【ドクター・ポスドク問題】
- For love and money – Nature (Careers: special report)
- 科学者満足度:明暗 デンマーク1位/日本最下位--主要国英誌調査 – 毎日
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以前Nature本誌が実施していた&twitter上で宣伝していたアンケートの集計結果が、6/24付で出ていたようです。本来的にはタイトルが示す通り、このアンケートはあくまでも研究者のgender biasを調べるためのものであり、国別での研究者の待遇そのものを調べることを目的にしたものではないのですが、それでも妙な結果が出たせいでメディアの注目を惹いたようです。
実際の本誌の記事を読んでみたらなかなかに面白かったので、うっかり読んでしまいました。興味のある方はぜひご一読されることをお薦めいたします。ちなみに、これだけ話題を振っておいて何ですが、この調査結果自体は今回のお題ではありませんのでこれ以上は深く突っ込みません。
で、問題なのは何かというと。・・・おそらく話題を呼んだ調査結果そのものではなく、それが社会にもたらす波紋であろうと僕は考えております。特に、このニュースを見て改めて博士課程への進学を取りやめる優秀な若者が続出するのではないかという危惧すら感じます。
というのは、この調査結果に関する報道がまさに当blogで再三再四に渡って指摘している日本の基礎科学研究体制の「内幕」の不合理さと問題点をはっきりと指摘しているからです。
日本は「休日」(0.424点)「労働時間」(0.448点)「研究テーマの独立性」(0.567点)「上司や同僚からの指導」(0.442点)の4項目で最下位を記録し、デンマークの点数の5~7割だった。残りの「給与」など4項目も12~15位にとどまった。(原文ママ)
一応、こういう実態というのは分野ごとの差が大きいものなので、十把一絡げにどんな分野の研究者でも不満たらたらだと言い切れるわけではないということはお断りしておきたいと思います。特にうちの業界(ヒト認知神経科学)は徹夜仕事になるような培養とか飼育をする必要がないので、比較的勤務形態は自由な上に女性もワーク・ライフ・バランスを保ちやすく、結果として研究しながら出産・子育ても両立できている女性研究者が多いようです。
しかしながら、総じていえば他国に比べて日本の研究者(特にポスドクを中心とする若手研究者)が待遇に満足しているとは言い難い状況であることに変わりはないのだろうと思われます。しかも、厄介なことに最下位を記録した項目に
- 「研究テーマの独立性」
- 「上司や同僚からの指導」
という日本のアカデミズムが伝統的に守っている徒弟制度の悪弊を匂わせるかのようで、このニュースを見る人々に「悪弊に守られた象牙の塔」というイメージを与えるような印象すらあります。その印象操作に追い討ちをかけるように、
科学技術政策に詳しい角南(すなみ)篤・政策研究大学院大准教授は「日本は、中印より施設面などの研究環境は劣らないはずだ。しかし満足度が低いのは、奴隷的な労働環境で将来性を見いだせていないためと言える」と指摘する。(強調部筆者)
と、識者氏のご丁寧な分析までついてきている有様です。・・・これを「印象操作」を斬って捨てるのは実に簡単なことですが、ここで僕は改めて問いかけたいのです。「このニュースの内容を堂々と胸を張って否定できるほど、日本の大学・大学院と基礎科学研究体制は素晴らしいものなのですか?」と。
そもそも、日本の大学・大学院と基礎科学研究体制はどんな状況にあるのか?という点について、当blogでは口を酸っぱくして危機的状況にある旨を訴えてきました。また、それがいかに不合理に蝕まれていて、本来の実力を発揮できていないかについても指摘してきました。
そしてそれと同じくらい、現在の日本のアカデミアが博士(ポスドク)に夢を与えられずにいて、当然の帰結として優秀な若者が博士進学を忌避する状況を作り出し続けているかということについても論じてきました。
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こういう議論になると必ず「若者はすぐに他人に責任転嫁する」「自己責任だ」「国内で食えないなら海外に行けば良いだけなのに若者は臆病なだけ」というような批判が湧き起こるもので、僕も飽きるほどそういう批判を見聞きしてきました。
で、それは別に間違った批判ではないと僕も思います。今現在、(僕を含めて)既にポスドクなり博士課程院生なりの立場にいる人々が、自ら努力して苦境を乗り切るべきであることは論を待ちません。その点を考えれば、ポスドク問題を単純な「就職難」の問題として捉えることには僕自身抵抗を感じます。
ところが、これから博士課程に優秀な若者を呼び込めるか?というと話は全く異なります。どれほど頑張ったとしても、身の振り方は運やコネにばかり左右されてしまい、最終的に食いっぱぐれて沈んでしまうかもしれない、にもかかわらずNatureの調査結果にもあるように待遇は全然良くないかむしろ悪い・・・となれば、ゼロリスク信仰に駆られた日本人でなくとも目端の利く優秀な若者なら、リスクばかり高くてリターンの乏しい研究者になろうなどとは考えないでしょう。当然、博士課程に進学しようなどとは考えるわけもなく、結果的に博士課程の多数派をモラトリアム院生ばかりが占めるような状況に陥っても何の不思議もないことだと思います。
というエントリでもう3年も前に指摘しましたが、賢い若者からさっさとアカデミアには見切りをつけて就職していく。その流れは修士課程では既に極めて顕著だろうと思います。「学部卒よりも修士卒の方が、企業でより専門性の高い職務に就ける」と考えてやってくる聡い若者たちは、食えない上にハイリスクな博士をあっさり忌避して民間へと巣立っていってしまっているはずです。僕がM2だった2000年代初頭ですらそうだったのですから、今は尚更でしょう。
即ち、日本のポスドク問題は「就職難」ではなく、「後継者難」問題に他ならないということなのです。後継者を失った組織がどうなるか?ということは、別にアカデミアに限らず歴史にそういう例はたくさん見られるのでいちいち論じるまでもないでしょう。「後継者難」は、イコール滅亡へのプレリュードを意味するものです。
ですから、ポスドク問題なり日本のアカデミア・基礎科学研究体制の問題点に関する議論をするならば、何よりもまず「後継者難」をどう防ぐか?というところにもっと力点を置いてほしいと僕は思うわけです。ところが、そういう観点は肝心の当事者たる研究者の間にも乏しいし、国や行政サイドの側にも乏しい。それで、
というような頓珍漢な政策が打たれたりするのでしょう。
でも書きましたが、「博士になっても派遣社員でうだつが上がらない」では誰も博士課程になんか進みたがらないはず。そういう「後継者難」の観点を欠いた政策をいくら打ったところで、状況が良くなるはずがないというものです。
キャリアそのものがハイリスクなら、せめて成功した暁にはハイリターン(待遇)を用意してほしい。そうでなければ、リスクゼロ信仰の著しい日本ではなおさら優秀な若者は研究者なんて不安定なキャリアパスをますます忌避し続けることでしょう。
ハイリスクな職業は、この世にはたくさんあります。プロアスリート、TVタレント、お笑い芸人、ミュージシャン・・・しかしながら、その多くは「成功すればハイリターン」のはず。なればこそ、多くの人が夢半ばにして挫折する中にあっても、なお多くの新しい才能が次から次へと挑戦し続けるという流れが途絶えないのだと思います。
しかしながら、日本では研究者は「成功してもローリターン」。Natureの今回の調査結果(p. 1106)を見ると・・・日本を含むアジアではポスドクから教授(full professor)に昇進しても給与の伸び幅が北米やヨーロッパに比べて低く、案の定同じ教授に限定した場合の満足度も一番低くなっています。日本では特に教授は雑用に追い回され通しなので、待遇以外の部分での不満も多いはずです。
さらに皮肉なことに、ポスドクの給与はアジア・北米・ヨーロッパで差がほとんどない。にもかかわらず、ポスドク時点での満足度も低ければ、教授に出世した後の満足度すら低い。そして給与の伸び幅も小さい。これでは、何を目指して研究すれば良いのでしょうか? ノーベル賞?名誉? 「人はパンのみにて生くるにあらず」と聖書(マタイの福音書)にはありますが、河上肇が『貧乏物語』の中で書いた通り「人はパンなしにても生くるにあらず」。霞を食っているかのように見える研究者だって、パンのために研究をするのです。
そういうことを考えるに、日本のアカデミアおよび基礎科学研究体制は、本気で後継者を確保しようと考えているのだろうか?と疑わざるを得ません。研究者としてのキャリアを継続するにはハイリスクな競争を強いられ、しかもその競争は「奴隷的な労働環境」のもとで行われるもの。そして、競争を生き残ってもローリターン、待遇が良いとはお世辞にも言えない状況・・・これで後継者が雪崩を打って押し寄せるとは、到底想像できません。
日本という国の総体として、アカデミアおよび基礎科学研究体制をこれ以上存続させる気がない、というのならそれでも良いと思います。しかし、存続させたいと考えるのならば現在の「ハイリスクなのにローリターン」という待遇はあまりにも不合理です。
なればこそ、僕は改めて強調したいのです。即ち、
- 日本は、まず国としてアカデミアおよび基礎科学研究体制を今後も存続させるつもりがあるかどうかを示せ
- そしてもし存続させるつもりであるのならば「ハイリスク・ローリターン」ではなくせめて「ハイリスク・ハイリターン」に待遇を転換せよ
- ハイリターンへの転換が難しいのなら、リスクを軽減させるような具体的なアカデミアおよび基礎科学研究体制の改革のグランドデザインを示せ
の3点です。そのいずれをも実行しないようであれば、日本の人々が望むと望まざるとにかかわらず日本のアカデミズムとサイエンスは滅亡していくことでしょう。