アメリカ統治下の沖縄で小学校に戦闘機が墜落し、児童らが死亡した事故から30日で51年となり、現場となった沖縄県うるま市の宮森小学校で追悼集会が開かれました。
沖縄県うるま市の宮森小学校では、昭和34年6月30日、アメリカ軍嘉手納基地を飛び立った戦闘機が墜落し、児童11人と住民6人が死亡し、やけどの影響でその後、さらに1人が亡くなりました。この事故から30日で51年となり、宮森小学校では、児童や遺族などあわせて500人が参列して追悼集会が開かれました。集会では、参列者全員が黙とうをささげたあと、6年生が平和を誓う詩を声を合わせて読み上げました。そして最後に、児童全員が、事故のあとも焼け残った「フクギ」と呼ばれる沖縄でよく見られる木にちなんだ歌を合唱して、犠牲者を悼みました。宮森小学校6年生のときに事故で母親と同級生を亡くした金城秀康さん(62)は「今でも母親がすぐそこにいるような気がします。ほんとうは胸の内にしまっておきたい気持ちですが、これからは事故があったことを少しずつ語り継いでいきたい」と話していました。