きょうのコラム「時鐘」 2010年6月30日

 ドジョウのかば焼きの季節である。ありがたいことに、年中味わえる当地のごちそうになったが、梅雨空のいまごろからは、恋しさがひときわ募る

嵐山光三郎さんの連載「ぶらり旅」でも紹介されていた。さばくときに、ドジョウは「キュ」という音を出す。命を絶たれた悲鳴のように聞こえるのが面白く、店先で飽かずに眺めていた思い出がある。いささか残酷な子どもの好奇心である

あれは腸の空気がお尻から出る音、と連載で知った。悲鳴ではなく、おならみたいなものか。とんだ勘違いに拍子抜けする。こんなことは、たまにはある。角界から聞こえてきた神妙な「謹慎」の声も、その正体はどうなのだろう。謹慎とは門戸を閉ざして出入りを控える、と辞書にある。時代劇でおなじみの刑罰がいまもまかり通る伝統社会である

不謹慎な振る舞いなら、街のあちこちでいやでも目にし、耳にする。謹慎という潔い掛け声も、時流に流されてしまえば逆の結果になりかねない

同じ柳の木の下に、そう何匹もおいしいドジョウがいるはずもない。いくら何でも、もうそれに気付いていいころである。