院につき、エレベーターに乗り、希の病室のある階に辿りつく。そして希の部屋を軽くノックしてから戸を開いた。

「こんにちわ、希元気だった?」
 私はベッドに向かいながら、希に語りかける。
 いつものような安らかな寝顔で私を迎えてくれた。髪の毛は母が整えたのか、綺麗に纏まっている。そしてゆっくりと椅子に腰を下ろした。そして日課の手のリハビリ運動をはじめた。

「じゃあ、今日も飛ぶよ」
 マッサージがひとまず終わった時、私は静かに目を閉じて、希の意識を感じてみた。希の深層世界が闇から照らし出してくる。そして私はそこへ飛んだ。


 いつもと変わりない秋晴れの深層世界。私は希の学校まで向かった。今日は希との会話以外に試してみることも考えてきた。それを実行する予定だ。学校へ辿りつき、希がやってくるのをじっと待つ私。

 しばらくすると、希がやってきた。

「カナさん、こんにちわ。今日も待ってくれたんだ。嬉しいよ」
 希は幸せそうな表情でぺこりとこちらへ会釈してきた。
「今日は何か学校であったかな?」
 様子を伺うことにする私。
「あのね。例の男子の名前、今日聞いたんだ。本人から。ジュンくんって言うんだよ。格好いい名前だよね」
「そうなんだ。よかったね」
「うん。あたし嬉しくて嬉しくて、いち早くカナさんに教えたくて、今日は授業ずっと上の空だったんだ」

 私の周りに、ジュンという男子はいない。無論、ジュンという女子も存在しない。間違いなく、この希の深層世界独自に生み出された存在のようだ。

「そうなんだ。よかったね」
「実は、嬉しいのはそれだけじゃないんだ。うん。告白されたの、付き合ってくださいって」
 希は少し照れながらポツンと呟いた。
「そうなんだ。で、なんて返事してあげたの?」
「あたし、告白されるのは、生まれて初めてなんだ。もちろんオーケーしたよ。もうじき、ジュンくんも校門に来ると思うから、カナさんにも紹介するね」

 とんとん拍子に事は進んでいるようだ。ここで少し私は慎重な考えになった。果たして希の深層世界の変化の張本人とその世界では異質な存在の私が鉢合わせていいものだろうか。しかし、直接会ってその正体を見てみたいという気持ちもある。なにより、私の取る行動ひとつで、希の世界の安定が崩壊し、希自身が現実世界へ戻るきっかけが失われても意味がない。いったいこの場合、私は希になんて答えたらいいんだ? ジレンマが全身を襲った。

「えっと確か希さんは二年の何組だっけ?」
 問いかける私。
「3組だよ」
「ジュンくんはどうして一緒じゃなかったの? 何か用事があったのかしら」
「10分ほど遅れるって言ってただけだよ」
「10分遅れることに対して希さんは何か疑問に思わなかったの?」
 ここは希の予定調和の世界だ。ちょっとそれは怪しい。
「え? ぎ、疑問? えっと、え、え!? あっ!」

 まずいか。希の予定調和を崩してしまうか? 私は咄嗟に出た私の口を呪った。

「ちょっと待ってて!」
 というと私は校門から校舎まで全力疾走で走って行った。

 靴のまま校内に入り、全力疾走で階段を駆け上がった。そして希の教室、二年三組を目指した。そして教室に辿りつく。人の気配がする。戸のガラス窓から背伸びして教室の様子を伺うことにした。するとそこには一人の男子がいた。なにやら誰かの机を物色しているようだ。私は静かに成り行きを見守ることにした。どうやら、教科書をとりだしているようだった。しかし、その教科書の表紙は絵柄以外文字が何も書かれていない。つまり、希が理解できない科目の教科書ということを意味する。そしてその男子はその教科書になにやら書き込みを始めようとしていた。何をしようというんだ? 私はその意図を理解できぬまま、ただその男子の行う行為を観察するだけだ。
 五分が経過した。男子は書き終えたのか、教科書を閉じ、机にしまった。それからナイロンの鞄を手に取り、教室を出ようとした。思わず私は隣の教室へ避難する。そしてその男子が完全に遠ざかったであろう頃合を見計って、希の教室へ入り、その男子がなにやら作業していた机に向かった。そして机から教科書を取り出す。ペラペラめくってみる。殆どの箇所が白紙の教科書だ。そして先ほど書き込まれたと思うページで目が留まった。

「何これ……」
 私は思わず声を上げてしまった。そのページには中学生で習う簡単な英語が書かれていた。驚くことには、手書きで書き込まれたハズなのに、しっかりと印刷してあるかのようになっていることであった。

「いくら、希の深層世界だからって、ここの住人が意思を持って、希の予定調和を変質させることなんて……」
 私は愕然とした。教科書を持つ手がプルプルと震えだしていた。そしてその時だった。

「見たのか……」
 声をしたほうを振り返る。さっきの男子だ。
「あなたは、何者?」
 私はその男子に問いかけた。
「何故この世界で疑問を抱ける? こっちの台詞だ。貴様は何者だ!」
「この世界を知っている? あなたは一体」
「とにかく、これは警告だ。これ以上、この世界に立ち入るな。ここは俺とノゾミだけの世界だ! 貴様に用はない!」

 俺とノゾミだけの世界? 間違いない。こいつは自分の意思を持って、この世界に入り込んだ。私のようなイレギュラーな存在と同じだ。

「希の予定調和が崩れる! お願い! もう来ないで!」
「それはこっちの台詞だ! とにかく殺す! 早く出て行け!」
 男子はそう叫ぶと脇から拳銃を取り出した。
「え……」

 私が身構えるまでもなく、銃口から発せられた弾丸が私の心臓を貫いた。


「死んでない?」
 気づいたら私は希のベッドのそばの椅子にいた。どうやら現実世界に強制的に引き戻されたようだった。死んでいない。当たり前か。深層世界は夢の世界。そこで撃たれたからといって、死ぬわけではない。もっとも、そこの住人である希が撃たれるような場合、おそらく意識は二度と現実世界に戻らないかもしれない。けれども、あそこは希の予定調和を満たすためだけに存在する世界。希が撃たれて死ぬなんてことは絶対ありえないだろう。

「これは、あの少年の言っていた通り、過酷になりそう……!」
 私はとりあえず、希の手のリハビリ運動をし始めた。


 空が少し暗くなる頃合に、自宅の賃貸マンションについた。

「ただいま」
 誰もいない部屋に向かって言うのはもう日課である。

 ご飯は炊けているようなので、とりあえず洗濯機のほうへ向かい、洗濯物を洗濯機へ詰め込んだ。そしてスイッチをつける。
 それからキッチンへ向かい、簡単な食事を作る。冷が蔵庫に豚の挽肉があったので、オムレツを作ることにした。それから簡単に野菜炒め。沢庵を例倉庫から取り出し、インスタント味噌汁を作った。味噌汁は父が食べないことが多いので、鍋で作ると余るから、うちではインスタントが基本だ。こうして一人だけのディナーの準備は終わった。

 食事を終えて私は一人、自室のベッドに横たわり、思案に暮れた。そして出た結論。

「私にも戦う勇気が必要だ」
 そう強く自分に言い聞かせた。



[19932]
Name: 武藤宗谷◆c5e725f7 ID:36a08125
Date: 2010/06/30 15:52
 お昼休み、騒がしい教室の片隅で一人ポツンと佇みながら、雨音のする窓の外をぼんやりと眺めていた。
 私以外にも他者の深層世界へ飛ぶことのできる人物がいるという事実は少しだけ私に動揺を与えていた。あの男子、おそらく希の言っていたジュンという男子は、何か危険な存在だとおぼろげながらに感じ取れる。いったい何が目的なのだろうか。

「はぁ……」
 考えても考えても答えがでるわけでもなく、私は思わず大きなため息をついてしまった。

 ひとつ言えるのは、今後、希の深層世界へ入り活動することは、とても厳しいものであるということだった。あの黒衣の少年の忠告どおりの展開と言えるだろう。

「女の子がそんな人に聞こえるくらいの大きなため息をつくものじゃないよ」
 背後から私に語りかける声が聞こえた。新庄匠だ。
「ねえ。夢の中に他の人が入り込んで、その世界を作り変えるなんてこと、可能かしら?」
 私は振り返らずに窓の外を眺めながらポツンと呟いた。
「集合無意識かな」
 新庄が一言発する。
「集合無意識?」
「昔の偉い心理学者が唱えた概念だよ。そこでは人々の無意識が繋がっているらしい」
 新庄は妙に雑学に明るい。
「こんなこと聞くなんて変かしら?」
「その人にしか分からない真実もあるよ」
 新庄は窓の外を見つめながら呟いた。
「そうね」
 雨音が少し激しさを増してきた。何気ない新庄の言葉を聞き、私は思わず笑みをこぼして相槌を打った。

 相変わらず雑談やらで騒がしい教室。私と新庄は無言のままただ窓の外を見つめている。とりわけ、話す話題もないので、私も新庄も黙ったままでいる。そんな時、教室のから声が響いた。

「新庄くん。行くわよ」
 振り返ると長身でスタイルのよい、赤いカチューシャをした君島葉月が新庄を呼んだ。

 わかった、と一言君島に返事をする新庄。

「またな。前村」
 というと新庄は帰り支度をし、教室の外で腕組みをしながら待つ君島のもとへ行った。

 新庄と君島、そして片瀬は、時折、三人揃って学校を早退する。別に詮索はするつもりはない。そういえば、新庄の妹も今年、この高校へ進学したらしい。

「そういえば……」
 ふと脳裏によぎった思いがあった。それは、新庄と例の黒衣の少年の雰囲気がどこか似ているというものだ。無論容姿が似ているというわけではない。感覚的に似ているとしか言えない。あえて違いを言うとしたら、プラスとマイナス、白と黒、表と裏というような対概念か。とにかく、雰囲気が非常に似ている。
 しばらく、物思いに耽っていると昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。


 大学病院にある希の病室につき、私は希のリハビリ運動を開始した。

「今日も別にいつもと変わりなかったよ」
 希に語りかける私。希はいつものように穏やのかな表情で瞳を閉じている。

 ちなみに私こと、ブレンホッパーの能力の射程圏内は半径二メートルくらい。ある程度接近してないと他者の深層世界には飛べない。実際希を除いて飛んだことのある人数は数名しかいない。
 一人は高校入りたての頃、妙にセクハラくさい古文の教師だ。そいつの深層世界に入り込んで、こてんぱんにしてやった。そのせいか、なぜか最近は女子から声をかけられると必ずびくつくようになった。
 他はどれくらい離れた距離で飛べるかの実験に数名。
 ひとつ言えるのは、深層世界に飛ぶことは、現実でのその人の性格をも変えてしまいかねないということだ。なので私は希以外の深層世界へ飛ぶことを止めた。

 希に意識を集中する。しだいに希の深層世界の風景が眼前に広がってくる。そしてその景色めがけて自分の意識を送る。


 希の深層世界へ今日も飛んだ。現実は梅雨空だというのに、相変わらずの秋晴れの風景だ。
 しかし、今日は徹底的に調べなくてはいけない。問題はあのジュンとかいう男子だ。鉢合わせがないことを祈る。
 校門でいつものように希を待つことにする。

 待つこと数分。もっとも、ここは希の深層世界なので現実の時間の尺度は通用しない。深層世界で数時間過ごしても、現実世界に戻ると、僅か数秒も経過しない感じだ。それとこの深層世界には明確な二十四時間の時間の基準もない。現実で一日経過した後、この深層世界へ来ると何週間も経過してたりもする場合もある。非常に不安定な世界だ。希が望むべくした時間の流れがここにはある。
 すべてが希の予定調和のもとに成立する不確定な世界。それがこの深層世界の真実でもあった。それを改変する存在、あの男子の存在は危険だ。私の本能がそう告げる。

「こんにちわ、カナさん。しばらく会ってなかったね」
 希が校門へやってきた。とても表情が柔らかかった。少なくとも私が住む現実世界では一日しか経過してない。
「そうね。でも、元気そうで嬉しいよ」
 私は望みに軽く会釈をする。
「あは。元気というか最近なんか充実してるんだ」
「聞きたいな。その訳」
「英語の授業、最近難しいんだ。でもね。ジュンくんが色々助けてくれるんだ」
 若干照れた口調で呟く希。

 やはり、世界の改変が行われている。少なくとも希は英語なんてものは知らなかったハズ。だから英語の教科書は真っ白だったのだ。それなのに、あのジュンとかいう人物がこの世界を改変し、希に英語に触れさせている。本来、この世界は、希自身が現実で経験してきた事柄、もしくは病床のベッドで聞かされた情報を元に構成されている。希自身で英語という概念を自己学習できるハズはないのだ。いったい何のために、希の深層世界を改竄するというの?

「今日はジュンくんは一緒じゃないの?」
 私は希に尋ねた。
「ジュンくんは生徒会役員だから放課後はいつも遅れるんだ。だからあたしはここで待つの」

 生徒会役員ということにして、色々と希の深層世界を改変する作業をしているのだろう。狡猾なヤツ。

「そうなんだ。あ、いけない。私、用事あるんだった。またね希さん」
「うん。カナさんまたね」

 私はその場を逃げるように去った。いつあのジュンとかいう存在に鉢合わせるか分からない。しばらくは希との「面会時間」は控えたほうがよさそうだ。
 そう。今日はやることがある。昨日やれなかったことだ。昨日はジュンによって深層世界への接続を弾かれたので、今日こそは確認しなければいけない。

 私はひたすら歩き出す。自動車も通行人もまったくない。常識で考えればそれはとてもおかしいことなのだけれども、深層世界は、そこのマスター自身が不自然だと感じなければ、大抵の矛盾はスルーされる。私が今目指しているのは、「世界の果て」だ。つまり、元気だった頃の希の活動範囲の行き止まりのことだ。区外になるとほとんどの道という道が封鎖されて、先へは進めない仕様になっている。大抵は工事中の看板が出されているわけだ。一度、世界の果てへ進入しようとしたけれども、何もなかった。更地が延々と続いているだけであった。
 とにかく、私はひたすら歩く。誰もいない道をひたすら歩く。世界の果てを目指して歩いていった。私の勘が正しければ、この世界の改変は、世界の果てにも影響しているハズ。

 区外へ通じる国道には、工事中の看板と赤のコーンが並んでいた。これは想定内。他の道を探した。少し入り組んだ道路に入った。確かこの先にも前は工事中だったハズ。
 目的の場所についた。

「やっぱり、この世界では何かが変わっている」
 フゥっとため息をこぼす私。
 そこには工事中の看板もなく、道が続いていた。前に来たときはそんなことはなかった。私は恐る恐るその道を進んでいった。

「なにこれ?」
 道路の両脇の壁が延々と続いていた。樹木が茂っていて、その道の先はなかなか見えない。間違いない。ここには何かがある、私は確信して、とにかく先を目指して歩いていった。とにかく進んでいく私。やがて、樹木の先が見え始めた。

「なんなの、一体……」
 私は道の先にある風景を目の前にして愕然とした。

 スラム街がそこにはあった。バラック小屋が立ち並んでいる。無論、人の気配はない。悪臭が当たり一面に立ち込める。絶対に希が作ったものではないことぐらい分かる。こんな世界を作り上げながら、平穏に高校生活の真似事をできるわけがないから。だとしたら、これは第三者が作ったものだということは私にだって理解できる。あのジュンという男子の仕業か。いや。むしろ、ここはあのジュンという男子の心象風景ではないのかと思う。
 私はとにかく、先を進んだ。そして、進んだ先にあったものは、何の変哲もない二階建ての一軒家がポツンとあった。
 私はその家の中に進入することにした。ドアノブに手をかけて回す。普通に開いた。一階はキッチンとリビング、寝室があった。

「にしても、生活観が何故か感じ取れない」

 二階へと向かい階段を上りだす。二階は二部屋あった。一方はガランとしていた。もう一方の部屋に入った。ここは机と椅子、ベッドがあるだけの部屋だ。あたりを見渡してみる。すると机の上に一冊の鍵のかかった日記帳を見つけた。

「……さあどうする、私」
 私は自身に問いかける。

 あまりいい趣味だとは言えないな。他人の日記を見ようとするなんて。たとえ、ここは深層世界であっても、やはりプライバシーはあって当然だと思う。
 ふと、脳裏に過ぎった思いがあった。それは、ここで誰かが寝泊りしている、という事実だ。現状、私の知る限り、この世界に存在する意思は三つしかない。希、私、そしてあのジュンという男子の意思だ。私はこの世界には長時間居れない。活動限界がある。希はここのマスターだからずっと居続けることは可能だ。すると取捨選択で、あのジュンという男子になることは明白だ。

「どういうことかしら?」
 疑問が口からでる。

 なにかヒントが欲しい。いいじゃないか、アイツの日記だし、何より私は希の深層世界の予定調和を守らなくてはいけない。私はソーっと日記帳に手を伸ばした。

「貴様には、見せないぞ」
 背後から声が響いた。希の教室で会った男子の声、ジュンの声だ。銃口だろう、私の頭の後ろに硬いものが当たる。
「希と一緒じゃないの?」
 振り返らずに訊く私。
「色々とやることがあるんでね。四六時中一緒には居られない」
「何故分かったの?」
「監視網は万全だ。ここは貴様が来ていい場所じゃない! 消えろ!」
 ジュンが叫んだ。

 刹那、私は咄嗟にしゃがんだ。と同時に銃声が響く。弾丸は窓ガラスに当たり、周囲にガラス片が弾け飛んだ。そしてそのまま右の肘を急旋回させた。ドンと鈍い感触が肘に伝わる。私の肘打ちがジュンの鳩尾に決まった。そのまま私は階段目指して走り出した。

「勝てないぞ! ここは俺の世界だ! 部外者の貴様に勝てるわけはない!」
 背後から金切り声が響く。

 私は全力疾走で家から脱出した。スラム街を通り抜け、希メインの深層世界へ逃れた。追っ手はない。しかし、用心に越したことはない。私は入り組んだ道を選んで走った。

「チィ、そろそろ限界のようね……」
 全身が疲労感でいっぱいになってきた。そろそろ現実へ戻らなければいけない頃合か。私は意識を現実世界の自分に集中させる。そして飛んだ。


 現実世界に戻った。目の前には横たわる希の姿がある。

「アイツと一緒のほうが、希、あなたは幸せなの?」
 眠り続ける希に問いかける私。

 確かに、現実世界に意識が戻ったとしても、六年間のブランクはかなり大きい。深層世界でジュンと一緒にいたほうがもしかしたら幸せなのかもしれない。ふとそう思った。

「いいえ、希の深層世界の中に二人分の意識が一緒なんて、絶対間違っている。必ず間違いが起こる」
 私は自分にそう言い聞かせた。
「私の行動は、正しい……!」

 希の手を取り、リハビリ運動を再開した。



[19932]
Name: 武藤宗谷◆c5e725f7 ID:36a08125
Date: 2010/06/30 22:44
 二日連続の梅雨の雨。梅雨入りにはまだ早すぎる時期なのに、ジメジメと降りしきる雨、どんより雲で覆われている空をふと見上げる。そんな天気に憂鬱になりそうになる。
 雨なので仕方なく歩いて登校するわけだけれども、たまには歩きもいいものだと思う。何より自転車よりも、思案に耽るのに最適だ。さまざまな考えが心中によぎる。
 ジュンという存在について考えてみる。私でさえ、他者の深層世界へ飛ぶのは、かなり対象に接近してないと可能ではない。ならば、ジュンの現実世界にある本体ははきっと希の近くにいるだろうと予想される。

「まずは、本体を突き止めるべきではないかしら?」
 私は小声で独り言を呟いた。

 でもどこに本体がいるのかしら? ジュンの本体を探すことは本体を雲を掴むようなことだと感じる。さらにいうならば、私のブレンホッパーとしての能力とはまた別物の未知の能力かもしれない。遠隔発動が可能である可能性もある。けれども、その線は極めて薄いような気もする。他者の深層世界へ飛ぶことは容易な労力ではない。凄まじいエネルギーを消費する。ならば……!


 一日の授業が終わり、大学病院へ向かった。とにかく、思い立ったら吉日だ。ダメモトでも調べてみる価値はある。

 大学病院につき、総合案内所へ向かった。

「すみません。B館803号室の前村希の家族のものですが、少々お尋ねしたいことがあります」
 受付の三十代半ばくらいの女性職員に尋ねた。
「はい。前村佳苗さんですね。どういったご用件でしょうか?」
 事務的な口調で女性職員は尋ねてきた。
「この病院にジュンという名前の患者さんはいらっしゃいますか?」
「……申し訳ございません。患者様のプライバシーに関わりますのでお答えしかねます」
 一瞬の躊躇いの間をおいて女性職員はそう答えた。
「そうですか。失礼しました」
「お役に立てずに申し訳ございません」

 怪しいと思った。あの一瞬の間がそれを物語っている。ここで私は二つの可能性を考えた。
 ひとつは、実際にジュンという名の患者がいて、本当にプライバシーに関わることなので答えられなかったということ。
 そしてもうひとつは、本当にジュンという患者はいなく、ただ純粋にこの手の質問には答えられない規則であるということ。
 これを踏まえて、複数の予想もつく。それはジュンは入院患者かあるいは外来患者もしくは病院関係者、そして患者の親族知人ということ。なにも入院患者だけがジュンの本体というわけではないだろう。
 そしてなにより重要な点は、希がこん睡状態で入院しているということを知っている人物であるということだ。そう考えると病院関係者の可能性が極めて高い。
 しかし、問題もある。希の深層世界においてジュンは長期間居続けることができる。

「まずます頭がこんがらがってきたわ……」
 私はため息をつきながら呟いた。

 希の病室に辿りつき、中に入り、ベッドのそばの椅子に腰を下ろす。優しく希の髪の毛を撫でた。それから希の髪の毛を櫛でとかし、ツインテイルのリボンを結びなおした。
 そして手を取り、日課のリハビリマッサージを開始した。

 マッサージが終わり、私はいつものように希の深層世界へ飛んだ。


 ジュンに鉢合わせる危険もあるけれども、やはり、希に会うべきだと思い、希の学校へ向かった。校門の前でいつものように希が来るのを待つ。しばらくすると希がやってきた。

「こんにちは希さん」
 私は軽く会釈した。
「あ、えぇっと…あの…」
 希は声をどもらせた。
「どうしたの?」
「カナさん。悪いんだけど、もう来ないでくれるかな」
「え?」
 私は希のその一言で激しく動揺した。
「ご、ごめんね」
「どうして?」
「ジュンくんが、カナさんと関わるなっていうの。本当ごめんなさい!」
 希はそういうと自転車に跨り逃げるように去っていった。

 あいつ! 何を希に吹き込んだというの! 私の感情は動揺から怒りへと変わった。と同時に、ここに居てはヤバイと思い、急いで学校を離れた。

 当てもなく希の深層世界の街を歩いた。ふと脳裏に浮かんだのは、希が好きだった場所へ行ってみるという案だった。希はサンシャイン水族館が好きだった。休みの日はいつも私と希の二人で出かけたものだ。いわば、私と希の共通する思い出の場所でもある。この前行ったときは、きちんと希の深層世界においても水族館は存在した。

「もう一度いってみようかしら」
 何かのヒントになるかもしれない。私はそう思い、サンシャインへ向かった。

 水族館に辿りつき私は愕然とした。水族館の中は、何もなかった。水槽すらない。延々とだだっ広い寂れたフロアが広がっていた。

「少し前はきちんと水族館として存在したのに……」
 私は愕然とした。ここまで希の深層世界の改変が進んでいるとは思わなかった。ジュンの仕業か。

 私と希の思い出の場所が消えた。これは何を意味する? もしジュンの仕業だとしたら、考えうるのは、私と希の接点を消し去ろうとしているということだろう。
 しかし、これではっきりした。ジュンは希の深層世界を改竄する力を持っている。これは確定だ。そんな力を持った相手にどうやって勝てる? 勝ち目はあるのか? ジュンは恐らく、希と接触することで、さまざまな情報を仕入れ、希の思い出の場所、好きな場所を改変しようとしているのだろう。あくまでもそれは私の憶測だけれども、妥当性はあると思う。
 これだけは言える。これ以上、希の深層世界の改変が行われたら、もし希の意識が戻ったとき、別人になってしまうだろう。そういう事態だけは避けなくてはいけない。

「諦めたら負けよ……」
 自分に言い聞かせる私。

 しかし、現状、私はどうすればいいか分からない。いや。ひとつだけ策はある。

「やはり、ここは本体を突き止めるしかないか……」
 ここはもう一度、現実世界へ戻り、ジュンの本体の調査を優先したほうがいいと感じた。

 そうして私は意識を現実世界へ集中させた。そして現実世界へ飛んだ。


 意識は希の病室に戻った。
 さて、調査をしなくては。病院の職員は当てにならない。私だって伊達に六年間も病院に通っているわけではない。

「やってみせるよ。希、待ってて。希の思い出を消えさせはしない!」
 私は希のてを強く握り、決意する。

 病院の主のゲンさんなら情報通だから何か知っているかもしれない。とりあえず、ゲンさんを探すため、希の病室を後にした。

 捜し求めて彷徨っていると、エントランスのソファーで菓子パンをむさぼっているゲンさんを発見した。

「こんにちわ、ゲンさん。元気ですか?」
 さっき自動販売機で買った缶コーヒーを差し出した。
「よ、カナエちゃん、今日もお見舞いかい?」
 ご機嫌な様子で缶コーヒーを受け取るゲンさん。
「今日はちょっと聞きたいことあるんだ」


 雨音が激しさを増す帰路。私はチャプチャプと水溜りを踏み歩く。やがて入り組んだ住宅街に差しかかると、突然霧が辺り一帯を覆いつくしていった。
 別に驚くこともなかった。

「夜霧の層ね」
 あの少年が再び私の前に現れる頃合だと予測していたが、それが的中したようだ。

 霧の先から、傘も差さずに、黒い外套を纏う少年が現れた。黒衣の少年はゆっくいと私の元へ歩み寄ってきた。

「過酷な真実を知った今の心境はどうだい?」
「まだ、私の中で整理つかないわ」
「得てして不可思議な怪事というものは自ずと顕在化するものなんだよ」
 黒衣の少年は雨が注ぐ空を仰ぎながら呟いた。
「あなたは預言者なの?」
 私は黒衣の少年に訊いた。
「未来の出来事を言い当てる人間なんてこの世には存在しない。僕は単なる能力者たちの均衡を司る調停者だよ」
「調停者?」
「それが僕の使命だよ。ところで、今君が足を踏み込んでいる問題に対して佳苗さん、君はどうするつもりなんだい?」
「引けないわ。私は希を、妹を守らなくてはいけない使命があるわ」
「そうだね。君は強い女の子だ。君にならできると信じているよ」
 そういって黒衣の少年はくるりと背を向け、霧へ向かって歩き出そうとした。
「待って」
 私は少年を呼び止めた。
「どうしたんだい?」
「なぜあなたは、私があなたに会いたいと思っている時に、再びタイミングよく私の前に現れたのかしら?」
「それは、君が望んだからだよ。だから僕は佳苗さん、君の前に現れた」
「まだ名前、知らないわ」
「東条。今は東条浩平と名乗っている。でも、名前なんて、僕にとったらそれほど意味はなさないんだ。その時代その時代を生きるうえでの仮初め名前だから」
 そういうと再び少年は私に背を向けて霧のほうへ歩いていった。
「また、会えるかしら?」
「君が望むなら」
 そして前と同じように無数の梟の形をした影が少年を包み込んでいった。影は散逸していった。少年の姿は消え、霧も消えていた。



[19932]
Name: 武藤宗谷◆c5e725f7 ID:36a08125
Date: 2010/06/30 15:53
 バイト先の更衣室で着替えを済ませる。そのままタイムカードを押し、今日の仕事を終える。

「お疲れ様でした」
 とりあえずハキハキした声で言った。
「あ、前村さん。ちょっといいかな?」
 店長が私を呼び止める。
「はい?」
「平日のシフトは、難しいんだっけ? 実は、白井さんが急用で来週これないんだ」
「すみません。ちょっと難しいです」
 平日は希のお見舞いがある。バイトを入れるわけにはいかない。
「そうか。残念だけど仕方ないか。他を当たってみるよ。じゃあお疲れ様!」
 店長はそういってフロアに戻っていった。
「お疲れ様でした」
 私も控え室を後にした。

 今日は珍しく雨は降っていなかった。曇り空が空を支配してはいたが、比較的心地よい陽気ではある。私は自転車の元に歩み寄った。

「佳苗、待ってたよ」
 私は声をかけられた。ユウくんだった。
「ずっと、待ってたっていうの?」
 私はユウくんに訊く。
「今日はお見舞いもないだろう? できれば、今日は俺に付き合って欲しいんだ」
「気持ちは嬉しいけど、そんな気分じゃないよ」
 私は少し躊躇った後、そう答えた。
「なんつうかさ、佳苗、俺見てられないよ。学校では孤立しているし、平日は毎日希のお見舞い、土日はバイト。いったい佳苗のどこに平穏があるんだい? たまには色々なことを忘れて楽しんだって、罰は当たらないだろう?」
 いろんな意味で図星を付かれた思いがする言葉だった。
「分かったわ。少しだけなら。で、どこへ行くの?」
「思い出の場所なんてどうだい?」


 結局、近場のサンシャイン水族館へ行くことにした。そういえば、ユウくんとも希と私の三人で何度か行った場所だ。そこを思い出の場所として覚えていてくれていたんだ、ユウくんも。少しだけ、ユウくんの優しい気遣いに感謝する気持ちになった。
 しかし、希の深層世界では、水族館は跡形もなくなっていた。
 水族館の色とりどりの魚群を見つめる私。少し物思いに耽る。ユウくんは私のその様子をただそっとしていてくれている。

「可能かしら……」
 私は思わず独り言を呟いた。
「可能?」
 ユウくんが聞き返してくる。
「ごめん。独り言」

 ジュンが希の深層世界を改変させるのと同じように、私の力で、改変された場所を再び元に戻すことは果たして可能なのか? 今までそういうことは試していないだけに、幾ばくか不安がよぎる。でも、やっている価値は十分あるはずだ。そうと分かれば、隅々までこの水族館を目に焼き付けなくてはいけない。

「今日中に全部見て回りましょう」
 私は思わずユウくんの手を取り別の水槽を目指した。
「そうしようか」
 ユウくんもまんざらではない笑顔を浮かべて、私についてきた。


 次の日、学校が終わり、大学病院へ急いで向かった。

 病室の前で軽くノックをし、希の病室へ入る。
 希の安らかな寝顔がそこにあった。
 ベッドのそばの椅子に腰を下ろして、希の手を取る。リハビリ運動を開始した。

「昨日は少しだけ、ユウくんと仲直りできたかもしれないよ」
 私は昨日のユウくんとのデートの事柄と学校でのユウくんのやり取りを希に言って聞かせた。

 今日は久しぶりにユウくんとお昼を一緒にした。本当に久しぶりだった。小学校以来だった。でも、特には会話らしい会話もなかった。それでも私の中で、ほんの少しだけユウくんを許せる気持ちになっていたことに、自分自身も驚いた。その心境の変化は、ジュンの正体に触れたこと、そしてジュンとの最後の対決が迫っているということも理由のひとつだった。すべてが終われば、少しくらい、自分に正直に生きられる。そうした思いがあり、ユウくんのことも許せる気持ちになったのだ。
 それにしても、今日は少し眠い。何か、張り詰めていたものが急に解けたような心境だった。希の手を取りリハビリ運動をする私の手も動きが途切れ途切れになる。少しウトウトとしてきた。

「少し、眠らせてもらうね……」
 私はそのまま、眠りに落ちようとしていた。


 夢の世界なのだろうか、にしても景色も意識もはっきりしている。今私は暗い学校の校舎にいる。

「違う……この感覚、深層世界?」
 間違いない。この感覚は深層世界と同じだ。夢をみているわけではない。希の深層世界? 違う。私は今日はまだ飛んでない。リハビリをしてる最中に眠りに落ちただけだ。

「自分の深層世界を見る感想はどうだい? 前村佳苗!」
 背後から声がした。振り返るとそこには、ジュンがいた。
「ジュン! あなたの仕業なの?」
「貴様は俺にとって邪魔な存在だ。ひとつゲームをしようじゃないか? お前の大事な思い出の場所に爆弾を仕掛けた。制限時間以内にそれを解除できなければ、爆発して、お前の大事な思い出は消滅する。ふふ、あはははは! シンプルなゲームだろう?」
「何が目的? いえ、どうやって私の中に入り込めた?」
「人は眠っているときは無防備になるからね。貴様と同じように飛んで入ったにすぎないよ。分かっているとは思うけど、深層世界で思い出が消えるということは、現実世界に戻ったとき、その思い出は、どうでもいいものとしてしか認識されなくなる。まあ、こういうことさ。いつまでもシスコンは気持ち悪いからやめろという警告だ。すべて、貴様が悪いんだ! 俺とノゾミの世界に介入しようとするからな! あははは! それではゲームスタートだ!」
 そういうとジュンはスっと私の目の前から姿を消していた。

 思い出の場所? それは希との思い出の場所のことかしら? 制限時間は? とにかく現状をまだ理解できない。考える時間が欲しい。にしても、ジュンは私の深層世界へも飛ぶことができるというの?

「落ち着け、私」
 とにかく冷静にならなくてはいけない。ここは一先ず現実世界へ戻るべきではないだろうか。そして不用意に希のもとへ来ることは避けたほうがいい。

 不用意に捜し求めるよりも、一時戦線離脱することを選び、私は自身の深層世界から脱出することにした。


「いったい、どうすればいいの?」
 脱出した私はとにかく何をすればいいか考えた。思い出の場所を突き止めなくてはいけない。水族館? 違う気がする。もっと他に私と希にとって根源的な思い出の場所があるハズ。そこを突き止めなくてはいけない。
 私は一先ず家に帰ることにした。


 家に着き、部屋の押入れをあさる。私と希のアルバムが見つかった。

「これになら、ヒントは隠されているかもしれない」
 そう思い、私はアルバムのページを開いてゆく。幼かった私と希の姿がそこにあった。

 ふと、疑問に思うことがあった。基本、私と希の服装は、私が黒や紺系統の色で、希が白や赤系統のものだった。しかし、たぶん幼稚園くらいの写真だろうか、髪型が違うのだ。黒い服を着ているのにツインテイルであったり、白い服を着ているのにポニーテイルだったりする。

「入れ替わっているのかしら?」
 ふと疑問を口にする私。

 写真をよく見る。これはツインテイル。しかし私だ。こっちはポニーテイル。希だ。どういうことだ? よく分からない。少し思案に暮れてみる。

「思い出したわ……」

 あれは小学校へ上がる前の出来事、私と希と父と母とで遊園地へ行った時だった。


「お姉ちゃんの髪型、いいな」
「そっちのほうがかわいいと思うけど」
「だってユウくん、お姉ちゃんの髪型かわいいってよくいうじゃない?」
「そんなことないよ」
「いいな。お姉ちゃんのツインテ」
「そうだ。今日から髪型交換しない?」
「え? いいの?」
「いいよ。希のポニテかわいいもん。だから交換、ね?」

 こうして、私と希は髪型を交換し合った。遊園地のベンチに腰をかけて、希の髪をツインテイルに結う私。そうだ。思い出した。いつだって、希は私の真似ばかりしていたんだ。それが具体的に叶った瞬間でもあったんだ。希はいつだって私を追いかける存在だった。それがいつしか、私に対するコンプレックスに変わってしまっていたけど、根源的にあったものは、私に対する憧れだったんだ。
 そう、あの遊園地での出来事、私と希にとってかけがえのない思い出の場所だ。絶対に壊してはいけない思い出の場所なんだ。

「自分の深層世界へ飛ぶのね」
 私は自身の深層世界へ飛ぶべく、意識を自身に集中させた。そして飛んだ。


 私の深層世界へと飛び、思い出の遊園地へと電車を乗り継いで向かった。
 後楽園遊園地に辿りつくと、私は淡い記憶を辿り、メリーゴーランドのそばのベンチを探した。そして目的の場所に着いた。とにかく、爆弾を探してみた。

「何もないわ」
 ベンチ脇のゴミ箱も探したけど、爆弾らしきものは設置されてなかった。
「もしかして……!」
 私は焦った。すると背後から声が響いた

「あはははは! 本当、見事に俺の策略に嵌ってくれたな! ここが貴様にとっての思い出の場所か。貴様はノゾミのこととなると先も周囲も見えなくなるようだな! ここを潰せば、ノゾミは貴様の存在を忘れるだろうな。いやあ。ノゾミもすらも忘れていた思い出の場所をよく思い出してくれたわ! あはははは、ひゃっはっはっは!」
 甲高い声を上げながら笑うジュンの姿があった。そして笑いながらジュンの姿は消えていった。

ジュンのヤツ、プラフを張りやがったか。私に思い出の場所を探させることで、その場所を見つけ
、希の深層世界でその場所を改変させる、間違いない、それを狙ったのだろう。
 まずい。もう病院の面会時間は過ぎている。しかし、急がなくてはいけない。


 私は、深層世界から脱出し、身支度を急いで整え、家を飛び出して、自転車のペダルを強く踏み、大学病院へと目指した。

「申し訳ございません。もう面会時間は過ぎてますので」
「それをなんとかできませんか?」
 慌てて頼み込む私。
「規則ですので、ご要望にはお答えしかねます。申し訳ございません」
 受付女性は義務的な対応で答える。
「緊急なんです! お願いします!」
「また明日お越しください」

 取り付く島もなく、私は大学病院を後にした。
 まんまとジュンにしてやられた。後悔が募る。しかし、すべてが後手に回っているような気がする。私ももっとしたたかにならないといけない。アイツには正攻法は通用しない。

「したたかになれ、私!」
 強く自分に言い聞かせた。



[19932]
Name: 武藤宗谷◆c5e725f7 ID:36a08125
Date: 2010/06/30 15:54
 今の私に何ができるか。
 別にジュンに対しての同情はない。アイツは私の明確な敵だ。それ以外の何物でもない。ジュンは希の深層世界を食いつくそうとしている存在だ。食いつくされた先に待っているものは、恐らくは、荒廃だろう。
 私は希を、希の深層世界を守る使命がある。

 今日も降りしきる雨を見つめる私。授業にも身が入らない。
 現状を分析してみる。

 ジュンは希の深層世界に住み着いている。
 ジュンは希の深層世界を改変しようとしている。何のためかは予想はできるが、現状不明。
 ジュンは深層世界を飛び越えることができる。現に私の深層世界へも入り込んだ。しかし、意志をもって私の深層世界を弄ることはできそうもないようだ。
 
 現状、ジュンの能力で分かるのはこれくらいだろうか。

 とにかく、戦うとするのならば、そこは希の深層世界になる。
 でも、どうやって戦えばいいのか、私には分らない。
 まず、試してみたいことはある。それはジュンによって改変された景色の再構築だ。それがたとえ私の記憶がなせるものだとしても、元通りにしなくては、希が希ではなくなってしまう、そんな気がする。でも私にそんな力あるのだろうか。分らないから試さなくてはいけないのも事実。
 戦うには、戦うための「剣」が必要だ。私はブレンホッパー。ただ他者の深層世界を飛ぶだけの存在。武器なんて持ち合わせてはいない。何か武器が必要だ。

「世界を改変する力」
 それこそが私の武器になりうる。そんな気がする。

 論より実践だ。

 昼休み、ユウくんの教室へ赴いた。

「ユウくん。ちょっといいかしら」
 私は教室の外からユウくんを手招きした。

 ユウくんはパンかじりながら私の元へやってきた。

「珍しいな。佳苗から俺のところへ来るなんて」
 パンを頬張りながらユウくんは呟いた。
「ちょっと、相談あるんだ」
「……希のことか?」
 私が相談することなんて、希のこと以外ないとばかりに尋ねてくる。
「とにかく、こっち来てくれない?」
 私はユウくんの手を取り廊下をパタパタと走った。

 屋上へ通じる踊り場までユウくんを引っ張ってきた。ちょっとこんな場所で二人っきりなんて照れる。でも一目につかない場所と言ったらこんな場所くらいしかない。

「で、どうしたんだ?」
 少し訝しげにユウくんは訊いてくる。
「私の眼をよく見て」
「え?」

 そのままユウくんの深層世界へ飛んで行った。


 私が飛んだユウくんの深層世界の場所は、私が現実で飛んだ場所と同じだった。目の前にユウくんの顔がある。つまり、向かい合っていた。

「佳苗、これはどういうことだ?」
 ユウくんはマジマジと私を見つめながら呟いた。
「私とユウくんの仲じゃない? 不自然かしら?」
 少し様子を伺ってみることにした。
「俺と佳苗はあのときから、仲はよくないハズなんだけど」
 少し疑問を持った口調で呟くユウくん。

 どうやら、深層世界でも、私とユウくんの間には距離が存在するようだ。

「ねぇ。校庭いかない?」
 私は無邪気にユウくんの手を取る。
「雨だよ?」
「いいのよ」
 私はユウくんの手を取りそのまま階段を駆け足で降りていった。

 土砂降りの雨の中、誰もいない校庭の真ん中で、空を見上げる。

「風邪引くよ」
「引かないよ」
 ここは深層世界。風邪なんて無縁の世界。ユウくんの心配をよそに小刻みにステップをきかせて踊って見せた。
「戻ろう」
 ユウくんは心配そうに私を見つめる。
「雨、止むよ。見てて」
 踊るのをやめて、雨空を仰ぎ、私は願いを込める。

 すると、雨は止んでゆき、雲掛った空はしだいに晴れてゆき、太陽の心地いい日差しが照らしてきた。

「あ、止んだ」
 少し驚いた様子のユウくん。

 これではっきりした。私にも、深層世界の改変は可能だ。にしても少しユウくんを利用しているような気がする。多少なりの罪悪感は否定できない。

「ユウくん」
 私はユウくんを見つめる。
「ん?」
「お願い。目を閉じて」
「え?」
 ユウくんは私が言うままに目を閉じた。

 そして私は背伸びをしてユウくんの唇へ軽く口づけをした。私は最低の女かもしれない。

「これは、今まで素直になれなかったことへのお詫びと、色んな意味でのお礼の気持ち」
「……」
 無言のまま、自分の唇を指先でなぞるユウくん。
「ごめんね、ユウくん。ここはあなたの夢の世界。私はブレンホッパー。あなたの世界へ仮初に飛んできただけの存在」
 そういうと私は再び意識を元の世界へ戻し始めた。


 そして世界は現実へ。

「で、佳苗。話ってなんだよ」
 現実に戻ったユウくんが私に尋ねる。
「えっとね。ユウくんには希との思い出の場所ってあるかしら?」
「希との思い出の場所か。どこにでも三人だった気がするからなぁ。よく思い出せないよ」
「そうよね。いつだって、三人だったよね」
 どうやらヒントは得られそうもない。
「ごめんな。なんの役にも立てなくて」
「ううん。役には立ったよ」
 そう、ユウくん、あなたの深層世界では、十分役にたった。

 そして昼休みが終えるチャイムが鳴り響いた。私は駆け足で階段を降りた。

「すべてが終わったら、ユウくん。三人で始めよう! 約束よ!」
 上の踊り場にいるユウくんへ向かって叫んだ。
「え?」
 若干当惑しているユウくん。

 そして振り返らずにそのまま駆け足で階段を降りていった私。


 放課後、いつものように、大学病院に着いた。
 そしていつものように病室の前で軽くノックをする私。そして希の病室へ入る。

 希のベッドの横の椅子に腰を降ろす。

「今日はユウくんの心の中に入ったわ。そして、そこで、生まれて初めてのキスをしたの。希、あなたは、キス、したことある?」
 もう深層世界でジュンとキスくらいしたのだろうか? 少し気になる。

 とにかく、私にできることは、改変された希の深層世界を再構築することだ。深層世界の改変は、希の現実の記憶の改変に繋がる危険なことだ。

「戦う勇気、私に頂戴……希!」
 私はリハビリ運動を行うのを後回しにして、希の深層世界へと飛んだ。


 相変わらずの秋晴れの世界。私はまず、サンシャイン水族館を目指した。
 駅前の繁華街は、何故かいつもより人が少ないように思えた。

「間違いない。何かが狂い始めている」
 私は希の深層世界のちょっとした僅かな変化からそう読み取った。

 とにかく、目的地を目指して歩いていった。

 水族館に着いた。前来た時と同じように、だだっ広い寂れたフロアが広がっているだけだった。

「お願い、元の景色に戻って……!」
 私は目を閉じて、祈るかのように、水族館の姿をイメージした。私の記憶、この前ユウくんと行った時の景色、水の匂い、五感を通じて水族館をイメージする。

 そして目を開ける。ガランとした景色はしだいに色を取り戻していった。

「私にだって、希の深層世界に影響を与えられるわ……!」
 これでジュンに対抗しうる力が私にもあると確信できた。次は遊園地だ。

 電車を乗り継いで、後楽園遊園地につく。駆け足でメリーゴーランドまで向かった。そこには、本来あるべきはずのメリーゴーランドが存在し得なかった。やはり、ジュンは、希にとって核となる思い出の場所を消し去っているようだ。

 私は目を閉じて祈るように、メリーゴーランドの再構築を心のなかで念じた。
 しばらくして、メリーゴーランドの音楽が聞こえだした。目を開けるとそこにはメリーゴーランドが回転していた。

「なんとなく、仕組みが理解できたかも」
 たぶん、ジュンは希と一緒に出かける時に、それとなく、希にとって重要な場所を探りえているのだろう。思い出の場所、それはいくらでもある。とりあえず、私は、希の家、そう、かつて私も住んでいた家を目指した。

 家に着いた。呼び鈴を鳴らす。インターホンから希が応答してきた。

「私、カナよ。希さん。少しお話できるかしら?」
「……わかった。ちょっと待っててね」
 少しの間を取りながらも、希は応じてくれた

 そして私は希の家に招かれた。希の部屋、そこはかつて、私と希の二人の部屋だった。そこへ通された。辺りを見渡してみた。懐かしさで一瞬涙がでてきた。小学校のときのままだった。

「どうしたの? カナさん」
「ううん。ちょっと眼が疲れていただけよ」

 希にとって当り前なことが、時の流れた私にとっては、心が痛む。この世界はそうした懐かしさで包まれている。

「そう。で、話ってなに?」
「ジュンくんと今までデートしたことあるよね?」
「うん」
「どこへ行ったりした?」
「水族館とか、縁日とかかな。あと小学校にもいったよ」
「それだけ?」
「うん。ジュンくん、色々忙しいんだ」
「そう」
「でも、なんか、最近、大事なことを忘れているような気がするの。どんどんどんどん、頭の中からこぼれおちていっているような感覚……」
 希は宙を仰ぎながら言った。
「ねえ。これから、水族館にいかない?」
 ちょっと確かめてみたいことがある。
「え、今から?」
「うん。いいかしら?」
「別にいいよ。カナさんの頼みだしね」

 こうして二人で水族館へ向かうこととなった。

 先ほど再構築したばかりの水族館には色とりどりの魚群でひしめきあっていた。しかし、希はどこか浮かない顔をしている。

「希さん、どうしたの?」
 私は尋ねた。
「ここ、どこ?」
「え?」
「ここ、あたしの知っている水族館じゃないと思う」

 もしかして、一度崩された深層世界の景色というのは、完全に元には戻らないということなのかしら? だとしたら、私が行おうとしていることはまったくの徒労だ。

 しばらく、水族館を見て回り、希はまったく関心がなさそうな素振りをしていたので、止めた。そして駅前で別れた。私も活動限界のようだ。

 今日の収穫は、ジュンが希の大事な思い出の場所を消すごとに、記憶までが消えていくということだった。


 深層世界から戻り、私は希の手を取り、リハビリ運動を開始した。

「希、絶対に守ってみせるよ」
 これは私自身に言い聞かせる言葉でもあった。



[19932]
Name: 武藤宗谷◆c5e725f7 ID:36a08125
Date: 2010/06/30 15:54
 久しぶりに垣間見る快晴の空を仰ぎ見る。私は授業が終わると、すぐさま大学病院へ向かった。希の思い出が搔き消されている。ジュンは絶対危険だ。なんとしても希を守るんだ。私は決意を胸にし、自転車を漕いだ。


 大学病院の希の部屋につく。相変わらずの安らかな顔色をしている。でも、その深層世界では大事が起きている。

「希、待ってて。今いくよ」
 私は希の小さな手を取って深層世界へ飛んだ。


 いつもと変わらない希の深層世界の景色。いつものように秋の太陽が燦々と降り注ぐ。学校へはジュンと鉢合わせになるとまずいので、希の家へいくことにした。

 途中、なんともいえない違和感に包まれた。かつて過ごした懐かしい思い出の風景にどこか違和感が感じ取れる、まるで風景そのものが無機質に感じる、まるでそんな感覚。

「気にしすぎかしら?」
 実際私も神経が高ぶっている。気にしすぎよ。そう自分に言い聞かせることにする。

 希の家に着いた。果たしてまだ家にいるかどうかわからないけれども、呼び鈴を鳴らしてみる。でない。まだ留守か。と思っていると、少し遅れて希がインターホンに出てきた。

「どちら様ですか……」
 覇気のない口調で希が応対してきた。
「私、カナよ。どうしたの? 元気なさそうだけど」
 少し心配だ。
「ちょっと待ってね」

 しばらくして、希が玄関の鍵を開けにきた。そして家に通されて、希の部屋に向かった。
 希の部屋には深々とカーテンが掛けられていた。電気もついていない。そんな真っ暗な部屋に一人で佇んでいたようだ。

「どうしたの? 希さん、元気ないよ。私でいいなら聞かせてよ」
 私は慎重に言葉を選んで希に訊いた。
「あたし、カナさんが来るのを待っていたんだ。何かが変なのよ……」
「どんな感じで変なの?」
「見慣れた景色が、いつもはなんとも思わないのに、まるで私の知らないものに感じ取られるの。見た目は同じ。でも、まるで誰かが、上書きしたような、ううん。誰かが作り替えたような感覚なの……私、怖くてとてもじゃないけど外に出られない。学校だって、なんか私の知らない人ばかりになったような感覚なの」
 希はベッドの上で毛布に包まって怯えていた。

 私が感じた感覚と同じか。ジュンは希の思い出の場所を改変するだけではなく、希の世界そのものを作り変えようとしているようだ。

「ジュンくんにはそのことを聞いたのかしら?」
 私は希に尋ねた。
「ジュンくんとはもう最近会ってないの。ううん。前言われたわ。お前は用済み、だと、はっきりと……それから会話もしてないし、会ってもいないし、学校でも見かけないわ」

 もう希が用済み? この一言で確信に変わった。ジュンは希の深層世界を完全に乗っ取る算段だ! なんとかしなければ。

「希さん。私はあなたの味方だよ」
 私は優しく希を後ろから抱き締めた。
「うん。分っている。希さんは、どこか、懐かしくて、暖かい匂いがするわ……」
「そして、希さん、あなたの力を貸してほしいの」
「あたしの力?」
「私の正体を明かすわ。こっちにきて」
 私は希の手を取り、部屋に立て掛けられている鏡の前に立つ。

 鏡に映し出されたのは、まったく瓜二つの容姿を持つ二人だった。ポニーテイルの私。ツインテイルの希。希はその真実を前に言葉を失っているようだった。
 希だって鏡くらいはみているだろう。そして私と向かい合っているだろう。しかし、今までは私と希が生き写しであるという事実に触れてこなかった。意識しなければ、疑問や矛盾はスルーされる世界。それが希の深層世界だ。しかし、現状、スルーでは済まされない。あらゆる環境がジュンによって改変されている以上、希自身も自分の意思を持って立ち向かわなくてはいけない。少なくとも、希にだって、絶対譲れない、改変させるわけにはいかないものがあるハズ。

「カナさん、あなたは一体誰なの?」
 希は疑問を持って訊く。
「私は、希さん、あなたの分身よ。そして希さん、あなたはこの世界のマスター。あなたの望むように世界は成り立っている」
「せ、世界のマスター?」
「そう、ここはあなたの記憶が作り上げている世界。そして今、その世界が壊されている。敵はジュンよ。あいつは希さんをマスターから引きずりおろして、自分がこの世界の支配者になろうとしているの」
「あ、あたし、何がなんだか、わからないよう!」
 希は両手を顔に当てて、膝から崩れ落ちた。
「心配しないで、ちょっとの勇気を私にくれるだけでいいの。お願い、希さん、あなたの絶対守らなくてはいけないものを教えて」
 私は崩れ落ちた希を抱きかかえた。
「絶対に守らなくてはいけないもの……? それは、えっと、そう、あたし……!」
「わかったわ。絶対希さんを守ってみせる」
「あ! えっと、ち、ちが、違うの! あたしは…お姉ちゃん? じゃあ私は誰? 違う! 違うの! あたしはお姉ちゃん! お姉ちゃんそのものなの!」

 希の取り乱した叫びに、私は激しく動揺した。確かに、お姉ちゃんと言った。希が私? それはどういうこと? 言葉通りに考えれば、希は私を模倣していた、ということなのか。そうしながら、希は深層世界で生きてきたということなのか。だから私の存在がなかったというのか。

「分かったわ。あなたもお姉さんも、私が守ってみせるよ。約束する……!」

 私は希を落ち着かせて、家からでようとした。玄関で見送りにでている希。

「いい? 絶対家から出てはだめよ。そして、自分の思い描いている世界と違和感を感じたら、逆に自分の信じる世界を思い描いて。そうすれば絶対に、あなたに優しい世界を取り戻せるから」
「わかった。カナさん。また来てくれる?」
「うん。誓うよ」

 そして私は、不安定になった世界へ旅立っていった。


 荒廃が広がっていた。
 もう、希の深層世界は希の世界とは遠く、かけ離れたものと変貌を遂げていた。
 あのジュンの家に行った時のスラム街が立ち並んでいた。駅前は、終末戦争か大災害が起きたように荒廃した瓦礫の世界となっていた。

「短期間にここまで世界を改変できるとは、もう半分以上、希の世界はジュンに食いつくされたか」
 私は天を仰いだ。秋晴れのハズの空もどんよりと雲で覆われている。

 もう、直接対決しか術はない。私一人の力で、ジュンに勝てるだろうか。今までが全部裏目に出て、結局、ジュンを出しぬけなかった。希が強く、自分の世界を守るという意思を持てば勝てるかもしれない。しかし、基本、希は弱い。脆過ぎる。戦うには、貧弱すぎる。変化に弱い。私が守らなくてはいけない。

 世界の変貌を見届けた私は、再び希の家を目指した。

 まだ希の家の周辺は改変されてはいないようだ。しかし、あの荒廃した風景を希に見せたら、はたして希は生きる気力が保てるだろうか。そんなことを考えながらも、私は希の家につき、呼び鈴を鳴らした。希がでて、私であることを確認すると、玄関へ招き入れてくれた。

 希の部屋に入り、私は説明を開始した。

「つまり、ジュンの心のイメージによって、希さんの世界は塗り替えられているということなの」
「全部塗り替えられたらどうなるの?」
「分からないわ。でも希さんの意識はもう二度と、現実の世界へ戻らなく、消滅してしまう可能性もあるわ」
「現実の世界?」
「ここはいわば、希さんの夢の世界なの。夢はいつか覚めるもの。希さんもいつか現実に帰らなくてはいけないわ」
「ここは夢の世界。ねえ現実のあたし、知ってる? どんな感じ?」
 希は若干怖々とした口調で尋ねてきた。
「現実へ戻りたい?」
「うん。ちょっと興味ある」
「でも、まずは、ジュンを追い出すことから始めましょうね。私一人では戦えない。やはりここの世界のマスターである希さんの力が必要なんだ」
「……分かった。私も戦うわ。カナさんがそれを望むのなら」
「私は帰るけど、私のいない間、絶対に守りたいもの、譲れないものを強く心に描き続けていてよ。そうしていれば、ジュンはあなたの大事なものには触れることはできないから」
「分かった。あたしがんばるわ。でも、はやく、戻ってきてね」
「うん。約束するよ」

 固く約束を交わして、私は再び現実世界へ戻るために、意識を集中させた。


 そして意識は現実世界へ。目の前に眠る希の手を取る。そしてリハビリ運動をはじめた。

 希は私が説明したことを理解してくれた。その上で現実世界への興味を示した。

「ごめんね。希。現実はあなたにとっては優しくはないんだ……」
 こぼれおちる涙が、希の手の甲に落ちた。



[19932]
Name: 武藤宗谷◆c5e725f7 ID:36a08125
Date: 2010/06/30 15:55
 私は幼少の頃より、勘の鋭い子供として認識されてきた。
 たとえば、漠然と、母親の心のうちを察して、「ママ、わたしはパパも好きなんだよ」と言ったことがあった。母親はびっくりとした形相に変わり、「何言ってるの。ママだってパパのこと好きに決まってるじゃない?」と呟いたことがあった。でも幼い心ながら私には分かっていた。あの時、両親は表面上は私たち姉妹を気遣って、仲のよい夫婦を演じていたが、実際はかなり両親の仲が危機的な状況にあったことを。それ以来だろうか、まずは母親は私の様子を伺うような態度を取り続けるようになった。
 妹の希とはどうだったかといえば、双子同士のシンクロニシティというのだろうか、無意識で気持ちが通じ合っていると、ただ漠然と感じていた。手に取るように希の気持ちが理解できたのだから。でも、妹のほうは違ったようだ。あの事故が起きる直前の、

「……これ以上、あたしの心の中に入り込まないでくれる?」

という一言に尽きると思う。希自身すら言葉にできない深層の感情を私がいつも言い当てていたのだから、希からしたら、心に入り込まれている以外の何物でもない。
 でも、でも、私には何故か人の気持ち、ううん、深層心理の打ち底まで分かってしまうのだった。

 だから、物心つき始めてからは、私は言葉を控えるようになっていた。唯一例外が希だけだった。さきほど述べたように、双子同士のシンクロニシティくらいにしか思っていなかったからだ。
 結局、幼少期から私自身は、ブレンホッパーとして覚醒していたようだったわけだ。無意識のうちに他者の深層世界で飛び回るバッタのような存在。それが私ことブレンホッパーの存在。でも、これだけは言える。こんな特殊能力を持っているからといって、自分を卑下する気持ちもないし、誇るつもりもない。ただ、私は人より違った感性を持ち合わせているくらいの気持ちだ。

 それにしても、あの黒衣の少年のことを思い出す。

「そしてあわよくば、もっとその力を良き方向へ使いたいとは感じないかい?」

 と言った東条と名乗る少年の言葉は依然として私の耳に心地よく残っている。

 別に私は聖人君子でもない。自分の特殊能力を誰かのために役立てたいとか思ったことは一度もない。ただ、この妹の場合に限ると、私が行動しないで誰が行動するのか、という使命感を持っている。絶対に引けないケースだ。それは人の為、いいえ、希の為というわけではない。無論、結果として希の深層世界を救うことに繋がるとは理解しているのだけれども、なにより、ジュンという存在、私と似たような特殊能力によって、他者の深層世界を蹂躙する行為を純粋に放っておけないのだ。

 いわば、これは私自身のジュンへ対する挑戦だ。

 そして、これは私の戦いなのだ。

 戦うべきときに何もしないで傍観を決め込むなんて、私にはできない。もしかしたら、このときのために、私はブレンホッパーとして存在しているのだとしたら、戦わずしてなんになる?

 人を殴ったり殺したりすることだけが戦いではない。身勝手かもしれないけれども、希を守るために戦うのではなく、自身のレゾンデートル(存在理由)のために戦うのだ。私が私らしくあるために戦う、ただ、純粋にそれだけの衝動が私をジュンとの戦いに向かわせる。

 しかし、私は深層世界の希に対して、私の戦いへの協力を頼んでしまった。確かに、希自身が自分の世界を守ることは重要なことなのだけれども、私の知る希にそんな過酷なことはできかねる。いいえ、でも最低限の希自身の居場所くらいは自身で守ってもらわないと困るか。

 結局、戦うのは私一人だ。

 希の深層世界を守るためといいながら、私は、私自身の存在理由のために戦おうとしている。これは矛盾か? いや違うわ。それらはすでにひとつの目的となっている。私に矛盾はない。矛盾を感じるということは迷いがある証。私に微塵の迷いもない。だからこれは本当に純粋なひとつの目的のための戦いなのだ。迷いはすべてを躊躇わせる。だから、絶対に迷わない。これは誓いだ。私自身との誓いだ。


 今日も安息な寝顔で希は眠っている。病院についていまだ希の深層世界に飛ばないで、ひとり、瞑想している。

 ……

 …………

 ………………
 
 瞑想というよりは、私の戦いの決意を固める自己暗示といったところだろうか。とにかく、私は目を閉じて、瞑想している。

 戦いを前に、今、私に何ができるのか、を考える。
 答えは、私自身の戦いをする、というシンプルな結論だ。

 あと私は少し、深層世界の希に対して甘すぎた。もっと早い段階で深層世界の成立ちや私自身の正体を明かして、もっとはやく、希が現実世界へ意識を取り戻すよう、動けばよかった、そう思っている。実際、未だ私は自身の正体を明かしていない。 
 希、あなたは閉ざされた深層世界で何を夢見ているの? もう、深層世界ですら平穏な毎日はないのよ。もし私がジュンに勝利したとしても、今度は私があなたを現実に引き戻すために戦うのよ? それを理解してて?

 そして希、あなたに待ち受けている現実はとても過酷なものなのよ?

 希は何も知らない。知らないで平穏な深層世界で生きてきた。矛盾だらけの世界でも、そこは希に優しい場所だった。

 あ、そうか。どのみち、ジュンを倒したら、希は嫌でも現実に帰らなければいけなくなるのか……
 ジュンによって荒廃された街を目のあたりにすれば、それを放置しておくわけにはいかない。ある程度の深層世界についての説明を私は希にしている。必然的に希は深層世界の作り直しをすることになるだろう。でも所詮は夢の世界。作り出される人々も町並みも何もかも全部希の記憶が作り出す創造物。そこで生きることがどれだけ虚しいものかは普通に感じるだろう。そうすれば希は必然的に現実へ戻る気持ちが芽生える。これは当然の流れだ。

 しかし、希にとって現実は決して優しいものではない。

 深層世界での記憶は持ってこれるわけもないし、事故当時の記憶も曖昧になってたり、下手をすると記憶障害もでるだろう。そして筋力の低下で歩けない身体。六年間もの現実でのブランクは、希を絶望へ突き落とすかもしれない。それでも現実と戦わなくてはいけないのだ。よくあるドラマやアニメでは意識が戻ってハッピーエンドとかだが、実際は過酷な現実に直面し、待ち受けるのは絶望だろう。私の知る限り、希はそんな状況を戦えるほどタフな精神ではない。

 ジュンによって荒廃された閉ざされた街で、生きていくほうがむしろ幸せかもしれない。少なくとも、そこにはジュンという似たような境遇の意思を持った存在がいるのだから。

 だけど、もう、私は迷わない。私は、私自身の存在理由を賭して戦う。

「希、あなたの夢の中のカナは私、前村佳苗なのよ」
 そっと希の髪の毛を撫でる私。
「あなたの世界で今日これから会えたなら、すべての真実を打ち明けるわ」
 私は緩んだ希のツインテイルを結びなおす。

 そう、この戦いのために私、ブレンホッパーの存在理由があった。私はこのときのために生まれてきたのかもしれない。そして神がこの戦いのために私に特殊な能力を備えさせたとしたのならば、戦わずしてどうする。

 ジュンの現実での正体はゲンさんから教わった。大体の能力も把握できた。そして私の狙いも定まった。迷いはまったくない。あとは希の深層世界へ飛ぶだけだ。

 飛べ! 前村佳苗! 私自身の存在理由を賭けて!
 意識を希に集中させる。真っ暗闇が広がる。そして遠く、遠く、その先から光が見えてきた。それは始め点であり、そこから光の線がかざしてきた。光は徐々に大きさを増してくる。眼前に希の深層世界が迫る。おぼろげに希の深層世界の風景が見えてくる。それは荒廃したスラム街が見えてきた。

(今、飛ぶよ! 希、待ってて!)

 そして意識を希の深層世界へ飛ばした。
 そこはすでにほぼスラム化して荒廃した景色が広がっていた。

「ジュン、あなたの好きにはさせない!」
 決意を胸に私は荒廃した世界の目的地へ歩き出していった。



[19932]
Name: 武藤宗谷◆c5e725f7 ID:36a08125
Date: 2010/06/30 15:55
希の深層世界の風景は完全に荒廃したものへと変貌していた。空も濃い雲で覆われていた。私は目的地を目指して歩き始めた。
 私とジュンの能力の違いで現状分かっているのは、私が自身の心象風景を投影するのに対して、ジュンは自己の心象風景を元の希の風景に「上書き」するというものだ。投影と上書きは似ているようで違う。投影ならば、ある種、無から有をを生み出せる。上書きは元となるものが必要。この差は大きいと思う。しかも、ジュンの力が強力だと理解できるのは、あっという間に広範囲で希の深層世界の景色を上書きできる点だ。風景はいわば、希の記憶の産物。それに上書きがなされるということは何を意味するのか。希自身の思い出が曖昧に塗りつぶされてしまうことを意味する。この状態で仮に希の意識が回復したとするならば、希の顕在的な記憶はかなりあやふやな状態になってしまう。そんなのは私は耐えられない。
 
 とにかく、時間がない。
 希がこの深層世界において生きる気力を失ってしまったのならば、この世界は完全にジュンによって塗り替えられてしまう。それはジュンの思惑通りの展開だろう。
 先を急ぐことにした。

 瓦礫とバラック小屋で満ち溢れた街を私は歩き続ける。
 そして希の「世界の果て」にある一本の道路にでる。
 この先に、ジュンの本拠地がある。
 いつまでも続く壁と樹木だけの道を突き進んでゆく。
 そして、スラム街に辿りついた。
 その中心地点の二階建ての家を目指した。
 二階建ての家を目前として、その前にジュンが立ちはだかった。

「来たのか、前村佳苗」
 ジュンが私を睨む。
「……」
「やはりコイツが狙いか。貴様には絶対見せないと言ったハズだが」
 ジュンは胸元から一冊の日記帳を取り出した。
「私の読み通りね。その日記帳が、あなたのコアなわけね。以前、ジュン、あなたが私の深層世界に入り込んだときのことがあったから、色々考えたけど、その日記帳があなたの制御装置になっているのではと思ったわ」
「分かったところでどうする?」
「ジュン、あなたはココへ寄生してどれくらい経つのかしら?」
「現実の時間の流れは俺にはよく分からんが、三年以上にはなるか」
「あなたの本体は既にこの世に存在してないわ。あなたの思念が希の深層世界に寄生しているに過ぎない。宿主自身の思念を消せないのは、あなたが結局、寄生することでしか、深層世界で活動できないって証よ。希から思い出を上書きし、生きる気力を奪う!」
「俺は、死んでなどいない! 見ろ! こうして自由に考え、行動できている! 俺は肉体というしがらみから解放された完全体なんだぞ!」
「自由に考えて……? まさか! あなたは単なるプログラムに過ぎない! 別の言い方をするわ! ウィルスプログラムよ! プログラムされただけの思念があなたの本質よ!」
「言うな! 俺は生きているんだよ! 悪いか! プログラムで! 人工知能にだってな、自我はあるんだよ! 自意識を持つことが、生きることと定義するのならば、俺は十分命ある人間だ!」
「だからって、希の世界を蹂躙する権利などないわ!」
「結局、行き着く場所はそこか! シスコン! だがな、貴様をココで殺せば貴様を強制追放だってできるんだぞ? コイツに勝てるか!」
 ジュンは怒りの形相で拳銃を脇から取り出した。そして銃口を私に向ける。
「私にだって……」
 私は自己の心象の投影を開始した。何か武器になるものをイメージする。

「えいっ!」
 手に具現化したものは金属バットだった。

「ふふふ……あっはっはっは。ひゃっはっはっはっ! なんだよ、金属バットって! あーはっはっはっはっ! ふははははは! そんなものでコイツと渡り合おうっていうのかよ! 想像力が欠如してんじゃねぇのか!」
 大笑いするジュン。
「昔から、乙女の武器はこれって相場が決まっているのよ!」
 私は具現化された金属バットを両手で握り締める。
「分かった分かった。これでさようならだ!」
 そういうとジュンは拳銃を構え、発砲しようとする。

 瞬間、まさにジュンが私に向けて発砲する刹那、私は意識をココから限りなく現実に近い場所まで飛ばした。そして再度、深層世界へ飛び込んだ。
 銃弾は過ぎ去った後だった。

「なに! どんなトリックだ……」
 動揺を隠し切れないジュンの額から一滴の冷や汗が滴り落ちた。
「私はブレンホッパー! トリックでもなんでもない!」
「脳内バッタが偉そうに!」
 再びジュンは銃口を私に向ける。

 ジュンが発砲する瞬間、意識を再度現実に限りなく近い域へまで飛ばす。今度は、再度飛び込む際に飛び込む位置を少しジュンに近いところに狙いを定める。そして飛び込んだ。

 銃が発砲された硝煙臭さだけが周囲にあった。

「テ、テレポートか?」
「こんな簡単なことに気づかないなんて、十年以上も深層世界で生きてきた寄生虫なのに」
 嫌味を言い終えると、私は不敵な笑みをジュンへ向けてみた。
「舐めたことを言う!」
 ジュンはまた銃口を私に向けてくる。

 銃口から弾丸が発砲される刹那、私は意識を現実ギリギリまで飛ばす。そして今度はジュンの懐を狙って飛び込む位置を定める。そして深層世界へ間髪いれず飛び込んだ。

 飛び込んだすぐそばにジュンがいた。私は金属バットを大きく振りかぶり、ジュンの右の弁慶の泣き所を狙って振り下ろした。鈍い抵抗感が両手に伝わった。

「ピッチャー強襲ライナー、ってところかしら?」

 私はすぐさまもう一度意識を現実手前まで飛んで、少しジュンと間合いのとれる距離に焦点をしぼる。そして深層世界へ飛びこんだ。

「貴様……ココと現実とのオンオフを使い分けてるな……」
 片膝突いたジュンが絞るように声を発した。
「私はブレンホッパーよ。こんなの朝飯前よ」
「だが、今のオンオフだけで貴様はだいぶ消耗しているハズ。エネルギー消費は半端ないぞ。それが切り札というのならば、俺の勝ちだな」
 一瞬ニヤリと笑うジュン。

「今、教えてやろう。この世界が俺の支配によって成り立ったということを!」

 ジュンがそう叫ぶと、どこからとなく、足音がしてきた。規則正しい音、でも一人や二人ではない。集団の足音。足音はしだいに近づいてくる。
 それは異様な集団、いえ、ジュンの私兵だった。
 趣味の悪いファシズム集団の新鋭隊をモチーフにしたデザインの黒い制服に制帽を着用した集団だった。誰もが空ろな表情でまるで泥人形のようだった。

「戦いは数を制するものが勝つ! いくら貴様でもこれだけの人数相手では、体力は持つまい。ふははははは」
 高笑いをあげるジュン。
「最悪な趣味……」

 過酷というより、同情というより、むしろジュンに対して呆れてしまった自分に気づく。こんなファシストの真似事のために希の深層世界を蹂躙したというの?

「こんな悪趣味なままごとがしたくて、あなたは死んでも思念だけ行き続けたというの? これがあなたの心象の原風景だというの?」
「悪いか! 現実の世界なんて知ったことじゃないんだよ! みんな死んでしまえ! みんな壊れてしまえばいいんだよ!」
「いつだって動けたハズなのに、何故今となってあなたは動き始めたの?」
「貴様の存在に気づいたからだよ! お前は希の意識を現実に戻そうとしている! そうなっては俺の安住の地は失われてしまう。だから徹底的に希の意識を食い物として、目覚めぬぐらい弱らせる必要があった。生きる気力さえなくなれば、現実へ戻ろうとする意識すらなくなるからな。そして俺はこの世界の支配者として君臨する! 俺が長年夢見た理想の世界を手にすることができるんだ! 俺は寄生虫なんかじゃない! この世界の支配者だ!」

「そこまでよ、ジュン!」

 後方から声が聞こえた。私は振り返ってみる。
 そこにはツインテールをといてポニーテイルにした希がいた。
 希という言い方は変だった。まるで私と生き写し。もう一人の私がいたと言ったほうがよいかもしれない。

「ノゾミ! 言ったはずだ! お前はもう用済みだって。邪魔だ帰れ!」
「あたしは、ノゾミ、希じゃないわ! 佳苗、前村佳苗よ!」
「記憶を曖昧にされて狂ったか」
「ジュン、あなたが希としての記憶を上書きしたおかげで、ようやくあたしは、この世界でのあたしの本質に気づくことができた。あたしは、お姉ちゃん、前村佳苗としてこの世界で生きてきたの! あたしの一番大事な思い出はお姉ちゃんそのものなのよ! だからいくら記憶を上書きしようが、あたし自身がお姉ちゃんを投影したものなのだから、その本質は消えることがないの! そう、希としてのあたしの記憶は消せても、お姉ちゃんとしてのあたしの記憶は消せない! 絶対!」
「ちぃ。自我の崩壊が遅いと思っていたが、よりによって本体に記憶が集中してたとは……」

「希!」
 私は希のもとへ駆け寄る。
「カナさん、ううん。お姉ちゃんだよね?」
「分かっちゃったか」
「うん。すべて、分かっちゃった」

「ジュン! あなたは宿主の希本体への上書き行為はできないわ! よって絶対にあなたの負けよ!」
 私は勝ち誇ったようにジュンに告げる。
「舐めるなよ……貴様さえ強制追放できれば、残ったノゾミなんてどうにでもなる……!」

「私には守るべき大事なものがある!」
 私は叫ぶ。
「あたしには守るべき大切な世界があるの!」
 ポニーテイル姿の希も叫ぶ。

 揺ぎ無い確信は力へと変わる。
 今長年蓄積されてきた妹とのわだかまりが氷が解けるように心の中から消えていった。

「お姉ちゃん、あたしの小さな力、お姉ちゃんに預けるね」
 そういうと希は私の右手の平を自身の左手の平で合わせてきた。
「希、何をするというの?」
「あたしとお姉ちゃんは二人で一緒……」

 希は光の粒子となって私の中へ入り込んできた。
 不思議な感覚だ。希の思念も直に感じ取れるのに私自身の意識もクリアだ。
 そして、希の暖かい私に対する思いも流れ込んできて、思わず涙が頬を伝った。
 もちろん、私の中には希の意思もはっきりある。伝わってくる。
 それだけでも、十分に私に戦う力を与えてくれる。

(二人で戦うのよ)
(うん。お姉ちゃん)



[19932] 10
Name: 武藤宗谷◆c5e725f7 ID:36a08125
Date: 2010/06/30 23:01
「ふんっ! 何をしようと無駄だよ! 行け、我が僕共よ!」
 ジュンは私兵に号令をかけた。

 一斉に動き始める私兵。手にするライフルを私めがけて照準をかける。

「オンオフがどれほど使えるかな? ええ! この数相手によう!」
「所詮は瓦礫か何かに上書きした単なる泥人形よ!」

 その時、私の中の希が語りかけてきた。

(何をやろうとしているか分かったわ。お姉ちゃん。私の力を使って……)

 私はジュンの上書き能力によって私兵と化した者たちに対して念じ始めた。すると私の体内から輝く光が周囲を照らし出し始めた。そしてそれはまぶしいほどに輝き、一面を光の園と化した。

「な、なんだ? この光は……ええい! とにかく一斉射撃だ!」
 ジュンの号令のもと、無数の私兵はライフルを私に向けて一斉発砲してきた。

 希は語りかけてくる。

(大丈夫。そのまま)

 無数の弾丸は私を射止めることなく、地面に落下していった。なるほど、ね。

「なに? ば、馬鹿な!」
「馬鹿なのはジュン、あなたのほうよ。この深層世界のマスターである希を強制追放することはあなたにはできない。今、私の中に希がいるってことをもう忘れたのかしら?」
 マスターである希を害する存在を無効化するよう、この世界は成り立っているのだから。
「じゃあ、どうやって貴様を潰せばいいんだよ!」
 どうやらジュンは気が動転したようだ。自分でも何を言っているか分かってないハズ。

 そして私の念は完成したようだ。光はジュンの私兵すべてを包み込んでいった。光に包まれた私兵は本来あるべき姿のものへ様変わりしていった。とあるものは街の住人、とあるものは郵便ポスト、とあるものはカラーコーン、またはゴミ箱、机、椅子、粗大ごみ、そして土くれ。それらすべては本来希の世界において希を取り巻く環境として成り立っていたものだった。

「上書きを解除してしまえば、こんなもんよね」
 私は金属バットを握り締めてジュンのもとへ歩みだしていった。
「……ふん。勝った気でいるなよ……貴様はまだ俺の本当の力を知らない」

 突然、ジュンは手を天にかざした。

「貴様の言うように、俺の能力は上書きだ! 貴様のように無から有を作り出すことはできない! だがな、上書きだけじゃないぞ! 俺の意識が侵食したものすべてを無に消す! 恐怖を味あわせてやるよ! 空が落ちてくる恐怖をな!」

 どんより雲に覆われた空が突如、真っ黒に染め上げられていった。そして大気中に伝わる地響きとも思える震える音が木霊してきた。
 
 私は思わず空を見上げた。ありえないことが起きようとしていた。黒い空に大きなひびが生じているのだ。そしてそのひびはさらに大きくなり、空一面に広がっていった。
 やがて空は崩壊していった。無数の「空の瓦礫」が降ってきた。大小入り乱れた空の瓦礫が地上に降り注いできた。私はその様子をただ立ち尽くして見上げた。空の瓦礫が落ちた上空にはどこまでも続いてゆきそうな漆黒の闇が残された。

「破壊した空はあなたにはもう元には戻せないでしょう? そんないびつで不自然な世界にこだわることで一体あなたは満足なのかしら?」
 私は顔をジュンに向けて問う。
「すべて貴様が悪いんだろう! 貴様さえいなければ、俺はこの世界でずっと幸せに暮らせたんだ! ノゾミと一緒にな!」
「希はこんな夢の世界の中で一生を終えることなんか選ばないわ」
「俺は、生きているとき、恋すら知らなかったんだよ! 俺にだってみんなと同じような青春を送りたかったんだよ! いいじゃないか! 人工知能になったって、そこで一生青春を過ごしたかったんだ! 貴様さえこなければ、この世界はいつまでも俺とノゾミと青春を過ごせたんだよ!」
「それがあなたが生に執着するわけなのね」
「いけないかよ! 悪いかよ!」
「私のせいであなたは、この世界を蹂躙し、希の自我まで奪おうとしたっていうことかしら?」
 正直私は居たたまれない。だけれどもジュンに同情することもない。
「そうだよ。貴様さえ追い出せば、あとはノゾミに必要な情報は上書きでどうにもなった。貴様みたいな五体満足なヤツに俺やノゾミの気持ちが分かるかよ! ここは貴様のようなヤツが来ていい場所じゃない!」
「たとえ、希に待ち構えている現実が過酷であっても、希の意思が現実で生きることを望むのならば、私はなんだってする。同情はしないわ。ジュン、私は全身全霊を持ってあなたを消す!」
「なら徹底的にこの世界を終わらせてやるよ!」

 空の瓦礫が降り注ぐ地上で今度は地面が揺らぎ始めた。巨大な地震がおき始めた。大きな地割れが起こり、周囲のバラック小屋を飲み込んでゆく。地割れで生じた穴は空の漆黒の闇の色と同じだった。次々に地割れが起き、すべてを飲み込んでいった。

 もうこの世界には、空もなく地もなかった。ただ漆黒の闇が広がる空間と化した。そこには私とジュンがいるだけだった。

「もう満足かしら?」
「あとは貴様が消えればな!」
「それは無理」
「……」
「あなたを確実に消す方法、私は持っている」
 そう。ブレンホッパーの能力、それは、自分の意識を他者の深層世界に飛ばすことでなない。意識を飛ばすことなのだ。別に自分の意識だけを飛ばすことだけ、意識を深層世界へ飛ばすだけではないのだ。それは対ジュン対策で、意識のオンオフを繰り返す練習をしている最中に分かったことだった。
「もう、いいよ」
「同情はしないわ」
「いいから、さっさとやれよ!」

 私は意識をジュンに集中させた。

「死人よ、闇に還りなさい!」

 ジュンの魂を掴んだ感触がした。そしてそのまま、ジュンの意識を希の深層世界から飛ばした。ジュンは少し涙ぐんだ表情だった。そして少しずつ色あせていった。そしてジュンは完全に消えた。一冊の日記帳を残して。

「黒衣の少年の言ったように、私にとっても過酷な戦いだったわ……」
 私は闇を漂いながらフゥとため息をこぼした。

(すべてが終わったね。お姉ちゃん)

 希の声が聞こえた。
 希と思われる粒子が私の体内から放出されていった。
 光の粒子は小さな女の子の形を作り上げていった。小学校五年生の希の姿だった。白いワンピース姿にツインテイルをしている。

「お疲れ様。お姉ちゃん」
「希……」
「お姉ちゃんがあたしのことどれだけ思ってくれているか分かったよ」
「そう」
「あたしね、お姉ちゃんにずっと謝りたかったんだ。あのとき、ひどいこと言っちゃったね。ずっとこの世界で後悔してた。あたしはね。ただお姉ちゃんに憧れてただけなんだ。だって自慢のお姉ちゃんなんだもん」
「ううん。謝ることなんて、何もないわ。ところで、この日記帳、どうする?」
 私は希にジュンの残した日記帳を指し示す。
「お姉ちゃんが決めるべきよ」
「なら燃やしましょう。希、この日記帳に火くらいかけられるわね?」
「簡単よ。ここはあたしの世界だもん。なんでも思い通りよ」
 希はそういうと日記帳は青い炎を上げて一瞬で塵と化して消滅した。
「これですべてが終わったわ」
「まだ終わりじゃないよ。あたし、色々お姉ちゃんに言いたいことあるの」
「なんでも聞くよ」
「あたしはこの世界で、名前は希のままだったけど、お姉ちゃんの真似っこをしてたの」
「知ってるわ」
「でも嬉しい。やっぱりどんなに真似しても、本物のお姉ちゃんはやっぱりどこまでいってもかないっこないや」
「希だって」
「でももうだめみたい。この世界がこんなに粉々になってしまったら、あたしの意識はたぶん消えちゃうと思う。実はもうほとんど希としての記憶は曖昧なの」
「そんなことは私がさせないわ」
「無理よ」
「可能よ」
「無理」
「私の力を使えば可能」
「やめて」
「ううん。私が希を救って見せるよ」
「これ以上あたしのために自分を捨てないで!」

 もし、神が私にブレンホッパーとしての能力を与えたのならば、きっと、このときのためだと感じた。恐れることはなにもないよ、と自分に言い聞かせてみる。
 ユウくん、ごめんね。結局、ユウくんと私と希の三人でっていう約束は果たせない。それが気がかりかな。
 あの黒衣の少年にももう会えなくなるのか。最後に一度会っておきたかった。そして、私の選択が彼の目にどう映るかを知っておきたかったな。

 ごめんね。希。私はこんなことくらいでしか、姉をできないんだ。


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