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2010.06.28
どうして役にも立たない知識を入学試験で問うのか?
どうして役にも立たない知識を入学試験で問うのか疑問におもったら、情報の経済学でいうシグナリング(signalling)について学ぶといい。
ブルデューのいう「卓越化」≒「お育ちによるふるまい(≒ハビトゥス)による選別」の仕組みから、クジャクは何故ああもムダに派手なのか、果てはヤンキーはなぜ早婚か(Theodore Bergstrom and Mark Bagnoli(1993), "Courtship as a Waiting Game", Journal of Political Economy , Volume 101, Issue 1, pp.185-202. ; http://ideas.repec.org/a/ucp/jpolec/v101y1993i1p185-202.html)まで統一的に理解できる。
よく例につかわれる学歴ゲームで説明すると、以下のような感じである。
ある人が仕事ができるかどうかは、パッと見ではわからない。
そして学歴は、仕事ができるかどうかとは、多くの場合、無関係である。
なのに学歴が雇い入れの際に、選別に使われるのはなぜか?
答え:それは、学歴を取得するのに(受験勉強などの)コストがかかるからである。
雇われる方は自分の仕事能力が高いか低いか(少なくとも雇い入れる企業よりは)知っている。
ならば、雇い入れる企業は「高学歴な人には高給を出します」と表明すればいい。
自分の能力が高いことを知っている人は、あとでそのコストを回収して余りある高給を得られるのだから、コストをかけても学歴を取得しようとするだろう。
自分の能力が低いことを知っている人は、そのコストを回収する見込みがないと考えて、コストをかけて学歴を取得することは避けるだろう。
選ばれる人にとってはベネフィットがコストを上回り、選ばれない人にとってはコストがベネフィットを上回りさえするものなら、なんでもシグナリングに使える。
「お育ちによるふるまい(≒ハビトゥス)による選別」も、ロジックは同様である。
下位階級の者(貧乏人)には、上位階級のハビトゥス(「上品」な習慣や趣味)を、習得するだけの「余裕がない」。
「余裕がない」というのは、厳密には、コスト(Cph)をかけて金持ちハビトゥス(rh)を習得しても、それに見合うだけのベネフィット(Bph)をえられず、ペイしない、ということである。
他方それにたいして、金持ちの方は、親が同様なハビトゥスをもっている、とか、もともと金持ちなので習得(に、たとえ貧乏人と同じ金額がかかったとしても)の際の貨幣の限界負効用が少ないなどの理由から、コスト(Crh) が相対的に貧乏人ほどかからない。
あるいは、貧乏人をふりきることのベネフィット (Brh)が大きい。
というのは、様々な独占的価値の機会となる上流階級のコネクションを維持することはベネフィットが大きく、都合、ベネフィットとコストの差し引きがペイする、ということである。
そして、そうしたコネクションを維持・更新するためには、上位階級のハビトゥス(「上品」な習慣や趣味)を持っているか否かを「参入障壁」とするのが都合がいい。
上位階級のハビトゥスはこうして、上位階級コネクションへの参入を選抜する際のシグナルとして機能している。
たとえば「教養」と呼ばれるものは、だいたい実利的な価値が無い(役に立たない)。
だからこそ、すぐに金になる実利的な技能/知識の習得を優先したい貧乏人、もとい進取の気性を持つ新興の市民(ブルジョワ)階級には、習得してもペイしないものである。
たとえばイギリスで最も高いクラスの子弟は、オックスブリッジ(オックスフォードかケンブリッジ)で、およそ実利的な価値がなさそうな古代ギリシャ哲学などを専攻する。
そして、近い将来、上位階級のコネクションに迎えられる。
たとえばクジャクのオスの羽は、ハデででかい。
あんなものをつけていたら、天敵にすぐに見つかるし、逃げるのも大変である。
命がけのコストだ。
だったらハデなやつほど、襲われるリスクが高くて、そんなやつ(遺伝子)は自然淘汰されるんじゃないのか?
しかし遺伝子を残すためには、異性に選ばれなければならないという要素を加味すると、違う仕組みが見えてくる。
やたらに目立って重くて邪魔になるお荷物だからこそ、それを持ってこと(それだけのリスクを負担できること)が、強さの証明になる。
「弱い+ハデ」なやつは、早々に淘汰されるだろう。
しかし「強い+ハデ」な奴は生き残る。
「強い+地味」なやつも生き残るが、こいつらは「弱い+地味」な奴と区別がつきにくい。
つまり選ぶ側からすれば、「ハデ」を選んだ方が、「強い」遺伝子を持ったペアを引き当てやすい。
クジャクの羽は、立派に選抜のためのシグナルになっている。
逆に選別につかうシグナルが、コストがかからないものであったら、どうなるだろう。
たとえば能力の自己申告だけで、給料が高い低いが決まる会社があるとしよう。
コストはかからないと仮定しているので、仕事の内容などは自己申告によって厳しくなったりしない。
コストがかからない自己申告なら、誰もが高給がとれる申告をするだろう。
これでは自己申告はシグナルとしての役目を担えないだろう。
これは別の利益が得られてコストを回収できる場合も、シグナルには使えないことを意味する。
それ故、学歴や受験勉強は、それ自体ではそのコストを回収できない程度に「ムダなもの」である必要がある。
○Spence, A. M. (1973). "Job Market Signaling". Quarterly Journal of Economics (The MIT Press) 87 (3): 355–374. http://www.jstor.org/stable/1882010.
ブルデューのいう「卓越化」≒「お育ちによるふるまい(≒ハビトゥス)による選別」の仕組みから、クジャクは何故ああもムダに派手なのか、果てはヤンキーはなぜ早婚か(Theodore Bergstrom and Mark Bagnoli(1993), "Courtship as a Waiting Game", Journal of Political Economy , Volume 101, Issue 1, pp.185-202. ; http://ideas.repec.org/a/ucp/jpolec/v101y1993i1p185-202.html)まで統一的に理解できる。
よく例につかわれる学歴ゲームで説明すると、以下のような感じである。
ある人が仕事ができるかどうかは、パッと見ではわからない。
そして学歴は、仕事ができるかどうかとは、多くの場合、無関係である。
なのに学歴が雇い入れの際に、選別に使われるのはなぜか?
答え:それは、学歴を取得するのに(受験勉強などの)コストがかかるからである。
雇われる方は自分の仕事能力が高いか低いか(少なくとも雇い入れる企業よりは)知っている。
ならば、雇い入れる企業は「高学歴な人には高給を出します」と表明すればいい。
自分の能力が高いことを知っている人は、あとでそのコストを回収して余りある高給を得られるのだから、コストをかけても学歴を取得しようとするだろう。
自分の能力が低いことを知っている人は、そのコストを回収する見込みがないと考えて、コストをかけて学歴を取得することは避けるだろう。
選ばれる人にとってはベネフィットがコストを上回り、選ばれない人にとってはコストがベネフィットを上回りさえするものなら、なんでもシグナリングに使える。
「お育ちによるふるまい(≒ハビトゥス)による選別」も、ロジックは同様である。
下位階級の者(貧乏人)には、上位階級のハビトゥス(「上品」な習慣や趣味)を、習得するだけの「余裕がない」。
「余裕がない」というのは、厳密には、コスト(Cph)をかけて金持ちハビトゥス(rh)を習得しても、それに見合うだけのベネフィット(Bph)をえられず、ペイしない、ということである。
他方それにたいして、金持ちの方は、親が同様なハビトゥスをもっている、とか、もともと金持ちなので習得(に、たとえ貧乏人と同じ金額がかかったとしても)の際の貨幣の限界負効用が少ないなどの理由から、コスト(Crh) が相対的に貧乏人ほどかからない。
あるいは、貧乏人をふりきることのベネフィット (Brh)が大きい。
というのは、様々な独占的価値の機会となる上流階級のコネクションを維持することはベネフィットが大きく、都合、ベネフィットとコストの差し引きがペイする、ということである。
そして、そうしたコネクションを維持・更新するためには、上位階級のハビトゥス(「上品」な習慣や趣味)を持っているか否かを「参入障壁」とするのが都合がいい。
上位階級のハビトゥスはこうして、上位階級コネクションへの参入を選抜する際のシグナルとして機能している。
たとえば「教養」と呼ばれるものは、だいたい実利的な価値が無い(役に立たない)。
だからこそ、すぐに金になる実利的な技能/知識の習得を優先したい貧乏人、もとい進取の気性を持つ新興の市民(ブルジョワ)階級には、習得してもペイしないものである。
たとえばイギリスで最も高いクラスの子弟は、オックスブリッジ(オックスフォードかケンブリッジ)で、およそ実利的な価値がなさそうな古代ギリシャ哲学などを専攻する。
そして、近い将来、上位階級のコネクションに迎えられる。
たとえばクジャクのオスの羽は、ハデででかい。
あんなものをつけていたら、天敵にすぐに見つかるし、逃げるのも大変である。
命がけのコストだ。
だったらハデなやつほど、襲われるリスクが高くて、そんなやつ(遺伝子)は自然淘汰されるんじゃないのか?
しかし遺伝子を残すためには、異性に選ばれなければならないという要素を加味すると、違う仕組みが見えてくる。
やたらに目立って重くて邪魔になるお荷物だからこそ、それを持ってこと(それだけのリスクを負担できること)が、強さの証明になる。
「弱い+ハデ」なやつは、早々に淘汰されるだろう。
しかし「強い+ハデ」な奴は生き残る。
「強い+地味」なやつも生き残るが、こいつらは「弱い+地味」な奴と区別がつきにくい。
つまり選ぶ側からすれば、「ハデ」を選んだ方が、「強い」遺伝子を持ったペアを引き当てやすい。
クジャクの羽は、立派に選抜のためのシグナルになっている。
逆に選別につかうシグナルが、コストがかからないものであったら、どうなるだろう。
たとえば能力の自己申告だけで、給料が高い低いが決まる会社があるとしよう。
コストはかからないと仮定しているので、仕事の内容などは自己申告によって厳しくなったりしない。
コストがかからない自己申告なら、誰もが高給がとれる申告をするだろう。
これでは自己申告はシグナルとしての役目を担えないだろう。
これは別の利益が得られてコストを回収できる場合も、シグナルには使えないことを意味する。
それ故、学歴や受験勉強は、それ自体ではそのコストを回収できない程度に「ムダなもの」である必要がある。
○Spence, A. M. (1973). "Job Market Signaling". Quarterly Journal of Economics (The MIT Press) 87 (3): 355–374. http://www.jstor.org/stable/1882010.
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