[2010年06月27日(日)]
【ウルグアイ2-1韓国】見応えのあった“スピリット”の応酬
杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
この2-1は、数ある2-1の試合の中でも接戦の部類に入る。ラグビーで言えば30-26のような、まさに僅差の好試合だった。
ウルグアイが先制し、韓国が追いつき、ウルグアイが決勝ゴールを決めるという展開の試合だったが、もし、開始4分に韓国に与えられたFKのシーンで、パク・チュヨンのインフロントがゴールポストに嫌われず、韓国に先制点が転がり込んでいれば、結果はどうなっていただろうか。韓国はもっと楽にゲームを運ぶことができただろう。
チャンスの数では韓国のほうが上回っていた。パスワークも冴えれば、ボールの奪い方も洒落ていた。後半に入るとそれはいっそう際立ち、68分の同点ゴールが生まれることになった。
その時スコアは1-1。韓国が、その余勢を駆って一気呵成に攻め立てるのか。ウルグアイが反撃に転じるのか。
力の接近した2チームが対戦した時、点を奪われた側が直後から反撃に転じるのが一般的な姿だ。韓国は実際、ウルグアイが先制点挙げた直後から反撃に出た。ウルグアイの場合はどうなのか。興味はそこに注がれた。
68分以後、ウルグアイは予想どおり反撃に転じた。ゲームの流れを手繰り寄せることに成功した。3度立て続けにチャンスをつかみ、80分に得た4度目のチャンスをモノにした。
韓国に残された時間は10分強。韓国はそこから最後の力を振り絞って攻撃した。87分には、イ・ドングッがGKと1対1になるビッグチャンスを迎えたが、GKに阻まれてDFがクリア。韓国には残された時間が少し足りなかった。
文字どおりのシーソーゲームではあったが、シーソーを最初に揺らすことができなかったツケが、最後の反撃時間の少なさにつながったと僕は思う。あと10分あれば、韓国は同点に追いつくことができたに違いない。先制点の重さを痛感させられた試合になる。
追いかけて強いのが韓国の魅力だ。“キムチ魂”と言うべき、独特のスピリットを備えている。そういう意味では、ウルグアイが先制してもそれで試合が決まりそうなムードは一切しなかったが、スピリットではウルグアイも負けていない。伝統的に、抜け目のなさ、機を読む力に一日の長がある。
同点弾を許し1-1にされた直後、ウルグアイは、そのスピリットを全開に反撃に転じた。
このスピリットの応酬こそが、この試合最大の見所で、緊張感みなぎる好試合になった原因だ。で、韓国がキムチ魂を再度全開にしようとしたとき、終了の笛が吹かれた。ウルグアイ魂がキムチ魂に、僅差で判定勝ちした試合といってもいい。
ウルグアイ魂を象徴する選手は、2トップのふたり。この日、2ゴールを決めたスアレスと、先制点のシーンで決定的なパスを送球したフォルランになる。つまり韓国は、スアレスの決定力と、フォルランの総合的なアタック力に屈したという見方もできる。
ただ、繰り返すが、サッカーそのものは韓国のほうが良かった。良いサッカーをしたのはどちらかと言えば、韓国に軍配が上がる。賞賛されるべきサッカーをしながら韓国は惜敗した。「美しい敗者」という言葉が、韓国にはピタリと当てはまる。
試合後、現地の投宿ホテルに僕を運んでくれたタクシーの運転手も「韓国のサッカーは素晴らしかった」と賞賛した。こちらを韓国人と勘違いし、ヨイショしたのかと思いきや、さにあらず。そういう話ではなかった。
日本も見習いたい負け方だ。日本が次のパラグアイ戦で敗れても、第三者がお世辞抜きで「日本のサッカーは素晴らしかった」と、賞賛してくれるなら、僕はそれで大満足。良いサッカーの追求こそが、次への結果につながるという事実を忘れてはならないと思う。