自分のことが嫌いだった。(本文)
お待たせしました~
今日は、昨日の漫画の続きの本文です
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今日は、私が「自分が嫌い」だった頃のお話です。
私は、ずっと自分が大嫌いでした。
子供の頃から、母に
「どうしてあんたはそうなの!○○ちゃんを見習いなさい!」
「他の子はちゃんとできるのに、なんであんただけできへんの!」
「わがままばっかり!あんたみたいな子は結婚なんかできへんわ!」
「どうして、やさしくできへんの!」
と、近所の子供と比べて叱られることばかりでした。
学校でも、小学校のころは友達がほとんどいなくて、グループ分けをするといつもクラスで一人だけどこにも入れず残ってしまって、先生が「どこかのグループで入れてあげて」とお情けでどこかへ入れてもらう…そんなことばかりでした。
こういう生活の中で、私は
「自分は、ものすごく嫌われている。ものすごくわがままで、やさしさのかけらもない嫌な子なんだ。どうして、自分はこんななんだろう…」
と思うようになりました。
自分が情けなくて、嫌いで嫌いで…仕方がありませんでした。
中学校へ入ると同時に、自分自身を積極的に変えようと努力しました。そのかいあって、中学校では先生からの評価も高く、友達からも一目置かれる存在になることができました。
その頃からでしょうか、私は憧れた人のマネをする…というよりは、「その人になりきる」…ことで、いろいろなこと吸収したてできるようになりました。
模倣は上達の基本でもあります。
けれど、私の場合は、技術の模倣だけではなかったのです。
たとえば、数学の問題を解くとき、憧れの数学の先生そのものになりきって考えるのです。書く文字の癖から、しゃべり方の癖、表情や動きまで!まるで、その先生が憑依したかのようになって考えるのです…
そうやって考えると、"自分"の状態で考えるよりも、たくさんの解法を思いつくことができました。
こうして、私は、憧れたり、いいなー!とおもった人の真似をどんどんしました。技術だけはなく、普段の話し言葉も表情も、真似てきた人の表現になってしまうのです。
つまり、自分以外のあこがれの「誰か」になりきることで、「嫌いな自分」を覆い隠したかったのだと思います。
こうして、たくさんのことを吸収してできるようになりました。
そして、ちょうど休職の直前の頃だったと思います。
ある日、ふと、自分の話し言葉や表情の作り方が、どれもこれも、今までに真似てきた人の「誰か」になっている…
自分が子供の頃に、自分のままで話していたように、話せなくなっていることに気がついたのです。
一生懸命に、昔、「自分のまま」で話していた感覚を思い出そうとしました。
けれど…出てくる言葉も表情も、吸収してきた「誰か」になってなってしまうのです。
そう…
私は「自分のまま」という感覚を忘れてしまったのです
休職前の私は、自分が大嫌いでした。
技術を身につけて、努力もしてきて、「優越感」や「自信」はありました。
けれど、自分自身のことが嫌いで嫌いで仕方がありませんでした。
今思うと、素の自分が嫌いだったがために、嫌いなところを、自分が「いい!」と思う人のマネをして覆い隠すことで、「自分の欠点を克服できた!」という「自信」を作ってきたのだとおもいます。
ですから、その頃の私は、誰よりも自分が嫌いでしたし、誰よりも自分が信頼できませんでした。そのために、「過剰なまでの努力や目標」を自分に課してきました。(これについては、別の記事でお話したいとともいます。)
まさに、休職前の私は、冒頭の4コマ漫画のように、
「私って、誰だっけ??」
というほどに、他者のツギハギで全身を覆われて、本来の自分が見えない状態になってしまっていたのです。
それでも、仕事でであう有能な人のよいところを吸収するために、どんどんと自分を上書きするように他者で塗りつぶし続けました。
休職してからも、なんとか復帰しようと、さらに弱い自分を消すべく、他者のツギハギの塗り強化すべく、分厚く塗り固めようとしていました。禅の本をよんだり、ハウツー本を読んだり、カリスマ経営者の本読んだり…
自分のダメなところを、いかに他人のマネで塗りつぶして消すか…
そのことばかりに終始していました
こうして、完全に素の自分を思い出せなくなって、どうしようもなくなってしまった頃に、アスペルガー症候群の診断を受けました。
そこで、初めて主治医と話して、私が嫌いで嫌いで「消してしまいたかった自分」は「責められるべきものではなかった」「素の自分でよかったのだ」と心から納得できました。
その後、発達障害について調べたり、いろいろな人と交流し、今の部署で復職し、自分自身の行動や気持ちを丁寧に観察するようになってから、少しずつですが、「素の自分」を嫌いでなくなってきました。
それと同時に、あんなに人まねでしか言葉が出てこなかった私が、もう、誰のマネをすることもなく、
自分の言葉で、
自分の表情で、
自分の感じ方で、
表現できるようになりました。
そう。私が自分を「好き」とも「嫌い」とも感じたことがなかった幼稚園の頃のようで、とても懐かしい気分です。
アスペルガー症候群の診断を機に、発達障害あることを意識しながら生活をするようになって、他者との感じ方の違いをはっきりと感じるようになりました。けれど、そのことで「疎外感」を感じることはありません。
「あ~。ちがうんだぁ~。へぇ~」
それだけです。
「人と違う」ことで「劣等感」や「疎外感」を感じる必要がないことを、学んだからだと思います。むしろ「違っていること」が、私の本当の意味での自信につながってきた気がします。
過剰に、劣等感・疎外感を抱く必要もなく
過剰に、敵対心を抱く必要もなく
過剰に、優越感を抱く必要もない。
ただ、ありのままの状態を自分を観察して、「今、何をすればいいのか」を考えるだけでいい。
こんなに簡単なことに気がつくまでに、ほんとうに長くて険しい道を歩いてきました。
「ありのままの自分でいい」なんて、何度も耳にしてきました。
時には、
「なぁにが"ありのまま"だ!意味わからん!この社会できれいごとなんか通用するか!」
と思ったこともありましたが、その頃に考えていた「ありのまま」は、全く意味が違っていたんですね。
今後も、自分の事を、ことさら「好き」でも「嫌い」でもなく、ニュートラルな心で、常に自分を観察していけたらいいな…
今は、そんな風に思っています
みなさんは、ツギハギの他者の着ぐるみになっていませんか?
自分のことを
好きでも
嫌いでもなく
ニュートラルに見つめる
それが大切なんだ
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