アメリカがサッカーに目覚めつつある
【金子達仁】2010年06月29日
2点を取られてから1点を返した1―2と、一度追いついて突き放された1―2とでは、同じスコアでも意味合いがまるで違う。特に、先制逃げきり率がきわめて高いウルグアイのようなチームが相手となれば、なおさらである。
韓国は立派だった。GKのミスで先制点を奪われた段階で、彼らの命運はほぼ尽きたとわたしは思った。案の定、リードを奪ってからのウルグアイは、釈迦(しゃか)のように振る舞い始めた。暴れるなら好きなだけ暴れるがいい。わたしの掌(てのひら)の上であれば――。
だが、彼らが相手にしていたのは中国産の猿ではなかった。鋭い牙を持つ韓国産の虎だった。主導権を渡したフリをしていたつもりだったウルグアイは、いつしか本当に主導権を奪われていた。パワープレーから許した同点弾は、経験豊富な彼らにとっても強烈なショックだったはずである。
スアレスの鮮やかな一撃によって、ウルグアイは辛くも生き残った。しかし、韓国強し、との印象は、ウルグアイ人の記憶に強く刻まれたことだろう。02年のスペインやイタリアは、敗因を審判に求め、韓国の強さを認めようとはしなかったが、今回は違う。02年のベスト4よりも偉大なベスト16。それが南アフリカでの韓国から受けたわたしの印象である。
アメリカも素晴らしかった。どうしてこのチームは、こんなにも胸を打つ試合ができるのか。前半はガーナに試合を支配され、まるで歯が立たないでいたというのに、途中からはしっかりと修正が図られていた。ただの1人もワールドクラスの選手はいないのに、どんな相手とも互角に渡り合う。今大会の奮闘によって、この国のサッカーを軽視する人は絶滅したかもしれない。
「サッカーのW杯?そりゃなんだい」
94年の大会期間中、アメリカ人の口からそう聞いたのは一度や二度ではない。98年も02年も、アメリカのサポーターを見たという印象はなかった。それがどうだろう。今大会では、高らかに愛国心を歌いあげるアメリカ人の姿がどこの会場でも当たり前になっていた。
アメリカが、サッカーに目覚めつつある。アメリカが、本気になりつつある。
惜しくもガーナの執念に屈したとはいえ、スタジアムにはクリントン元大統領がいた。アメリカと縁の深いミック・ジャガーもいた。チームが力をつけ、アメリカ国民のサッカーに対する関心が高まりつつあるという認識を、世界中の人たちが持ったはず。勝負には敗れたアメリカだが、W杯招致活動というもう一つのレースにおいては、他国を一歩リードしたことになるかもしれない。(スポーツライター)
▼金子達仁氏オフィシャルウェブサイト
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